子守歌は届いているか

賢者テラ

短編

 ねむれ ねむれ 

 母のむねに   

 ねむれ ねむれ

 母の手に   

 こころよき 歌声に 

 むすばずや 楽しい夢



 母は子守唄を歌う。

 腕に抱いた我が子は、すでに死んでいた。

 昭和20年のある夜のこと。

 日本が、もはやこれまでと終戦を迎える直前の、最後の空襲。

 焼夷弾の雨は、多くの母子を地獄に突き落とした。

 母らは子らがいなくなったので、もはや慰められることはあり得ない。

 


 その母は、何とかフラフラと火の気のない道路まで出てきた。

 バス停のそばに、昔からの大きな樹が立っているところだ。

 とにかく、眠りたかった。

 子に子守唄を歌ってやりながら、自分もまた眠りたかった。

 すでに死に至るだけの面積の皮膚を火傷した母の命は、風前のともし火だ。

 かすみゆく意識の中で、母は見た。

 大きな樹の根元には、穴のようなくぼみがあり、人がすっぽり入れそうだ。

 母は、誘い込まれるようにその樹の穴に入り込んだ。

 子を胸にしたままうずくまると、最後に歌った。



 ねむれ ねむれ

 母のむねに

 ねむれ ねむれ 

 母の手に   

 あたたかき そのそでに

 つつまれて ねむれよや



 やがて日本は終戦を迎えた。

 樹の穴に隠れた母子の死体を発見する者は、いなかった。

 不思議なことに、樹の穴は時の流れとともにふさがった。

 何事もなかったかのように、その樹はそこに立ち続けた。


 


【平成23年】


「本当にあそこ、やってまうんか?」

『土田建設』の創始者にして社長、土田次郎はため息をついた。

「なんか、気が進まんなぁ」

 


 田舎であるこの町にも、ついに開発の並が押し寄せてきた。

 減反政策から、米を作らなくなった土地を町興しのために有効利用しようということで、あるレジャー産業の大手会社がこの辺り一帯の土地を買収して、ちょっとしたリゾート地にしてしまおうという計画を立てた。

 そして話はとんとん拍子で進み、ついにリゾートホテルと娯楽施設などの建設を土田建設を含めた数社が、すぐにでも工事に着手することになっていた。

 もちろん、この仕事によって土田建設は、大きな利益を得ることができるわけなのであるが——。

「社長、願ってもない儲け話やないですか。それとも、何かひっかかることでもあるんでっか?」

 社員たちは、社長の浮かない顔を見て不思議そうに言う。

「う~ん、何っちゅうか……ただのカンや」

 自分でも説明し難いのか、社長は困った顔をした。 



 土田社長は、手がける仕事をきちんと把握するために、現地視察を行った。

「……ええ樹や」

 かつてここにバス停があった。

 利用者激減のために、5年も前に廃線になっている。

 そして、そこには幹の太い立派な樹が立っている。

 その樹に触れたとき、社長は不思議な音を聞いた。

 !!



 ねむれ ねむれ

 母のむねに……?



「何で樹から歌が聞こえるんじゃ!?」

 初め、社長は気味悪がった。

 しかし、次第に何だか物悲しい気分になった。

 この樹を、守ってあげなければならないような想いに駆られだした。 



「おカンのアホう!」

 プリプリ怒りながら、中学二年のミホは道の石を蹴りながら歩く。

 さっき、母親にスマホを持ちたいとねだったが、相手にされなかった。

「何でよ! 都会の子とかやったら、中学生どころか小学生かて持ってるらしいやんか。どこがあかんのん!」

 まったく動じない母は、こともなげに言う。

「何言ってんの。ここらはみ~んな顔知らんもんはないほどの田舎やないか。話したかったら何ぼでもホイホイ会いにいけるし、ここらはそんな危ないちゅうこともないし。そんなもん持たんでよろし! アンタが高校生にでもなってバイトでもするようになったら、自分で買いなさい。そしたら母さんも文句言わん」

 ミホは、最近のニュースの殺人死体遺棄事件をダシにして、田舎でも近頃は危ないんよなどと言って責めてみたが、難攻不落の母はただ一言『アホか』と言っただけであった。



 ちょうど、朽ちかけたバス停のそばの大きな樹まで来た時。

 風に乗って、優しい歌声が聞こえた。

「え、誰?」



 ……いや、これ人間とちゃうわ。

 風の中か、それとも地面からか?



 ミホはケータイを買ってもらえなかった怒りも忘れ、耳を澄ませる。

「樹や!」

 彼女が知らないようなはるかな昔から立っているその樹に、駆け寄った。

 そして樹の皮にそっと手のひらを被せる。



 ねむれ ねむれ 優しい子…… 



 ミホには見えた。

 まるで、その場にいるかのように。

 真っ赤な空。着物か皮膚か分からないくらいにまで火傷を負った人々。

 最後に見えたのは、子を抱いて死んだ母の姿。

 ミホの頭の中で、子守唄がリピート再生にしたCDのように何度も流れた。

「何で死によったんよ。悲しすぎるやん……」

 泣いた。

 人生経験の少ないミホにとって、生まれて初めての強烈な悲しみであった。

 夕方まで樹に抱きついて泣いたミホは、遅くに帰宅して母に心配された。



「お嬢ちゃんにも、聞こえたんか」

 土田社長は、ミホと肩を並べて樹を見上げた。

「ということは、おっちゃんもこの樹に何か感じたんやな」

 二人は昨晩、夢にこの樹を見た。

 赤ん坊を抱いた母が、樹の根元で子守唄を歌っているのだ。

 別に、何を言ってくるわけでもない。ただひたすらに、子守唄を歌っているのだ。

「ウチな、この樹の周りでなんか楽しゅうせなあかんような気がするんや」

 葉を繁らせる木の枝を見上げながら、ミホはつぶやいた。

「わしもそう思う」

 何かを吹っ切るかのように、社長は力を込めてそう言った。



 不思議なことが起った。

 ミホと社長は、友人を呼び樹の下でお花見のようなことを始めた。

 シートとお弁当を持って行き、楽しく過ごすのである。

 それから毎日、時間を作っては樹の根元で過ごすようにした。

 しかも、樹に何らかの意味を見出したのはこの二人だけではなかった。

 吸い寄せられるように、お告げでも受けたかのように人が来る。

「オレも、何かこの樹に呼ばれたような気がしたんッスよね」

 そう言ってやってきた男子高校生。

「まぁ、別にわけはないんだけど。ここでレポート書いたらはかどりそうだしぃ」

 近くの有名女子大の分校の学生も、木陰に憩いにやってきた。

 そして、ぞくぞくと町中から人々がこの樹に集まってきた。

 不思議な連帯感で結ばれた仲間の数はふくれ上がった。

 連日、樹のそばから笑い声と笑顔の絶えることがなくなった。



「ミホちゃん、こりゃいけるで!」

 勝利を確信した土田社長とミホは、大々的に署名運動を開始した。

 もちろん、リゾート開発反対のための、である。

 最低条件としては、開発やむなしとしても、樹から半径10数キロまでは自然公園として残すこと——。

 数多くの味方を得た二人は、テレビを初めとするマスコミにも取り上げられた機会にこの樹を守ろうと訴え、その真実の叫びは日本の多くの人々の心を打った。 



 ついに、樹の周囲の自然は、そのまま残されることとなった。

 以来、この土地の人々は暇があれば樹の下で過ごすのが習慣となった。

 仕事に疲れた人が、樹の根元で休む。

 若い学生達が、おしゃべりをしていく。

 枝の下で行われる愛の告白。結ばれる恋人達。

 そして、子を産み母となった女が、赤ん坊を抱いて樹の下で歌う。



 ねむれ ねむれ 

 母のむねに

 ねむれ ねむれ 

 母の手に

 こころよき 歌声に

 むすばずや 楽しい夢



 樹も、風も一緒に歌った。



 たのしいな

 うれしいな

 ねぇ、お母ちゃん

 


 母は、この言葉にうなずいたのだろうか。



 風に揺らされた葉は、笑いさざめいて夏の近いことを知らせていた。


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