帝国の決断と皇帝の親友

「ま、魔獣……ですか? アサミ殿、何をおっしゃっているのか……」

「魔獣。海の魔物クリーチャーズ。大海獣。呼び名はなんでもいいです。海に住み着いた魔獣によって、あなたたちの生活が脅かされているのでしょう?」


 グードさんの言葉を遮るように、私は大きな声で一言一言を明瞭に発言した。言葉の裏にある私の決意も、魔法で翻訳されているといいのだけれど。


「そ、それは……」

「よい、グード。あちらも情報を掴んでいるようだ」


 サリフ皇后が、ちらっと迫田さんに視線を送りながら、グードさんを止めた。


「いまさら隠し立てしても遅いであろう。アサミ殿、隠すつもりはなかったが、こちらとしても交渉を有利に進めたかったのでな」


 隠すつもりはなくても、言い出すつもりもなかった。皇后の言葉はそういう意味だろう。


「理解はできますよ」


 気に入らないけど。迫田さんなら当たり前と思うかも知れないけど、私は外交官じゃない。


「すまぬが、少し休憩するとしよう。こちらでも情報を吟味する必要があるのでな」

「もちろんです」


□□□


「帝国の実権は、エバ皇后にあったようだね」


 王国のテントに戻ってお茶を楽しみながら、ドーネリアス王子。「私も気をつけないと」という小さな呟きは聞かなかったことにしよう。


「だが、おかげで話は早く進みそうだ」

「だといいのですが」


 心の底から、ほんとうにそう思う。


「サコタ殿の持ち帰られた情報によって、私たちは優位に立てた。帝国は、私たちの申し出を受けるしかないでしょう」


 王子が、私と並んで紅茶を飲んでいる迫田さんに視線を流す。


「私だけの力ではありませんよ。ザインさんとガウレスさんの働きがなければ、帝国の情報を掴んでくることはできなかったでしょう」


 ザインさん、ガウレスさんは、迫田さんと一緒に帝国へ偵察スパイしに行った人たちだ。負傷したザインさんは、私たちの医療チームが現在も治療中だ。


「途中で妨害に遭わなければ、もう少し早く帰って来ることができたのですが」


 そういえば、迫田さんは潜入した先で「以前村に来たスパイ」=「ファシャール帝国皇帝」だと気が付いたそうだ。肖像画を見て。よくスパイの顔を覚えていたなぁと思う。私には無理だわ。


「吟遊詩人よ、そなたの情報も有益であった」

「もったいないお言葉です、殿下」


 またいつの間にか吟遊詩人のニブラムさんがいた。どこにでも入り込んでくるなぁ。それでいて、周りの人はそれをすんなり認めているような……違和感を覚えているのは、私だけ? 


「さりとて、ファシャール帝国の実権を皇后が握っているという話は、これまで耳にしたことはございませんでした。なにしろ、かの皇帝は吟遊詩人や道化を、有り体に言えば嫌っておられるので」

「そうなのか……王国は違うぞ。お主らのような吟遊詩人からの情報は有益だからな」

「ありがたき幸せ」


 ふと、吟遊詩人というのは、スパイなんじゃないかと思った。王国の、とは断言できないけれど、俳人の松尾芭蕉だって、幕府隠密じゃないのかと言われているくらいだから、ない話じゃないよね? こうやって、いろんなところに潜り込んで、情報を集めて報告する……うーん、連れてきたのは失敗だったかも。



「ところで、これからどうなるんでしょう?」


 田山三佐が、手を挙げながら発言した。ここは教室かっ!


「帝国がまともなら、講和に同意して、サインなり握手なりがあって、それから細かいことは実務者会議へというところかな」


 迫田さんの言う“流れ”は想定済みで、すでに日本側はいろいろな譲歩(援助なども含めて)を決めている。国会の審議も通過しているというから驚き。何も決められない、決めるのにも時間がかかる、それが日本政治だったのに。裏に何かありそうだけど、私には分からない。今は、異界こちらにとっても都合がいいから、何もないことにしようそうしよう。ともかく、これで帝国が不可侵条約を結んでくれれば、一息つけるからね。


「しかし、日本ニヴァナの方々が居られなければ、こうも簡単に交渉は進まなかったでしょう」

「いえいえ、これも王国のお力があったからこそですよ。私どもは、ほんの少し、お力をお貸ししただけです」


 王国から来た参謀役の人と迫田さんの会話は、謙遜しすぎのような気がしないでもないが、こう言っておかないと、王国の中で不満が溜まるのだそうだ。つまり、「日本が主導して王国はお飾り」とか「王国は日本の傀儡になった」とか、そんな風評を立てられるのは困るわけだ。これから締結される条約でも、主体は王国と帝国であって、日本は王国からの要請で動く、という形になるはず。めんどくさい。


「再開の準備が整いました」


 連絡が入ったので、私たちは会談場所へと向かった。


□□□


「和平に応じる。詳細は、こののちここにいる部下たちと話せ」


 ファシャール帝国皇帝は、そう宣言すると足早に立ち去っていった。去り際に「勝手にしろ」と小さく呟いていた。


「ヴェルセン王国の方々、そして日本ニヴァナの方々、どうか、皇帝陛下の無礼をお許しください」


 エバ皇后が、目を伏せながら私たちに謝った。


「こちらとしては、円滑に講和がまとまればよい。平穏な日々を護ることが、民のためになると私は思っているのです。そのためであれば、王族のちっぽけな尊厳など取るに足りません」

「ドーネリアス閣下は、まさしく王の器であらせられる。そして、まつりごとにも長けていらっしゃるようです」

「買いかぶり過ぎですよ、皇后陛下。さぁ、細かい点を詰めてしまいましょう」


 それから小一時間、帝国と王国、そして日本の間で条約締結に向けた詳細な打ち合わせが行われた。大まかな内容としては、三者がそれぞれ武力での侵攻を行わない(相互不可侵条約)ことや、日本と王国が帝国に対し食料援助を行うこと、魔獣退治に協力すること。日本が(王国に提供している程度の)技術を王国に提供すること(まぁ、ODAやPKOと変わらないわ)。一方、帝国はかつて王国から奪った一部地域の返還と日本に対して――。


『緊急連絡!』


 田山三佐の持っているインカムから、切迫した声が聞こえてきた。日本人以外は、突然声が聞こえたことに驚き、日本人はその内容に驚いた。もう少しで講和条約が締結されるという段階で、どんなトラブルが起きたというのか。


『南方向より、未知の飛行物体が我が方へ向かってきます! 速度、毎時約六○!』


 この世界に、UFOはいないはず。私たちは、慌ててテントを出た。それと同時に、空が一瞬暗くなった。いや、巨大な何かが、頭上を飛んでいったのだ。


「さくらさんっ! 大丈夫ですか?」


 <ハーキュリーズ>装備を装着した日野二尉が、私たちのところに文字通り跳ぶような勢いでやってきた。ヘルメットのフェイスマスクは上に跳ね上げられている。


「大丈夫、というか、何が起きたの?!」

「分かりません、何か鳥のような「あれを見て!」」


 誰かが指さしたその先に、はいた。空中を優雅に旋回しているそれは、まるで……。


「何で、恐竜がここに……」


 日野二尉が言ったように、かつて地球にいた翼を持つ恐竜、翼竜に似た生物だった。これまで、蓬莱村でも王国でも、あんな動物? 恐竜? は見たことがない。あれは、魔物クリーチャーズなの? これまで、鳥のように空を飛ぶ魔物クリーチャーズは見たことがないけれど。


 翼竜、あるいは空飛ぶ魔物クリーチャーズは、旋回を終えてこちらへ突っ込んでくる。四人の<ハーキュリーズ>が、私たちの前に出たが、彼らに対空兵器は装備されていない。今は、何もできない。そんな、私たちの恐怖をあざ笑うかのように、翼竜は大きな翼を広げ、ゆっくりと地面へと向かっていく。その先には。


「よ~し、よし、よし」


 綺麗に着地した翼竜の身体を、ファシャール帝国皇帝が撫でている。その仕草は優しく、愛おしげだ。


「陛下! クライをお呼びになったのですかっ!」


 テントから遅れて出てきたエバ皇后が、エルファ皇帝に向かって叫んだ。


「おおう!」


 皇帝は、会議に出ている時よりも楽しそうだ。エバさんに続いて、私たちも彼らに近づいていった。

 翼竜? は、全高二メートル半くらいか。下げた頭を皇帝が撫でている。さっき見た様子から、翼を広げれば、三メートルくらいの幅はありそうだ。尖ったくちばしから、細かい歯が覗いている。


「ニヴァナの女よ! これが俺の兄弟、クライだ」


 ケェェッ! と翼竜が叫び声を上げた。警戒したのか、<ハーキュリーズ>装備の日野二尉たちが、私たちの前に出る。


「大丈夫……みたいだから、警戒を解いて」


 皇帝自らが紹介するくらいだ、きっと人にも慣れているのだろう。


「皇帝陛下! その魔物クリーチャーズは、いったい何なのですかっ!」


 王国の誰かが、皇帝に詰め寄っていったが、帝国の兵士にすぐ抑えられていた。


魔物クリーチャーズだと? お前たちにはクライが魔物クリーチャーズに見えるのか、愚か者。これは、誇り高き飛龍、わが友である!」


 そう叫ぶ皇帝は、さっきまでの不機嫌な様子はどこへやら、大きく口をあけて高らかに笑っていた。


 しかし飛龍……龍と付くからには、ゴクエンさんに連なる竜の眷属かしら? 私がじっと見つめると、翼竜……じゃない飛龍もこちらを見返した、ような気がする。ん? 今、鼻で笑わなかった? 私の気のせいかな?


 と、急に飛龍が怯えた様子を見せた。


「小さき鳥が、竜を名乗るとはおこがましいですね」


 いつの間にか現れ私の横に立ったニブラムが、皇帝に向かって喧嘩を売り始めた。何してんだ、こいつっ!


「なんだとっ? もう一度、俺の前で言ってみろ」


 皇帝の全身から、どす黒いオーラが流れ出ているような気がする。


「お望みとあれば何度でも。鳥としては大きくとも、竜を名乗るのは不遜であると、この私、吟遊詩人のニブラムが申し上げたのです」

「きっ、貴様ぁっ! 俺の兄弟を愚弄するとは許せん!」


 剣を抜き放とうとする皇帝を、帝国の兵士たちが必死に止めた。私も、ニブラムさんに向けて「こんなところで騒ぎを起こさないで」と苦言を呈した。だが、当のニブラムさんはしれっとした顔でとんでもない言葉を重ねてきた。


「おや、これは心外。これはサクラさん、貴女のためでもあるのですよ? 竜の加護を得ている巫女たる貴女の前で、愚かな獣が竜を名乗るなど、その尊厳を汚しているのですよ?」


 ニブラムさんが、飛龍を指さすと、なぜか飛龍は恐縮したように頭を下げて身を小さく縮こめている。なんだろう? でも、とりあえずはこの場をなんとかしないと。


「私は、あなたが何を言っているのか分からない、けど、今は止めて。ここまで来た平和の道を壊すつもりなの?」


 私の言葉に、ニブラムさんは大きく深呼吸をした。


「ふぅ。そうですね、仕方ないです。ここは私が引きましょう」


 そう言って、彼は皇帝(と彼の飛龍)に向かって言葉を掛けた。


「皇帝陛下。前言を撤回させていただきます。申し訳ありません」


 謝罪、なんだろうなぁ。でも、なんとなく『立場をわきまえろよ、小さき獣よ』と言う言葉が頭の中で響いた気がした。いかん、疲れているのかしら。


 皇帝も、皇后や兵士たちになだめられて(吟遊詩人など切っても、皇帝の名に傷が付くだけとかなんとそんな感じで)、その場はなんとか収まった。ふぅ。

 そして、なんとなく、当の飛龍を見ると、すばやく視線を外し……たように見えた。小さく縮こまっている姿は、なんとなく怯えているようにも見えた。




※以前、蓬莱村でドローンを破壊したのは、この飛龍くんの仕業です。

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