1-8 ドラゴンの休日

「本当にいいの、平くん。平日なのに丸一日遊ぶなんて」


 例の湖を前に、吉野さんはまだ不安げだった。


「平気っすよ、吉野さん。だってここ異世界には日報もないし、一日くらい仕事皆無で遊んだってわかりゃしない」

「そうかな」

「それに明日から、王の依頼で遺跡に出発するじゃないすか。その前に骨休みくらいしとかないと」

「それもそうね」


 同期の山本、それに「飼い主」の川岸とかいうエリート営業様から小汚い誘いを受けて、ムカついてる。気分転換のためにも、異世界で羽を伸ばす休暇が必要だ。


「もしバレたら、王の依頼を検討していたとか、跳ね鯉村の食堂メニューを新規開発していたとか、適当に社長を言いくるめちゃえばいいし」

「ご主人様、相変わらず悪知恵が働くね。凄いよ」

「レナお前、それ褒めてるのか微妙だぞ」

「それよりボスのボス。遊ぶにしても、これからどうするんだ」


 ピーカンの空を、眩しそうにタマが見上げた。朝十時。これから気温が上がってぽかぽかと暖かくなっていく頃合いだ。


「そりゃもちろん水遊びさ」

「やっぱり……」


 吉野さんが、苦笑いしている。


「まあ水着持ってこいって言われたから、多分そうだとは思ってたけど」

「あのー、あたしも一緒でいいんですか」


 額田さんが口を挟んできた。


「いいんですよ、額田さん。いつも食堂事業でお世話になってるし。ここで気分転換して、またメニューでも考えましょう」

「なら遠慮なく」


 食堂運営もほぼ軌道に乗って、彼女なしでも営業は回るようになりつつある。そのテストも兼ねて、今日はタマゴ亭さんを現場から離し、俺達と遊んでもらう段取りにした。一石二鳥って奴さ。


 それにここ湖のほとりなら、万一食堂に問題でも出れば、村人がすぐ駆けつけて来られるしな。


「さて……」


 俺は仲間を見回した。吉野さん、タマ、レナ、それに額田さん。――みんな、俺の大切なパーティー仲間だ。


「ではこれから水遊びモードに入る。各人用意した対水棲モンスター装備を装着せよ」


 対水棲モンスター装備――水着とも言う。額田さんにも事前に用意してもらってるよ、もちろん。


「はい」

「わかった。ボスのボス」

「了解です」

「はーいっ」


 てんでばらばらの返事と共に、みんな、バッグに手など突っ込んでいる。


 でまあ十分後――。


「おう……」


 思わず、感服の溜息が漏れた。


 なんせ凄い眺めだ。妖精のようなレナに加え、タマに吉野さんというタイプの違う美スタイル水着姿(かたっぽはあれこれ透けてるしなー)。


 さらに額田さん。彼女は意外にもちょっとロリ入ったかわいらしい系のセパレートを持ってきていた。胸は少し控えめだけれど、そこがいいという男もいるはず。それくらいバランスが取れている。


 がさつでおてんばと自分で言うくらいのさっぱり系キャラだけど、水着姿は女子っぽさ全開。これ見たらウチの会社の男ども、競ってデートに誘うだろうな。


 まあこないだ聞き出したところだと、彼女、その手は全部断ってるらしいけど。――営業先にそういう関係持ち込みたくないんで――と、もっともな理由を挙げていたけど、あれ実は気に入る男がこれまでいなかったんだな。彼女見てると、そんな気がする。


「では水上戦闘訓練に入る。かかれっ!」


 歓声を上げ、みんなして湖に入る。ここの水は温かい。風呂寸前といった水温だし透き通っているので気持ちいい。


 ひととおり騒ぐと、俺はひとり木陰に陣取った。持参のお茶を飲んで一服する。少し考えないとならない。


「ねえ平くん」

「は、はい」


 いつの間にか、吉野さんが隣に来ていた。


「おとといの夜、なんの話だった」

「ああ、山本の……。ちょうど今、考えようとしていたところです」


 吉野さんにどこまで話すべきか、一瞬迷った。でもまあいいか。課長と俺は運命共同体だ。人柄も信じられるし、俺を裏切りは絶対しないと確信できる。


「営業の川岸って野郎、知ってますか」

「川岸くん……」


 吉野さんは斜め上の空を見上げた。


「もちろん。やり手の人でしょ。前の部署でよく女の子たちが噂してた。年次だと私のいっこ上かな」


 ざまあ。そいつはやり手エリートとはいえ課長補佐。俺の吉野さんは年次下なのにもう課長だからな。とはいえまあ、三十前に課長補佐になってる時点で、異例の出世だけどさ。しかも花形の金属資源事業部で。


「そいつと山本に、いろいろ口説かれましたよ。麻布の気取ったVIPルームで」

「へえ……」


 吉野さんは、眉を寄せた。


「なんて?」

「ざっくりまとめちゃうと、手下になれってことかな」

「手下に」

「そう。俺達異世界子会社は、補助金を掘るだけの捨て駒事業だと、社内の誰もが考えていた」

「でもそんな私達が、七つの新規事業唯一の成功例になった」

「しかも絶好調だ」

「まさかの食堂事業まで始めて、それもすぐ投資を回収した上に黒字化してるしね」

「目端の利く奴が、ちょっかい出してきたってことっすよ。派閥入りと将来の出世で俺達を抱き込んで、いずれこの事業を乗っ取るつもりだ」

「出世の階段にするつもりなのね」

「ええ。当たり前だけど、その川岸って奴の背後にも、誰かいそうな雰囲気でした」

「そりゃ、いくらやり手とはいえ、たかが課長補佐が出世なんか保証できるはずないもんね」


 俺は頷いた。


「嫌な野郎でしたよ、そいつも山本も」


 スキのなかった川岸に比べ、山本は馬鹿すぎるから役に立ちそうだけどな。なびくふりしていろいろ聞き出せば、ぺらぺら秘密を話しそうだ。


「どうするの、平くん」


 ぎゅっと手を握られた。切なそうな瞳で。


「出世のために手を握るつもり?」

「まさか」


 思わず笑ってしまった。


「言わなかったでしたっけ。俺は出世には興味がない。――というか責任も仕事も重くなる出世なんか、まっぴらごめんだ」

「そう……なんだ」


 ほっとした表情だな。


「なら私達の間に他人が入り込んでくることはないわね」

「ええもちろん。――とはいえ冷たく拒絶すると何されるかわからないんで、曖昧な態度でごまかしておきましたよ。今は忙しいんで、そうした政治に割くリソースはないとかなんとか。……今度、社長をうまく使います」

「よかった」


 じっと見つめられた。


「じゃあ、地図作りは、私と平くん、ふたりだけで楽しくやりましょ」

「はい。これからもよろしくお願いします」

「私こそ――」


 俺の手を取ると、胸に抱え込んだ。


「こんな私だけれど、よろしくお願いします」


 おうふっ!


 またしても胸を感じる。しかも透け水着越しで。


 吉野さん、俺の前だともう透けてるの気にしなくなってるからなあ……。眼福というかなんというか。


「なに内緒話してるんですか」


 タマゴ亭さんが、俺の隣に腰を下ろした。女の子ふたりに挟まれた格好になる。


「うん。社内の噂話」

「へえ。平さんもそんなのするんだ。絶対しないタイプだと思ってた」

「まあ、俺達を蹴落とそうとする奴らがいてね。……降りかかる火の粉は払わないとさ」

「わあ、大変だ」


 笑っている。ちっとも大変そうに聞こえないな。


「困ったら相談に乗りますよ。あたし、こう見えて三木本さんの内情に詳しいんで」

「へえ……」


 俺に見つめられても、瞳を逸らさない。


「なんせあたし、社内のあちこちの部署に顔を出してるから」

「なるほど」


 そういや、役員会議の弁当もタマゴ亭さんだったと、社長は言っていた。現場から役員個室、役員会議まで出入りしてるのなら、そういうことがあるかもしれない。


「困ったら頼むかも。でもまあ……それはないかな、多分」


 曖昧にごまかすと、俺は立ち上がった。


「さて、休暇アトラクションの時間だ」


 ビジネスリュックから、俺は、ドラゴンの珠を取り出した。


「どうするの平くん。ドラゴンさんを呼ぶ気?」


 吉野さんがびっくりしている。


「まだマッサージの日にはなってないけど」

「なに、イシュタルも吉野さんと水遊びしたいんですってさ」

「まあ……」


 嘘ではない。グリーンドラゴンのイシュタルとは珠を通じて昨日、話を着けてある。喜んでたよ、ドラゴンライダーをまた背中に乗せられるってな。


 珠に呼びかけると、十分もしないうちに、空の端が緑に輝いたよ。点が線になり、どんどんうねるように近づいてくると、もうグリーンドラゴン登場だ。


「待たせたな、ふみえ」


 大声と共に、浅瀬に着水する。派手に水しぶきが上がって、びしょ濡れになったタマが毒づいた。


「ドラゴンさん……」

「久方ぶりよの。ふみえ。お前のマッサージが恋しいぞ」

「は、はい」

「いやーいつ見ても、ドラゴンって大きいね」


 感嘆したような声を、タマゴ亭さんが漏らした。この娘も、物怖じしないよな。いきなり異世界に放り込まれて、大きなドラゴンとこれで二回も会ってるってのに。


「懐かしい匂いの女か。お前とも久しぶりだ」

「そうだね」

「まあ今後も見知っておけ。――ところでふみえ」

「はい」

「さっそく背中に乗れ」


 体を低くした。


「グリーンドラゴンの秘術、水上滑空を味わわせてやろう。我のドラゴンライダーよ」


 なんだ。バナナボートみたいなもんかな。ボートじゃなくてリアルドラゴンだけど。


「み、水着ずれないかしら」


 おおう。それは想定外だった。いいぞもっとやれ。


「平気ですよ吉野さん」

「そ、そうかな」

「もうドラゴン呼んじゃいましたし」

「でも」

「待たせるのも悪いし」

「平くん、早口になってる」

「いいから、ほら」


 抱えるようにして、背中に押し上げる。


「こ、怖い。――じゃあ平くんも」


 俺の手を離さない。


「えっでも俺――」


 俺、ドラゴンライダーじゃないしなあ。


「いいから、ほら早く」


 俺を後ろに乗せようとする。


「でも――」

「あーもう、いいから早くお前も跨がれ。ふみえを乗せられないではないか」


 イシュタルに急かされた。ドラゴンライダーとは、ドラゴンに命令を下せる存在のこと。命令を下さないのであれば、乗っても構わないってことかな。どうやら今日は、ドラゴンの機嫌がいいらしい。


「ラッキーだね、ご主人様」


 いつの間にかレナは俺の胸に陣取っている。ちゃっかり一緒に乗るつもりらしい。


「ボスのボス、まあこれまでも王家の姫君たちがドラゴンに乗ってマッサージしてきたんだし。こういうこともある。いつぞや話したではないか。王宮で」


 タマも頷いている。そういやそんな話したな。おんなじ寝台で雑魚寝した夜。


「そうそう。ケットシーの言うとおりだ」


 ドラゴンが唸った。


「ならまあいいか」


 結局、タマゴ亭さんとタマも乗ることになった。


「では行くぞ」


 ドラゴンが促す。


「うん。……ほら平くん。もっとしっかり私を抱いて。落ちちゃうよ」

「は、はい」


 吉野さんの腹を、背後から抱きしめる形になる。うん。いい匂い。これはたまらない。


「こうでしょうか」

「ダメ」


 俺の右腕を取ると、胸に回させる。


「片手はここ。落ちたら危ないでしょ」

「……」


 なにこれ天国? 俺、このまま死ぬのか、もしかして。柔らかいし、競泳水着の薄い生地を通してあれこれ不思議な感触すらある。


「ほらご主人様、しっかりして」

「お、おう」


 俺の胸にはレナ。背後からタマゴ亭さんが抱き着いてきている。こっちも小さいながら胸を感じる。その後ろにタマ。全員しっかり抱き合って、脚でドラゴンをしっかり挟む。ちょうど鱗が乗馬のあぶみのように足を支えてくれるんで、助かる。


「では始めるぞ。グリーンドラゴンの技、水上滑空を」


 ゆっくりと、ドラゴンは進み始めた。水面をわずかにかすめるような低空飛行。徐々に速度が上がると、風圧で水面から派手に波紋が立つ。


 俺の胸で、レナが嬌声を上げる。ドラゴンはどんどん速度を上げた。


 俺達は誰一人落ちなかった。不思議なことに、周囲の空気が俺達を包み、護ってくれているよう。たしかに超高速で滑空しているのだが、安定感が半端ない。


 しかも全員の精神的一体感が凄い。激戦の最中、生死の境を支え合って越えた戦友達。それくらいの一体感を感じる。吉野さんやレナ、タマ、それに額田さんにも。もちろんグリーンドラゴン――イシュタルにも。


 滑走よりなにより、これこそが真のドラゴンの技なんだろう。イシュタルが言っていたのは、このことなのだ。


 やがてドラゴンは、水面を離れた。角度を上げ、垂直になって空へと駆け上る。全然怖くなかった。イシュタルが護ってくれていると、強く感じていたから。どこまでも青い大空、その高みへと、俺達パーティーは駆け上っていった。すべての憂いが消えるまで。

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