マリアとクリス
住宅街
生きる意味なんてないと思ってた
私の夫が死んだ。
私の眼の前で。
散弾銃の弾がめり込んだ頭は、元々そこには何も無かったかのように砕け散った。まるでスイカのようだ。射撃の的にされたみずみずしいスイカ。
真っ赤な汁とヌメヌメした何かがあたり一面に飛び散り、私の服にもかかる。ああ、洗濯したばかりなのに。そんな文句を崩れ落ちた旦那に言えるわけもなく、銃口を私に向け直した男の方を仕方なく見る。どうせ死ぬなら一回くらい自分の本音を言ってもいいだろう。折角の服を汚すな、と。私たちをここに導いた神とやらもきっと目を瞑ってくれる。そうじゃなきゃあまりに不公平だ。
結局、私は何も言えなかった。長年の癖は簡単にはやめられないらしい。
思い返せばいつもそうだ。小さな頃からやりたくもない裁縫から礼儀作法の練習まで嫌な顔一つ見せずこなしてきた。親は私を完璧な英国貴族にしたかったらしく、娘の意思などお構いなしだった。いや、私がはっきりと拒否していれば案外受け入れてくれたかもしれない。だが私はそんなこと出来なかった。両親や周りの人間に失望されること、失敗すること、そして何より自分で考えて行動することが怖かったのだ。
そんな自分と自分の生活に嫌気がさしていた私は街で口説いてきた男に連れられ、半ば強引にアメリカに来てしまった。
本当は来たくなかったのだ。空気はカラカラに乾いていて見渡す限り荒野しかないし、隣人は無愛想で野蛮なこんな場所には。だが、アメリカになんて行く気はない、家で暮らしていたい、本当はあなたのことなんて好きじゃない、と言えるだけの勇気は私には無かった。
私たちはシカゴの郊外に移り住み、夫は樽職人の仕事を始めた。その稼ぎでなんとか食べていくことは出来たが、生活は苦しく、煙草すら買えなくなった夫は毎晩私を殴った。抵抗などできるはずもない。私は黙って家事をし続けた。
そんな時、夫が突然、樽用の木材を集めている近くの島にある洞窟を調べに行こうと言い出した。なんでも怪しげな男たちが出入りしているらしい。もしかしたら偽札作りの工房があるかもしれない、保安官に報告すれば報奨金に加え、保安官助手にもなれるかもしれないと夫ははしゃいでいた。
その結果がこれだ。
夫は血の海に倒れ伏し、私も同じ運命を辿る事になる。
もうどうでもいい。くだらない人生だった。今死んでも悔いは無い。
しかし、散弾銃を構えた男は撃たない。ニヤニヤ笑いを浮かべながら、私に洞窟の奥へ進めというのだ。
ああ、なるほど。そういうことか。
私は変に冷静な頭で納得した。しょうがない。コトが済めば殺される、それまでの辛抱だ。但し、男が満足するまで生きていればの話だが。
洞窟の奥には広い空間があり、何なのかわからない器具がところ狭しと並んでいる。知識の無い私から見ても夫が期待した偽札づくりの工房には見えない。壁際には穴が掘られ、その中央には淡い光を帯びた蒼い鉱石のようなものが鎮座していた。
綺麗。純粋にそう思った。
サファイアだろうか。こんな場所に...?わからない。
その隣には鉱石の美しさとは不釣り合いな四人の男たちがいた。皆、薄汚れ、手には銃を握っている。保安官を警戒していたのだろうか。まさか間抜けな夫婦が武器も持たず入ってくるとは思わなかったのだろう。
男たちは連れて来られた私を異様にギラつき獣じみた目で見つめてくる。
その空間を素通りし、少し離れた小部屋のような場所に押し込められる。頑丈な格子がつき、脱出は不可能に見えた。捕まえた人間を入れる檻だった。
「後でたっぷり可愛がってやるから楽しみにしておけよ」
男は銃で私を小突いて檻に入れると、黄色く汚れた歯を剥き出しにしながらそう言った。
隅には女性がうずくまっている。服は汚れ、髪も乱れているところを見るに私と同じ境遇だろう。
少しして男たちは酒盛りを始めたようだった。下品な笑い声が隣の部屋から聞こえてくる。
隣の女性はすすり泣いている。よく見るとまだ年端もいかない少女の様だった。そっと顔にかかっている髪に触れ、整えようとすると微かに怯えの声をあげる。
「安心して。私はあなたの味方よ。私も捕まったの」
ゆっくり抱き締めると、彼女の耳元で囁き、落ち着かせる。触れると肩を大きく震わせたが、抵抗はしない。そんな気力も、勇気も残っていないのだ。
髪に隠れていた顔を見た瞬間、今まで感じたことのない感情が全身を駆け巡った。
まるで精巧に作られた人形のようだった。昔、母が買ってくれた人形を思い出す。シンメトリーで全く歪みのない輪郭、透き通った白い肌に少し赤みがかった鼻、吸い込まれそうなほど真っ青な瞳、ふっくらと膨らんだ唇とそこから覗く整った歯。汚された後でも彼女自身が輝いてるようだった。
自分が見とれていたことに気付き、慌てて声を掛ける。
「マリア。マリア・ピンカートンよ。あなたの名前は?」
少女が何か呟いたが、聞き取れない。
虚ろな目で私を見上げ、体を寄せてくる。
彼女は酷く傷つき、希望を無くしていた。
少しして彼女の口からか細い声が発せられた。
「あいつらが...あいつらが私わたくしを…」
「言わなくていいの。大丈夫よ。私が側にいるから」
彼女が安心できるよう声をかけ続ける。
どうしてだろうか。彼女には絶対に死んで欲しくなかった。彼女にはきっと輝やかしい未来があるはずだ。こんなところで死んで良い人間ではない。私がどうなっても彼女だけは守らなくてはならないと思った。
彼女は絶対に生き延びさせてみせる。
つい先程まで死ぬことに何も感じていなかった私に、生きる目的が与えられた。
「安心して。私があなたを助ける。絶対に」
◇◇◇
男が近づいてくる。目を欲望でギラつかせたまま、格子を開けた。
私はその男の目にフォークを突き刺す。
「....ぅぎぎぎぎぎぃぃぃぃ...!?」
あまりの痛みに叫ぶ男の腰からナイフを抜き取り、一気に喉を切り裂くと、鮮血が吹き出した。男は首を手で押さえ、口をパクパクさせていたがやがて倒れた。
顔は血だらけになってしまったがそんなことを気にしている場合ではない。
広間の男たちも叫び声で気付いたらしく、一人がピストルを抜き通路の中に入ってきた。私は決死の覚悟で男の間合いの内側に飛び込み、ナイフを突き出す。男が低く呻くのが聞こえたが、直後、私の背中に激痛が走った。ピストルの持ち手で殴られたのだ。
痛みで立ち上がれない。
「くそ...くそっ...手こずらせやがって...!」
蹴られる。踏まれる。痛い。このままでは死んでしまう。それではだめだ。
必死で手を振り回すと右手が石を探り当てた。
石を強く握りしめると、私を蹴り続ける男の股間を思い切り殴りつけた。
「.......................!」
声も出ない男の頭を殴りつける。何度も。何度も。男の頭が奇妙な形になるまで。石は頭蓋骨に埋まって取れなくなってしまった。
蹴られたことで何本か骨が折れたことを感じる。痛みで顔が引きつる。だが、こんなところで倒れるわけには行かない。
私は残りの男たちを殺し、彼女を救わなけれならないのだ。
隣の部屋からは何も聞こえてこない。私を待ち伏せているのだろう。
私は男が持っていたピストルを確認する。装弾数は六発、実家での護身術の講義で使った銃によく似ている。
落ち着いて銃を安定させ、ゆっくり息を吸い、吐ききったら引き金を引く。大丈夫。私でも扱えるはずだ。
敵は残り二人、少なくとも銃の腕は私よりは上、しかも待ち伏せされている。状況は圧倒的に不利だ。
だがそんなことは関係ない。
私は広間に飛び込むと、作業台を蹴り倒し、盾にする。
いくら厚みのある作業台でも散弾銃やライフルで撃たれれば一溜まりもない。
男たちが同時に発砲する。銃口から発射された弾丸は作業台を貫通し、私の頰を引き裂くと、そのまま後ろの壁にめり込んだ。土埃が舞う。
このままでは作業台の裏で蜂の巣になってしまう。
息を吸い、吐き、撃つ。手順を頭の中で再確認すると、作業台から飛び出し、銃を構える。銃口を安定させ、敵に集中する。息を吸う。吐く。引き金に指をかける。
洞窟が蒼く染まった。
違和感を感じた。何かがおかしい。
自分だけが鮮明で、周囲はぼんやりしている。そんな緩やかな流れの中でも輝くものが一つ。彼女だ。この世界の中で生きているのは私、そして彼女だけ。そんな感覚。
男たちの動きはとても緩慢に見える。銃を構え、落ち着いて引き金を引く。弾丸は螺旋状の道を描きながら、進んでいく。鉄の塊は皮膚にめり込み、二人の男の頭に吸い込まれた。ぽっかりと開いた穴からは鮮やかな色の液体がゆっくり流れ出し、交差していく。それはまるで主が磔にされた十字架のようだった。
違和感は何の前触れもなく消失した。蒼かった空間は通常の色を取り戻す。未だ浮遊していた死体が地面に倒れこむ。
「やった...」
終わったのだ。私の身体はボロボロだが、彼女は守ることができたのだ。
彼女の方に向き直る。
「またもや共鳴者か...つくづく俺は運が無いな...」
背後から暢気な声が聞こえてきた。
直後、私は拘束された。見えない力でピストルを取り上げられ、手足を抑えられる。
背後にいたのは不気味な男。ここらでは見ることの出来ない上等なスーツを着込み、手には黒い手袋をはめている。最も異質なのは男の顔に当たる部分が不明瞭なことだった。
そして手にはあの蒼い石がに握られている。
「まったく...愚かな奴らだ。これだから開拓者は信用できないんだ」
男は私が見えていないかのように、独り言を続ける。
「採掘の遅れもこの女が原因か。すぐに始末すればいいものを。まったくこれだから...」
突然、男は私の方に向き直り、近づいてくる。
「君には残念ながら死んでもらう。共鳴者は貴重だが、時間がない。すまないな」
首に圧がかかる。まるで空気に絞め上げられているようだ。意識が薄れ、マトモに思考できない。
やっぱり死ぬのか、私は。これじゃあの娘を守れないじゃないか。あんなことを言ったのに、結局…。
いや…………
駄目、駄目だ…駄目だ…!それは絶対に駄目だ!
最後の力を振り絞って乱れた思考を纏め直し、集中する。再び自分だけが鮮明になり、周囲の空気が緩慢になるのを感じる。
息を吸い、吐く。拘束が緩む。
「この能力は興味深いな。しかし、石を私が握っている今、完全な力は引き出せない。すまないな」
男が私の顔を覗き込みながら言う。
拘束が強まり、再び意識が薄れていく。今度こそ死ぬのだ。
ごめん。名前も聞けなかったね。あなたを助けてあげたかった。
本当にごめん。
男が突如、振り返り、目が見開かれる。
「....!お前....何故...!」
眩い光が視界を包む。
薄れる意識の中、彼女の姿が見えた気がした。
視界が暗転する。
◇◇◇
気がつくと清潔感のある部屋に横たわっていた。ここは病院だろうか。
やってきた医師に説明を受ける。銃声を聞きつけた保安官たちが突入した洞窟には男五人の死体と意識を失った私が倒れていたと言う。五人の中にはあの不明瞭な男が含まれているのだろう。
救助された私は、病院に運び込まれ、治療を受けていたらしい。私の傷はかなり酷く、何日間も寝たきりだったのだ。
彼女について尋ねたが、そんな少女は居なかったらしい。
この街の人間ではないだろうからもう会えないだろう。会いたい気持ちは強かったが、彼女が生きているだけで十分だ。いつかまた会えるように私も生き続けなければ。
夫の葬式から帰ってくると、家の前に立派な馬車が止まっている。この田舎町には不釣り合いな上等なものだ。胸騒ぎがして、近くに駆け寄ると。
その中から一人の女性が降りてきた。
「マリアさん、お待ちしておりました」
あの輝くような少女がそこにいた。
「あの時には名前を言えませんでしたよね」
「名、前...?」
「ええ!クリスティーナ・ワトソンと申します。ワトソン家5代目当主の娘であり、執行者、そして...」
「貴女をお慕いする者です!」
彼女は眩しいくらいの笑顔でそう言った。
マリアとクリス 住宅街 @bakkin
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