幕間 鉱山開発

 ヘーラ山脈は、ヴェルセン王国の東を南北に走る大山脈であり、山脈の向こうは蛮族が住まう砂漠地帯が続いている。辺境伯マーグレイヴ領には、ヘーラ山脈の北部も含まれており、ヘルスタット王から開発の許可ももらっている。許可が下りると、日本政府は辺境伯マーグレイヴ領内にあるロージ村にほど近い、標高千二百メートルのロージ山のボーリング調査を行っていた。

 元々、ロージ村は、ロージ山から鉱石を採取する労働者が作った村だという。かつて、暴虐王ことブライアス・アルクーラが王国を支配していた時代には、武器や防具を作るために金属のニーズが高かったが、平和が長い間続いている現在では、それほど求められていない。採掘も露天掘りだった。


「魔法があるってうらやましいと思いますよ、本当に」


 この春、移民団の一人としてやってきた南田博は、鉱物学者であった。大学を定年退職してからは、鉱業企業のアドバイザーなどをしていたが、異界での鉱山開発の話を聞き妻と伴に異界こちらに移民してきた。すでに子供たちは独り立ちしており、いつ死んでも未練はなかったが、新しい発見が十分に期待できる異界こちらの魅力に、研究者としての情熱が蘇ってきたのだ。


「なにしろ、掘ったその場で鉄鉱石から鉄を抽出できるんですから」


 元いた世界では、鉱石を掘り出しても使える金属にするまでには、いくつかの工程が必要になる。しかも、環境に影響がでないような処置も必要になっている。


「でもねぇ、精度は悪いよね」


 蓬莱村の御厨みくりや教授は、鉄や青銅、銅が抜き取られた鉱石の残りかす、いわゆるスラグを手に取りながら呟いた。


「この中にも、まだ使える金属はたくさん残っているはずだよ」


 御厨教授プロフェッサーが指摘するように、異界こちらの人間が必要とする鉄や青銅、銅、金、銀といった金属以外は、スラグの中にも残ったままだった。そこで、日本政府はロージ山の麓に、規模は小さいが化学精錬工場や炉を作った。大量に放置されているスラグや、これから採掘する予定の鉱石から、金属資源を採取する計画だ。


「この山にもまだ鉄鉱石は大量に残っていますし、他の金属も――すず、ビスマス、アンチモン。ニッケルの含有量が多い珪ニッケル鉱もあるようです。楽しみですね」

「そうだねぇ。その金属の価値に異界こっちの人間が気付くのもすぐだろうけど、化学的知識を得て魔法で精錬できるようになるまでは、日本あたしたちの方が有利だねぇ」


 御厨教授の年齢は不明だが、確実に南田よりも年下であることは間違いないのだが、彼女は年上であろうと誰であろうと敬語は使わない。そうした御厨教授の態度に、当初はむっとした南田も、もう慣れた。御厨教授が、誰に対しても同じだったからだ。これが、彼女の個性パーソナリティなのだろうと南田は思った。


「私としては、早く自分たちで精錬できるようになってもらった方が、楽でいいんですがね」


 異界こちらに移住してから、四ヶ月ほど経過しているが、日本にいたときよりも精力的に働いているな、と南田は思う。彼は、ロージ山を見あげ、さらにその奥に見える山々を眺めた。そこには、三千メートル級、四千メートル級の山々が連なっている。


「私も妻も、登山が趣味なんですよ。死ぬ前に一度、異界こっちの山にも夫婦揃って登ってみたいと思っているんですよ」

「そいつは、いいね。今なら、どの山に登っても日本人初登頂だよ」


 実際には、人に征服された山は少ない。異界こちらの人間は、山頂に登ることにあまり興味を持たないようだ。


「ミナミダさん、プロフェッサー・ミクリヤ、出発の準備ができました」


 辺境伯マーグレイヴ領の代官を務めるホールースと、クラドが二人を呼びに来た。クラドはロージ村の村人で、今は南田の下で監督官のような仕事をしている男だ。


「あぁ、ありがとう。じゃぁ、行きますか」


 御厨教授や日本から移住してきた技師、案内人兼労働力として雇ったロージ村の人々とともに到着したのは、ロージ山の中腹に設けた採掘用の現場だった。地球であれば、精製工場を含め、採掘場の整備をするだけで数ヵ月から数年かかる事業だが、ボーリング調査からここまで、わずか三ヶ月程度しか掛かっていない。南田は、改めて魔法の便利さを実感する。その便利さこそが、この世界で工業が発展していない原因ではないかと御厨教授は言っていた。魔法に頼りすぎるのは良くない、日本の技術力と魔法のシナジーこそ発展の鍵だというのが、御厨教授の持論であり、日本政府もそれに同意していた。


□□□


 山の中腹にある採掘場は、今後のことも考えて十分に広く整地されていた。その奥には、ほぼ垂直に切り立った山肌が見える。その山に向かって、数人の村人が半円状に並んだ。


「山よ、土よ、くびきを解き放ち、その身を我らが前に! 掘削ドリリング!」


 村人たちの詠唱が終わると、内側から何かに押されるように岩肌が崩れ落ち始めた。まるで土が、自分から外に出ようとしているようだ、と南田は思った。

 十メートルほど掘り進んだところで、魔法は一旦終了した。山から掘り出された鉱石は、小型の電動重機と<アトラス>によって運ばれていく。<アトラス>は、DIMOから貸与された土木作業用外骨格デバイスで、武装のない<ハーキュリーズ>とも呼べるものだが、そのシルエットは<ハーキュリーズ>よりも一回り大きい。

 ガソリンエンジンがあれば、もっと大きな重機が使えるのだが、異界こちらではガソリンだろうがディーゼルだろうが役立たずの置物でしかなくなってしまうのだから仕方ない。異界こちらで電動モビリティが活躍しているお陰で、日本では電動化技術の研究が活発になっていた。大学にいた頃一緒に働いていた電気系の教授たちは、今、企業との共同研究案件が増えて嬉しい悲鳴をあげているという。


 南田は、ホールース、クラドらとともに、できたばかりの坑道に足を踏み入れた。彼が壁に手を触れてみると、機械掘りや手彫りとも違う、荒々しくもありそれでいて脆い印象はない、少し不思議な感覚を覚えた。当初、補強も魔法で行うことになっていたが、魔法に触れたことがなかった南田らは、やはり自前の補強も必要だろうと部材も準備していた。だが。実際に触れてみると、魔法だけでも良かったかと思われた。今更遅いが。

 南田がハンドライトで奥を照らしてみると、キラキラと剥き出しの鉱石が光を反射した。資源は豊富なようだ。


「ミナミダさん、光属性魔法が使えるのですか!」


 クラドの驚いた声に、南田は苦笑する。


「いや、これは魔法じゃなくて技術だよ。電気で光を作るんだ」


 クラドらによれば、光属性の魔法は失われて久しく、こうした坑道や洞窟では松明か、火属性魔法が使われるという。その分、ガスに引火する事故なども起きているようだ。


「ここでは事故が起きないよう、換気や粉塵にも気をつけて進めて行きましょう」


 彼らが外に出ると、重機や<アトラス>が忙しく動き回っていた。そろそろ、次の掘削ができそうだ。その様子を眺めていると、急に御厨教授が話しかけて来た。


「中の様子はどう?」


「あぁ、良い感じですよ」


 南田の経験から、ここが良い鉱山であるという直感があった。実際には掘り進めないと量も質も確かなことは言えないが。地球のような科学的調査ができれば良いのだが、と彼は少し残念に思っていた。その分を知恵と努力で補わなければならない。


「それはよかった。……ところで南田サン、彼らの詠唱、最後の言葉キーワード、あんたにはなんて聞こえた?」


 一瞬、南田は質問の意図を把握できなかった。


「え? ドリリング、ですが? それが何かしましたか?」

「いや、私にもそう聞こえたよ。でもね、掘削の知識を持たない人間が、向こうの世界の人間が聞くとね、違って聞こえるらしいんだ」

「え?」


 初耳だった。異界こちらでは、魔法の力によって自動的に翻訳されて聞こえることは知っていたが、人によって異なって聞こえるとは、南田の理解の外だ。


「以前、村で実験してみたんだよ。するとね、知識の有る無しで詠唱の最後の言葉が違って聞こえるということが分かったんだよ」


 まだ、仮説だけれど、と御厨教授は前置きして言葉を続ける。


「魔法の力は――おそらく魔素マナは、翻訳しているのではなく、発言者の意識を伝えているのではないだろうか。それを受信した我々が、自分の知識にある言葉へと無意識に変換する。だから、人によって違って聞こえることがあるってね」


 南田は、鉱山・鉱石の専門家であって、語学や物理学の専門家ではない。ましてや魔法については何もわからない。だが、もし御厨教授の仮説が正しいとすれば、それは大変なことなのではないかと思った。たとえば、騙そうと甘言を弄しても、騙そうという意思が言葉として伝わってしまうかも知れない。もっとシンプルに、自分の発言と相手が聞いた言葉で、内容が違ってしまうかも知れない。南田は、御厨教授の言葉に、少し寒気を覚えた。夏も近い暖かい日なのに。


「少し怖い話に聞こえるけどね、逆に言えば元の世界あっちでは、言葉を額面通りに受け取ることはしないで、その裏にある真意を推測しようとし過ぎているのかも知れない。少なくとも、相手の思いが言葉となって伝わっているのなら、異界こちらは素直な世界、正直な世界と言えるのかも知れないね」

「そんなもんですかね」

「少なくとも、今は異界こっちの人とも齟齬なくやってるからね」


 だったら、私もできるだけ正直に話すようにしないといけませんね。南田はそう言って、鉱石の運搬を眺めている村人たちに向かって歩いて行った。南田は、これから鉱物のサンプルを採取して、蓬莱村で物性の測定を行うことになっている。


 その場に残った御厨は、自らの思索に耽ったままだ。南田が離れた後も、ぶつぶつと独り言を呟き続けている。



「自分の知識や記憶の範囲で言葉が再構成されるということは、記憶がすべて読み取られているということか? いや、それは余りに非効率だ。我々が勝手に当てはめていると考える方がシンプルだな……」


 例えば、今の若者に“ブラウン管”って言っても分からないだろう。意味や機能を教えてやれば、「そうしたもの」として認識はされるが、それは“ブラウン管”を知っている世代の認識とは少し異なるものだ。“ブラウン管”を実際に見ていた世代が“ブラウン管”と聞けば、その機能だけじゃなく記憶も込みで思い出されるはずで、見たこともない世代とは認識が違って当然だ。もっと突き詰めれば、“ブラウン管”世代でも個々人で認識はことなることになるが、そこまでの認識を求められることはないので、問題にもならない。

 だが、異界ここでは、その違いが問題になるかも知れない。


「杞憂……で済めばいいけどねぇ」


 御厨は、魔法というか魔素マナの働き、ひいては異界この世界のありようが、誰か――あるいは――の意識によって操られている可能性を考えていた。突拍子もない考え方ではあったが、それを否定する証拠もなかった。

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