記憶の歯車

深夜 うみ

本編

 大学の夏休みのある日、僕は部屋の片づけをしていた。

 いつも暇になると定期的に掃除とかしていたのだけど、最近は少々サボり気味だった。


 掃除をするとき、僕は必ず自分の部屋から掃除をしていた。

 別にこだわりっていうわけじゃないけど、なんとなく。


 懐かしいものを見つけた。

 段ボールに雑に入れられたおもちゃ達。

 そういえば、ここに引っ越してくるときに持ってきてたんだっけ。


 僕は、懐かしいものを見ると、とても心が落ち着く。

 そのときの風景とかそういうのが頭にふわっと浮かび上がる感じがとても好きなんだ。

 雑にしまわれた段ボールには、おもちゃの他にも絵本が何冊か入っていた。


「懐かしいなぁ」


 そう、思わず声が漏れた。


「ん?」


 絵本を閉じ、おもちゃを漁っていると、奥から一つのオルゴールが出てきた。

 僕はこのオルゴールに見覚えがなかった。

 透明なケースの先に見える金色の歯車と、とても小さなピンがついたシリンダー。


 いつ、どこで、このオルゴールを手に入れたのか、全く思い出せない。

 その他のおもちゃは、驚くほど鮮明に思い出せるのに。


 僕は試しに、そのオルゴールのゼンマイを回した。

 ジリジリという音の後、あの優しい音色が聴こえてきた。

 僕は静かに目を閉じて、その音色に耳を預ける。


 その瞬間。


「……あれ」


 目を開けると、そこは何やら病院の天井だった。

 僕は病室のベッドで寝ていた。隣には看護師さんがいた。

 胸が高鳴るのを覚えた。


「あ、目を覚ましたんだね。今日はどんな夢を見たの?」


 にこっと笑う看護師さん。たしか名前は——


「今日はね、ゆうきお姉ちゃんの夢を見たよ」


 当時、僕は10歳。小学5年生だった。

 そんな僕にいつも寄り添ってくれたのは病室によく来てくれた看護師のゆうきさんだった。

 僕は、交通事故で頭を強く打ち、一部記憶障害を起こしていた。

 それでも、両親のことはしっかりと覚えていたし、幸い生活に支障が出るレベルではなかった。

 ゆうきさんは両親が共働きなのを知ってか、いつも寂しそうにする僕のそばに寄り添ってくれていた。

 そんなゆうきさんを僕は「お姉ちゃん」と慕っていた。


「えっ、私の夢?」

「うん、ゆうきお姉ちゃんが僕の家に来てね、おいしいご飯を作ってくれる夢」

「そっかぁ、お姉ちゃん何作ってくれた?」

「玉子焼きとチャーハン」

「すごいね、どっちもお姉ちゃんの得意料理」


 ゆうきさんはふふ、と笑ってみせた。

 僕はゆうきさんの優しい笑顔が好きだった。


 ある日、ゆうきさんが僕にあるものをくれた。


「【僕】くん、お姉ちゃんからプレゼントあげる」


 その時、なぜかゆうきさんは小声で言った。

 そうして、僕にオルゴールをくれた。


「ありがとう、ゆうきお姉ちゃん」

「どういたしまして。本当はね、患者さんに物をあげたりしちゃいけないんだけど、【僕】くんだけ特別」


 すごくうれしかった。

 僕だけにくれたオルゴール。


「ここ、回してごらん?」

「このゼンマイ?」

「そう」


 ジリジリ、という音の後にとても柔らかく、でも切ない音色が聴こえてきた。

 僕は、その音に耳を預けた。


 目を覚ますと、そこにゆうきさんはいなかった。


「あれ、ゆうきお姉ちゃん?」


 名前を呼んでも、返事はない。

 僕は目をこすった。すると、手が濡れた。

 僕は泣いていた。


 そこで、意識はすっと切れた。

 19歳の僕は、手に持っていたオルゴールを強く握りしめていた。

 それに気づいて慌てて力を抜く。


「そうだ、思い出した」


 オルゴールを聴かせ、僕が寝たのを確認してゆうきさんが病室を後にしたとき、突然彼女は廊下で倒れてしまったのだ。

 幸い、大事には至らなかったが、過度な労働が原因だったという。

 僕がその話を聞いたのは、退院してから2日後のことだった。

 僕とゆうきさんの仲が良かったことを考慮した他の看護師さんが、実家に電話で教えてくれたのだ。


 あれから約9年が経つ。

 未だにゆうきさんがどこで何をしているのかはわからない。


 そして、なぜ僕がこのオルゴールの記憶だけ忘れてしまっていたのか。

 それはきっと、思い出したくなかったのだろう。

 ゆうきさんに何かあったらどうしよう、そんなことばかりが幼き僕にはちらついていた。

 今、すべてを思い出して、再びゆうきさんのことが頭に浮かんだ。


 いつ、出会えるかわからない。

 もしかしたら、もう死ぬまで出会うことはないかもしれない。


 それでも、いつか出会えた時に恥ずかしい僕でないために。

 胸を張って生きよう。


「今日の夜ご飯は、玉子焼きとチャーハンだな」


 そう言って僕は、段ボールを奥にしまった。

 オルゴールは、ベッドの横にある机の上に置いて。

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記憶の歯車 深夜 うみ @s_xxaoi2

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