大陸への帰還

 瓢箪から駒、というか怪我の功名というか、異界こっちでどんなフレーズが使われているのか知らないけれど、ファシャール帝国が抱えて蛇の問題は解決した。その代わり、ルートというやっかいごとを抱えてしまったが、それは帰ってから迫田さんたちと話合って決めれば良い。そう、とっととテシュバートに戻ろう。島のお陰で食べるものには困らなかったけれど、やっぱり村がいい。


 あぁ、この島のこともあった。

 日本の考え方だと、たぶん帝国の領海内なので帝国に帰属する、のかも知れない。けれど、異界こちらの考え方では、未開の土地・島は発見者のもの。つまり、この島は日本領ってことになる。加えて、こちらには“領海”なんて概念がないから、日本が領海を言い立てても良い者か。ましてやEEZをや。

 こうしためんどくさい話は、日本あっちの政治家や法律家に任せましょう、そうしましょう。


「将来のことを考えて、ここに簡易施設を設置していくべき」


 保谷艦長のアドバイスを聞いて、技本の人や技術士官、ついでに御厨教授にも意見を聞いた。その結果、<らいめい>の余剰資材で電波塔と簡易宿泊施設を建てることになった。

 電波塔といっても、森から切り出した丸太で櫓を組んで、そこに電波送受信機とソーラーパネルを括り付けた簡易なつくりだ。もちろん、ヴァレリーズさんたちには、魔法で協力してもらった。働かざる者喰うべからずってね。ヴァレリーズさんをはじめ王国の人たちは、日本人わたしたちとの共同作業は慣れたものだが、手伝ってくれた帝国の人たちは戸惑いも見せていた。


「住居は分かるが、なぜこのような塔を建てなければならぬのだ?」


 サリフ皇帝の問いかけに、電波塔の仕組みを簡単に説明する。


「この送受信機は、一定間隔で短い信号を出します。私たちは、その信号を目標にしてここに辿り着くことができます」


「それで、何もない海の上でも迷わない、のか?」

「えぇ」


 皇帝は、しばらく考え込んだ後、


「この塔は、他の島にも立てられるか?」

「資材があれば、えぇ、立てられます。何もない海上に置くこともできますよ」

「! それは、我らにも使えるか?」


 普段は皇帝らしいところをあまり見せない人なのに、意外なところで頭が回るのね。おそらくGPSの代わりになるような海上航行の補助機構ネットワークを考えているのだろう。こちらとしても、ここは協力しておきたい。


「そうですね、舟の大きさにもよると思いますし、技術的なことは専門家に相談してみないことには……でも、不可能じゃありません。日本としても帝国に協力できると思いますよ」

「おぉ! それはありがたい」

「もちろん、お代はいただきますけどね」

「しっかりしてるなぁ。さすが、我の嫁だ」

「嫁じゃないし! エバさんに言いつけますよ?」


 皇帝の頭をはたかなかった、私の精神力を褒めて欲しい。


□□□


 <らいめい>は、ゆっくりと島の入り江を離れた。突発的な事故で漂流した島であり、ほんの二週間程度しか滞在しなかったけれど、ほんのちょっぴり寂しさを感じる。<らいめい>は、たぶん一ヶ月もしないうちに、再びここを訪れることになるだろう。本格的な調査団と建設チームを乗せて。


 島影は、あっという間に小さくなって水平線の向こうに消えた。あとは、ただただ水平線が広がる大海原だ。


「計測が正しければ、半日もしないうちに、帝国領の小島が見えてくるはずです。そうすれば、あとは一直線にテシュバート、四日もかからずに大陸へ戻れますよ」


 ブリーフィングルーム兼食堂で、保谷艦長が王国&帝国の人たちに状況を説明した。みな一様にほっとした表情を浮かべている。やはり、家に帰れるとなると安心するものだ。


「海図製作も順調です。完成したら、すぐにお渡ししますよ」

「うむ。助かる。これで海難事故も減ることだろうよ」


 本来であれば、なんだか回りくどい敬語を使って、あるいは間接的にしか話しかけられないような存在であるはずの皇帝は、今回の旅で保谷艦長以下、海自のみんなとすっかり意気投合してしまったらしい。海の男同士、何か通じるものがあったのかなぁとは思うけど、仲が良いことは悪いことじゃない。港に帰ったら、もう少し帝国の人たちと交流できるような何かを考えよう。


 一方で、王国の人たちも、帝国の人たちと打ち解け合ったように見える。数ヶ月前には戦争になるかも知れなかった人たちだけど、こうして肩を並べて軽食を摘まんでいるところは、非常に平和的。日本わたしたちも間に入った甲斐があるというものだ。


 調査をしながら進んだ往路と違って、復路は調査をせずまっすぐに帰ることにしている。予定期間を過ぎても連絡できなかったから、テシュバートでは不安に思っているだろう。


『まったく貴女という人は、人をどれだけ心配させれば気が済むのですか?!』


 そんな風に私を責める迫田さんの顔が、脳裏に浮かんだ。ふーんだ。王都で動乱が起きた時に、私に散々心配を掛けさせた罰よ。せいぜい心配すればいいわ。


 そういえば、あれからもうすぐ一年が経つ。一年前は、まさか自分が海に出るとは思っていなかったけど、なんとか大きなトラブルもなく過ごせたかな。正月には、久しぶりに実家に帰ってみようかなぁ。日本に留学しているカイン王子のことも気になるし。


 <らいめい>は、一定時間(23時間)ごとにエンジンを止める必要があった。大海蛇の襲撃とその後の座礁による損傷は修復したとはいえ、手持ちの物資が少ない中での応急処置。一時間の休止時間中にシステムの点検確認を行うことになっている。それと、バッテリーのチャージおよびモーターのクールダウンも。エンジンが停止している時間は、常に艦内に響いている微小な振動も感じられなくなる。お陰で、波の音が良く聞こえる。


 私は<らいめい>のサイドデッキに立って、ひとり夜の海を眺めていた。三層になっている上甲板の第二層は、船体をぐるりと囲むデッキ部分も外板で覆われているが、こうして開放することもできる。

 海は凪いでいて、船体にぶつかる波も緩やかだ。船体周囲に張り巡らせた風よけの結界も、今は停止している。もうすっかり慣れてしまった潮の香りと心地良い風。今夜は二つの月がともに新月となる夜だから、満天に星が煌めいている。日本、いや地球でいえば天の川、銀河の星の群れが織りなす天上の帯も、異界こちらの方が幅が広い。天文学者のきざはし先生は、この惑星が銀河の中心に近いからだろうと言っていた。


「寒くないか?」


 海と星をぼんやりと眺めていたら、後ろから声を掛けられた。そして、ふわっと肩にマントが掛けられた。魔導士のマント。


「ありがとう、ヴァレリーズさん」

「夜風は身体を冷やすぞ……風よ、暫しの安寧をもたらせ。風の繭エアコクーン


 風が、緩やかに流れを変えた。自分では気が付かなかったけれど、少し身体が冷えていたようだ。風が当たらなくなった頬が火照ってきた。


「わざわざ、魔法を使わなくても」

「君たちは、魔法を特別なものと考えているようだが、我々にとって魔法は生活の一部なのだよ。そうだな……たとえば、君たちは灯りをつける時にスイッチを入れるだろう? 我々からしてみれば、それは目が回るほどの過程を経ているのだが、君たちは軽々とそれをする」


 その逆を考えてみればいい、とヴァレリーズさんは言った。確かに、私たちは異界ここの人たちが見れば驚くようなことを、簡単な操作で成し遂げているわけで。私たちが魔法に驚くのと同じように、異界人かれらは私たちの技術に驚いているのね。


「……なんだか、前にもこんなことありましたよね?」

ドラゴン討伐の前、王都に上がる旅の時だな」


 あの時も星は綺麗に煌めいていた。

 ふと、横を見るとヴァレリーズさんの横顔が、すごく近くにあった。普段は意識しないようにしているけれど、やっぱり美形だわ。なんだか、ヴァレリーズさん自身が光輝いているようにも見えて、なんだか吸い込まれそう。私は……。


「ヤァヤァおふたりさん。こんなところで逢い引きかね」


「海を、見ていただけですよ」

「ほほ~ん」


 艦首方向からやってきたのは、御厨教授だった。なんだか、いろいろな道具を持っている。私と同じように海を見に来た、訳ではあるまい。


「教授こそ、何してるんですか?」

「あぁ、魔素取り込み口マナインテイクの調整をね」


 <らいめい>には、魔法と工学の融合を図った実験的な装備があちこちにある。技術実証実験艦たる所以。工学に使う電気は太陽電池や燃料電池でなんとかなるけれど、魔素マナは足りなくなる。そこで、魔素駆動機マナドライブでも使った魔素マナを集めるしくみが<らいめい>には組み込まれている。魔素取り込み口マナインテイクは、そのための取り込み口で、艦の先頭にある。


「なにかしようとしていません?」

「いやいや、ちょっとした改良だよ、改良♡」


 そういって、御厨教授は笑いながら去って言った。


「なんだか、その……中に戻りましょうか」

「あぁ、そうだな」

「あ、マントありがとうございます」

「いや、気にするな」


 私とヴァレリーズさんは、なんだかギクシャクした会話をしながら、それぞれ自分たちの部屋に戻った。ふぅ。


□□□


 島を出てから三日目。

 大陸はまだ見えないけれど、あと二時間もすればテシュバート見えてくるはず。そんな時、私は緊急放送でCICに呼び出された。


「こちらに」


 挨拶もそこそこ、藤宮三佐に案内されて部屋の一角に移動すると、すでに保谷艦長とヴァレリーズさんが待っていた。


「なにごと?」

「テシュバートと連絡がついた」


 あぁ、通信可能領域に入ったのね。で、わざわざCICに呼んだってことは……。


『阿佐見さん、来たか』


 通信機のスピーカーから迫田さんの声が聞こえた。


「あ、迫田さん、ひさしぶ……」

『挨拶は後だ、阿佐見さん』


 私の声を遮った迫田さんの声には、緊張が読み取れた。


『すまん。戦争が始まってしまった』


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