悪霊と疫病と哲学


 ファンタジー世界には精霊や死霊を始めとした、実体を持たない存在がたくさんでてきます。人間の持つ感情によって勢力を増減させるという、なんだかよくわからない特徴を持った種もいます。


 また、アンデッド系のモンスターもここでは話に含めたいと思いますが、彼らも不可解な存在です。死体に意思や霊魂がのりうつって動くのか、死体が自体がそもそも生物になるのか、種類ごとにまちまちです。


 現実世界の生物の定義に則れば、彼らは生物ではないという事になりますが、それはそもそも我々が生きている世界にこういった存在がないためになされる定義です。

 彼等を生物というべきかどうかということは、もしくは哲学の領域に入ってしまうかもしれません。とりあえずここではそれらの問題は放っておいて、モンスターという表現とあわせてすべて"生物"という言葉に纏めたいと思います。


 現実世界の話ですが、この非実体系モンスターの発想の源になったものとして、精神病や食中毒によって幻覚を引き起こされた人々の発言がもとになったものといわれています。

 こうした幻覚症状は、日常の中で蓄積した畏怖が拡張現実のように現れるようで、その民族独自の精霊や怪物を生み出すことに成功しています。考えようによっては、確かに恐怖や怨念という感情は非実体系生物を育てる要因になりそうです。



・いつ生まれたのか

・疫病と非実体系モンスター

・自然科学発達と現代


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・いつ生まれたのか


 生物がどれほどのスピードで進化をして他の生物になるのかはわかりませんが、ここ数千年ほどでは絶滅するばかりで進化したという生物はそう多くないでしょう。


 つまり人間を資源として勢力を伸ばすモンスター、いわゆる悪霊は、人間が個体数を増やしたのちに新たに自然発生したとは考え難く、なんらかの勢力によってその世界に作り出されたと考えられます。


("特殊な力場"というものが存在していて、人間が持つ感情などの力場がそれと反応するなどといった、自然現象の一環としてそういった生物が生まれるとされることもありそうですが、話の結論は同じなのでここでは置いておきます。)


 この非実体系モンスターは人の活動圏とともに勢力を広げていきます。一部のモンスターは人間に利益をもたらすようですが、多くの種族は人間にとってありがたくない存在でしょう。


 何らかの勢力――ここでは仮に闇の勢力としますが――がいつから人間社会に対して攻撃を始めるのかはまちまちですが、明らかに人間を狙い撃ちするかのようなこの外敵に対して、社会はどのような武装をするのでしょうか。


 以前書いたように宗教を発展させることが考えられます。

 まるでコンピューターウィルスに対するワクチンソフトのように、どんどん開発され、普及していくでしょう。


 宗教は人類にとって標準搭載された機能です。近世以前の世界では、宗教を持たない国家は存在していないと言ってもいいでしょう。

 ある程度独立した文明、たとえば中南米に存在した文明もそれぞれが独自の宗教を持っています。


 宗教の持つ利点や役割については今までに書いてきた通りですが、現実世界のものよりも更に多くの軍事力を併せ持つ存在になることでしょう。



・疫病と非実体系モンスター


 話は変わりますが、中世ヨーロッパを語る上では欠かせないイベントである黒死病大流行のような、疫病が流行して全域が壊滅するという事件がファンタジー世界では少ないように思います。

 史実ではスペイン人が南米に天然痘を持ち込み、免疫を持たないアステカ人の多くが倒れたとされています。


 このように考えれば、魔界から病原体を持ってきてばら撒くだけで、魔王は簡単に人間を滅ぼすことができる気がするのですが、そのような手段は取れないようです。統治に支障が出るのかもしれませんし、そういった物への有効な対策を人間の勢力が持っているのかもしれません。

 事実病原菌をまき散らしそうなゾンビがいても、多くの場合はその増殖能力や耐久性に苦労するだけで、生物学的な病原菌によって都市が壊滅するわけではありません。


 そうすると、ひょっとすると悪霊と生物学的疫病は、どちらか一方しか存在できないのかもしれないと考えることもできます。


 非実体系生物が現実世界にいる多くの厄介な病原菌を駆逐している設定も、ある程度は無理がないでしょう。悪霊自体は目に見えないものであるので、小さな生物と考えることもできなくは無い気がします。

 科学技術が発展していないファンタジー世界では、それを総じて悪霊としていたと考えても面白いかもしれません。


 そう考えていくと、むしろ悪霊の侵攻によって大ダメージを受けず、なんとか対応できている分、疫病が流行るより人間社会にとってはマシかもしれません。

 疫病が流行する原因は、医療技術や食糧事情、衛生状態など簡単には解決しがたいものばかりです。ワクチンもありません。

 対して宗教は文明黎明期から行われてきたことであり、更にそれを強化することで悪霊に対しては対処できるので、解決難度は疫病と比べれば低いでしょう。


 宗教を強化して、更に疫病を片付けるとなれば、むしろ神の勢力による半ばマッチポンプのような構造によって、世界に生み出された可能性もあります。


(ここまで考えてきた通り、もしウィルスのようなものだとしたら、少し前に世間を賑わした新型インフルエンザのように短いスパンで変化をする例もあるわけで、そうすると人間に適応して変化し、自然発生したという説も説得力があるように思えます。それは設定の範疇なので、ここではここまでに止めておきます。)



・自然科学発達と現代


 非実体系生物に限ったことではないですが、ファンタジー世界では人間以外に意思を持っているものが多く存在するのも興味深い事実です。

 精霊や喋る物体、生物など、人間が持つ特異性である高度な感情や思考、言語能力、それに伴う社会性などが、人間以外にも認められるということは現実世界ではありえないことです。


 この現象、つまり魂やアストラル体などといった、現実世界では非科学的だと烙印を押されがちな存在が、実際に科学者たちの前に立ちはだかるという状況は、どのような影響を人間社会に与えるでしょうか。


 今まで書いてきたのは"宗教がより実践的なものになる"ということだけですが、相対する分野、自然科学の方向性が変わっていく可能性は十分にあります。


 魂や自我の存在を確立している状況を、近世末ごろに登場した科学者や哲学者が見て何を考えるかはわかりません。しかし何かしらの影響を与えるだろうと考えるのが妥当でしょう。近代への入り口となった欧州哲学の発展が違うものになれば、近代の様相は全く違ったものになるかもしれません。


 力を持った宗教と魔法によって、中世において科学や医術が発達するチャンスがないということは、科学技術が大幅に遅れるということであります。

 魔法は代替技術として存在できることが容易に想像できますが、人々がこれからどういった哲学、思想を育てていくのか、ということについては別です。


 科学は目の前の現象を明らかにするという学問であり、これは現代に生きる人々の根本的な精神です。

 こう考えていくと、我々の世界と魔法がある現代世界とでは、人々の考えや社会の仕組みなどが根本的に違ってくるかもしれない、と考えることができます。


 我々はフランス革命や産業革命、またはそれによって引き起こされる様々な発展や事件、戦争を、そしてそれに伴う価値観の変革を無意識のうちに当たり前のことと考えています。しかしそれらが生まれるまでには、たくさんの前提条件があります。その前提条件に変化が起これば、その通りには進まないでしょう。


 哲学者は種族として存在する精霊や幽霊を見て、それでも史実と同じように合理主義や経験論を発達させられるでしょうか。

 人智を超えた儀式を執り行って実際に成果を出す王族や宗教家が打ち出す王権神授説を破れるでしょうか。


 近世以降、ファンタジー世界にも科学分野が発展していくこととなりそうですが、それらがどの程度現実世界に似通った性質を持つのかは、もうわかりません。それらは歴史上の偉人が何人もの束になって漸く開発されるような代物であり、一個人が創造できる域を超えています。



 ファンタジー世界の現代において、魔法を魔法としてとらえず科学的に明らかにしていったとしても、それを取り巻く環境や、人々の信条、価値観は全く違うものになる可能性はゼロではありません。


 魔法や魔法生物がいる現代世界は、非現実的で幻想的な舞台となることでしょう。

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