外交カードを切る

 和平交渉の二日目は、なんとも不思議な雰囲気で始まった。


 なぜか上機嫌の皇帝、呆れた表情の皇后。対する王国側は、どうすればいいのか戸惑った表情で、日本人たちはみな一様に仏頂面だ。平和への道のりは遠い。


「さ、さて。みなさまご着席いただいたところで、昨日の続きから……」

「返事や如何に?」


 グードさんの言葉を遮るように、皇帝が大声で言い放つ。王者の威厳と言えば格好いいが、要するに拒否されることなどはなから考えていない言い方だ。


「昨日の、サリフ皇帝のお申し出に関しては――」

「お断りです!」


 やはり自分から、自分の言葉で伝えた方がいい。そう思って、私は相手の目を見つめて言い放った。


「嫁入りは、お断りします! 大事なことなので、二回言いました!」

「むっ」


 断られるとは思っていなかったのか、沿岸諸国の頂点に立つ男は、急に不機嫌になって顔を顰めた。


「断るというのか? なぜだ? 俺の妃となれば、良い暮らしを保障するぞ? 世継ぎを産めばさらに――」

「何か勘違いされているようですが、私は国を背負ってここにいます。決して婚活しにきたんじゃありませんから」

「コンカツ? 何を言っているのかは判然とせぬが、俺がお前を気に入ったのだ。素直に嫁いでこい」


 はぁぁ~っ。なんかめんどくさい奴だな。


「私は貴方と結婚するつもりはありませんし、人を“お前”呼ばわりは失礼です」

「ぬ? 言い方が気に入らぬのか? ならば」


「お恐れながら、皇帝陛下。我々は、貴方が――帝国が王国と和平協議をする、というからここに来ているのであり、それ以上でもそれ以下でもありません。また、いくら和平のためだからといって、尊厳を無視することはしません。我々現代日本人は、人の意思を無視するような行為は、恥ずべき行為だと考えます」

「なんだと! サコタと言ったか? 補佐官風情が俺に意見するか」

「ええ、しますよ。ここは交渉の場で、私たちは対等の立場のはずです」


 あぁ、なんだか私が蓬莱村に来た頃の迫田さんを思い出す。こんな感じで、冷たくて辛辣なしゃべり方だった。


「ヴェルセン王国から、サリフ皇帝にご忠告申し上げる。日本は、ニヴァナは、我々よりも遙かに文明が進歩した世界だ。すでに何人もの王国臣民が、かの国に渡り脅威の世界を目の当たりにしてきた。先ほど、“よい暮らし”と言われたが、彼女らニヴァナの民にしてみれば滑稽としか言いようがないだろう」

「なにっ!? 俺を侮辱するか? いかな王太子といえど――」

「陛下!」


 凜とした言葉が、皇帝の言葉を遮った。エバさんだ。


「いい加減に目をお覚ましください。彼らの言葉は正論です。むしろ我々――いえ、皇帝陛下、貴方に非があります」

「し、しかし、エバよ……」

「陛下っ!」


 エバさんが、皇后が皇帝をギロリと見据える。昨日、私に向けられていた、あの視線を今度は自分の夫に向けている。あれは怖い。あ、皇帝が視線を外した。


「ヴェルセン王国の皆様、日本の皆様。中でもアサミ様には、大変ご迷惑をおかけいたしました。昨日皇帝陛下が話された条件はなかったこととし、改めて和平について語っていきたいと思いますが、皆様はいかがでしょうか」

「私は異議ありません」

「私も、その言葉に賛同します」

「それでは、改めて。グード、頼みます」

「は、はいっ、陛下。では、王国のみなさま、ニヴァナのみなさま、改めて交渉を始めさせていただきたいと思います。如何でしょうか?」


 その場にいる全員(皇帝を除く)から異議が出されることはなく、和平会談はあらかじめ決められたレールの上を静かに走り出した。といっても、最初のうちは互いの腹を探り合い、テーブルを挟んで婉曲な表現で殴り合っているようなもの。そろそろ本音で話して欲しい。


「えぇい! まどろっこしい! 互いに腹を割って話そうではないか」


 しばらく大人しくしていた皇帝が、やおら立って叫ぶように言った。


「皇帝陛下、どうかお静まりください」


 グードさんが皇帝を止めようとしたが、そんなもので止まるはずもなく。皇帝は、ダン!と机を叩いて身を乗り出す。


「王国も戦争を望まず、俺も戦いを避けたい。だな? であれば、不可侵条約の締結はどうだ? その条件として、王国が帝国に対してこれまでに行って来た敵対行為と被害に対する賠償を行う、ということで手を打たないか?」

「不可侵条約は構いませんが、賠償金? はて? なぜ王国が帝国に? 逆ではありませんか? これまでにも帝国は王国に対しいわれなき理由で攻撃を仕掛けてきた。その結果、国境沿いのいくつかの村は消滅の憂き目にあっています。賠償金を支払うのは、帝国側では?」


 賠償金を支払うということは、すなわち王国が非を認めたことになるわけで、金額の多少に関わらず難しいことだよねぇ。日本わたしたちにも金で解決するならば、って失敗した、苦い経験があるからね。


「ふん! 帝国民は、かの暴虐王に受けた傷は忘れておらんぞ」


 一歩も引かない皇帝に、王子がはぁとため息をつく。


「あれからいくつ季節が巡ったとお考えか。すでに過去のことであり、そもそも沿岸地域への本格的な侵攻が開始される前に、賢王へと代替わりしています。そちらの被害など、なかったはず。それに、その頃は帝国など影も形もなかったではないですか」

「危害を加えた側は、そうやって歴史をねじ曲げているのだな。たしかに帝国はなかったが、沿岸州連合は存在したし、王国とも戦った」


 埒が明かない、そう思ったら、迫田さんが口を開いた。


「お二人とも、それ以上は。お互いに過去はいろいろと思うところがあるでしょうが、互いに非難し合っている状態では和平は望めません。ここは、互いに過去を水に流し、未来を見てはいかがですか?」


 迫田さんが、双方をなだめるように提案した。


「互いに不可侵条約を締結したい、という目的は一致していることに間違いはないですね? 結構、であれば、あとは条件の摺り合わせです」


 帝国側の表情を伺うと、相変わらず憮然とした態度を見せている。対して、王国側は困ったような表情を、みな一様に浮かべている。王国側は、ほぼ演技だけど。


「双方、条件のハードルが高すぎるために摺り合わせが難しくなっています。どうでしょう? ここは互いに譲歩してみては?」

「譲歩、だと? くだら――」

「伺いましょう」


 皇帝の言葉に、皇后がかぶせてきた。どうやら、帝国の(少なくとも政治の)主導権イニシアティブは、皇后が握っているようだ。それが、見せかけなのかは分からないけど、日本こちらとしては願ってもないことだわ。


「王国としても、これまでの経緯を考えれば、賠償金支払いは難しい。であれば、経済協力、技術協力という形では如何ですか?」


 帝国側がざわつく。いや、落とし処としては想定していただろうけれど、こんな早い時期に王国側(正確には日本だけど)から提案されたことに戸惑っているようだ。


「それは――」

「技術協力だと?」


 今度は皇后の言葉を、皇帝が遮った。私の中で、皇帝の評価が駄々下がりなんですけど。


「我が帝国は、王国よりも数年、いや数十年は技術的に進んでいるぞ。今、戦争を始めれば、王国はたわいもなく私の前に膝を屈するであろう」


 サリフ皇帝このひとは、戦争がしたいのか? ここで、カードを一枚切っておこうかな。


「熱気球――帝国そちらが何と呼んでいるかは知りませんが、空に浮かぶ箱、あれを持って軍事的優位と考えているのなら、それは間違っていますよ」


 熱気球は、航空戦力を持たない王国に対しては、確かに軍事的優位かもしれないけれど、私たちにとっては違うわけで。でも、証拠がないとなかなか信じられないよね。そこで私は数枚の紙を皇帝たちの前に広げた。俯瞰で撮影した帝国熱気球が、異なるアングルから映っている。


「こっ、これは、何だ」

「どうやって――」


 グードさんたちがざわつく。


「見て分かるように、気球よりも位置から撮影した写真ですよ」

「シャシン? この精密な絵画のことか……」


 王国の人たちは、私たちの写真技術を知っているけれど、帝国の人たちは初見らしい。こうした文化ギャップを、つい忘れちゃうのよねぇ。


「あなた方の持つ熱気球が、戦術的優位にはなり得ないことはご理解いただけると思います」

「……」

「それでも、帝国は王国に対し戦争を仕掛ける、そうおっしゃいますか?」

「アサミ殿、条約締結の暁には、この、我らの“飛空馬”よりも高く飛べる道具や、シャシンの技術も提供していただけるのでしょうか?」

「グードさん。それは無理です。運用するためには様々な設備やメンテナンス技術も必要です。今は無理でも、将来どうなるかは分かりませんが。写真にしても、すでに王国では魔法で写真技術を再現しようと努力されています。帝国あなたがたもそうされたらいいと思います」


 あ、ドーネリアス王子が驚いた顔をしている。写真技術を魔導宮が再現しようとしていることは、こちらの情報網にも引っかかっているのよ。隠そうとしていたみたいだけど。


 しばらくの間、静寂が場を占領していた。


「では、王国はどのような技術を提供していただけると?」

「日常生活をもう少し楽にする技術ですね。正確に言えば、日本わたしたちから王国に提供した技術、ということになります」


 私の答えに、エバ皇后は満足しなかったようだ。


「具体的には?」

「そうですね。地中から水を汲み出す技術、重い荷物を楽に運べる技術、馬車の乗り心地を良くする技術などが挙げられますね。……いずれも、魔法を使技術です」


 多くの人が魔法を使えるとはいえ、その能力には差がある。全ての人が、等しく使える道具は、為政者にとってもメリットがあるはず。そこに気が付くかな? ヘルスタット王は、気が付いたけど。

 エバ皇后は、考えながら慎重に口を開いた。


「それは、たしかに魅力的なお申し出と思います。しかし、その技術が浸透するには時間が……」

「えぇ。帝国にことは存じ上げています。そこで、もうひとつの提案です。あなたがたを悩ませている問題の根幹――魔獣の退治に力をお貸ししましょう」

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