華子

KEN

華子

 俺は明日結婚する。

 相手は同じ職場の後輩で、未来という。気は強いが包容力のある良い子だ。俺には不釣り合いだと思うくらいの器量良しなのが、一番の自慢だ。

 最初、母さんは結婚に反対した。上司の娘さんとお見合いして結婚した方が、将来の出世に良いと言う。政治的な側面でしか物事を考えられない母さんを根気強く説得し、渋々認めてもらった。俺は今、幸せだ。

 そんな俺が今、かこへのメールを書いている。


 華子かこと出会ったのは、俺が大学生の頃だった。優しく温和な性格で、スローペースな俺とは波長が良くあっていた。仲良くなり、友人から恋人になるまでそう時間はかからなかった。

 華子かことの日々は穏やかに過ぎていった。その頃の俺は、結婚の事とか真剣に考えているわけじゃなかった。華子かこの方はというと、時々外でご飯を食べるだけの生活に不満はない様子だった。

 俺は華子かこの借家で同棲してみることにした。仕事が決まり、結婚生活のシミュレーションをしてみたくなったのが理由だった。ところが問題が発生した。仕事が始まって間もなく、華子かこは寝込む事が増えた。病院からは「うつ病」と診断され、せっかく決まった仕事を彼女はクビになってしまったのだ。

 俺は華子かこに、無理をしなくていい、今は十分休めと言った。けれど内心では、うつ病が俺と華子かこの間に深い溝を作ったように思えた。正直なところ、仕事が始まったばかりで皆辛い時に、病気で楽しようとしてるとすら思った。華子かこの家に足を運ぶ頻度も少しずつ減った。

 三年経っても、華子かこの具合は良くならなかった。仕事が順調に軌道に乗っていた俺は、自分の心が完全に冷めてしまった事に気付いた。けれど友人としてはかけがえのない大事な存在なのだ。たとえ過去に置き去りになっていても、友人として寄り添ってやりたいと俺は思っていた。

 そんな時、未来が入社してきた。俺の一目惚れだった。華子かこには申し訳ないとも思ったが、何を犠牲にしてでも未来と仲良くなりたくて、俺は積極的にアプローチした。

 華子かこに別れ話を切り出す前に、俺たちは付き合い始めた。もちろん未来は華子かこの事なんか知る由も無い。俺は二股をかけている罪悪感を、未来との楽しい日々で払拭した。

 華子かこの家に行かなくなってしばらくして、華子かこからメールが来た。今夜会えないかという内容だった。あいにく未来と食事の約束を入れていたため、嘘をついて断る内容のメールを送った。すると華子かこはこう返してきた。


「他の女の子とご飯だったかな」


 どきりとした。すぐさま電話をすると、華子かこは長いコールの後に電話を取った。

 泣いていた。


「ごめん、こんな形で別れ話を切り出すつもりじゃなかったんだ」


 咄嗟に出た言葉は、言い訳がましさと厚かましさしかなかった。開口一番、別れてほしいと言った方がいっそ清々しい。


「大丈夫。その方が皆幸せになれるんだものね。貴方が別れたいなら、別れよう」


 華子かこはすぐにいつも通りの声で言った。もう泣いてはいなかった。もっとごねて泣きすがってくると思っていた俺は、拍子抜けした。華子かこが実は芯の強いやつだったんだと思い、俺はとした。


 ――そんな訳があるはずない。自分で言うのも恥ずかしいが、華子かこは俺を愛してくれていた。ショックは大きかった筈だ。逆の立場だったら、俺は立ち直れない激痛に苛まれただろう。胃が収縮しきってご飯も喉を通らない、なんてことになっていたかもしれない。

 結局、別れ話はものの数分で決着した。その後連絡をとることはなかった。初めこそ面倒がなくて良いと思っていた俺だが、心のどこかには寂寥感せきりょうかんのようなものがあった。気づけば未来と華子かこを比べ、幸せだった頃の華子かことの日々を思い返す事も増えた。

 誤解なきよう言っておきたい。未来はとても素敵で、非の打ち所がない女性だ。そしてそれは華子かこも同じだ。比べるなんて馬鹿らしい事なのだ。

 心の迷いを断ち切るために、俺は未来との結婚を決意した。未来はもちろん喜んで承諾してくれた。結婚式の準備で、俺たちは幸せだった。


 だが、未来との結婚を明日に控えた今になっても、俺は華子かこのメールアドレスを消せずにいる。もちろん未来は華子かこの事に気づいてない。それでいいのだ。これは俺だけの罪、これから奥さんになってくれる人に負わせるべきじゃない。いわゆる「墓穴まで持っていく」というやつだ。

 どうせなら消す前に一文だけ送ろう、そう思い立ち、俺は華子かこへのメールを立ち上げた。

 メールの第一文というのは、改まって書こうとするとなかなか書けない。まさか明日結婚するなんて言える訳がないし、さりとて何を書けば良いものか。


「久しぶり、今度飯でも食べないか?」


 を戻したいと勘違いさせるな、これは。


「色々ごめんな」


 今更謝られても困惑させるだけだろう。


「元気にしてるか?」


 ……これが一番無難な感じか。


 文が決まれば後は打ち込むだけ。俺はポチッと送信した。過去に縛られているであろう女の元へ。

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華子 KEN @KEN_pooh

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