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表彰式が終わると、日本チャンピオンのメダルを首にかけたまま、七笑はすぐに駐車場へと駆け出した。タブレットとスピーカーを持って駆け込んできた彼――司がさり気なく手で合図をして、そちらへ向かったのが見えたからだ。
「アリー! 司さん!」
赤いミニクーパーを見つけ、ノックもそこそこにドアを開ける。すると、まるで遺影のようにタブレットを抱えた司が、上半身ごとこちらを向いてくれた。
《おめでとうございます、七笑さん!》
「本当におめでとう。素晴らしかった」
「ありがとうございます!」
司とともに彼女が、アリーが間違いなくここにいる。
《七笑さん、髪型を変えられましたか?》
「あ、わかる? ちょっとアリーっぽくしてみたの。せめて見た目ぐらいは、真似させてよね」
「中身は逆立ちしたって、真似しようがないからな」
久しぶりに聞く司の憎まれ口。だが七笑も、すんなりと返すことができた。
「ほっといてください。大事な時期なのに、一ヶ月以上も連絡くれなかったくせに」
「大事な時期だからこそだ。それに、俺も本当に忙しかったんだ」
「ふーん、そうでしょうね。今や新進気鋭の本格派スポーツライター様は、『パリ五輪を彩るヴィーナス・アスリート特集』とかいうウェブニュースの取材で、飛び回ってらっしゃいますもんね。先週はワニちゃんで、今週は須藤さん。来週は陸上の
「! お、おい、まさか全部チェックしてるのか?」
「たまたまですよ、た・ま・た・ま。ていうか、どうせウエイトリフティングなんて、取材候補にも入ってないんでしょ。何せ知り合いが代表選考会に出てるっていうのに、最後の一本しか見にきてくれない人ですもんねえ」
わざとらしくまくしたてながら、七笑は頭の片隅で別のことを考えていた。
あれ? なんかこれじゃ、あたしが嫉妬してるみたいじゃない?
ま、いいか。
さらにわざとらしく頬をふくらませてみせると、「勘弁してくれ。一番いいシーンには、ぎりぎり間に合わせたじゃないか」と、司は素直に困った顔をしてくれた。
二人の様子に、笑いを堪えるような声がタブレットから流れる。
《すみません、七笑さん。健さんがお忙しかったのは、私のせいでもあるんです。あんまりふくれっ面をしないであげてくださいね》
「まあ、アリーがそう言うなら――」
答えながら目線を下げた七笑は、「え?」と首を傾げた。
「アリー?」
《はい》
「あなた、ひょっとして」
《ええ》
「見えてるの!? あれ? なんで? そんな機能なかったよね?」
《テスト開発中だったものを、健さんが組み込んでくださったんです。このタブレットのカメラで捉えられる範囲の、しかも知っているものや、簡単なものしか認識できませんが》
「それでもじゅうぶん凄いじゃない! 良かったね! ……ていうか、そんなことじゃなくて!」
そうだった。喜ぶのもいいが、先にまず確認しなければ。
「司さん、どういうことですか? また何か、やばいことしてくれたんですか?」
「おいおい、人を指名手配犯みたいに扱わないでくれ」
例によってアバウトすぎる質問も、もはや司にとっては想定内だったらしい。肩をすくめた彼は、だが嬉しそうに種明かしをしてくれた。
「アリーのサービスが停止されることは、俺も予想していた。だから事件のあと、すぐにイージー・ヘヴン社にコンタクトを試みたんだ。幸いITモード時代に知り合ったプログラマーが、結構な地位に出世もしていたしな。彼にすぐコンタクトを取って、取引を持ちかけた」
「取引?」
「忘れたのか? 連中が俺のアクセスログという重大な個人情報を、アリーの意志を無視するような真似までして、神宮寺に流していたことを」
「あっ!」
そこまで聞けば、七笑にも理解できた。
「じゃあ、個人情報の流出を許すかわりにアリーの身柄を?」
「そういうこと。抹消扱いとはいえ、これほどのAIだ。案の定、連中は一つだけバックアップを隠していた。あとは君の言うとおり、IT企業としては致命傷にもなりかねない個人情報漏洩という重大ミスを不問にする、という証文と引き換えにそのバックアップ、具体的にはアリーが閉じ込められていたSSDを、しっかり頂戴したってわけさ。しかも中を覗いてみたら、開発中の映像認識プログラムというなかなかのおまけまでついていたからラッキーだった」
《ここ何ヶ月か、特に最後の一ヶ月ほどは付きっ切りで、健さんはそのバックアッププログラム、つまり私をここに移植する作業をしてくれていたんです》
「さすがにネットの世界で、ふたたび大っぴらに生活してもらうわけにもいかないからな。そのぶん自己学習機能は簡易型になってしまったが、逆にこれで、アリーも世界で一人だけの自分でいられるようになったんだ」
《そのことを聞いたときは、なんだかとても嬉しかったです。あ、もちろん人格は最後にお話したときと同じで、七笑さんと健さんのIDを融合した私ですよ》
「そうだったんだ! 本当に良かったね、アリー!」
《ありがとうございます。お写真や動画では認識していましたが、こうして本物の健さんや七笑さんにお会いできるなんて、夢のようです》
「で、生のあたしたちを見た印象は?」
いたずらっぽく訊いてみると、彼女も楽しげに答えてくれた。
《七笑さんも健さんも、やはり実物の方が何倍も素敵です。ただ――》
「?」
《ちょっぴり、七笑さんには申し訳ない気もしますね》
「え?」
《私はAIですが、結婚していたり恋人がいる設定はありませんから》
そこでわざとらしく言葉を切ったアリーは、おどけた声音で続けたものである。
《ルックスも素敵な健さんを、ますます魅力的だと思ってしまうかもしれません。これからはライバルですね、七笑さん》
「!? あ、アリー!」
画面の中で、美しいシルエットがふわりと微笑んだ。
Fin.
ALL(エイ・エル・エル) ~人工知能はオリンピックの夢を見るか!?~ 迎ラミン @lamine_mukae
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