名もなき島への漂着

 次に私が目を覚ました時、目に鬱蒼とした緑が飛び込んで来た。椰子の葉のような細長い形をした歯の隙間から零れ落ちる陽の光が眩しい。


「う、うぅ……」

「目が覚めたか?」


 耳元で甘い声が聞こえる。この声は……。


「え? ヴァレリーズさん?」

「おはよう。とりあえず、これで顔を拭き給え」


 美貌の魔導士から差し出された、固く絞ったタオルを受け取る。


「あ、ありがとうございます……」


 タオルは冷たかった。一瞬で、意識がしゃっきりとする。


「何が、あったんですか?」

「それは、私よりも艦長に聞いた方が早いだろう」

「ほかの、人たちは?」


 私自身は、ベルトが当たっていた場所がズキズキするくらいで(あぁー、たぶん痣になっているわね)、外傷もなさそうだ。


「怪我を負った者やまだ意識が戻らない者もいるが、死者や行方不明者はいないよ」


 よかった。とりあえずは安心ね。


「おお、阿佐見さん。意識が戻ったようだね。よかった」


 保谷艦長が、茂みを掻き分けて現れた。私たちの会話が聞こえたみたい。艦長は艦に乗っていた時とは違い、作業ズボンに安全靴、上半身は半袖シャツ一枚というラフな格好だ。


「艦長……」

「いや、そのままで」


 起きようとする私を制し、艦長は草むらにどっかりと腰を下ろした。


「色々と聞きたいだろうが、順を追って説明するから」


 艦長は、私が気を失っている間の出来事を話し始めた。


□□□


「よし! もう少しであいつの視界から外れるぞ!」


 RLGは大海蛇に対しても効果があった。叫び声を上げる怪物から、<らいめい>は確実に距離をとりつつあった。どのくらい離れれば安全圏なのかまでは誰にも分からなかったが、目視外に逃げることができれば一安心だろう――艦橋にいる全員が安堵のため息を漏らしかけたその時だった。突き上げるような衝撃が<らいめい>を襲った。


「何かに掴まれっ!」


 次の瞬間には、荒れ狂う海面に船体が叩きつけられていた。


「ダメージコントロールッ! 状況っ!」

「第一船体後部浸水! 動力停止! 第二船体、電源喪失!」


 保谷艦長の命令に対し、次々と損傷状況が報告される。


「点呼っ! 乗客の確認を優先せよ!」

「艦長! 阿佐見さんとジョイラントさんが!」

「救護! ふたりを医務室へ運べ!」


 艦内には、医療施設の整った医務室が用意されているが、緊急時には士官用食堂が臨時の医務室/手術室にもなる。


「艦長! あれをっ!」


 保谷艦長が窓の外に映る暗闇を見つめると、そこには巨大な黒い影が海面からそそり立っていた。


「か、怪物……」

「大海蛇だ、もう一匹いたんだ!」


 黒い影は、ゆっくりと海面へと倒れ込んでいく。大海蛇の質量によって生み出された波が、再び<らいめい>を襲った。巨大な横波が、船体を傾ける。悪天候に慣れた海上自衛隊員でも、初めての体験だっただろう。

 そんな状況であっても、かろうじて<らいめい>は転覆を免れた。しかし、もう一度攻撃されればどうなるか分からない。


「CIC! 使用可能な兵装を報告っ!」

『こちらCIC、現在……使用可能な兵装は……RLG一基のみであります……ただし、照準は手動になります……』


 状況は絶望的だった。


「CIC! 発砲準備! 射撃命令を待てっ!」

『了解。準備を行い、射撃命令を待ちます』


 艦橋内でやりとりがされている間も、大海蛇はゆっくりとその巨体を動かしていた。保谷艦長は、その動きをじっと見つめた。艦に危害が加わるような動きがあれば、直ちに射撃命令をくださなければならない。一瞬が、とても長く感じられた。


□□□


「大海蛇が二匹、ですか」

「少なくとも、二匹だよ」


 ヴァレリーズさんが、私の言葉を訂正する。少なくとも二匹……ということは、三匹あるいはそれ以上の大海蛇がいる可能性があるということ。あぁ頭が痛い。


「現時点で確認しているのは、二匹ということだ」


 無数の大海蛇……ちょっと嫌なシーンを想像してしまった。糸ミミズは苦手だ。


「それで、船は、<らいめい>はどうなったのですか?」

 ミミズを頭から追い払うように、私はその後のことについて艦長に尋ねた。


「うむ。不思議なことに後から現れた大海蛇は、我々を無視してもう一匹の方へ向かったようだ。艦は航行不能だったが、上手いこと潮に乗って大海蛇から追撃されることもなく、この島に漂着したという訳だ。我が艦は、沖合二十五メートルほどの浅瀬に座礁している」


 保谷艦長が指さした方向に<らいめい>が座礁しているのだろう。


「座礁……それで、乗員は艦を降りたのですね」

「床が傾いていると、何かと不便なのでね。ま、オールト師らの力を借りれば、すぐに艦を浮かべることができるようになる。問題は推進装置だ」

「モーター、壊れちゃったのですか?」

「いや、モーターは焼き切れる前に安全装置が働いたので無事だ。問題はスクリューシャフトなんだ。曲がってしまっていてね」


 私はヴァレリーズさんを見て聞いた。


「それも魔法でなんとかできませんか?」

「できる。できるがただ真っ直ぐにするだけではいけないらしい」

「えぇ。オールト師のおっしゃる通り、<らいめい>のシャフトは特別製で、慎重に直していく必要があるんですよ」

「そちらの作業は?」

「精密な計測が必要になるので、艦が水平に戻ってから作業を再開するつもりです」

「そうですか。では、艦についてはお任せします」


 船のことについては、何も分からないのでプロフェッショナルにお任せするのが一番。でも、私にもできること、やらなきゃいけないことがある。


「乗員・乗客のみなさんについてはどうですか? 負傷者もいるとか」

「負傷者は一箇所に集めて治療を行っています。見に行きますか?」

「そうしましょう」


 ヴァレリーズさんに手を借りて身体を起こすと、簡易ベッドになっていた草むらを出た。

 太陽がまぶしい。細めた目をゆっくりと開いていくと、そこには白い砂浜と青い空、そして空よりも濃い、藍色に近い海が視界いっぱいに広がっていた。さっきまではあまり感じなかった潮の香りが、鼻腔をくすぐる。あれ? なんで、さっきまで臭わなかったんだろう? 風属性魔法で臭いを遮断していた? ちらっ、とヴァレリーズさんを見る。まさかね、そんな手間がかかることしても、なんのメリットもないわ。


「こっちだ、阿佐見さん。重傷者は君と同じように草の簡易ベッドに寝ているよ」


 保谷艦長の指さす方向を見ると、草でできた球がいくつか並んでる。風魔法と土魔法、それに水魔法を組み合わせて作り上げたそうだ。


「このくらい、魔導宮の魔導士なら造作もない」


 ヴァレリーズさんは謙遜したが、いやいや、大したものよ。応急の救命ポッドみたいなものじゃない。その草の救命ポッドのひとつに、私たちは近づいて行った。


「君と同じく、意識不明のひとりだ」


 保谷艦長が草のカーテンを持ち上げると、中に人が寝ていた。


「ダニー君!?」


 そこにいたのは、ダニー君だった。頭に巻かれた白い包帯が痛々しい。あの時、大海蛇に襲われた時、ダニー君はテーブルに捕まっていた。しかし、途中で手が離れ、てしまい、壁に頭を打ち付けたのだという。幸い、頭蓋骨は損傷していないようだが……。


「私のせいだ……」

 詩にどうやって謝ったらいいの?

「君のせいではない」

「いいえ、あの時、ダニー君にも着席して貰っていれば」


 ヴァレリーズさんが慰めてくれるが、私の罪悪感は消えない。ダニー君だけじゃないわ。負傷の責任は私が負うべきなのよ。責任者なんだから。


「いや、レントゲン検査でも骨折や大きな出血の様子はなかったそうだから、もうすぐ起きるだろう」

「そうでしょうか……」

「あぁ。もう少し寝かせておいてやろう」

「はい」


 私たちは、その場を後にした。



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