暴虐王と賢王

 ヘルスタット・アルクーラから遡ること七代、二十代ヴェルセン国王は、ブライアス・アルクーラという男であった。またの名を、暴虐王。


 すでに大国であったヴェルセン王国の王子として生まれた彼は、子供の頃からひとつの野望を抱いていた。大陸統一。これまでのヴェルセン国王がなしえなかった偉業。既知の土地をすべて王国の――いや、彼の物にする。彼の野望を知った人間は、あまりにも荒唐無稽な願望だと笑い飛ばしただろうか? 否、である。王国だけでなく王国の周囲に存在した国々にとって不幸だったのは、彼は彼の野望を実現しうるだけの実力を持っていたことだ。魔法の実力が低下傾向にあった王族にあって、彼は先祖返りというべき魔法の使い手であった。四相七位。気象さえも思うがままにできたと伝えられている。

 強大な魔法の力に加え、彼は野望を叶えるために手段を選ばなかった。彼には五人の兄弟がいた、と言われている。人数が定かではないのは、ブライアス王以外の記録がほとんど残っていないからだ。後世の研究によれば、彼の兄弟はみな、何らかの事故にあって命を落としている。ブライアス王が手を下したという証拠はどこにもないが、多くの国民は(彼の腹心の部下でさえも)彼が王になるため、邪魔な兄弟を消したのだろうと思っている。彼が国王に即位した後、彼は兄弟たちの記録を抹消させた。故に、記録が残っていないのだ。


 皇太子時代から、彼は巧みに父親である先代の王を焚きつけ、誘導し、周囲の王国を滅ぼしていった。そして自らが王になってからも、それは変わらなかった。ヴェルセン王国の武力に太刀打ちできない周囲の小国は、次々とブライアス王の前に膝を屈していった。

 また、彼の統治は苛烈であった。特に、抵抗した国に対しての扱いは、後の歴史家が眉を顰めるほどだ。滅ぼした敵国の王族に連なる者は、遠縁であっても女子供であっても容赦なく処断した。その首を道端に晒し、通りがかる者たちに石を投げさせたという。さらに、自分に忠誠を誓う配下をその土地の領主とし、重い税を徴収させた。働き盛りの男たちはすでに戦死するか負傷していたうえ、兵士として仕える者は十五に満たない者でも徴兵されていったため、国民の生活は過酷を極めた。

 徴兵された若者たちは、自分たちの働きによって故郷に住む人々の暮らしが良くなると信じ、戦争では争うように功を上げていった。それが、また新たな悲劇を生み出すことになるとは、皮肉なことである。

 ブライアス王の美徳と言えるのは、決して贅沢をしなかったことだと言えるかも知れない。国王自らも質素倹約二勤め、食事や衣服もつましい物であったという。しかし、王が質素な暮らしをしているのに、部下が贅沢な生活をするわけにも行かない。そのため、人の目に付かないところで、下劣な趣味に走った貴族も多かった。王国には、未だにその時の残滓が、消えない傷を腐らせる膿のように根深く、そしてより深いところに残っている。


 その状況を愁う者も、少なからずいた。当時、ブライアス王の一人息子、アレグラス・アルクーラもそのひとりである。暴虐王にとって、世継ぎはアレグラスひとりだったのは、王国にとって幸運だったのかも知れない。ブライアス王自身にしてみれば、生まれてくる子が(アレグラスを除いて)女ばかりであったということは、何かの呪いのようも感じていたかも知れない。ちなみに、ブライアス王の子供は、公式の記録が残っているだけでも十五人、五十人を越えているという話もある。


 アレグラスの母は、彼を生んだ直後に身罷みまかったため、多くの乳母によって大切に育てられた。そのお陰だろうか? アレグラスはブライアス王のような野望を持たず、人の気持ちを思いやれる優しさを持ち、誰にでも好かれる正確に育っていった。また、ブライアス王は彼を後継者として育てるため、教育にも金を惜しまなかったので、大陸の名だたる者たちが教師として雇われた。多くの知識人と会ったことで、アレグラスは広い視野をもつことができた。それは、父ブライアスが望んだものとは、少し異なっていたが。

 アレグラスが成人の儀を迎える少し前、賢者を名乗る男が彼の家庭教師として雇われた。王国の人間とは異なる、一風変わった衣装でフラリと王宮に現れた賢者は、あっという間にアレグラスの心を掴んだ。王宮内では、賢者の賢者らしからぬ伝法な物言いに眉を顰める者も少なくなかったが、生まれや育ちで差別しない、貴族であろうが平民であろうが分け隔てなく接する賢者の姿に、アレグラスは心惹かれたのである。


 賢者が王宮に来て間もない頃、辺境の地に現れたドラゴンが人々を襲っている、という報せが届いた。アレグラスは父王にドラゴン討伐を願い出たが、次の戦争を間近に控えたブライアス王は、皇太子の願いを一顧だにしなかった。アレグラスは、困っている国民を何とか助けたかったが、彼にはまだ力はなかったのだ。

 それを見ていた賢者が、ある朝、「ちょっくら行ってくらぁ」とアレグラスに告げ、目的地も明かさぬまま一ヶ月ほど行方知れずとなった。そして、賢者が王宮に戻ってきた時、彼はなんとドラゴンに乗っていたのだった。


「おう、今けぇったぜ」


 老人にしか見えない賢者がひらりとドラゴンから降りて、何事かと集まった王宮の人々に挨拶した。賢者が帰ってきたと聞いて飛び出したアレグラスも、彼が乗ってきたドラゴンを見て言葉を失った。


「よぅ、アレグラス。なしは着けてきたぜ」


 なんと、賢者は単身、ドラゴンたちの住む山に乗り込み、人を襲うなと直談判したらしい。


「ひでぇ話さ。こいつら人間のことなんか、これっぱかしも気が付いてなかったんだってよ」


 賢者曰く、ドラゴンは人を襲ったのではなく、ドラゴンが通る場所にたまたま人がいたり村があったりしただけだったのだという。人が歩く時に、いちいちアリの被害を考えないように、ドラゴンにとって人はどうでも良い存在だったのだ。

 当然、賢者が直談判したときには、ドラゴンも無関心であり、注意も払わなかったらしい。それをどのようにしたものか、賢者は明らかにすることはなかったが、竜の王ドラゴンロードたる古代竜エンシェント・ドラゴンと約定を結び、ドラゴンに人を襲うことを止めさせたのだ。それでも共存、とならないところが、ドラゴンドラゴンたる所以なのだろう。


「世話になったな。ゴクエンあいつによろしく伝えてくれ」


 自分を王宮まで連れてきたドラゴンに賢者がそう声をかけると、ドラゴンはひとつ大きな叫び声を放つと、翼をはためかせて虚空へと消えていった。


 その頃、戦争準備のために国境へと赴いていたブライアス王は、一言、「ドラゴンが使えれば、いくさが楽になったものを」と呟いた。


 アレグラスは、ドラゴンを説得し人との約定を結んだ賢者に絶対の信頼を置くようになった。心酔した、と言ってもいいだろう。賢者もまた、水を吸う真綿のように知識を吸収しようとする皇太子を憎からず思っていたのだろう、後に王国の地盤を強固な物とする、さまざまな知恵をアレグラスに教えていった。その中のひとつが、王国内の村々を繋ぐ街道と一里塚テンサだと言われている。

 そして三年が過ぎる頃、賢者は「もうおいらの役目は終わったよ」と言い残し、アレグラスの引き留める言葉を振り払うようにどこかへ消えていった。


 すでに成人となっていたアレグラスは、師である賢者の教えを守り、さまざまな物事を自分の目で見て回った。戦場も、占領した土地も、辺境の村も、王都の片隅も。王国のどこに行っても、暗い雰囲気が漂っていた。あきらめと後悔と怨嗟と怠惰。人々の中から生きる希望が失われていた。このままでは、たとえ大陸を統一したとしても、王国の滅亡は近い。アレグラスはそう確信した。


 大陸統一という野望しか見えない父を横目に、アレグラスは地盤を固め協力者を募っていった。

 いよいよ南の小国群を攻め落とすべく兵を挙げる、と決まったその晩、アレグラスは久方降りにブライアス王の部屋を訪ねた。挙兵を止めさせるためであった。


「王よ、国内の様子に目を向けてください。民は飢え、戦に飽いております」

「息子よ。お前は賢い。……が、未来が見えて居らぬ。この戦が終われば、大陸はひとつとなり戦はなくなるでろう。そうなれば、皆が安心して暮らせる世が来るのだ」

「いいえ、たとえ南の国々を滅ぼしたところで、そのような世にはなりません。父よ、聞いてください。人が、あまりにも多くの人が死んでしまったのです。我が国ヴェルセン王国は、もはや国を維持する“体力”がほとんど残っていないのです」


 皇太子の言葉に、ブライアス王は眉を顰めた。


「ふん、あの賢者の入れ知恵か。あのような者を王宮に入れるのではなかった。今からでもとらまえて牢獄にでも入れるか」

「何をおっしゃるのです! 師は――賢者は関係ありません! 私がこの目で見て、感じたことなのです。王よ、今一度、どうか今一度、再考願えませぬか?」

「くどいっ!」


 王は立ち上がり、息子をしかり飛ばした。


「大陸統一は、我が悲願である! それを邪魔するというのであれば、息子と言えど容赦せぬぞ!」

「そう、父上の願いは大陸統一だ。であれば、南の小国を併呑しても、その野心は収まらず、禁忌の地へも兵を送ることになるだろう。そうなれば、この世は終わりだ」

「ふんっ! 過去の亡霊共が何を怖れたかは知らぬが、禁忌など迷信に過ぎぬ――そうとも。人の住まう地を平定した後には、禁忌とされる西の地も、ヴェルセン王国の版図となるであろう!」

「父上、あなたという人は……」

「もう、話すことはない。さっさと去るがよい」


 皇太子は、座っていた椅子からゆっくりと立ち上がると、決意を秘めた眼差しでブライアス王を見据えた。


「残念です、父上」


 彼はそう言って、懐から取り出した鐘をチリンと鳴らした。とたんに重武装した兵士が何人も部屋になだれ込んできた。


「何者っ! 王の居室であるぞ! 衛兵、衛兵はどうした!」

「ブライアス王よ、お静かに。貴方には退位していただきます」

「な、なんだと!」


 アレグラスは、寂しそうに小さく呟く。


「こんなことはしたくなかった……だが、こうなった以上、私はすべての罪を受いれましょう。王国のために」

「おのれっ! 血迷うたかっ!」


 ブライアス王は、腰の剣を抜き放とうとしたが、飛び出してきた兵士に腕を掴まれ、身動きができなくなる。王は、面あてごしに兵士の顔を見て驚く。


「突撃隊長! お前、まさかっ!」


 紛れもなく、先陣を切って戦場に飛び込み、数々の武勲を挙げてきた歴戦の勇士であった。


「お静かに」

「どうしてお前が……」


 驚愕する王の耳元で、突撃隊長は悲しげに呟く。


「あまりにも多くの部下が死にました。そして、私はあまりに多くの命を奪い過ぎてしまった。もはや罪を償うことはできないでしょう。が、あなたと共に逝くことはできます。王国のために」


 その言葉に、王はがっくりと膝を落とした。そして、引きずられるようにして、部屋から連れ出された。


□□□


「私たちで言うと、クーデターですね」

「アレグラス皇太子にとっても辛い決断であったろうよ。彼は心優しき人であったと伝えられて居るでな」


 王国の過去を話し終えたヘルスタット王は、深々と椅子に座り直した。迫田さんが、すっと紅茶を注ぎ入れたカップを差し出した。こういうところは見習いたいところだわ。無理だけど。


「その後、アレグラス皇太子はどうしたのですか?」

「父親を退位させ、自らが新王となると、改革に大なたを振るったよ。まず、挙兵を取りやめ、南の国々との和平交渉に入った。同時に、不正に蓄財していた貴族を一掃。これで多くの貴族が処断され、あるいは国外へ追放されたという。おかげで、今も貴族の数が足らぬ。人的資源ヒューマンリソースとやらがな」

「街道の整備は、アレグラス王が?」

「うむ」


 迫田さんの問いに、ヘルスタット王が頷く。


「街道を整備することで、民に仕事を与えた。国庫は空に近かったらしいが、貴族の不正蓄財分でどうにかなったらしい」


 そうか。王国は一度危機に陥っていたのね。


「そなたの質問は『なぜ王国は他国を侵略せぬのか』であったな? 単純な話、我だけでなく、これまでの歴代王が、アレグラス王の言葉に従ってきたまでのこと」


 内政を疎かにすれば国が傾く。また、巨大すぎる組織は、時を経ずに崩壊する。王国を末永く存続させ平和に暮らしていくためには、他国の侵略ではなく、自らの国を豊かにすることを優先せよ――簡単に言ってしまえば、アレグラス王の政策はインフラ整備と内需拡大に重心を置いたものだ。どうも私たちは、魔法のある中世世界のような異界この世界を、よくあるファンタジー世界と重ね合わせ過ぎていたのかも知れない。でも、なんだか、違和感があるのよね。今の会話の中にも、なにか引っかかることが――。


「いずれにせよ、アレグラス王が行った数々の政策によって、王国は持ち直したと言えるのだ。故に、の王を“賢王”と呼ぶ者も多いのだ。また、不正や汚職を許さず、不良貴族や汚職官僚を躊躇亡く処断したことから、“断罪王”などとも呼ばれておる」

「“中興の祖”とも言えますね」

「ニヴァナでは、そんな言い様もあるのか。ふむ、なるほどな、おもしろい」


 私が頭の中で思考を巡らせている間にも、ヘルスタット王と迫田さんが会話を続けていた。どうやら、重要な話はこれ以上ないようだ。


「陛下、重要なお話をありがとうございました。疑問が少し晴れた気がします」

「そなたはまことに満足というものを知らぬな。まぁよい。知りたいことがあれば、ここにいるエイベンなり、マルナス伯爵夫人に聞くがよい」


 ありゃ、夫人を通じた情報収集もバレていたか。そうね、夫人にも賢王について、もっと聞いてみたいわ。賢者についても、ね。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る