第2話 舞踏会入り、

コツコツと窓を叩く音でふと目を覚ました。時計を見ると時刻は午後の九時だった。


 四月になったばかりで、まだ夜は少し肌寒く感じる頃だというのに服がぐっしょり汗で濡れていた。なにか、恐ろしい夢を見ていた気がする。


 ベッドから降りると窓に近づいてカーテンを開いた。何度も窓をコツコツと叩いていたのは雨だった。咲いたばかりの桜が街灯に照らされて散っていた。開花宣言がされてからまだ一週間も経っていないところをみると、今年は花見の期間が短くなるかもしれない。桜を売りにしているこの街にとっては痛いことだろう。


 カーテンを閉めると服を脱いだ。汗を吸った服は肌にくっついて気持ちが悪かった。脱いだ服を片付けに洗濯機のある一階に降りる。洗濯物を片付け部屋に戻ろうとした時、廊下に微かに光を漏らしている部屋があった。その部屋は仏壇の置かれた部屋だった。少し開いていた襖から中を覗くと仏壇に手を合わせているばあちゃんがいた。じっと身動ぎ一つせずに手を合わせているばあちゃんを見て僕は何故か、少し怖く感じた。その時感じた胸を抉るようなその恐怖の意味を僕は何かわからなかった。ただ足早にその場を離れたかった僕は、足音を殺すようその場を後にした。

 その去り際、ばあちゃんの目から溢れた雫に僕は気づかないふりをした。


 ただの洗濯機から部屋までの往復に変に疲れていた。首筋にかいた汗をタオルで簡単に拭って僕は倒れ込むようにベッドに入った。

 そして直ぐに眠りに落ちた。



卍卍卍



 高一の夏、その日は酷く暑かった。部活帰りに仲間と涼みに行こうと近くの川に行き遊んでいた。今思えば何が楽しかったのか水切りをただひたすら時間を忘れてやり続けていた。


 気づいた時にはもう日が落ちていた。各々が急いで帰って行く中僕も、暗くなった帰り道を足早に帰っていた。 

 家に着くと一階も二階も電気が消えていた。車は残っていて出かけた様子もなかった。


 玄関のドアに鍵はかかっていなかった。中に入ると急に嫌な予感に襲われた。靴を脱ぐのも忘れ、土足のまま上がり込み少し空いていたリビングのドアを開けた。デカい何かに引っかかって冷たい水かなにかの上に倒れ込んだ。慌てて手探りで立ち上がりドアの近くの明かりのスイッチを探した。今では時々そのスイッチが見つからなければ良かったと思う。そのスイッチを押さなければその結果にならなかったのではないかと……、そんなことはないのだが。


 明るくなった部屋には父と母が倒れていた。床には信じられないような量の血が流れ出ていて赤々と床を染めていた。散乱した衣類、書類、食器。綿の出たソファー。でも、その中で酷く歪んだ母の顔だけは忘れられなかった。


 最後にはその顔が迫ってきて口が動く。

『   』、その言葉は声にならずただ僕の目に焼き付いた。



卍卍卍

 

 ハッとして目を開いた。夢から目覚めた、そう思った。

 しかし、周りを見渡すと自分の部屋ではなかった。立ち上がり当たりを見渡す。だが、そこには何も無く白い空間が四方にひたすらに続いていた。


 「随分うめいてたね。苦しそうだったよ」


 その声は僕の目線よりも低いところから聞こえてきた。まるで子供のようなそいつはネズミの被り物をしていた。まるで夢の国のあれのように。


 「僕はムーだよ。夢て書いてムーてみんな呼ぶんだ」


 「ミッキーじゃないんだ」


 思わずそう口にするとムーは大きく手を振り上げて分かりやすく怒り出した。


 「ちがう! みんなそうやって言うんだ! 第一僕はあんなイキった顔はしてないよ!」


 ミッキーの顔がイキってるかどうかは知らないがネズミという以外その被り物に共通な点がないのは確かだ。


 「全くあんなのと一緒にしないで欲しいよ。僕はこの夢の国の案内人なんだ。君みたいな迷い人を案内するためのね」


 「迷い人?」


 聞きなれない言葉に思わず聞き返した。


 「付いてくれば分かるよ」


 そう言うとムーはテクテクと先を歩き出した。数メートル進んだ先で急に立ち止まった。


 「ここから入るよ」


 そこは他と何も代わり映えのない白い空間だった。


 「何も無いじゃん」


 そう言った矢先ムーが何か銀色の丸いドアノブのようなものを取り出して言った。


 「作るんだよ」


 ガチャり。白い空間が長方形に切れてドアとなって現れた。


 「行くよ」


 口を空けて呆然としている僕に急かすようにするようにムーが言った。慌てて後を付いていくと強い光が目に飛び込んできた。眩しさのあまり目を半開きのまま歩いていると人とぶつかりそうになって慌てて避けた。もう数歩進んどところでまた慌てて避けた。人の多い場所なのだと分かって下手に歩けないなと思って下がろうとした時グイッと腕を引っ張られた。


 「おい、ウロウロするな」


 やっと光に慣れてきた目で見るとそこにはムーがいた。


 「邪魔するなよ。彼らの邪魔をされると夢の国のバランスが崩れるんだ」


 彼らとはなんだ、という顔をしていると後ろを見ろと指をさされた。

 後ろを振り向くと目を見張る鮮やかな世界が飛び込んできた。


 高い天井に吊り下げられたのは本物の蝋燭を何十本と着けられたシャンデリアだった。キラキラと光るその光が窓に嵌められた色とりどりのガラスに反射し、鮮やか光がフロアを照らしていた。そのフロアには色鮮やかな衣装を着た男女が仮面舞踏会を繰り広げていた。


 「彼らは夢の国の住人。君らが普段見る夢に住む者達だよ。君はその彼らの住む世界に迷い込んだ迷い人。そしてその迷い日とを導く案内人が僕、ムーなのさ」


 「これ、夢だよな」


 ボーッとその世界に見とれている僕にムーは続ける。


 「君が見ているこれは確かに夢だよ。でも、これは夢であって夢じゃない。君の記憶に無いもの、君の現在の確かにしている体験だよ」


 その言葉を上手く噛み砕けずに彼を見た。


 「夢の住人たちは仮面を付けているんだ。僕も被り物をしてる」


 そう言ってムーは、自分の頭を軽く指で弾いた。


 「そして、君たち迷い人は仮面を付けていないんだ。ほら、彼女を見てごらん。彼女は今この世界に唯一いる君以外の迷い人だよ」


 ムーの指してほうを見ると直ぐに仮面の付けていない少女を見つけた。部屋の隅で座り込んでいる彼女はジーッと踊る夢の住人達を見ていた。見覚えのある顔であった訳でもないのに僕は何故かジーッと彼女の顔を見つめていた。そんな僕の視線に気づいたのか彼女がこっちを向いて目が合った。隣でムーが彼女に向かって手を振った。それに応えて彼女も小さく手をヒラヒラと振っていた。


 彼女は立ち上がってこっちに向かって歩いてきた。彼女が目の前に来て口を開いた時彼女が消えた。

 

気がつくと自分の部屋のベットの上にいた。



 夢の国が夢であるなら目覚める時もまた夢のように唐突なのだった。

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桜散る木の下で仮面の舞踏会を 雨翠 潤 @-MInazuki-6

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