中量級のスーパースターたち(21年6月28日、更新)
夏希ヒョウ
プロボクシング史に残る、中量級のスター選手たち。
★中量級の黄金時代は1980年代といわれています。
それは、1981年9月に(WBA・WBC)統一ウエルター級世界タイトルマッチ「シュガーレイ・レナードvsトーマス・ハーンズ」から始まりました。
報酬もレナードの最低保証が1200万ドル。(当時1ドル=220~249円で、大学初任給が11万円)
厳密にはその前の「レナードvsデュラン」の2戦がプロローグです。(負けたレナードがリベンジ)
これは後にも記述しますが、グレイテスト・モハメッド・アリが引退(1981年12月)する頃ヘビー級に、彼に代わるスター選手がいなかったことと無関係ではないと思いますが、ボクシングの転換期だったのかもしれません。レナードやハーンズ、デュラン、ハグラーの出現で、初めて中量級に脚光が浴びました。
しかし、実力的には1990年代のロイ・ジョーンズ、バーナード・ホプキンス、ジェームス・トニー、ジェラルド・マクラレン、マイク・マッカラムたちのほうが上だと思います。(同じミドル級であっても)
それでもレナードたちの登場でウエルター&ミドル級にもヘビー級同様の人気が出ると、その後は6階級制覇・デラホーヤが登場。トリニダードやメイウェザー、ホプキンスたちとビッグファイトを演じます。
そして、やがてはフェザー級までも米国ではメジャーなクラスになりました。「悪魔王子」ナジーム・ハメドの登場や軽量級王国のメキシコ勢の激闘がファンを熱狂させたのです。
2010年に入ると、ミドル級は(強いけど地味な)ゴロフキンの一人天下のシーンが長く続きますが、アルバレスとの決戦で注目を浴びました。
そんな中量級は、《地球が揺れる日》と銘打たれたボクシング史上最大の「メイウェザーvsパッキャオ」が世界中の注目を浴びるまでになりました。
……以上、2021年7月25日。
マニー・パッキャオ(フィリピン)は、ブラッドリー(米国)との第3戦(ラバーマッチ)をダウン二度を奪う大差判定で快勝、試合後のインタビューでは『やり尽くした表情』で引退を示唆した。2016年4月。
(しかし、それから7ヵ月後の11月7日復帰戦)
WOWOW:LIVE中継での番組のラストでは、パッキャオの数々のKOシーンや(彼の)子供時代、そしてプロデビューの頃と思われるファイティングポーズの写真が何ともいえず感慨無量でひとしお、感動すら覚えた。
デビュー当時? のファイティングポーズをとるパッキャオの、まだあどけない表情から、その後の活躍を誰が予想しただろうか。想像すらできなかったに違いない。
路上生活を強いられたという少年時代そのままの、あか抜けない田舎の雰囲気が漂う顔から、世界のスーパースター&国民的英雄に上り詰める未来を。
さすが、WOWOWの編集は上手いし凝ってるなと感心した。
ただ、どういうわけか(同じ六階級制覇の)オスカー・デラホーヤ戦は使用されず。
それは(生涯ファイトマネー・三百数十億の)デラホーヤが、スーパー・スターであったがゆえか?
パッキャオの最も痛烈なKOシーンといえば、2007年5月のリッキー・ハットン(英国)戦だが、この試合はマイナー団体のIBOライト級=スーパー・ライト級)世界タイトル戦だったために六階級制覇にはカウントされていない。
英国のスーパースターだったハットン(IBF&WBAのS・ライト級、WBAウエルター級王座獲得)は当時、同クラスでは最強の選手だった。
2005年、ハットンがIBFのS・ライト級を獲得した相手はコンスタンチン・チューで、あのメキシコの英雄・チャべスや(スピードスター)ザブ・ジュダーに勝ったチューを下した試合は、一躍ハットンの名前を世界中のボクシングファンに知らしめた。
そのハットンを、パッキャオは2Rに一撃で失神させてしまった。
その試合が開始されて早くも1Rにダウンを取った後、ハットンをコーナーに追い詰めるパッキャオを「いやー、信じられない(小泉さん)」と驚嘆した声が、当時のパッキャオの勢いを象徴していた。(パッキャオ自身も、このハットン戦がベストバウトだと日本のテレビ番組で発言する)
《六階級制覇》という数字が示す記録だけではなく、そのクラスで最強といわれた選手(王者)たちを文字通り叩きのめした実績が、彼をスーパースターへと押し上げたのである。(六階級目となったS・ウエルター級王者のマルガリートは、デラホーヤが避けたといわれる相手であった。しかも前日軽量が終わって、試合当日のパッキャオとマルガリートの体重差は8キロだった)
1998年、WBCフライ級王座を奪取するものの、99年9月、二度目の防衛戦で減量失敗(王座剥奪)、試合も3回KO負け。
三ケ月後に三階級上げて、WBCインターナショナル王座決定戦に勝利。(五度防衛で、五度目の防衛戦は2001年4月)
2001年6月、IBFのS・バンタム級に挑戦したタイトルマッチは、当初の挑戦者が欠場することになったため二週間前に代打として起用された。テレビの実況アナウンサーもパッキャオの名前を間違えるほど無名で、やはりそれは、いきなりの挑戦を物語っていた。
しかし当時、同クラス最強王者のリード・レジャバ(レドワバとも)にKO勝ちしたパッキャオに対し、解説の小泉さんが「まさかパッキャオが勝つとは思わなかった」と驚いていたのが印象的だが、彼の快進撃はここから始まった。
2003年11月、三階級制覇・王者のマルコ・アントニオ・バレラ戦2回対戦)が出世試合でそれを皮切りに、マルケス(計4回)エリック・モラレス(計3回)・ハットン・デラホーヤ・コット・マルガリート・モズリーその他、ビッグネームに勝ち続けていった。
バレラ(67勝(44KO)7敗1無効試合)戦は、リングマガジン認定世界フェザー級王座だったために、これも六階級制覇の外である。しかし、あの《悪魔王子》ナジーム・ハメドに初黒星を与え、当時41戦全勝の《恐怖の男》モラレスに初黒星を与えたりなど、バレラはメキシコの英雄だった。
戦前、「この試合はミス・マッチだ。今度こそ勝ち目はない」と予想された試合を、ことごとく見事に引っくり返していったのだから、ファンよりなにより関係者が一番驚いたに違いない。
《パックマン》という愛称は大物食いからきているが、いかにもパッキャオに相応しい。
1998年、実は彼は東洋フライ級・王者時代(WBC7位、WBA5位)に後楽園ホールで試合をしている。
結果は1RKO。
フィリピンより日本のほうが稼げるということでジムに所属を希望したが、ある会長に「強いけど花がない」と断られたらしい。
今となっては実にもったいない話だが、仮に日本のジムに所属していたらフレディ・ローチに師事することもなかったし、その後のパッキャオは同じように大成することもなかっただろう。
「花がなかった」はずのパッキャオだが、NHKスペシャルの六階級制覇・パッキャオ特集で取材を受けた【超大物プロモーター】ボブ・アラム氏が「モハメッド・アリのような輝きがある」と称賛していた。
あの時点で、会長の判断は正しかったと思う。対戦した日本人ボクサーも試合前は「インチキ・マジシャンみたいでオーラは感じなかった。絶対勝てる自信があったし相手(パッキャオ)は世界ランカーだし、おいしい試合だと思った」というコメント。
つまり、人間とは生まれ変わって別人になれる生き物ということである。
2ドルの報酬(ファイトマネー)を得るために年齢詐称までしたデビュー戦は ライト・フライ級(48,9キロ)だったパッキャオが、最も稼いだ試合はメイウエザー戦(ウエルター級:66,6キロ)
その試合報酬は、最終的にはメイウエザーが300億~330億、パッキャオが204億~228億円。(ボクシングビート誌)
両者合わせて六百億。(ボクシングマガジン誌)
もちろんこれは、ヘビー級を含めてボクシング史上最高額。
そういえばモハメッド・アリが引退した後に(ラリー・ホームズが不人気ゆえ)、低迷していたヘビー級に取って代わってシュガー・レイ・レナードが台頭して、トーマス・ヒットマン・ハーンズとのスーパーファイトを逆転KOで制し人気が爆発した階級もウエルター級だった。(1981年)
この試合は序盤から、長身で長いリーチを持つハーンズがレナードを追いかけて詰め寄るという優位な展開だったが、第6Rにレナードの左フックでハーンズがグラつきダウン寸前にまで追い込まれた。しかしその後、ダメージから回復したハーンズはアウトボクシングでレナードをコントロールし、再び優位に。このまま判定でハーンズが逃げ切るか? と思われていた13R、レナードが二度のダウンを奪い、14RでTKO勝ち。……というシーソーゲームだった。13R終了時点でのスコアは、ジャッジ三人ともハーンズ優勢。最大で4ポイントハーンズを支持していた。
ちなみに、ハーンズにとって五階級目となったL・ヘビー級戦の王者、デニス・アンドリュースは敗戦後に、「ハーンズのパンチはヘビー級でも通用する」と語っていた。(1987年)
(レナードvsハーンズの)前年の6月、ライト級から上げてきたロベルト・デュラン(パナマ)はレナードに判定勝ちした。この試合を記念して、パナマでは祝日《デュランの日》(しかしその後、廃止)
その後、80年代のミドル級・史上最強王者といわれるマービン・ハグラーを含めた中量級黄金時代の到来となる。
それにしてもパッキャオの報酬はフィリピンの貨幣価値からすれば(日本と比べると)10倍以上で、フィリピンの田舎のほうでは、1ヵ月1万円もあれば生活できるから、同じフィリピン人から見れば天文学的数字である。いったん引退したときは、パッキャオの試合をもう見ることができないと、フィリピン国民は悲しみに暮れていたに違いない。
なにせ彼の試合当日は国の経済が一時ストップし、約40年にわたる国の内戦(キリスト教vsイスラム教)が休戦、ほとんどの国民がテレビに釘付けになる。さらに犯罪もゼロになるらしい。
パッキャオには、これから政治家としても頑張ってほしい。フィリピンは大統領制、つまり国民投票によって決まるわけだから、彼が大統領になる可能性は充分にある?(ボクシングで六階級制覇→一国の大統領とは、凄い人生だ)
パッキャオはデラホーヤのようにイケメンではないし、またタイソンのような野獣性・凶暴性からくるスター的要素もない。
しかし、いったんゴングが鳴ると凄まじい突進力と爆発力で初回から倒しにかかる。それはいわゆる、一般的なボクシング・スタイルではない。
ガードを堅めて、まずはジャブの突き合い、相手の出方を見ながら試合を組み立てる……そして(主に軽量級の場合)パンチが急所(アゴ)に当たっても倒れることはない。それでもラウンドが進むにつれ、スタミナの疲労度とともに蓄積したダメージで、しだいにパンチが効いて……最終ラウンドのゴングを聞く前にダウンするか?
結局、ダウンシーンもなく顔だけは腫らしてリングを後にする……。
といった、およそプロボクシングとはいえない眠たい試合が日本人の世界戦で見られることがある。まるで睡眠薬のような……。
(見ているほうは、終了ゴングとともに「どっちが勝ったか?」ではなく「やっと、終わったよ」とタメ息)
しかし、それではプロとはいえない。
「あのパンチが当たったら、絶対に倒れるぜ」
といった期待感が生み出す緊迫……そんな手に汗握る緊張感が、ボクシングの醍醐味。しかし、それは単にパンチ力が強いというだけでなく、スピード・ディフェンス(防御)・フェイント(パンチやアイコンタクト)などの技術面もボクシングを堪能する要素になり得る。
しかし、あくまでボクシングの魅力はKOシーンであるし、さまざまな技術や駆け引きもKOにつなげる手段である。
ド迫力あるKOシーンを観たければ、
タイソンやハーンズ、レノックス・ルイス、パッキャオ、キース・サーマン、ショーン・ポーター、ジュリアン・ジャクソン、ジェラルド・マクラレン、ジョージ・フォアマン、ピピノ・クエバス……の試合では、そんな時間を体感できる。
ハーンズは(自身が初戴冠となった)、ウエルター級・史上屈指のハード・パンチャーで骨砕き男の「ピピノ・クエバス」戦、石の拳「デュラン」戦、当時無敗の「シュラー」戦で、その強さが垣間見える。
それ以外にも、17歳6か月で世界王者になった天才・ベニテス(Sライト~Sウエルター級まで制覇)戦では、長身&長いリーチをいかしたテクニックを堪能できる。
そんな闘争心あふれるボクサーに対抗するのが、歴史に残る伝説のカリスマ王者、モハメッド・アリ、レナード、メイウエザーのような華麗なるスタイルであることは皮肉といえるかもしれない。
『世界ミドル級タイトルマッチ』(1985年4月)
マーベラス・マービン・ハグラーvsトーマス・ヒットマン・ハーンズは、80年代最も強烈な衝撃を与えた試合といわれている。(レナードvsハーンズ第一戦とともに)
</span>それはハーンズが正面からハグラーと打ち合って玉砕したからである。
ハーンズは第1ラウンドに右拳を骨折していたらしい。
多くの人は「それはハーンズが弱いから」と切って捨てるが、痛めたのはアクシデントであり彼の実力とは別物。それに、ハーンズには別のスタイルで闘う方法もあった。長身とリーチを生かしたアウトボクシングである。
打たれ強さで勝るハグラーに対し、徹底したアウトボクシングをしていれば、また違った展開になっていただろう。しかし彼はそれをしなかった。というより、2R以降はアウトボクシングの場面もあったが結局は打ち合った。それは、ボクシングが格闘競技だからである。
つまり拳闘。
この第1ラウンドは、WBCでは80年代のベストラウンドとの評価を受けた。
「ハーンズ自身、ハグラーとは打ち合わなければならなかったと言っていた」と、佐瀬稔氏がテレビでコメントしていた。
それは、洗練されたアスリート・スタイルとはいえないかもしれない。
「勝つためにはリスクを負わない」メイウエザーとは明らかに違うハーンズのスタイルは、パッキャオにも通じるところがある。
それが、マルケスとの第4戦で(パッキャオの)失神KO負けという最悪な形となって表れた。
「いくらファンが熱狂する試合をしようが、負けたらしょーがない」のかもしれないが、そんなリスクを背負ってでも自分の(倒しにいく)スタイルを貫くからスター選手の資格が得られる。
「じゃぁ、メイウエザーはどうなの? 安全運転と揶揄されようが、史上最多の報酬(八百数十億+マクレガー戦の三百億)を得たのは彼だよ」とはいうものの、彼のテクニックは史上最高なのだから仕方ないのかもしれないが。(世界の超一流選手のパンチが当たらないという点は驚異的)
それに、(2015年に実現した)メイウエザーvsパッキャオは、2010年以前から対戦が期待されていた。パッキャオ側からのオファーだったが、メイウエザーはイチャモン(ドーピング疑惑)をつけて拒否し続けた。全世界のボクシングファンが待望していたにもかかわらず夢の対戦が幻に消えかけていた……それは、パッキャオが危険な相手だったからに他ならない。それから対戦に応じたのは、パッキャオの衰え具合を吟味して「今なら勝てる!」と判断したからだろう。さらに互いがピーク時を過ぎていたために、報酬(=人気の盛り上がり)が下がる懸念があっからだと容易に想像がつく。マネー(金の亡者)と冷笑される理由がそこにある。
もう一つ、デラホーヤのツイートによると、最終戦(50戦目)となったUFC王者・マクレガーとのボクシングマッチは、第10ラウンドに自分の勝ちに賭けていたという。
『完璧な防御は最強の攻撃』といわんばかりのメイウエザーに関しては、 格闘技としてのボクシングというよりスポーツのそれである。しかし、それこそがあらゆるスポーツ&格闘技で最も稼げるスタイルなのか?
メイと同じタイプの選手では《メイウエザー2世》といわれたエイドリアン・ブローナー(33勝24KO3敗1無効試合:S・フェザー級~ウエルター級=4階級制覇。2017年12月現在)や《アンタッチャブル(触ることができない)》パーネル・ウイテカ(40勝17KO4敗1分:ライト級~S・ウエルター級=4階級制覇)がいた。そんな天才的なブローナーやウイテカでも、キャリアの後半ではダウンも何度かしている。それを観たら、どんなタイプの相手のパンチも当てさせないというメイウエザーの見切りがいかに凄いか……。
レナードと同時期、スーパー・スターに成り損ねたドナルド・カリー(34勝25KO6敗=ウエルター級&S・ウエルター級王者)は、400勝4敗(404勝とも)のアマ戦績を引っさげてプロ入りし、ウエルター級の全盛期はレナードが対戦を避けたといわれるほど。ロイド・ハニガンに大番狂わせを期してから、(強豪の)S・ウエルター級のマイク・マッカラム、テリー・ノリスやミドル級のマイケル・ナンに苦杯を舐めた。
キャリア後半はトレーナーを替えたことが負けた原因だという説もあるが、だとしたら実に残念でもったいない話。
マイク・マッカラム(当時39歳)は1996年、ロイ・ジョーンズ《当時27歳、33勝29KO無敗で、ホプキンス(55勝32KO2分け2無効試合)やジェームス・トニー(77勝45KO10敗3分け2無効試合)に判定勝ちして乗りに乗っていた》と、WBCライト・ヘビー級暫定王座決定戦で対戦するが判定負け。オーソドックスで派手さはないマッカラムだが、玄人受けするテクニックを持って、S・ウエルター級~L・ヘビー級の史上最強の一角といっても過言ではない。
ジョーンズとの一戦は、不運にも年齢的にピークを過ぎていた。
ジェームス・トニーがミドル級(91年)とスーパーミドル級(93年)を獲得した相手は、マイケル・ナンとアイラン・バークレーという実力者だった。94年、IBFスーパー・ミドル級戦でジョーンズの挑戦を受けるが、判定負け。この試合後、二人のボクサー・ロードの明暗は分かれることになる。
史上最高の身体能力の持ち主といわれるロイ・ジョーンズだが、50勝無敗のまま引退したメイウエザーが、まだ売り出し中のころ『中量級のジョーンズ』と呼ばれていた。
その後、トニーはクルーザー級の王座を獲得。(3階級制覇)
そして、2003年ヘビー級に上げ、ホリフィールドに9回TKO勝ち。2005年、WBAヘビー級王者「ジョン・ルイス」に挑戦し判定勝ちするものの、試合後にドーピングが発覚。王座は、はく奪された。
2006年にはWBCヘビー級王者「ハシㇺ・ラクマン」に挑戦、0-1のドロー(引分け)というトニーは、凄いボクサー人生。
(個人的にはレナードの五階級制覇はインチキ。一つ一つの階級をそれぞれの王者たちと闘い、下していくことが複数制覇の意味だからです。しかし、新設されたS・ミドルとL・ヘビー級のWタイトルという変則マッチが通用したのは、それだけレナードがスーパー・スターだったという証でしょうが)
ジュリアン・ジャクソン(29勝27KO)vsマイク・マッカラム(26勝23KO)の全勝対決は、マッカラムの2R・KO勝ち。
試合は開始直後から凄まじい打撃戦で、2Rの30秒くらいにマッカラムが左フックでダウンを奪うと、その後は一方的。約1分間、防戦一方のジャクソンにレフェリー・ストップ。(あのジャクソンのパンチが通用しなかったのか? 確かに、クリーンヒットしなかったのは事実だが)
★87年11月、東洋の鉄人といわれた「白仁鉄(ペク・インチョル)vsジュリアン・ジャクソン」(ジャクソンの3R・KO勝ち)
ジャクソンは、それまで31勝1敗(29KO)。ジャクソン戦までの(白の)戦績は40勝1敗(36KO)で、意外にも1R、ジャクソンは足を使ってアウトボクシングをしたり、時折サウスポーになったりしていたのが印象的。
★89年7月、「ジャクソンvsテリー・ノリス」(ジャクソンの3R・KO勝ち。右のショートパンチ一発で失神KOに近い状態だったが、それまでジャクソンはノリスのアウトボクシングに苦戦していた)
★90年3月、WBC世界S・ウエルター級王者「ムガビ」vs「ノリス」(ムガビの初防衛戦、ノリスが開始50秒でダウンを奪い、その後も優位に進めて1R・KO)など、必見です❢❢
もう一つ、ミドル級の最強パンチャー同士の戦い、ジェラルド・マクラレンvsジュリアン・ジャクソン(1993年)――。
《ワンパンチ・フィニッシャー》のジャクソンを5RにKOした再戦は、またしてもマクラレンが1Rに仕留め、ハグラーやハーンズの次のミドル級はマクラレンの時代かと思われていました。最終戦績は、34戦31勝29KO3敗で、20回が1RKO。
1991年、WBO世界ミドル級決定戦で、あのハグラーと激闘を演じた《野獣》ジョン・ムガビを、マクラレンは初回KOで初の世界王者に。
(ムガビは、26戦全KOでハグラーに挑んだ。結果は11R・KO負けだが、あのハグラーの右顔面を大きく腫らし、口の中を血だらけにした)
マクラレンの、最後の試合となったS・ミドル級のナイジェル・ベン戦(1995年)は、初回にリングのエプロンまで吹き飛ばすダウンを奪い8Rにもダウンさせたものの、驚異的な粘りを見せたベンが10Rに大逆転のKO勝ち。
9Rに一度、マクラレンは自ら膝をつきレフェリーにファイトを促されますが、あの時点で彼は、意識が朦朧としていたようだった。10Rの試合終了も、パンチでダウンしたわけではなく、ダメージの蓄積で心が折れた状態だった。その直後、コーナーでこん睡状態となったマクラレンは、タンカで運ばれ生死の境をさまよった。一命は取りとめたものの、失明と下半身不随のために、今でも車いすでの介護生活を強いられています。
この試合、クリンチからのベンによる執拗な後頭部へのパンチや、スイング気味に放たれるベンの右パンチ(ラビットパンチ)がマクラレンの後頭部に当たる場面が再三あった。さらに、レフェリーも数度の注意に留まるのみ。
……そんな、色んな不運が重なっての「リング禍という最悪の結果」となってしまいました。アゴと鼻骨を骨折したベンも、試合後は入院して、数日間は動けなかったそう。まさに死闘。
マクラレンがこの試合を勝利で乗り切っていたら、ミドルからヘビー級まで制したロイ・ジョーンズやホプキンスたちとのビッグマッチが期待されたのに。
だいぶ前の話ですが、「今までWOWOWが放送した試合の中で、一番凄い試合はベンvsマクラレン」(ジョー小泉さん談)
『ミドル級・史上最強』はハグラーを推す人が多いと思いますが、個人的にはマクラレンです❣❣
ヘビー級まで制したロイ・ジョーンズや、最年長王者獲得記録(49歳3か月)を持つホプキンスも最強の一角ですが、打たれ強さの面でジョーンズはハグラーより劣る。(ジョーンズvsホプキンスは1勝1敗)
ボクシング界の、これからのスーパー・スター候補は、ミドル級のゲンナジー・ゴロフキンとサウル・カネロ・アルバレス。ヘビー級のワイルダーとジョシュア。そして、ウエルター級の各王者たち。
2017年9月の、ゴロフキンVSアルバレスを見て「これが今のミドルの頂上決戦か?」と、少しガッカリしました。打ち合いといっても身を捨てての壮絶なものではなく、あくまで力をセーブして、(自分の)身を守りながらであり、ハグラーvsハーンズとは比較になりません。
ミドル級王座の防衛記録は数字の上で、ゴロフキンはハグラーより上ですが、実力ではハグラーやハーンズ、マクラレン、ロイ・ジョーンズ、ホプキンスたちに勝てるとは思えません。
しかし、翌年の9月17日の再戦では、迫力ある打ち合いが見ごたえ充分で面白かった。来年の第3戦が期待されます。
(2018年)現在、ウエルター級はキース・サーマン、ショーン・ポーター、ダニー・ガルシア、エロール・スペンス、テレンス・クロフォード、そしてパッキャオ。
各クラスをおしなべても、これだけ優秀な王者&選手がそろっているクラスは他にはありません。スペンスはメイウエザーの後継者、クロフォードはパウンド・フォー・パウンドという評価を受けています。
それ以外にも、エイドリアン・ブローナー、ジェシー・バルガスなどの強豪&古豪、さらにこれからのニュー・ウエーブも虎視眈々と上を狙っていることでしょう。
2016年のサーマンvsポーターは僅差(ジャッジ3人とも115₋113)でサーマンが勝利しましたが、この試合はシビれます❢❢
★2018年10月24日、ジョー小泉さんのコラム《ボクシング・ウィークリー》(スポーツ報知)を紹介します。
『メイウエザーvsレナード❕❓』
米国の専門誌・リングが「もし二人が戦えばどちらが強い?」というテーマで10ページの特集を組んだ。
メイウエザーは1996年~2017年まで、50戦全勝27KO。
レナードは1977年から97年まで、36勝25KO3敗1分け。
同誌は、メイウエザーの卓越したディフェンス技術を認めながらも、レナードが上回る戦力を挙げる。
1、相手が仕掛けてきた打ち合いに応戦して打ち勝てる。(メイウエザーには攻防分離の傾向がある)
2、試合終盤の攻撃力、スタミナが優れている。
両者のパンチ力を比較して、「メイウエザーもパンチ力があるが、レナードは一点集中力、特に左フックのパワー、および連打力で上回る」と分析する。
結論は「レナードの3-0で判定勝ち」である。
……この記事を見る前に、レナードが世界王者になる前の試合をYouTubeで観戦。これを観たら、レナードはスーパー・スターに成るべくして成った! と実感するでしょう。
ウエルター級でこの迫力あるKOシーンを見せつけられたら、S・フェザー級から上がってきて、ウエルター級では多くが判定勝ちのメイウエザーは不利。とはいえ、メイはカネロに判定勝ちしているし、対レナード戦でも判定で勝つことに徹底すれば……結果は、果たしてどうなるか?
中量級のスーパースターたち(21年6月28日、更新) 夏希ヒョウ @hyou0777
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