テンゴ

正木大陸

テンゴ

 戦争中、軍事基地として強固に要塞化されたために"向こう側"から手酷く生化学汚染攻撃を受けた影響で、翁捨山おうすてやまは非常に密度の濃い異形いぎょう変異生物へんいせいぶつの生息域と化していた。

 そんな"こちら側"でも一二を争う危険地帯の麓に芥村あくたむらがあるのは、ひとえに翁捨山がこの時代貴重な蛋白源となる生物を狩る猟師達の拠点になっているからだった。

 八裂市やつざきしに住む元潜入兵で調整人間の七五ななごは、ある型の拡張外骨格が動かせるという理由で公務局こうむきょくから選ばれ、そこに派遣される事になった。

 公務局にその依頼を出したのは、御用聞きを兼ねた猟師の様な仕事をする山狩師やまがりしという職業の、鷺沢さぎざわという名の男で、拡張かくちょう外骨格がいこっかくで山の中での作業を手伝ってほしいという内容だった。

 七五は正式には"超人公社ちょうじんこうしゃ二〇三型ふたまるさんがた一二七五ひとにななご・五てんご"といい、俗に二〇〇系にひゃくけいと呼ばれる諜報用の調整人間ちょうせいにんげんの中でも、更に後天的に神経回路しんけいかいろ接続端子せつぞくたんしを埋め込む施術を受けた"コンマ付き"と呼ばれる調整人間だった。

 "超人公社二〇三型"は機種名で"一二七五・五"は個体識別番号なのだから、前者が姓で後者が名だと言えるが、名だけでも長すぎるので"七五"と名乗っていた。

 約束の日、七五は芥村に通じる唯一の道である未舗装道の入り口まで知り合いの行商トラックに送ってもらい、そこからは徒歩で未舗装道に踏み込んで行った。

 軍支給品の赤黒い袖無しのレザースーツを着込み、必要最低限の食料と医療キット、予備の弾薬を入れただけの背嚢を背負い、武器は腰のベルトに吹き戻し装填の火薬拳銃を挟んだだけという軽装備で、足取りは軽かった。

 余程大きな自動車でなければ通れる幅はあるが、それでも普通の人間なら徒歩で六、七時間掛かる凸凹でこぼこして曲がりくねった道を、七五はほぼ半分の三時間強で抜け、芥村に辿り着いた。

 少しでも気を抜けばたちまちはみ出して迷いそうな程、道と密林帯の境目は曖昧だったが、右眼に入れた電装義眼でんそうぎがん経路索定機能けいろさくていきのうが役に立った。

 これが戦闘用の調整人間なら更に短い二時間程度でも行けるのだろうが、諜報用でもこれ位は行けるのだと思うと七五は少しだけ得意になった。

 未舗装道の出口、芥村の入り口になっている場所には、元は給水塔だったらしい見張り台が置かれていて、血を吸う夜泣婆娑羅蔦よなきばさらづたに似ているが害は無い砲蔓つつかずらに覆われ、半ば密林帯と同化しかかっていた。

 七五はそれを無視して村の中に入ろうとしたが、すぐに上から呼び止める声が聞こえた。

「おうい、見ねえ顔だが何しに来たあ?」

 見上げると見張り台の上から人影が身を乗り出しているのが分かった。

「鷺沢さんという方の依頼で、公務局から派遣されてきた者です。会いたいのですがどちらにいらっしゃいますか」

 七五が応えると、人影が中に消えた。暫くの間話し声が聞こえたが、やがて再び人影が現れた。

「ここを真っ直ぐ行くと大通りがあらあ、そこの"反吐屋へどや"っつう古い民宿に行ってくれえ」

「分かりました」

 言うだけ言って人影は見張り台の中に引っ込んだ。七五は今度こそ村の中に踏み込んだ。

 上への視界を遮る植物群が無くなると、上空を灰色に覆う菌糸雲きんしうんの胞子が見えた。

 今の時刻は濃い胞子で見えにくいが、夕刻になれば出来の悪い網を幾つも重ねたような姿が見えるはずだった。

 菌糸雲は"向こう側"の生物兵器の一つで、"こちら側"あるいは"島々"と呼ばれる地域の住民に多数の死者を出し、またその地域の生態系を破綻させた最大の原因だった。

 本来は一世代で滅びるように作られていたようなのだが、長引く戦争の中で繁殖能力を持つように変異し、未だに空を覆っている。

 この旺盛な繁殖力と内部に棲み付いた異形変異生物のせいで、休戦して十数年経った今でも除去には成功していない。

 どんよりと菌糸雲が覆う空の下を、見張り台の男の言う通りに進むと、やがて村の規模に対してかなり太い道に出た。

 左右を見渡すと、民宿らしい建物はテンゴから見て左に一つしかなかったのでその方に行くと、案の定それが『反吐屋』で、玄関前のひさしの下に置かれた、塗料缶に水を入れただけの灰皿の側で痩せぎすの中年男が一人、煙草を吸っていた。

 近くに他に人はいなかったので、七五はその中年男に尋ねた。

「すみません、こちらに鷺沢さんという方が居ると聞いて伺ったのですが」

「ああ、俺が鷺沢だよ。何の用だ?」

 中年男は煙草を灰皿に捨てて、神経質そうな目を七五に向けた。

「はっ! 失礼いたしました。超人公社二〇三型一二七五・五、只今着任しました!」

 戦っていた頃の癖で、つい畏まった挨拶をしてしまった。

「そういう堅苦しいのはいい。遠い所よく来てくれたな。おうい! りんの字!」

 鷺沢だという中年男が玄関から『反吐屋』の中に向かって呼びかけると、すぐに誰かがどかどか階段を降りてきた。

 それは鷺沢とは対照的に丸々と太った男で、蛆団子うじだんごに手足と頭を生やしたような風体はある種の暑苦しさがあったが、その人の良さげな目には視線を合わせた者を安心させる何かがあった。

輪太郎りんたろう、こいつを寝床まで連れてってやれ」

「ほい、分かったよ。とっつぁん」

 輪太郎と呼ばれた男に手招きされるまま、七五は『反吐屋』の中に入った。

 入ってすぐの正面にある急な階段を二つ上り、三階の東端にある部屋に通された。

 そこは四畳半の律儀な程真四角な部屋で、管組みの頼りない二段寝棚ベッドと古びた作業机だけでもう一杯になり、まともに座る場所が無いほど狭かった。

「ここであんたには寝起きしてもらう。同じ部屋を使う奴がいるから、ちゃんと挨拶しとけよ。ほい、ガンマン!」

「どうした、

 輪太郎が二段寝棚の下段に呼びかけると、気怠げな返事と共に継ぎ接ぎだらけの粗末な窓掛けが開き、若い男が顔を出した。

 輪太郎を"輪"と呼んだその男の肌は白く、髪の毛は墨汁を浴びたような黒だが、前髪だけを赤く染めて気障きざったらしく総髪にしていた。

 寝棚の柵に掛けられた右手は肘まで能動義手のうどうぎしゅになっていて、人差し指が伸ばされたままなのでよく見るとその指だけは銃身になっていて、手の甲に仕込まれた回転弾倉と繋がっていた。

 男は"濡端鯰次ぬばたなまじ"と名乗ったが、この名前で呼ばれるのはあまり好きではないので"ガンマン"と呼んでほしいと言った。

 七五がその右手はどうしたのかと尋ねると、昔性質の悪い密造物のピコ酒にあたってしまい、腐って取れてしまったのだと答えた。

 だがそれにしては左手がどうもなっていないのが不自然だし、第一にピコ酒に中って腐り落ちるのは指位だと聞いていたので、これはきっと何か別の理由があるのだろうと見当を付けたが、七五は問いただす気にはならなかった。

 この時代、様々な人が様々な事情を抱えて生きている。隠し事をせずに生きる方がずっと辛いという事だってあるのだ。

「まあ、大枚はたいてわざわざ来てもらったんだ。あんたががどんな奴だろうと、こっちもそれなりの礼は尽くすさ」

 そう言って輪太郎は自分達の事について簡単に説明してくれた。

 彼によると、ここはもう民宿としては使われておらず、自分達が宿舎として使っていて、今芥村にいる山狩師二十人全員が寝泊まりしているとの事だった。

 山狩師は基本的に四人から六人の"組"を作って行動するが、芥村には四人と六人の組が一つづつと、五人の組が二つあった。

 鷺沢はその芥村にいる山狩師達の纏め役で、輪太郎とガンマンの他にあと一人が彼の直属の山狩師だった。

 二十一人目となる七五も鷺沢の指示で行動する事になっている、という話も聞いたが、これは八裂市の公務局からも聞かされ同意していたので、特に不服は無かった。

「そういやおめえの名前をまだ聞いてなかったな。何て言うんだ?」

 輪太郎が区切り良く話し終わった所で、ガンマンが再び口を開いた。

「超人公社二〇三型一二七五・五です」

「何だって?」

「だから、超人公社二〇三型一二七五・五です。長いなら七五とでも」

 七五が略称を提案した所で、ガンマンは顔を顰めた。

「どっちも良くねえな。その超人うんたらかんたらってのは長過ぎるし、七五ってのも素っ気なくて忘れちまいそうだ」

 なら好きな名前で呼んでいい、と言うとガンマンはしばらく考え込み、やがてぽんと手を叩いた。

「じゃあ、"テンゴ"ってのはどうだ?」

「そう呼びたいのならそれで構いませんよ」

 七五は呼ばれるに任せようと思ったが、"テンゴ"という名は存外響きが良く、この村を出た後も使い続けても良いかもしれないと、少しだけ思った。


 翌日、テンゴが上段の寝棚で持っていた膨張ぼうちょう食糧しょくりょうを食べてていると、部屋の引き戸を強くノックされた。

 建付けの悪い引き戸を開けると、そこには輪太郎が立っていた。

「起きてたか。テンゴ、早速だけどやってもらいたい事がある」

 輪太郎に続いてテンゴは廊下に出た。

『反吐屋』の廊下は、人が慌ただしく動き回る音で意外な程満ち溢れていて、寝起きしている人数の割に多くの者と出会った。

 二人に挨拶をする者も居れば軽く会釈するだけの者も居たが、挨拶をする者は皆調整人間の方を"テンゴ"と呼んだ。

 ガンマンが昨晩夕食の席で他の山狩師達に、自分を"テンゴ"として紹介していた所為せいなのだろうが、たった一晩でこんなにも広がってしまうとはテンゴは思ってもいなかった。

 一階まで下りた輪太郎はテンゴを連れたまま、昨日入った正面玄関とは丁度反対側にある、小さな出入り口から『反吐屋』の裏手に出た。

 そこは土瀝青アスファルトで舗装された広場になっていて、もう随分長い間まともに手入れされていないのか、あちこちに罅が入って隙間から雑草が生え、あちこちに殆ど消えかけながらも白線が引かれているのが分かった。

 その広場のほぼ中央に、大きな荷台が繋がれたままの大型おおがた牽引車トラクターが停められ、荷台に乗ったこれもまた大きな砂色の金属塊の上で、一人の男が作業をしていた。

「ほい、連れてきたぞぅ!」

 輪太郎が上の男に向かって叫ぶと、男は顔を上げ、するする滑るように金属塊を下りて来た。

「貴方ですね。公務局に出した依頼で来たのは」

 そうだとテンゴが答えると、男は自分は輪太郎やガンマンと同じく鷺沢の直属の部下で、本名は名乗らずただ"銀歯ぎんば"と呼んでほしいとだけ言った。

 体型は痩せ型だが肌は浅黒く焼けていて、ひょろ長い手足と相まってその姿は呼子猿よぶこざるのようで、掛けている銀縁の眼鏡の知的さと食い違って見えた。

「早速ですが、あいつを動かしてもらいます。『反吐屋』の前まで歩いて来てください」

 そう言って銀歯はついさっきまで自分が乗っかっていた金属塊を指差した。

 彼が口を開閉させる度に義歯になっている下の犬歯二本が確かに銀色に光り、確かに"銀歯"だなと思いながら、テンゴは銀歯が示す物体に右眼を向けた。

 電装義眼の目標もくひょう詮索機能せんさくきのうを呼び出すと、荷台に脚を前に投げ出すように座っている拡張外骨格の姿が画像処理で浮かび上がり、こんな情報札タグが出てきた。


『一式戦闘用拡張骨格後期型

 全高:3.76m

 乾燥重量:38t

 装甲厚:97-153mm

 最大出力:1200馬力

 最大連続稼働時間:288時間

 発動機:藻類燃料用空冷四行程直列四気筒ディーゼル

 固定武装:7.62mm機銃車載型(撤去済)

 可動式格闘用指関節防禦板(撤去済)

 電磁式格闘用腕部射突機構(改修済)

 備考:作業用改修ガ行ワレタ形跡アリ』


「……なるほど、やってみましょう」

 拡張外骨格に関する情報を粗方読み終えたテンゴはそう言って、荷台に上った。

 まず人間なら尻の辺りにある外部確認用の燃料計で藻類燃料そうるいねんりょうが十分入っているのを確認し、すぐ横にある点火索てんかさく丁字ていじ取っ手に手を掛けた。

 繋がっている点火索を数度引いただけで、すぐにぱすんと発動機が始動し、荷台がびりびりと震え出した。

 続いて腕を伝ってやや縦長の台形をした上半身によじ登り、頂面にある蓋を開け中にある開閉レバーを引いた。

 すると上半身背部が後ろに向かって開き、操縦牢そうじゅうろうの中からトレースギアがせり出して来た。

 人の形をした籠のようなこれは、機体と連動してその姿勢を操縦者に伝え、思考操縦しこうそうじゅうの手助けをする装置である。

 トレースギアが上がり切り、安全ポールと固定具が自動的に開いた所で、テンゴはそれに身体を入れた。

 胸の前の尾錠で四点束帯よんてんベルトを締め、安全ポールを下ろし、前腕・肩・首筋・腰・脹脛の固定具を閉じてトレースギアに身体を完全に固定した。

 こうすると丁度両指先に来るアナログ操作用の制禦盤せいぎょばんのハッチ開閉ボタンを押すと、トレースギアはテンゴと共に機体に引き込まれていった。

 操縦牢はハッチがぷすりと閉じると一気に真っ暗闇になり、テンゴは電装義眼の暗視機能あんしきのうを呼び出した。

 右の方に視線を向けると、緑と黒の視界の中に導線が一本ぶら下がっているのを見つけた。

 それが機体と自分を接続するための信号線で、端子が自分の側とあっている事を確認して、テンゴは右耳の後ろにある受口うけぐちに端子を差し込んだ。

 これで起動の準備は完了した。

 一息吐くと左耳を探り、耳朶みみたぶに仕込まれているボタンスイッチを親指と人差し指で押し潰すように入れた。

 途端に全身を痙攣が走り、変化機構へんげきこうによって励起れいきされた蝙蝠こうもりの遺伝子がテンゴの肉体を強行偵察モードに作り替え、頭脳を接続に最適化させた。

 身体が溶けて信号線から機体に染み渡っていくような感覚は、トレースギアが機体に併せて姿勢を変更し始めているからだろう。

 不意に操縦牢の暗闇の中に、拡張外骨格の三面図が浮かび上がった。機体の自己点検機能が呼び出されたのだ。

 三面図は各面の図が更に幾つかの部位に区切られ、その区切り全てが緑色に塗りつぶされた後、『各部異常ナシ』のメッセージが現れ、視界の右下で小さくなった。

 続いて視界の上下左右、邪魔になりにくい絶妙な範囲に速度計、燃料計、傾斜計、指南盤しなんばんといった計器類が現れ、一定の位置で針が止まった。

 全ての用意ができた事を確信したテンゴは、

 途端に視界が一気に明るくなり、一瞬滲んで計器類の奥に風景として像を結んだ。これはテンゴ自身の目が見ている景色ではなく、拡張外骨格の上半身前部にめり込むように付いている半球型の光学感知器こうがくかんちきが映している映像だ。

 テンゴは拡張外骨格と一体になり、それを自分の身体として動かしていた。

 テンゴが荷台の上でゆっくりと立ち上がり、周囲を見回すと、すぐ側に輪太郎と銀歯が居た。

 二人が見守る中テンゴは荷台を下り、土瀝青の地面に確かな一歩を踏み出した。


『反吐屋』の前には払い下げ品の六輪装甲車ろくりんそうこうしゃが停められ、その側には山狩師の男達が、思い思いの姿で思い思いの武器を持って集まっていた。

 拡張外骨格を駆るテンゴが、輪太郎と銀歯と共に建物を大回りして彼らの前に現れると、その視線は一斉にテンゴの方に向いた。

 テンゴの視界には山狩師達の姿が緑色で強調表示され、その中に鷺沢とガンマンの姿もあった。

 ふざけて武器を向けているのか、照準警告の情報札と共に赤く強調されている者も居た。

 六輪装甲車の真後ろで拡張外骨格に片膝を突かせ外に出てくると、テンゴの姿を見た男達がにわかにざわめいた。

 すぐに事情を理解したテンゴはボタンスイッチを押して強行偵察モードを解除し、信号線も取り外した。

 その姿になっている時の、全身を焦げ茶色の体毛に覆われ、前方からの力で押し潰されたような不自然に平たい顔は、自分でも異様だと思っていた。

 彼が右腕から地面に降り立ったのを見届け、装甲車の乗降口の側に立っていた鷺沢が口を開いた。

「ようし、みんな聞いてくれ」

 その一言で二十一人の山狩師達は一斉に騒ぐのを止め、鷺沢の方を向いた。テンゴやガンマンや輪太郎や銀歯もそうした。

「五日前、未発見のトンネルを探しに翁捨山の北方面に入った廃材屋はいざいやの連中が、何かに襲われて命からがら帰って来た。以前から巨大な生物の目撃情報があった辺りだ。そこで俺達に、襲った者の正体の追究と、危険があるなら排除し、猟師や廃材屋達の安全を確保してほしいとの依頼が入った」

 そこで鷺沢は一旦言葉を切り、少し表情を緩めて続けた。

「俺達が山に入る一番の目的はそれだが、今回も何か金目の物を見つけたらそれは俺達の物として良いという事になっている。まあ、いつも通り気楽にやってくれ。では乗車!」

 鷺沢が号令を出すと、その場に居た山狩師達の内の丁度ちょうど半分、十人の男達が六輪装甲車に乗り込んだ。

 その中には鷺沢とその三人の部下の姿もあった。

 テンゴも暖機運転をしていた拡張外骨格に乗り込もうとした時、装甲車から鷺沢が下りて来た。

「危ねえ危ねえ。お前にこれを渡すのをすっかり忘れちまってた」

 そう言って鷺沢は懐から手持ち無線機を取り出してテンゴに手渡した。

 山に入ったら、これで自分達と通信してほしいという事のようだった。

 テンゴはレザースーツの胸ポケットに無線機を引っ掛け、今度こそ拡張外骨格に乗り込んだ。

 接続をやり直し、感知器の視界に切り替えると丁度装甲車が甲高い発動機音と共にゆっくりと前進を始めた所だった。

 テンゴも一呼吸遅れて立ち上がると、拡張外骨格に出せる限りの速さでその後に続いて歩き出した。


 鷺沢の一行は残る十人に見送られながら、『反吐屋』のある大通りを真っ直ぐ突っ切り、そのまま翁捨山へと分け入って行った。

 山頂の測候所そっこうじょへと向かう未舗装の登山道に沿って山腹まで上り、六道杉の倒木が道の脇に除けられている曲がり目で、拡張外骨格と六輪装甲車は前後を入れ替わった。

 鷺沢がテンゴに出した指示によると、ここから道を外れるから前路啓開ぜんろけいかいをしてほしいとの事だった

 テンゴは無線機で鷺沢から聞いた目的地の座標を、電装義眼の経路索定機能に入力し、再び歩き出した。

 登山道を行っている間はそうでもなかったが、そこから外れると周囲は一気に騒がしくなった。

 種子樹しゅしじゅや大型シダや巨大変異したキノコ類の茎や枝や幹が、拡張外骨格の野太い腕に掻き分けられて折れ、装甲車の六つの車輪に踏み均される「ばりばりめりめり」という音の他、へコキブクロが踏み潰されたのか、時折下品な「ぶっ」という音を拡張外骨格の集音機能が拾った。

 また、突然現れた二体の金属の怪物の出現に驚いてか憤ってか、あちこちで「じぇっじぇっ」という何かの動物の鳴き声が聞こえた。

 テンゴはそういう鳴き方をする動物を何種類か知っていたが、姿が見えない以上どんな動物なのか判断が付きかねた。

 翁捨山の傾斜は然程きつくはなく、装甲車も特に助けは無くとも順調に上っていた。

 特にこれといった障害にも遭わないまま暫く山を登っていると、光学感知器と連動し、周囲を走査スキャンするる電装義眼の索敵機能さくてききのうが、足元に転がっていた物体に何故か異常を検知し、テンゴの視界に黄色で表示した。

 それを見逃さずテンゴは手で装甲車に一旦止まるよう指示を出した。

「一体どうした?」

 すぐに鷺沢から無線通信が飛んで来た。

「足元に妙な物が見えたんで、今から下りて調べる所です」

 そう答えてすぐにテンゴは、機体との接続を保ったまま連動だけを解除し、拡張外骨格の外に出た。

 肩の上で周囲を見回し、地面に何の危険もない事を確認すると、信号線をきりきり伸ばしながら地面に下り立った。

 探す物は拡張外骨格のすぐ右横に無造作に落ちていた。

 長さ太さは共にテンゴの片脚程度、一見細長い泥の塊のようだが、拾った木の枝で崩すと何なのかはすぐに分かった。

「これは動物のくそです。骨が混ざっていました。肉食生物でしょう。しかも割かし新しい」

 手持ち無線機の向こうで鷺沢が唸るのが聞こえた。

「もう少し待って下さい。まだ調べたい事があります」

 テンゴは手持ち無線機にそう吹き込むと、糞の組成情報を手早く電装義眼に入力し、再び拡張外骨格に乗り込んだ。

 電装義眼を機体の光学感知器に連動させ、索敵機能に周囲に同じ物が無いか探すよう指示を出した。

 暫く辺りを見回すと、間もなく索敵機能から返答が来た。

 テンゴ達が進もうとしている方向を前として左右の二か所、どちらも現在地点から四十メートル程行った所に、同じ物が落ちているという内容だった。

 すぐに装甲車に無線を繋いだ。

「鷺沢さん、そう遠くはない所にも同じ糞があるようです」

「成る程、やはりこれは縄張りを主張するための糞のようだな」

「襲われた廃材屋達は知らずにそいつの縄張りに踏み込んだから、襲われた。と」

「その通りだ。このまま目的地まで行こう。襲った奴に会えるかもしれない」

 そして拡張外骨格と装甲車は再び前進を始め、何者かの縄張りとなっている筈の領域に踏み込んで行った。


 テンゴの視界に表示されている時計が間もなく正午を指す頃、経路索定機能が目的地への到着を告げた。

 そこは一見すると密林帯の中に偶然できた、ちょっとした広場のようにも見えたが、よく見ると下草の中に炭化した木の枝が落ちているのが見えた。どうやら生命力旺盛な植物達に呑まれつつある野営の跡のようだった。

 すぐに装甲車から工具類や武器類を持った、防禦服ぼうぎょふく姿の山狩師達が下りて来た。

 調整人間のテンゴはともかく、普通の人間はどんな異形変異生物がどこに隠れているのか、襲われるまでまず分からない以上、密林帯の中で活動する時は、それらの鋭い牙や爪、毒液から身を守る防禦服が欠かせない。

 草を刈る者、天幕テントを組み立てる者、便所にする穴を掘る者、何かを探しに茂みに分け入って行く者――実際そうなのだろうが、最初から示し合わせていたように役割を分担し、てきぱきと野営の準備をしていった。

 テンゴも拡張外骨格の脚で地面を踏み固めるのを手伝っていると、六輪装甲車の側で山狩師達に細かな指示を出していた、紺色の防禦服を着た鷺沢が「みんな、作業をしながらで良い。聞いてくれ」と大声で言った。

「五日前、丁度ここで野営をしていた廃材屋が夜、何かに襲われた。俺達もここを野営地にして捜索を行う。夜は見張りを立てるからそのつもりで宜しく頼む」

 鷺沢の言う通り、その話を適当に聞き流しながら作業をしていると、茂みに入って行った二人の山狩師が戻ってきて、鷺沢に何かを報告した。

 聞いた鷺沢は暫くの間思案していた様子だったが、やがて天幕の設営が終わった所で山狩師達を集めた。

 テンゴも機体を下りて、鷺沢を中心にできた半円の中に加わった。

「偵察に行った二人がここからすぐの場所に地下基地への入り口を見つけた。本来の目的を蔑ろにするようで悪いとは思うが、小遣い稼ぎの良い機会だ。とりあえず今日は地下基地に少し潜って金目の物を集めようと思うが、どうだ?」

 鷺沢の提案を聞いた山狩師達は一瞬どよめいたが、やがて口々に賛成の声を上げ始めた。

 テンゴも廃材屋を襲った犯人を捜す、という目的をおろそかにしない程度なら付き合ってもいいだろうと思い、鷺沢に賛成した。

「よし、それじゃあやろうか」

 そんな訳で、見張りの三人の山狩師と乗って来た二台の乗り物を残し、テンゴ達は先程偵察に行った二人の案内で地下基地へと向かう事になった。

 無論、輪太郎にガンマン、何か大きな箱状の装置を背負った銀歯も同行した。

 鷺沢の言う通り、その入り口は野営地からすぐの所にある、一見すると急斜面の始まりの部分に空いた、拡張外骨格も身を屈めれば入れる位の洞穴のように見えた。

 だが中に入るとちょっとした掩体壕えんたいごうのつもりなのか、ベトンで塗り固められた半球状の空間になっていて、奥に固く閉ざされた、やはり拡張外骨格が通れる位の自動引戸があるのが見えた。

 掩体壕に集まった七人の山狩師は、一斉に手や裾付すそつきメットや武器のライトを点灯した。テンゴだけは何も点けずただ電装義眼の暗視機能あんしきのうを呼び出した。

 暫く周囲を調べていた一行だったが、やがて銀歯が壁際に何かを発見し背負っていた物を接続した。

 俄かに空間の中が明るくなり、テンゴは銀歯が背負って来た発電機を繋いだという事を理解した。

「ほい、テンゴ、こっちへ来てくれ」

 自動引戸の横から輪太郎が手招きをした。

 テンゴが輪太郎の許へ行くと、そこの壁には電子算盤でんしさんばんのような装置が埋め込まれていた。

 輪太郎が背嚢から取り出した信号線の一端を装置に繋ぎ、もう一端をテンゴに差し出して、言った。

「この制禦盤をクラックして扉を開けられるか? できるならどの位かかる?」

軍務者権限ぐんむしゃけんげんと強制コマンドを持っています。この扉の制禦系がぼくのに対応しているなら、開くまで一瞬でしょう。そうでなければ抉じ開けた方が早いと思いますが、やってみましょう」

 テンゴは自動引戸は拡張外骨格で抉じ開けようと考えていたが、拡張外骨格を取りに戻るのは面倒だとも思っていたので、銀歯が電気を通してくれたのは好都合だった。

 すぐに右耳後部の受口に信号線の端子を差し込み、引戸の電算機でんさんきに侵入した。

 この程度なら強行偵察モードにならなくても大丈夫そうだった。

 軍務者権限で開閉と暗証番号をつかさどるプログラムを呼び出し、その内容をニつ三つ書き換えて強制コマンドを組み込み、暗証番号を入力しなくても特定のキーを一つ押すだけで、強制コマンドが発動して開くようにすると、自動引戸はすんなりと開いた。

 暗証番号を入れなくても開閉する事を確認する為、"Enter"と書かれたキーを矢継ぎ早に二度押すと、それに併せて引戸も開閉した。

 輪太郎が「ほう……」と感嘆の声を上げ、続いて裾付きメットのライトを点け直し、鷺沢や他の山狩師達と共に基地の中へと足を踏み入れて行った。

 テンゴも自動引戸がおかしな動作をしないのを確認してから信号線を引き抜き、一行の殿しんがりになって地下要塞へと入って行った。

 扉の向こうは細長い通路になっていて、発電機の電気が届いていないのか真っ暗だった。

 少し進むと間もなく左右に部屋への入り口が並ぶようになり、そこで手分けして部屋に入り、金目の物を探す事になった。

 テンゴもガンマンの後を追って右側の部屋に入ろうとした時、右眼の電装義眼が通路の右端に何かを捉え、黄色で強調表示した。

 その物体の方に視線を向けると、密林帯で野営地に向かう途中で見つけた、肉食生物の糞と組成が一致する、という内容の情報札が現れた。

「鷺沢さん、また糞を見つけました。干乾ひからびていますが、密林帯で見つけた奴と組成は同じようです」

 無線で鷺沢を呼び出すと、やや奥の部屋から鷺沢が飛んで来た。

「ここにも糞があったのか」

「ええ、少し古いですが、もしかしたら密林帯の糞の主と同じかもしれません」

「成る程な……」

 鷺沢は糞をブーツの爪先で軽く蹴りながらまた考え込んでいたが、暫くすると他の山狩師から無線で呼び出され、テンゴの前から去って行った。


 地下基地を出ると、外には夜の闇が迫り、沈む太陽の光が木々の間から見える菌糸雲を紫色に照らしていた。

 出入り口付近の調査だけでテンゴ達が野営地に戻って来た時、残った三人の山狩師達は夕食の準備をしていた。

 夕食は芥村から持って来た、その名の通り雑多な豆類を全部一緒に発酵させた雑豆味噌ざっとうみそに、具を練り込んだ物を湯で溶いた即席の味噌汁と、やはり様々な種類の穀類を炊いた雑飯ぞうはんで、テンゴは少し物足りないように感じた。

 即席味噌汁の鍋の側で自分の汁椀を持って、汁を入れてもらうのを待っていると、簡易便所で用を足して来たらしいガンマンがテンゴを呼んだ。

「テンゴ、任せてえ仕事がある。拡張外骨格を持って来てくれ」

 言われた通り拡張外骨格に乗り込んでガンマンの案内に付いて行くと、簡易便所の穴の近くに立ち枯れした火檜ひひのきの若木があった。

「ちょいと中を覗いてみたんだが、鐚蛾びたががうじゃうじゃ居やがったよ。持って行って皆で食おう」

 どうやらガンマンは火檜に巣食った鐚蛾の幼虫を食べる気のようだった。

 ガンマンが持っていた手斧で火檜を切り倒し、運ぶのにはテンゴの拡張外骨格が役に立った。

 拡張外骨格が持って来た火檜の中身が鐚蛾に殆ど食い尽くされ、幼虫や蛹でぎゅうぎゅう詰めになっている事が分かると、野営地は忽ち大騒ぎになった。

 とても自分達だけで食べ切れる量ではなかったので取り敢えず火を通し、帰ったら他の山狩師や、他の芥村の住人に分けてやろうという事になった。

「これだけ居るのだから、木ごと焼いてしまうのが良いでしょう」

 銀歯の提案で、鐚蛾は丸太焼きにする事が決まった。

 焚火の丁度真上に張り出していた木の枝に滑車を引っ掛け、六輪装甲車の前部に装備された単胴たんどう巻き揚げ機を使って簡単な起重機クレーンを作り、ぶら下げた火檜を火に掛けた。

 火檜は太さの割にそれ程長くは無く、焚火の上で回していると、間もなく幹全体が真っ黒焦げになった。

 火から上げ、銀歯が鉈で縦に切れ目を入れて割ると、空洞になった火檜の中で蒸し焼きになった、大量の幼虫や蛹が山狩師達の目の前に現れた。

 夕食を作っていた三人の山狩師がそれを玉杓子で掬い上げ、皿に盛り自家製の万能たれをかけて渡してくれた。

 鐚蛾の丸太焼きを受け取った者から地面に座り込み、テンゴがそれを受け取ったのは割かし後の方だったので、座った時にはもう、山狩師達が酒を飲み交わしたり、地下基地から持ち帰って来たガラクタを品定めしたりと、わいわい賑やかになり始めていた。

 木製の皿に載った鐚蛾はよく火が通っていて、歯でぷちりと噛み潰すと、うま味の効いた体液と甘酸っぱい万能たれが合わさって、非常に濃厚な味わいになっていた。

 その晩は、地下基地でここへ来る途中で見たのと同じ糞を発見した事と、その主が奥に巣を作っている可能性があるので、明日も引き続き地下基地を探索しようという事を鷺沢が皆に話し、就寝となった。


 翌日、朝食もそこそこにテンゴ達は再び七人で地下基地へと向かった。

 奥の方に何か重い物があった場合に備え、今回はテンゴは拡張外骨格を掩体壕まで持って来ていた。

 銀歯が出入り口からそう遠くはない場所に、急造の戦闘指揮所のような部屋を見つけ、そこに置かれたままの電算機から情報を吸い出すのをテンゴが手伝っていると、手持ち無線機に突然「助けてくれ!」という叫び声で通信が入った。

 どうやら先に奥に行った鷺沢達五人のようだった。

 テンゴは銀歯と一瞬顔を見合わせると、胸の手持ち無線機を取ってすぐに送信ボタンを押した。

「どうしました?」

「テンゴ、銀歯! 今すぐそこから逃げろ! 基地の外へ出るんだ!」

 返って来たのは輪太郎の切羽詰まった声だった。その後ろで誰が撃っているのか、発砲音が幾度も聞こえた。

 テンゴと銀歯は互いに只ならぬ事情を察し、作業を中断してすぐに部屋を飛び出し、通路から出入り口へと駆け戻った。

 テンゴの背後から何人かの足音が聞こえ、その後から何か間違いなく人ではない足音が迫っていた。

 一足先に掩体壕に出たテンゴは、自動引戸の制御盤に取り付き、続いて来るはずの仲間達を待った。

 まず輪太郎が殆ど転がるように飛び出して来た。

 続いて二人の山狩師がほとんど同時に掩体壕に現れ、縺れ合うようにして転んだ。

 最後に背後に向かって魚型うおがた突撃銃とつげきじゅうを撃ちながら鷺沢が駆けだして来て、テンゴに「閉めろ!」と叫んだ。

 ガンマンがまだ出てきていないのが引っ掛かったが、電装義眼の暗視機能が出入り口のかなり側まで近付いている巨大な生物の姿を映し出していた。

 テンゴは拳を叩き付けるように制禦盤の"Enter"を押した。

 恐ろしく呑気な駆動音を伴い、焦れったい程の遅さで自動引戸が閉まり、直後に巨大な何かが引戸にぶつかった。

 その一撃で、厚い金属の板で出来ている筈の自動引戸はあっさり拉げ、隙間が出来てしまった。

 それでも反対側に居る"何か"が通り抜けるにはまだ隙間が足りなかったが、"何か"は頻りに引戸に体をぶつけ、その度に隙間は広がっていた。

「鷺沢さん、皆を連れて逃げてください。僕が拡張外骨格であれを食い止めます!」

 テンゴは鷺沢にそう言うと、掩体壕の中で暖機運転だんきうんてんしていた拡張外骨格によじ登った。

 トレースギアに手足を入れ、身体を固定するまでの作業は人の手での作業なので、急いでやればその分早く終わるが、操縦牢に引き込んでもらう所は完全に機械任せだった。

 一分一秒が惜しい状況なのに、いらつく程のんびりとトレースギアは操縦牢に入り、その後ろで間抜けな気密音と共にハッチが閉じた。

 すぐにテンゴは端子を右耳の後ろの受口に、殆ど突き刺すような勢いで接続し、左耳朶のボタンスイッチを壊れんばかりに押した。

 途端に変化機構が作動し、脳と機体が接続された。

 光学感知器の映像を呼び出すと、丁度引戸が破られ、向こう側に居た生物が掩体壕の中に這い出してくる所だった。

 まだ自己点検機能が動作している中で見るその様子は、眩惑剤が見せる幻覚のようだった。

 銀歯が忘れて行ったのか、灯ったままの照明に照らされて黒光りする鱗に全身を覆われ、やや潰れ気味の円錐形の頭で周囲を見回し、テンゴが乗る拡張外骨格を認めたその生物は、がっしりした後脚で立ち上がり、短刀の様な鉤爪の生えた前脚を広げ、鎌首をもたげて敵となる相手を威嚇した。

「しゃああ」という威嚇音と共にまず唇がめくれ上がり、続いて頭部の半分ほどはある口が開き、鋭く尖った牙が林立するその奥にある副顎ふくがくを見せたその姿は、もはや爬虫類の範疇を逸していた。

「あれは、クマトカゲだ!」

 戦後の"こちら側"で生態系の頂点に立つ甲竜程ではないが、クマトカゲもその朴訥ぼくとつな名に反して、非常に危険な異形変異生物の一つだった。

 獰猛な性格で、特に自らの縄張りを侵した生物に積極的に襲いかかる。

 野営地までの道やこの基地の通路で見つけた糞の主はこいつで、また廃材屋を襲った犯人でもあるのだろう、とテンゴは見当を付けた。

 そして相手から見れば自分達は縄張りを荒らす侵入者であり、クマトカゲはただその行為に対しての正当な怒りを示しているだけだというのも、同時に理解した。

 だがこの生物を倒す事が自分が、いては芥村がより長く生き残る事に繋がるのだと思い直しながら、テンゴはクマトカゲと向き合った。

 テンゴの拡張外骨格は民間用の改修が施されていて、機銃も無ければ指関節の防禦板も無い。

 射突機構も速度を落として伸縮機構に改修されているから使えない。

 おまけに近くにすぐ武器にできそうな物も無いが、無い物ねだりをしても仕方がない。出来る事をやるしかない。

 テンゴは拡張外骨格を出せる限りの速さで前進させながら、ゆっくりと左腕を持ち上げ、上半身を左に大きく捻った。

 戦闘用と比べて反応が鈍いという事を、このような状況だからこそ改めて痛感させられた。

 戦闘用との差をある程度埋める方法はあるにはあるが、それをやった場合最悪機体が使用不能になる恐れがある為、それは"奥の手"にしておきたかった。

 ひどいガニ股の二足歩行で向かって来るクマトカゲの身体と交差すると同時に、上半身を元に戻す勢いを乗せ、左手で思い切りその頭を殴りつけた。

 鋼鉄の拳を人で云う右頬にまともに喰らったクマトカゲは、口から血とも消化液ともつかない黄色い液体を吐きながら、地面に倒れ込んだ。

 忽ち三面図の左手部分が赤に切り替わり、操縦牢の内部に損傷を告げる警報音が鳴り響いた。

 それでもクマトカゲは何事も無かったように立ち上がり、太い尻尾を鞭のようにしならせ機体を一撃した。

 今度は拡張外骨格が地面に倒れ、三面図の赤が左手から左腕に広がった。

 体勢を立て直す暇を与えずクマトカゲは敵に覆い被さり、頭突きで追い討ちを掛け始めた。

 一番分厚い筈の上半身正面装甲をすり抜けているかの様に、鈍い打撃音が操縦牢の中まで届き、一つ頭突きを受ける度に大きくなっていく軋擦音あつさつおんが、拡張外骨格の装甲があの自動引戸の様に破られるのは時間の問題だと伝えていた。

 早速だがもう形振なりふり構っている暇は無くなった。

 軍務者権限で機体の制禦系を呼び出し、その中の駆動を司る部分の数値を全て、あらかじめ設定されていた物より大きい値に書き換えた。

 "この数値では機体が耐えられない"と訴える情報札と、拡張外骨格が異常な出力を発揮すると作動する安全装置を強制コマンドで黙らせると、テンゴの身体は一気に軽くなった。

 クマトカゲの身体を右手で強引に引き剥がし、そのまま立ち上がると、顎に強烈な拳を見舞った。

 巨体が一瞬確かに地面から浮かび、クマトカゲは腹を上にしてドウと地面に倒れた。

 反応の鈍った右手の指を無理矢理広げてやや細い喉を掴み上げ、爪を立てて抵抗するのにも構わずテンゴは相手を引き摺り、壁際で高らかに持ち上げると、力の限り壁に打ち付けた。

 壁に蜘蛛の巣状のひびが入り、その中央に空いた穴にめり込んだクマトカゲの頭から体液が噴き出して、光学感知器の視界を黄色く染めた。

 だが尻尾が地面を叩くぴたんぴたんという音が、まだクマトカゲの息がある事を伝えていた。

 今度こそ止めを刺そうと穴から引き摺り出すと、クマトカゲは素早く首を伸ばし、拡張外骨格に噛み付いた。

 テンゴが見ている景色が牙と粘膜だらけになり、その奥から副顎が飛び出して来たと思った瞬間、視界が砂嵐に変わった。

 すぐに肉眼の視界に切り替えると、前部装甲に大きな穴が開き、その穴の向こうでクマトカゲの目がテンゴを睨んでいるのが見えた。

 テンゴは制御系の"射突機構しゃとつきこう"と名の付いた部分の数値を書き換え、敵の分厚い胸に右の拳を押し付けた。

 そこで少しだけクマトカゲを睨み返すと、テンゴは右手側の制御盤で赤く点滅するボタンを押した。

 次の瞬間、電磁石の力で射出された右腕が内蔵されたレイルに沿って凄まじい勢いで伸ばされ、青紫の火花と共にクマトカゲの体を貫き、壁に縫い付けた。

 そうなって尚もまだクマトカゲは力なく爪で拡張外骨格の右腕を引っ掻いていたが、暫くすると諦めたように抵抗を止め、がくりと首を項垂れた。

 自分が肩で荒く息をし、操縦牢に何種類もの警報が鳴り響いている事にテンゴが気が付いたのは、その時だった。


 テンゴはそれから数日間、自分の部屋の寝棚に寝たきりになっていた。

 搭乗者の脳と機体を接続して操縦する方式の拡張外骨格と必要以上に繋がり、生物の情報処理能力の限界を超える性能を引き出した為に、脳に大きな負荷が掛かったからだった。

 意識が朦朧としてまともに言葉を発する事もできず、飲み食いも粥類がやっとの状態が暫く続き、どうにか起き上がれるようになった時には、クマトカゲとの戦いから五日が経過していた。

 テンゴが気が付いた時、側に付き添っていたのは輪太郎だった。

「ほお、テンゴ、目が覚めたか」

 輪太郎の声を最後に聞いたのが遠い昔のように感じられ、テンゴは奇妙に懐かしい気分になった。

 上体を起こすと、輪太郎が作業机にあった保冷水差しから金属のコップに何かを注いで渡してくれた。

 コップの中身は黄緑色の液体で、その鼻から喉へ抜けていくような香りは、もやがかかった五日間の記憶の中でも嗅いだ覚えがあった。

 一口だけ口に入れると舌の上で液体が踊っているようなその辛味は、ろくに動けない状態の時に飲まされた、冷たい液体の味だった。

 残りを一気に飲み干し、どうにかテンゴが発した言葉は、あのクマトカゲはどうなったか、という問いだった。

「奴なら解体されて村で山分けだよ。あんたには皆感謝してる。お陰で犠牲は一人で済んだってね」

 一人、という言葉からテンゴの記憶は急激に結び付き、あの日ガンマンが最後まで出て来なかった事が思い出され、同時に自分が本来ならガンマンの寝床になっている下の寝棚に寝ている事に気付いた。

「そうだ! ガンマンはどうしていますか!?」

 思わず寝棚から身を乗り出し、輪太郎に食って掛かるように尋ねた。

「ガンマン……あいつなら死んだよ……」

 輪太郎は窓の外に視線を向け、ぼそりぼそりと語り始めた。

 あの日、クマトカゲから逃げる時、ガンマンは自分から殿しんがりを引き受けたきり、行方不明になった。

 その後どうにか村まで持ってきたクマトカゲの死体を解体している時、胃から人の死体が見つかった。

 入念に噛み砕かれていて、一緒に入っていた穴だらけの防禦服から、辛うじて人だろうという事が分かった。

 またさらに調べていくと銃が仕込まれた能動義手が見つかり、クマトカゲが最近他に人を食べた痕跡が無かったので、死体はガンマンで確定した、という話だった。

 一通り聞いたテンゴは「何となく、そうだと思っていました」とだけ答えた。

 元々調整人間は他人の死に動揺しにくく作られているというのもあったが、同時に戦争中は、数日前にできた知り合いが次に会った時にはもう死んでいたという事など日常茶飯事で、テンゴはそういう事にはもう慣れてしまっていた。

 胸が痛むには痛んだが、そこまで深く悲しい気分になるという事も無かった。

 だが自分に良い呼び名をくれた者が死ぬというのは、何か自分の一部が外れて永遠に失われてしまったようで、寂しい物だなとも心の片隅で思った。

 また、輪太郎の無線の後ろで聞こえていた銃声はもしかすると、ガンマンのあの義手に仕込まれていた銃の物だったのかもしれないと思った。

 テンゴは続いて鷺沢と銀歯の居場所を尋ねると、輪太郎は二人なら車庫に居る筈だと答えた。

 寝台から立ち上がり、車庫の場所を聞くと彼らに会って来るとだけ伝えてテンゴは部屋を出た。

 身体は酷く重かったが、何とか歩くことはできた。

 普通の人間ならまだ安静にしていなければならないだろうが、調整人間ならもう大丈夫だという事は輪太郎も分かっていたようで、止めなかった。

 輪太郎に教えられた通り、裏口からあの土瀝青の広場に出ると、広場を突っ切って"反吐屋"から見て裏手にある道に出た。

 広場から見て右の方向に向かうと、車が一台どうにか通れる位の道の先に、隣り合っている民家と比べて少し奥に凹む形で、倉庫を横に三つ繋げた長屋のような建物が建っていた。

 左の巻き揚げ鎧戸よろいどが空いていたので、そこから建物の中に入ると、腐蝕ガス灯に照らされて鎮座する拡張外骨格の側に、銀歯と鷺沢が居た。

 銀歯はテンゴの知らない二人の山狩師と共に拡張外骨格に取り付いて修理をしていて、鷺沢はその監督をしているようだった。

 周囲を見回すと拡張外骨格を運ぶのに使った大型牽引車や、翁捨山に入る時山狩師達を乗せた六輪装甲車、その他初めて見るボンネットが突き出たピックアップトラックや、セダンタイプの乗用車にそのまま履帯を履かせただけの簡易キャタピラ車などが停められていて、ここは輪太郎の言う通り確かに車庫だなとテンゴは思った。

「テンゴか。もう起き上がって大丈夫なのか?」

 テンゴが近寄るとすぐに鷺沢が話しかけて来た。

「ええ、調整人間ですから」

 そう言うと鷺沢は拡張外骨格に視線を戻し、目を細めながら続けた。

「皆お前には本当に感謝しているよ。お陰であの辺は半年は安全に探索ができるだろう、ってね。拡張外骨格は大規模修理が必要だろうが、暫くは無くたって困らない筈さ」

 輪太郎に続いて鷺沢にまで感謝されると、視覚感知器があった場所を中心に大穴を穿うがたれた前部装甲を始め、拡張外骨格が全身に纏った戦いの傷も勲章のように思えて、テンゴは少しだけ誇らしくなった。

「見ての通り拡張外骨格は使えないが、お前に頼みたい仕事は山ほどある。もっと忙しくなるから、よろしく頼むぜ」

 そう続ける鷺沢にテンゴは微笑みを返すと、力強く頷いた。

 ガンマンが右手を失くしたのは、昔クマトカゲにやられたからだという事をテンゴが鷺沢から聞かされたのは、それから少し後の事だった。


(おわり)

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テンゴ 正木大陸 @masakidairoku

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