海上の激突

 私たちの振ったサイコロの目は、あまり良い目ではなかったようだ。

 高い安定性を誇る<らいめい>であっても、熱帯性低気圧――日本で言うところの台風に遭遇してしまうと、悲惨な目に遭う。EH-1と皇帝を乗せたクライ君は、風雨が強まる前に帰還できたけれど、艦自体は低気圧を避けることができなかった。気象班の予測よりも早く、気圧が低下した。日本の常識を異界こちらに当てはめて考えてしまった、初歩的なミスだ。


 王国武官たちは、船医に処方して貰った酔い止めの薬を飲んで自室にこもっている。海に慣れているはずの帝国人も、グロッキー気味だ。ただし、皇帝は別だ。


「すると全長は不明ということか」

「えぇ、画像で確認できる範囲では五十ヴェル以上ですが……」


 なぜか、こんな状態でも元気なサリフ皇帝は、ダニー君と一緒にEH-1が撮影した大海蛇の画像を見ている。そこには、海面を蹴立てて進む、細長い生物が映っていた。比較する対象物がほとんどない大海原の真ん中なので、ぱっと見はウナギか穴子に見える。でも、レーザー測定で、見えている部分だけでも百メートルもあることがわかっている。一対一では、あまり会いたくない相手だなぁ。


 うわっと!

 今のは一段と大きなうねりだった。持ち上げられて落とされる感覚は、何度味わっても慣れない。なんで、目の前のふたりは兵器なのよ。ずるいわ。


「此奴の皮膚は槍も通らぬ。ニヴァナの武器ではどうか分からぬが、できれば弱いところを見つけておきたい」

「そうですね。大海蛇が他の海洋生物と同じような特徴を持っているのであれば、どこからか餌と海水を飲み込み、水だけを外に出している部分があるはずです」

「この絵ではよく分からんな。おい、サクラ! ちょっと上手い具合にならぬのか?!」

「私はオペレーターじゃないので」

「だったら、その“おぺれぇたぁ”とやらを呼べ」

「はいはい、仰せのままに」


 再び画面を食い入るように見だしたふたりを置いて、私はブリーフィングルームを出た。たしか、画像ソフトを使える人がCICにいたはず――。


 ビィーーッ! ビィーーッ!


 突然、艦内にけたたましい警報音が鳴り響いた。何が起きたの?!


『乗務員は持ち場につけ! 乗客は定められた場所に待機!』


 私は踵を返し、ブリーフィングルームの入り口から顔を出して叫んだ。


「陛下! ダニー君! お二人は自室へ戻ってください!」

「サクラ! これは何だ?」

「わかりません。分かり次第ご連絡しますから、今は指示に従って!」

「うむ」

「はい」


 素直でよろしい。二人の移動を確かめることなく、私は艦橋へ向かった。そこが調整官たる私のポジションなのよね。


□□□


 艦橋は騒然としていた。


「何があったの?!」

「シートに着いて、ベルトを装着してください」


 本来であれば、艦長を煩わせたくはなかったが、責任者である私が状況を把握しないのは職務を放棄しているようなものだ。艦長にしても、私に対して説明責任があるしね。私は艦長の言葉に従って、艦橋後方の情報テーブル前に置かれた私の席に着き、三点式ベルトで身体を固定した。艦長も、隣の席で同じようにベルトをつけていた。


「まず、現在我が艦は、動力を切った状態で海流に流されています。これは推進装置の破損リスクを回避するためです」

「了解しています」


 <らいめい>は今、波に対し正対するようスラスターとAFSで位置を制御している。


「文字通り“嵐が過ぎ去る”のを待つつもりでしたが、艦内警報を発令する二分前、監視班がSSの接近を確認しました」

「まさか!」

「三度、確認させました。間違いありません」


 艦長が手元のタブレットを操作すると、テーブルに数枚の画像が表示された。


「通常のカメラだとわかりにくいかも知れませんが、波間にSSの一部が映っています。こちらが赤外線画像です」


 あきらかに、熱を持ったがそこには映っていた。


「なぜ、大海蛇が……いや、私たちが流されたの?」

「慣性航法装置の記録では、発見したSSからは遠ざかる方向に移動したはずなのですが、EH-1あるいは翼竜が追尾された可能性はあります」


 考えたくはないが、大海蛇がこちらを敵と、あるいは餌と認識して襲ってくる可能性は否定できない。


「SSは、本艦を超える長さを持つ巨体です。万が一、接近されるようなことがあれば……」


 保谷艦長は私の目を見つめて、決断を迫った。


「自衛のための、発砲を許可します」

「ありがとうございます。準備に入ります」


 そう言って、艦長はCICと連絡を取り始めた。私はタブレットから、ダニー君の部屋を呼び出した。部屋で待機という私の指示に従って、ダニー君は大人しくしていたらしい。すぐに呼び出しに応えた。通話ウィンドウにダニー君の顔が映る。こやつ、すっかりデジタル機器の操作に慣れおって!


『あ、サクラさん。どうなりました?』

「あなたの力が借りたいの。艦橋に上がって来られる?」

『えぇ。すぐに行きます』


 そこで思い出した。


「ところで、サリフ皇帝は、ちゃんと自室に戻った?」

『それが、クライが気になるといって、格納庫の方へ……』


 まったく! 少しは人の指示に従って欲しいものだわ。気持ちは分からなくもないけれど、あの人、何するか分からないトコあるからなぁ……艦内モニターの画像を格納庫に切り替えると、クライ君と彼に寄り添う皇帝の姿が見えた。シャッターもしっかり閉じているようだし、心配はいらないか。


「ん、確認した。ダニー君は、すぐに艦橋こっちに来て」

『今、出ます』


 通話が切れたので、私はタブレットをテーブルに置いて浅くため息をついた。


□□□


「私が呼ばれたということは、大海蛇が現れたのですね?」


 変なところで勘の良いダニー君だわ。“どう? 私の旦那様、すごいでしょ?”――詩の声が聞こえたような気がした。ええぃ、うっとぉしい。


「これを見て」


 前置き抜きで画像を見せると、ダニー君は画面を食い入るように見つめた。


「大海蛇ですね。それで?」

「調べていたでしょ? 弱点。何かわからない?」

「無茶、言わないでください。さっき、検討しているところ、サクラさんも聞いていたでしょ?」


 そうよね。でも、藁にもすがる気持ちなのよ。


「でも……ヘリコプターから撮影していた時よりも、興奮しているように見えますね。この嵐のせい、とは考えにくい。それに、まるで僕たちを追っかけているようにも見えますし。もしかしたら……いや、それはない……ないと言い切れる? うーん……」


 画面を睨みながら、ダニー君はブツブツと独り言を呟いている。


「ヒントでもいいの。何かない?」

「そうですね……これはまだ仮説というか推測段階なんですけれど、大海蛇が興奮しているのは……」


「SS、接近!」


 ダニー君の声を、副官の声がかき消した。


「こちらに突っ込んで来ます!」

「RLG、威嚇射撃っ!」

『CIC了解』


 嵐を切り裂いて、光の弾が飛んでいく。摩擦熱で輝くリニアレールガトリングガンの弾が、こちらに近づいてくる大海蛇の近くを掠め飛び去っていった。


「観測班!」

『対象に変化なし。近づいています』

「くそ……サクラさん、よろしいですね?」


 私はただ頷くことしかできなかった。


「RLG、目標に向けて、発砲せよ」

『こちらCIC射撃管制。目標に向けてRLG発砲します』


 今度は、まるで光の帯のようだった。船体の左右に配置された二基のRLGから解き放たれた光が、大海蛇の身体に吸い込まれていく。大海蛇は、身体を捻りのけぞった。風雨に遮られて音は聞き取れないが、大海蛇は苦悶の叫びをあげているはずだ。


『効果あり! 目標は苦しがっています』

「よし、今だ! モーターを回せ! 回頭して全速力でこの海域から離脱するぞ!」


 電動の利点は、暖機運転もアイドリングもいらないところだ。電気を流せばすぐにモーターがスクリューを回す。激しい波にもまれながら、<らいめい>は船体を回転させ、全速力で大海蛇から離れ始めた。艦橋からは、もう大海蛇の姿は見えないが、艦後方のカメラがのたうちまわる大海蛇の姿を捉えていた。

 <らいめい>は、大きなうねりに巻き込まれながらも、モーターをフル回転させて大海蛇から逃げ出した。後方で、波間から見える大海蛇の姿がどんどん小さくなる。


「よし! もう少しであいつの視界から外れるぞ!」


 誰かが叫んだ、その時。ドン! という衝撃と供に、<らいめい>が空に投げ出された!


「うわぁーーーっ!」

「うおっ!」

「何かに掴まれっ!」


 艦橋内に叫び声が響く。私はテーブルの縁をしっかりと握りしめた。ダニー君も、同じようにテーブルにしがみついている。そして、一瞬の静寂と――落下。

 頭を殴られたような衝撃が、私の全身を襲った。警報音が鳴り響き、赤いランプが明滅している。白い煙のようなものが見えて、何かが焦げたような臭いも漂ってきた。


「な、何が……」


 掠れた声を出すだけで精一杯。私はそこで意識を失った。



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