2 課長、はじめまして

2-1 サボってたのに、上司がベタ褒め

「君が平くんね。えーと……平ひとしくん」


 四席しかない狭い会議室兼応接室。手元の資料に視線を落として、上司が言った。


「そうっすね」

「会うのは初めてだけれど、これからよろしくね。吉野です」

「よろしくお願いします」

「私が女性だからといって、遠慮しないでね。業務で困ったことがあったら、なんでも言ってちょうだい」

「了解です」


 俺が猫かぶって挨拶した相手は、たったひとりの上司だ。


 俺を追い出した前部署の部長や課長は「栄転だ」とか抜かしてたけど、数合わせの名前だけ役員以外、謎子会社の関係者は、社長(親会社社長の兼務)、課長級の上司、そんで俺が係長級と、三人だけ。どこが栄転だ。左遷も左遷、これ以上ないくらいの厄介払いだろ。


 それになんだよ課長「級」とか係長「級」とか、仮の肩書にしやがって。命の危険のある業務なんだからって下駄履かせて肩書もらったのはいいけどさ、ちゃんと係長とか課長にしろよ。どんだけ安いんだ、俺の命。


 つまり目の前の上司は、課長級のヒトさ。金曜に「初めての異世界おつかい」を済ませた週明け。今日は異世界地図作りはない。「初日の結果を報告せよ」みたいな業務命令があったから。


 発令自体は社長からだけど、もちろん本人は忙しすぎるので、報告するのは、俺同様、親会社で浮いてた「課長級」の上司にさ。この吉野ふみえさん。


 スーツの似合うぴしっとした人だけど、どこか空元気口調というか、無理にしっかりしてる印象があるな。


 社内グループウェアで人事情報を検索したら、二十八歳だと。いくら「級」のなんちゃって課長とはいえ、その歳でこの職階なんだから、おそらく仕事はできるんだろうさ。でもこんな社内辺境に飛ばされてるんだから、多分煙たがられてるだろ。むしろ仕事できすぎてとかさ。知らんけど。


「さて、ここに平くんの初日のデータがあるけど……」


 吉野さんがぐっと顔を近づけて見ているのは、社畜スマホから吸い上げられた俺の「異世界お散歩」データだ。何枚かに印刷されてるみたいだな。


「あの……課長」(いくらなんでも課長級とは呼べないしなw)

「平くん。名前で呼んでちょうだい。事実上たったふたりの会社なんだから、堅苦しいのはなしで」


 それならこっちも気楽だわ。


「じゃあ……吉野さん。眼鏡とか使ったらどうすか。そんなに近づけたらかえって読みにくいでしょ」

「あら、目が悪いってわかっちゃった」

「そりゃ、ひと目でというか」

「いつもはコンタクトなんだけど、今日忘れちゃって。平くんと会う初日、眼鏡ってのもなんだなって思ったんだけど」

「どうでもいいじゃないすか」

「馬鹿にされそうで」

「んなことないすよ」


 なんか回りくどい人だな。


「じゃあ失礼して」


 胸元に手を入れると、眼鏡を取り出してかけた。スーツの内ポケットに差してあったのかな。それでわかったけど、この人、けっこう隠れ巨乳かも。スーツの上からだとわかりにくいけどなー。


 などと俺が、例によって得意の妄想にふけっている間、吉野課長は黙ってデータを読んでたよ。


「平くん、初日なのに二百歩とか、けっこう頑張ったのね」

「そ、そうっすか」


 ウェアラット事件でやる気をなくして後はだべってただけだから、実は全然歩いていない。「まあ千歩も歩けば初日の言い訳は立つだろ」とか思ってたのに、その二割とかだからなー。


 まさかほめられるとは思わなかった。下手したら会った早々怒鳴られるかも、とか覚悟してたんだけど。


「私なんか、たったの八十歩」

「八十歩っすか」

「そう」


 情けなさそうな顔をしてる。なにせ社長も役員も兼務ばかりで実質社員は俺と彼女のたったふたり。なので課長とはいえペーペーの俺同様、現場で地図作りさせられてるのさ。「プレイングマネジャー」とかおだてられて、気の毒なこった。まあふたりとも「級」扱いだから、俺らは捨て駒扱いなのかもしれないけど。


 それにしても八十歩は少ない。少なすぎる。木陰に何度かトイレに行っただけのレベルだ。てか、俺がレナ召喚して昼前に試し歩きした程度じゃないか。


「課長……吉野さんは、使い魔になに選んだんすか」

「ケットシー」

「はあ、たしか猫の妖精っすよね」

「そうそう。かわいらしい女の子。戦闘力もそこそこあるらしいけど、怖いんですごーく用心深く歩いてたら、八十歩で定時になって」


 溜息ついてるし。


「他の使い魔候補は選ばなかったんですか」

「だってオークとゴブリンだったもの。説明によると雄だけの種族で、なんだか使い手をいやらしい目で見るとか、使い手に命令してくるとか。しかも場合によっては……その……」


 なんやら知らんが赤くなってるな。まあそりゃ、選ばんで正解かも。地図作りどころか、ゴブリン相手に異世界で子作りする羽目になったら悲惨だ。


「平くんの使い魔は、えーと」


 資料見てるな。


「サ、サキュバス」


 絶句したかw ありゃ、みるみる赤くなってきたぞ。思ってたよりウブだな。


「サキュバスって、エッチな――」

「仕方ないじゃないですか。残りはドラゴンロードとかハイエルフとかで、強すぎて選べなかったんだから。吉野さんと同じで、他に選択肢がなかったわけで」

「その……」

「なんすか」

「その……もう」

「エッチなことっすか」


 黙っちゃった。


「いえサキュバスと言っても、能力がないんだとか。大きさだって四十センチとかなんで、いろいろしようにも無理というか」

「そ、そう」


 もっと赤くなったな。なんのプレイだこれ。


「でも平くんは、きっと能力あるのね」

「そうかなあ……」

「だって使い魔は、召喚する当人の能力や嗜好に合ったものが自動的に候補になるって話だし。だからドラゴンロードとか」

「まあ妄想力はあるんで、その関係ですかね」

「それにサキュバスまで出たんだから、きっとそっちの方面の嗜好も――」


 余計なお世話だ。


「なら思うんですけど、吉野さんも同じですよね」


 反撃してみた。


「なに」

「オークやゴブリンが出たってことは、そういう連中が無意識に好きなんですよ、吉野さん」

「なに言ってんのよ」

「いえ、きっと心の中では、強い雄に組み敷かれたいと思ってる。だから使い魔だって――」

「もうよしましょ。お互いに傷つく」


 俺は頷いた。そりゃそのとおりだし。


 ふたり黙ったまま、デスクのお茶を飲んださ。少し冷静になった。


「それより、初日の結果を元に、今後の戦略を考えないとね」


 さすがは課長(級)。前向きだ。俺たちはいろいろ話し合った。課題も見えてきたよ。


「問題は戦闘ね。ふたりとも、使い魔がそこまで頼りにならないし。もちろん私達は戦闘なんか経験ないし」

「俺は草原。課長はその北の湖のほとりでしょ。今はまだ弱いモンスターしか出ないフィールドですが、最初だけですもんね」


 地図を描いてくうちに、いずれ危険な地域に進まなくちゃならないのは見えてる。


「うん。提案なんだけど」


 吉野さんは、眼鏡越しの瞳で、俺をまっすぐ見つめた。


「ふたりで一緒に動こうか」

「一緒に?」

「そう。ふたりパーティー別々じゃなくて、四人パーティーになって」


 考えてみた。たしかにひとつのアイデアではある。こちらは戦力が倍になる。敵の強さや数が同じなら、戦闘に有利だ。


 聞くと、ケットシーは格闘系の前衛に向いているらしい。吉野さんはあんまり戦闘能力ないらしいけど、ケットシーが嗅覚で探した薬草や魔法の植物で補佐できるそうだ。なので言わばヒーラーやメイジ役。


 で俺は棒切れで戦う前衛。サキュバスのレナは俺の胸元で情報を伝える中核をこなせる。


 まあ、たしかにお互い、これまでよりはバランスの取れたパーティーになれる。戦闘能力が上がった分、あまり注意せずに進めるし。だから踏破距離は、ふたつのパーティーの合計よりも、おそらくかなり増やせるだろう。ただ問題は――。


「それはどうですかねえ……」


 俺が難色を示すと、意外そうに首を傾げた。


「あら、いい提案だと思うけれど」

「うーん……。調査チームをひとつにするのは、むしろリスクが増える気が」


 適当なでたらめだ。俺が嫌だったのは、上司と同じパーティーになること。だって見張られてるも同然じゃん。こないだみたいに「もう面倒だからあとはレナとだべってサボるわ」とか、できなくなりそう。吉野さん、真面目っぽいし。


 無理やり歩かされたり、怒られながら進むのは嫌だ。成果なんか出なくても、俺の気分で適当に遊びながら仕事したいし。


「リスクは別にないでしょ。むしろ――」

「いえ、パーティーを組む以上、吉野さんがリーダーだ。上司だし」

「だから?」

「吉野さんはいい人だと思うんですが、異世界の凶暴なモンスターがわらわらと湧いて出たとき、大丈夫でしょうかね」

「平気よ。初日だって蝶の化物と戦ったし」

「オークとかゴブリンが出たらどうです」

「オーク……」

「連中、吉野さんをエロい目でじろじろ見つめますよ。にやけながら」

「それは……」


 ブルってるな。


「危ないでしょ」

「だ、だからこそパーティーを合体させるんじゃない。より強くなるために」

「いえ。俺のパーティーが危険な方面に進んで地図を作るんで、吉野さんたちは安全なところにとどまって、そこだけ調べたらいいじゃないですか」

「うーん。それも……」


 吉野課長(級)は、しばらく目を伏せて考えていたよ。なにか知らんけど。それから顔を起こすと、恥ずかしそうに俺を見た。


「じ、じゃあ、平くんがリーダーでいいじゃない。私とケットシーは、平くんの下として、そっちのパーティーに入るから」

「えっ」


 予想外の提案に、俺は絶句したよ。


「たしかに、平くんが言うように、戦闘パーティーのリーダーとしては、私は適任じゃないかもしれないし」

「俺がリーダーっすか。部下なのに」

「異世界だけでは、平くんが私のボス。こ、ここでは別よ」


 なんか赤くなってるな。


「リーダーかあ……」


 考えた。


「リーダーってことは、戦闘面だけじゃなくて、次どっちを目指すとか、今日はここまでにして後は休憩するとか、俺が判断しますよ。いいんですか」


 ここが重要だw


「いいわ。平くんが決めたことなら、なんであろうと全部、私は従う。私のボスだから」


 自分に言い聞かせるかのように、吉野さんは頷いた。

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