6-10 龍涎香

 ものすごい速度で、俺達はタマが指し示すドラゴンの巣に向かって突進した。途上、なんやらモンスターが何度かポップアップしたが、問答無用。秒速で叩き潰す。出現したと見るや、打ち合わせも作戦もなく、俺とタマが突進して。


 タマゴ亭さんは正確なスローで火炎弾を放るなど、冒険初心者にしてはなかなか役に立った。


 ドラゴンの巣に着いたのは、午後の陽射しがわずかに力を弱め始める頃。午後三時あたりだ。


ドラゴンの巣は、湖のほとりを村からかなり離れたところ、水辺に隆起した岩場に開いた、巨大な洞窟の奥にあった。


 湿気った苔の香りを嗅ぎながら進むと、かすかに獣じみた匂いが漂ってくる。奥に進むにつれ入り口からの陽光が薄れ、次第に暗くなってくる。


 そうなって気づいたが、ここの苔は青白く発光している。もっと進むと、洞窟の壁や床と言わず天井と言わず繁茂する苔で、入り口近くよりむしろ明るく感じられるほどだ。


「すぐそこだ」


 声を殺して、タマが警告する。


「そこの曲がり角の先に感じる。ふみえボスの存在を」

「わかった」


 手招きしてタマゴ亭さんを呼び寄せると、俺、タマ、タマゴ亭さんの順で、ゆっくり足音を殺して、曲がり角のすぐ手前まで進んだ。わずかに顔を出すと、いた。曲がり角の先、黄金に輝く藁のような巣に、緑色のドラゴンがとぐろを巻いている。鉤爪で吉野さんを巣に押し付けながら。


「早く出てこい」


 いきなり声がした。ドラゴンだ。とっくにこっちの存在に気づいてたってか。くそっ。


 仕方ない。俺達はゆっくりと進んだ。ドラゴンを無駄に刺激しないように。


「大丈夫ですか」

「うん……。平気」


 体を半ば起こしながら、吉野さんが答える。それほど強く踏まれてはいないようだ。こちらを安心させるつもりか、ぎこちない笑みを浮かべている。


「今助けます」

「来てくれるって信じてた。平くん……」

「おいおい勝手に話を進めるな。お前、用があるのは我だろう」


 ドラゴンが苦笑いしている。


「そのとおりだ。まずは話を聞いてくれ」

「話せ。こっちもそのつもりで待っていたからな」


 そこまで言うと、ドラゴンは俺をいぶかしげに見つめた。


「――と言いたいところだが、その前に問う。お前に王の使者としての資格があるのかと。どうやらお前らは、この女の連れのようだ。……ということは、揃いも揃って異世界人と使い魔だろう。違うか」

「そのとおりだ」

「王家の使いはどうした」

「今、早馬が王都に向かっているところだ。そう……一週間かそこらはかかるだろう」

「交渉権限のない奴とは話さないぞ。時間の無駄だ」

「その人は俺の大事な仲間、上司でもある。関係ないとは言わせない」

「ふん。まあいい……」


 身震いすると、ドラゴンは体を起こした。吉野さんをつまむと、放り投げるようにして自分の背中にまたがらせる。


「ふみえ、お前はそこから動くな」

「はい」


 吉野さんはおとなしく従った。


「とりあえず話だけは聞いてやろう。王家の使いを待つ間の手慰みにな。無関係の異世界人など、普通は問答無用で食い殺すところだが、そう決めたのはお前が興味深いからだ」

「興味深い?」

「そうだ。なぜならお前からはドラゴンの匂いがするからな」


 俺をじっと見つめてきた。心が吸い込まれそうな強い瞳で。


「ドラゴンだ、間違いない。それも、とてつもなく強い奴の。……なんでだ」

「それは教えられん」


 俺は即答した。この際だ、なんでも利用して交渉しなくては。俺がなにかドラゴンと関係あると勘違いしてくれるんなら、それを使わない手はない。それに使い魔に呼んだら食い殺されそうになったとか、本当のことを話したら今度こそヤバい気がするし。


「どうしても知りたければ、吉野さんを解放し、俺達を無事で帰すと誓え。そうしたら話してやる」

「ふん。小賢しい小僧だ」


 鼻で笑うと、今度はタマゴ亭さんに視線を移した。


「それにお前。お前はなんだか懐かしい匂いがするな。異世界人だからか?」

「きっと薬草で料理してたからかな」


 額田さんは、自分の服を嗅いでみせた。


「ね。おいしい以上に、心惹かれる香りがするでしょ」

「それだけとも思えんが、まあいい。眠り薬で眠らされるのもごめんだしな」


 くそっ。さっそくバレてやがる。やっぱ香りかなんかか。ドラゴンはどうやら嗅覚が鋭そうだし……。


 これで、もう使えるカードはない。あとは俺の口八丁だけだ。俺はタマと顔を見合わせた。


 タマの瞳が、俺の決断や命令を待っている。いざとなれば命を捨てて戦ってくれるだろう。堅い決意に満ちたタマの表情から、それが痛いほどわかった。無駄死にはさせたくないが……くそっ!


 ドラゴンは笑い出した。


「どうした異世界人。お前、汗かいているぞ」

「うるさい」

「まあいいか。からかうのも飽きた。……そろそろ本題に入ろう。話せ」

「それを待ってた」


 ほっとして、俺は話し始めた。吉野さんは王家ともお前とも無関係。だから直ちに解放しろと。王家とドラゴンの因縁など、俺達は知らん。そっちは勝手に王家と交渉しろと。


 ドラゴンは黙って聞いていたが、俺が話し終わっても、ひとことも口を開かない。ただこっちを見つめているだけだ。まだなにか話せとばかりに。


 なんか舐められてる気がするが、考えたら当然か。向こうは齢(多分だが)数百年、百戦錬磨の龍、こっちはただの異世界人。現実世界でだって、係長発令すらまだのレベルの、木っ端左遷社員だし。


「ねえドラゴン」


 行き詰まりを感じ取ったのか、俺の胸から、レナが顔を出した。


「ドラゴンの名前を教えてよ」

「言う必要はないな。真名など教えるものか」


 軽くあしらわれている。


「じゃあ教えて。王家が約束を破ったって言ってたんでしょ。だからこうして怒ってる。でも王家は宝の箱を王女の身代わりに渡している。なら契約は続いているじゃん」

「それが効力を失ったのだ。見よ」


 小さな箱を、ドラゴンが放り出した。俺の足元に転がった箱の蓋が開き、中からなにか転がり出た。なにか巨大かりんとうといった趣の、木の化石みたいな茶色い塊が。


「なんだよこれ」

「これは……」


 レナが絶句した。


「これは龍涎香りゅうぜんこうだよ、ご主人様」

「なんだよそれ」

「ドラゴンがごく稀に吐き出す、超貴重な香料だよ。なんでも体内の魔力があふれすぎたときに、固めて出すんだって」

「へえ。ドラゴン由来の貴重な宝物を、ドラゴンに返還したようなもんか」


 現王も、けっこう考えてるじゃんか。さすが王族というか。


「でも多分こんなの十個もない。ドラゴンを生み出すには、ものすごい妄想力が必要。だからそもそもドラゴンだって、今、この世界に何体いることか……」

「龍涎香の香りを嗅ぐと、稀に過去と未来が見通せるという。魔力の塊だからな」


 タマが付け加えた。


「高ぶった神経をなだめ、心を慰めるとも」

「媚薬として使えるとも言うね」


 さすがサキュバス。そっち方面の知識はたいしたもんだな、レナ。


「たしかにこれは龍涎香だ。どこやらのドラゴンが、太古に生み出したものだろう」


 怒りを含んだ声で、ドラゴンが告げた。


「しかし偽物かもしれん。もう効果がなくなったからな」

「本物なら、効果は千年近く続くはずだよ、ご主人様」

「なるほど。だから王家に騙されたってことか」

「そうだ」


 ドラゴンは、知らない言語で叫んだ。多分だけど、なにか龍語で王に悪態でもついたんだろう。


「待って。王家はあなたを裏切ってないよ」


 タマゴ亭さんが前に出た。

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