帝国の思惑

 外交というものは、本当に手順が面倒。それは異界こちらでも変わらない。むしろ連絡手段が限られていることで、ひとつひとつの手続きに時間が掛かる。それを見越して、日程を調節したつもりだったけど、結局、ここまできて待たされる、待たされる。

 この間に迫田さんが戻ってくるかと思ったら、全然気配がない。一緒に行動しているという二人の魔導士も同様だそうだ。ま、なんだかんだ言って、彼は吸血鬼なのだから、滅多なことでは死んだりしないでしょ。……しないよね? 連絡がないと、やはり心配。何かあったのだろうか。大体、迫田さんは普段から連絡少ないよね。一応、名目上とはいえ、私の方が上司だし。ホウ・レン・ソウはしっかりして欲しい。ったく、どこで何してんだか、戻ってきたら、一発ガツンと言ってやらないと……。


「……サクラさん? 先ほどから百面相のように表情が変わっていますが、どうかされましたか?」


 ヤバッ、王子に指摘されてしまった。


「い、いえぇ、なんでもぉないですぅ」


 焦って変なイントネーションで答えてしまう。いかん、いかん。これから大切な交渉なんだ、しっかり集中しないと。


「準備ができたそうです」


 私たちが待機していたテントに、伝令の人がやってきて伝えた。


「うむ。ごくろう。では、サクラさん、参りましょうか」

「はい」


 私は、ドーネリアス王子と連れだってテントを出て、その足で数十メートル先にある会談場所へと向かう。目的地は、少し高くなった丘の上なので、坂を上っていくことになる。

 これまで、なんとか“調整官”としての役割は果たして来たつもりだけれど、正直なことを言えば、今はものすごく不安でいっぱいだ。私が着任したときには、すでに王国との和平交渉は締結されていたから、これが私にとって他国との最初の外交になるのかも。いや、王国との交渉だって外交か。あーもう、ごちゃごちゃする。やっぱり、こういう時に迫田さんがいないのは、まずい。適切なアドバイスがもらえない。アドバイスといえば、ヴァレリーズさんがいないのも寂しい。ヴァレリーズさんは王国の人だけど、ちゃんと日本わたしたちのことも考えてアドバイスしてくれる。うーん、タイミングが悪すぎる。


「大丈夫ですよ、サクラさんなら何とかできますって」


 不安が表に出ていたのだろうか。後ろから田山三佐が声を掛けてくれた。


「そう……ですよね」


 うん。私はひとりじゃない。田山三佐もいるし、日野二尉も後方だけど<ハーキュリーズ>装備で見守ってくれている。王国側の人たちもいる。それに、帝国側にはない技術テクノロジーもある。

 会見が行われる場所の、周囲五十キロメートルの範囲に大規模な兵力がないことは、夜中に飛ばしたドローンで確認済みだ。偵察用ドローンは、熱気球よりも高い高度を飛ばしているから気が付かれないとは思うが、念のため、暗くなってから飛ばして、大きく王国側に回り込ませてから回収した。ドローンのデータから、四十キロメートルほど先に砦のようなものを見つけたが、そこに兵士がいたとしてもせいぜい百人くらいだろう。また、熱気球は三機確認した。順番で連絡に使っているみたい。こうした情報は、王国にも伝えてある。王宮の偉いさんたちは、ドローンを欲しがっているみたいだけど、運用もメンテナンスもできないのに渡せるわけがない。


 頭の中で、いろいろと考えをまとめながら歩いて行くと、ほどなくして目的の場所に着いた。さっきから、やたらとラッパの音が響いているけれど、外交上のやりとりらしい。敵意はないですよ~わかってますよ~とか? 当然、私たちが到着した時にも、ラッパが高らかに鳴らされた。


 小山の頂上は、平らにならされた広場になっている。その広場の右手には帝国の旗が、左手には王国の旗と日本国旗がはためいている。こちら側には、私と第一王子、田山三佐ほか、十二名。帝国側も同じくらいの人数が並んでいる。王国から見て南方に住む人々は、半裸で腰布姿が多いと聞いていたが、他国との交渉の場だからか、麻のような風通しの良い素材でできた上着を羽織っている。下半身は、同じ素材でできた短パンだ。上着の袖口や短パンの裾から覗く手足は、ほどよく筋肉がついている。管領というより、海の男たちって感じた。

 その中で、二人だけフードを被った人物がいた。私たちが到着すると、その二人がゆっくりと前に歩を進めた。二メートルほど先で止まると、ひとりがフードをとった。なんどか顔を見たことがある、帝国の参謀をやっている人だ。名前は、確かグードさん。

 そのグードさんが、口を開いて高らかに宣言した。


「ファシャール初代皇帝、エルファ・サリフ陛下である!」


 皇帝と紹介された人物が、フードを跳ね上げた。


「約束通り、再び相まみえたなっ! 異界ニヴァナの女!」


…………

……


「えーーっ!」


 状況を飲み込むまでしばらく掛かってしまった。

 私の目の前に立つ男、帝国皇帝と紹介された男は、春頃に蓬莱村に来たスパイのひとりだった!


□□□


 普通、皇帝自らが敵になるかも知れない国に乗り込むかね? 何か遠大な策略があってのこと? それとも単に無謀なだけ? それを許すってことは、帝国はワンマン体制なわけ?

 頭の中で、いくつものハテナがグルグルと回っていた。それは、会談のために用意された大きなテントに案内された後も消えずに、渦を巻いていた。


「サクラさん、どうかしましたか?」


 王子がそっと話しかけて来た。


「以前お話しした村に来た間諜……そのひとりが皇帝その人だったんです」

「なんと!」


 ドーネリアス王子も絶句した。ということは、王族自ら偵察任務にあたるのは、常識ってことではないのね……少なくとも王国では。


「皇帝は、豪放磊落ごうほうらいらくな男と聞いていたが、それはまた、大胆というか無分別というか……」

「えぇ……私もどう対応してよいものやら、量りかねています」


 もちろん、相手には聞こえないよう小声で、しかも王子は風魔法でエアカーテンを作っている。


「ささ、皆様方、ご着席されよ」


 グードさんが、その場にいる人々に声をかけた。王国のテントというか天幕は、布あるいはなめした毛皮で全体を覆う、いわば閉鎖型構造だが、帝国のテントは、簡単な骨組みに天井を付けただけの開放型だ。その天井も、布や毛皮ではなく、おそらくは魚の皮を加工したものだと思う。この感じ、焼き魚の皮を思い起こさせるもん。

 テントの中央には、境界線のように細長い木の机が置かれており、こちら側とあちら側には簡素な椅子が並べられている。皇帝エルファは、すでに向こう側にある中央の椅子に、どっかと腰を下ろしている。その隣には、すごい美人が座っていた。細面で切れ長の目、髪は長く細身だけどスタイルはいい。まるで、宇宙を走る汽車に乗って、宇宙を永遠に旅する女性のようだ。だけど、その鋭い視線は、さっきから私に突き刺さっている。うぅっ、私、何かした?


「その前に、会談の様子を録画させていただきたい」


 田山三佐の申し出に、グードさんが首をかしげる?


「“ろくが”とは、何ですかな? 新手の魔法か?」

「いえ、ご存じとは思いますが、我々日本人――ニヴァナ人は魔法を使えません。これは技術的な手段で、この場の様子を記録する装置です」


 三脚の上にセットしたビデオカメラを指し示しながら、田山三佐は帝国の人たちに説明した。


「と、言われましても、どのようなものか」

「実際に、こちらに来てご覧ください。どんなものか、すぐにご理解いただけると思いますよ」


 中央の机を回り込んでグードさんがカメラに近づく。ちょっと動きがゆっくりなのは、警戒しているからかな?


「これをこうしてですね……撮影……で、これが再生で……」

「なんとっ! むむむ……このようなことが。き、危険ではないのですか?」

「録画、つまりこの場の情景を写し取って保存するだけです。もし、ご希望であれば、原理などの資料を差し上げます」

「それは、大変興味深いことですな……少々、お待ちください」


 グードさんは、机の向こう側に戻って、皇帝に耳打ちしている。いや、皇帝だって今のやりとりを見てただろうに。


「うむ。構わぬ。“ろくが”とやらを許可しよう。ただし、後でそのしくみを帝国に開示せよ」

「ご許可いただき、感謝いたします。資料は後ほどご提供させていただきます」


 王国側には、早い段階で動画の原理を教えている。地球あっちでも、原理が発見されていたのは、随分と昔だ。だから、教えることは問題ないだろうと判断された。ただし、パラパラマンガレベルから始めなくちゃいけなかったので、説明には長い時間が掛かったけど、今は、王宮内で映画の上映も許可されるほどになっている。異界こっちの人たちが、自分で撮影機材を作るのはまだ先だろうけど。


 双方が着席し、準備が整った。


「まずは、改めて自己紹介から始めようか。我が、ファシャール帝国皇帝、エルファ・サリフである。隣に控えしが、エバ・サリフ国務大臣である」


 皇帝の隣に座っていた美女が立ち上がり、優雅に頭を下げる。


「我はエバ・サリフ。国務を司る者にして、ここにおわす皇帝陛下の第一夫人である。お見知りおきを」


 奥さんが、大臣もやっているのかぁ。バリキャリって奴ね。すごいな、と思って見つめていると、また鋭い目で睨まれた。やっぱりなんか怒ってるっぽい。


「ヴェルセン王国国王、ヘルスタット・アルクーラが長子、ドーネリアス・アルクーラ。本日は、老体のため来訪が叶わなかった父王の名代として参った。願わくば、両国に平和が訪れんことを願う」


 皇帝の自己紹介に続いて、王子が自己紹介した。


「隣の方が、異界より来られしサクラ・アサミ調整官。彼女は、我が王国の辺境伯マーグレイヴでもある」

「阿佐見桜です。阿佐見が家名で、桜が名前です。こことは違う世界、こちらではニヴァナと呼ばれる世界から来ました。私たちも、和平を望んでおります」


 私の挨拶に、皇帝は薄ら笑いを浮かべている。“知っているぞ”と言わんばかりの顔だ。小憎たらしい。でも、交渉は避けられないのだ。


 グードさんが、仕切り役のようだ。再び立ち上がって、開会を宣言した。


「それでは、ファシャール帝国とヴェルセン王国の、和平交渉を始めたいと存じます。まず……」


 それを遮るように、皇帝が右腕を上げた。


「む? 坊ちゃま何を?」

「お互い和平を望んでいる。そうだろう? では、こちらから和平の条件を提示させてもらおう」

「和平の条件、だと?」


 ドーネリアス王子が、その整った顔を少し歪めた。


「あぁ。その条件を呑んでもらえれば、こちらは王国に手を出さない。不可侵条約を結んだっていいし、ウチの姫を人質に出してもいい」

「陛下! まさか!」


 グードさんが、驚きの声を上げた。そして、皇帝がさらに爆弾を投げつけた。


「あぁ。こっちからの条件はひとつ。サクラ、お前、俺の第四夫人になれ! そうすりゃ、和平が実現するぞ!」


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