第101話 ずぶ濡れ
部室で作業計画を練っていたら、ノックもなしにドアが開いた。盛大な雨風とともに小宮山さんが飛び込んで来る。
「うへー、濡れた濡れた! 濡れおかきぐらい濡れちゃった!」
服についた水滴を手で払いながら小宮山さんは言う。
「ほぼ乾いてますよね、濡れおかきだったら」
「固いこと言うなよ。濡れおかきじゃあるまいし」
「そんな固くないですよね、濡れおかきだったら」
「カリカリしてんね。カリカリ梅か?」
「オチ、明確に失敗しましたね」
「オチとかないし。笑わせる意図ないし。自然な会話だし」
憮然とした顔で小宮山さんが私の正面のソファに座る。今日の小宮山さんは30代前半ぐらいの姿を取っている。ゆったりしたトップスにロングスカート、髪はまとめて、伊達メガネ。女性アナウンサーの休日、といった雰囲気だ。知らないが。
「ちゃんと拭いてくださいよ。ソファ濡れるでしょ。たたでさえぼろぼろなのに。ソファの死期を早めないで」
私は自分のバッグからタオルを取り出すと、体を伸ばして小宮山さんに手渡した。
「ありがと」さっそく上半身をタオルでぽんぽんし始める。「洗って返すよ」
「今返してください。永遠に返ってこなさそうだから」
「あー、そうかそうか」小宮山さんは意味ありげな半笑いを浮かべた。「このままの状態で返してほしいか。洗濯してほしくないか。しおりちゃんって、私の体に触れたものに異様な執着を示すときあるからな。そういう習性があるからな。まあ、いいよ。サービスだ。このまま返そう。こっそり匂いでもかぐのかい? 若いねえ」
「だらだらと勝手なこと喋るなよ」小宮山さんからタオルを返してもらいながら言う。「びっちゃびちゃにしやがって……」
私は部室の壁のちょっとした出っ張りにタオルを引っかけて干した。
「立ったついでに紅茶いれて」
背後から小宮山さんの命令を浴びる。
私はおやつコーナーに置いてあるインスタントのリプトンを紙コップにセットする。背中で怒りを表現しながら。しかし小宮山さんはすでにこっちを見ていないだろう。
もうSNSを見ているか、虚空を見ているか。
どちらかだ。
と思いながら振り返ると、小宮山さんがじっ……と私を見ていた。視線で私を長押しするみたいに。
「わっ、びっくりした。何?」
「タオル貸してくれて、紅茶もいれてくれて、ほんと助かる~、と思っただけ。しおりちゃんがメイドロボだったら連れて帰るのに」
「メイドにされたうえロボにもされるの? 人権を蹂躙するのもたいがいにしろよ……」
「いやこれ良い話だよ? こんな雨ぐらいじゃ故障しないロボだし」
「こんな雨ぐらいじゃ私も故障しないんですが」
「あとさあ、メイドロボだったら常に私の傘を持ってくれてそう。ほら、私って傘持たない人じゃん?」
「知らん。こないだ高い傘買って喜んでませんでした?」
「知らん」
「買ってましたよ。記憶喪失ですか? そもそもなんで傘持ってないんですか? 朝から大雨だったのに」
「途中でなくしちゃって」
「ずっと雨降ってたのに傘なくすタイミングなんてあるんですか?」
「なんなの? 国会中継なの? あんま詰めないでよ」
「近ごろ国会もそんな詰める質問ないでしょ」
「おっ、社会派か?」
「よくない揶揄だ」
「とにかくねえ、私は真冬の喫茶店にコートを忘れて平気でいるような女なんだよ。傘ぐらいなくすよ」
「なんの自慢だよ。もういいよ。はい紅茶、お待たせしました」
私は紙コップをふたつ、テーブルに運ぶ。
「あったまる〜」小宮山さんは嬉しそうに飲んだ。「いつもの味だ〜」
「インスタントだし」
「ロボットのように正確にいれるよね、お茶もコーヒーも」
「インスタントだからね。まだ私をメイドロボにしようとしてます?」
「メイド服作ろっか? しおりちゃん、人間サイズの服も作れるよね?」
「いやー、人間サイズはまだ作ったことなくて」
「作ってみたら?」
「作ってみたら? じゃないですよ。次の公演の締め切り、明後日ですよ。何のために部室に来たんですか?」
「雨宿り」
「雨宿りかあ! 自分のノルマやりに来たんじゃないのかあ!!」
「声でか」
「1人でがんばるか。いつものように。1人きりで」
私は熱い紅茶をやせ我慢して一気に飲み干した。紙コップをクールな表情でゴミ箱に捨てる。そのあと、小宮山さんの紙コップ以外のすべてのものをテーブルから退かし、小宮山さんの紙コップ以外のすべての場所を裁縫道具やら布切れやらで埋めてやった。
立ち退き拒否の一軒家みたいになる小宮山さん。私の圧力に屈した気にした様子もなく、紙コップを両手で持って、窓の外を見ながら悠然とくつろいでいる。
「雨、いつになったらやむのかしら」
わざとらしい役者のような調子で小宮山さんは言った。
「ほんとに手伝う気、ないんだ……」
「今日はね」小宮山さんは私に視線を固定した。「顔見に来ただけだから」
「きもいんですけど」
「今ので顔を赤らめてうつむいて憎まれ口でも叩いてくれたら、きれいに終われたんですけど」
「何も終わらないんですけど。作業は始まったばかりなんですけど。むしろ手伝ってくれる人もいないから永遠に何も終わらなそうなんですけど」
私がまくしたてる数秒間、小宮山さんは別の次元にでもいたかのように、何の感情も読み取れないプレーンな顔で静止していた。
でもまた紅茶をひと口飲んで、窓の外を見る。
「雨、いつになったらやむのかしら」
強制ループ?
リセットマラソンか?
はずれの私だったのか?
これを何度も繰り返されたら、顔を赤らめてうつむいて憎まれ口を叩く、Sレアな私が登場するのか?
オチ、失敗したのか?
千変万化の小宮山さん 灰谷魚 @sakanasama
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