6-11 ドラゴン専属按摩

 タマゴ亭さんは、足元の竜涎香を重そうに拾うと、匂いを嗅いで撫でている。


「やっぱり。劣化してるよ、これ」

「劣化だと? 王の奴、やはり偽物を」

「違う。これは本物。王家に長く伝わる家宝のひとつだって聞いたよ。……村人の噂だけど」

「なぜ本物と言える」

「竜涎香は貴重な香料だけど、保管が重要なんだって。ここ暗いから劣化が進んだろうし。それに多分、この苔の光も良くないんだと思う」

「我の責任だというのか」

「違うよ。使用上の注意をきちんと伝えなかった、王家の過失。でもきっと、陽光に三日くらい晒せば効力が戻るから」

「ふん、お前」


 ドラゴンが、タマゴ亭さんを見つめた。


「ますます興味深い。異世界人のくせに、なぜ香料などに詳しい」

「あたし、料理人だからねっ」


 タマゴ亭さんは、物怖じせずにドラゴンを見つめた。


「香料だって食材のひとつ。興味があるからなんでも調べるよ。こっちの世界で食堂作り始めてからだって、みんなに食材や香草、香料や調味料については詳しく聞いてるし」

「なるほど」

「ならもう解決だな。吉野さんを返してもらおう」

「まずはその解決策とやらを試してからだ。……と言いたいところだが、お前らにも都合があるだろう。だからふみえは返してやる」

「ボス」


 タマが、感極まったように叫んだ。


「ただし、効力が戻らなかったら、お前ら全員を見つけ出して殺す」

「だ、大丈夫だ。……だよな」


 タマゴ亭さんを横目で見たが、額田さんは、にこにこ笑っている。なんだよこの娘、龍に凄まれてるのに。やっぱ肝っ玉太いな。


「平気へいきーっ」

「そ、そうか、なら……」


 最悪、嘘でも効果なくても逃げちゃえばいいか。この世界に来たら食い殺されるのはほぼ確定だけど、向こうの世界に逃げて仕事辞めちゃえばいい。いくらドラゴンでも、あっちの世界にまで追ってきたりはできないだろうし。


「この香料は、我にとって貴重な慰めになっていたのだ」


 ドラゴンは語り始めた。


「おまえらにとってはつまらん話かもしれない。だが考えてみてくれ。我は百年単位で、こうして無聊ぶりょうを囲っている」


 言い切ると、かすかに背中を揺らした。


「ふみえ、背中をマッサージしてくれ」

「は、はい」


 吉野さんは、ドラゴンの背に腕を伸ばした。ゆっくりと、屈伸するようにして背筋に沿ってドラゴンをマッサージしている。


「ああ。それよそれ。ふみえはうまいな。ここ三代の王女より、ずっと上手だ」


 うっとりした声だ。


「想像せよ、異世界人よ」


 話し続けた。


「我には友はない。部族もいない。暇にあかせ、ただただ世界の成り立ちについて思索を広げるだけの日々。ならばこそ、嫁の存在が大きかった。種族を超え、我と真の友情を通じてくれる存在なのだからな」


 まあそりゃそうだろう。てか、妄想に生きてたとか、俺とおんなじじゃーん。なんか親近感湧くわ。


「現世代で王女の代わりに宝物を受け取ったについては、理由がふたつある。ひとつは、長らく有祖を通じる王家に、王女がひとりしかおらんという事情を斟酌しんしゃくしたから。もうひとつは、王家が差し出した宝物が、王女一代の代わりくらいにはなる、竜涎香だったからだ」


 ドラゴンは、ほっと息を吐いた。


「ふみえは解放する。ただし条件がある」

「竜涎香がやっぱり偽物だったら食い殺すってんだろ」

「それだけではない。本物だったとしても、ふみえには、たまに背中をマッサージしてもらう。我と友情を通じるというなら、だ」

「ふざんけんな。危険すぎる」

「いいよ平くん。私、そうしても」

「でも吉野さん――」

「いいから。私、なんだかこういうの好きかも」


 ヘンな人だなあ、やっぱり。危険なモンスターのお抱えマッサージ師になるとか。ドラゴン専属の按摩さんだぞ。


「わかったよ。でも、なかなかここまでは来れないぞ、ドラゴン。俺達はやがて王都に向かうからな」

「それもふみえから聞いた。……だからお前達にはこれをやろう」


 巣の奥から、ドラゴンはなにかを蹴り出した。


「なんだこれ、水晶みたいな――」


 足元に来たものを拾う。ハンドボールくらいの大きさ。ちょっと重い。透明でわずかに緑色に色づいた真球の物体だ。


「ド、ドラゴンの珠だよ、ご主人様」

「なんだよそれ」

「ドラゴンと心を通じられる、貴重なマジックアイテムだよ」

「こんなものを持っているのは、この世界でもひとり、いるかどうかだ」


 タマも唸っている。


「この珠に祈れば、我がお前達のところに出現する。約束の日には、必ずこれを使え。そうして一晩、ふみえは我と過ごし、肌を触れ合い話をするのだ」

「わかった。私はシェヘラザードになるのね」

「吉野さんそれは?」

「千夜一夜物語よ」


 そういや聞いたことがある。一夜の妻、夜明けと共に殺される嫁として王に呼ばれた奴隷が、夜毎面白い話を聞かせ、暴虐な王を次第に改心させたってあれか。


「すごいよご主人様。ご主人様と吉野さんの真心が、ドラゴンに通じたんだ」

「そうかな」


 レナは喜んでいるが、なんだか実感がない。まあいいか。そのうち使ってみれば、きっとこのマジックアイテムのありがたみがわかるかもしれないし。


「とにかく、交渉成立だな」


 ドラゴンの珠を、俺は背中のビジネスリュックに収めた。


「ほら、吉野さん」

「うん」

「あー待て」


 背中から降りようとする吉野さんを、ドラゴンが止めた。たっぷり十分ほどマッサージを続けさせてから、ようやく解放する。


「すぐ呼ぶわけにもいかんだろうからな。少し多めに揉んでもらった」


 少し恥ずかしそうな声だ。意外にこのドラゴン、いい奴かも。


「じゃあ俺達はこれで。村に戻ったら、王家の使いに、経緯を話しておくよ」

「頼むぞ異世界の男よ。我はここで吉報を待っていよう。珠を通じて約束の日はお前に伝える。ふみえと我の一夜のな」


 微妙にムカつくが、まあいいか。エッチなことするわけじゃないし。


「わかった。じゃあな、ドラゴン。今度はお前の名前を教えてくれよ」

「そのうちな」


 ドラゴンが、わずかに瞳を和らげたような気がした。


 その瞬間――。


 背後で閃光が走ると、なにかがすごい勢いで脇をすり抜け、ドラゴンの脇腹を直撃した。


 苦しげなドラゴンの叫びと同時に爆発音がし、俺達はふっとばされた。


「ひゃっはーっ!」


 背後から叫び声が聞こえた。


「さあみんな、貴重なドラゴンですよ。瀕死にして捕獲しておしまいなさい。運搬チームを呼びます。高く売れますからね、あっちの世界で」


 倒れたまま見ると、洞窟の角から、男が顔を出したところだ。中年のヒューマン、コンバットスーツ。見間違いようもない。例の嫌なライバル野郎だ。手にしていた筒を放り投げた。おそらく使い捨てのロケットランチャーだろう。今の一発は、これに違いない。


「どでかいシノギです。邪魔する奴らは皆殺してかまいませんよ。どうせこっちの世界のできごとは、誰にもバレりゃあしないのでね」


 こちらを指差す男の背後から、次々にゴブリンが現れた。以前会ったときはパーティーにゴブリンは十体もいなかったが、今日はどう見ても三十、いや五十はいる。手に手にひん曲がった粗雑な斧やら槍やらを振りかざしたモンスターどもが、ドラゴンだけでなく、俺達にも襲いかかってきた。

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