第22話 目覚め

 太陽は厚い雲と背の高い木々に隠され陰を作り出す。夏の昼間だというのに涼しくて仕方がない。いたずらに成長した草本植物たちは簡単に視界を遮った。驚くほどに簡素な造りをした遊歩道では土がぬかるんでいて足を取られる。大きな岩によって生み出された水しぶきは、植物の葉を濡らした。それはさながら遊女の化粧のようで、自然の生の美しさを知るには十分であった。


「ねぇ、春也。ほんとにこんなところが観光地なの? とてもそうには見えないけど」

「そうだよ、ここ稲美渓流は景勝地として有名で天然記念物に指定されているからな。遊歩道以外のとこ歩いたり山菜とか取ろうとしたら怒られるじゃ済まされないぞ」

「へぇ〜」


 緊張感のない宇宙に呆れる春也。観光の後のことなど気にも留めないといった緊張感のなさであった。


「そうえば宇宙。お前あのお婆さんとずいぶん仲良くなったみたいだけど、どんなこと話してたんだ?」

「それは秘密なのです!」

「あらら、秘密にされちゃった」

「そもそも女同士の会話を後から聞こうだなんて、春也さんは趣味が悪いですなあ。そんなんじゃ女の子にモテないよ?」

「はいはい、聞いた私が悪うございました」

「その通り、その通りですー。春也はデリカシーがなさ過ぎ––––へっくち!」


 煽り散らしていた宇宙が突然くしゃみを一つこぼした。


「大丈夫か? ほらよ、これでも着てな。ちょっと薄めだけど勘弁な」


 春也はそう言うと自分が羽織っていた白いパーカーを宇宙に被せた。


「あ、ありがと……」

「おう……」


 それからお互い照れくさいのかしばらく黙って歩を進めた。

 どれほど歩いて来ただろうか、森はより鬱蒼とし、なぜか空気の湿気は増すばかり。その正体は突然に姿を現した。

 大きな滝である。順路から少し逸れた場所に大きな滝が轟音を立てて悠然と鎮座していた。近くの看板には「白糸の滝」と書かれていた。目的の場所である。二人は顔を見合わせると静かにその滝壺に近寄った。


「すごいね」

「あぁ」


 感想は至ってシンプルであった。圧倒的な存在感に魅せられ、魂が抜け出てしまいそうなほどに大量の落水に集中していた。思考は止まり、語彙力を流された二人には難しい言葉なんてものはわからない。ただひたすらに見惚れるだけ。


「本当にすごいな。流石パワースポットなだけはあるな」

「パワースポット?」と、宇宙は訊いた。

「うーん、なんて説明したらいいかな。元気が出るとか、御利益があるとかそんな感じ。昔からそういう場所で有名なんだよ」

「ふーん、魔法とかは知らなかったのにそういうのは信じるんだ。変なの」

「確かになー」


 実際、魔法島が現れるまで魔法というものへの認識は、あくまで創作物上での力であった。しかし、ある日突然に世界の共通認識はあっさり覆され、この世界にも魔法の使える者がいることさえ明らかになった。


「なあ宇宙」

「ん、なに?」

「俺にも魔法とか使えたりするのかな?」

「…………使えると思うよ? 死神と人のハーフだし」

「自身なさそうな言い方だな」

「正直、わからない。死神と人の混血なんて例がないから、春也が魔法使えるかどうかは今はなんとも」

「そっか……残念だな。できたら今すぐにでも空をヒューッて飛んでみたいんだけどな」

「魔力はあっても魔法のコントロールはまた別の話だから、春也に扱えるかしら〜?」


 宇宙が嬉々とした表情で春也の方を上から眺める。煽りたいのかふわふわと一メートルほど浮かんでいた。


「なんだと〜?」


 拳を上げて怒って見せる。二人は笑顔を鏡合わせのように反射し合っていた。

 すると突然、春也が出した一歩がぬかるみに足を取られバランスを崩した。


「あぁあ⁉︎」


 間抜けな悲鳴が零れた。情けない声であった。しかし、春也にそんなことを考えている余裕はない。春也は体勢を崩し、数メートル下の川へと転がり落ちようとしていた。日差しは木々に遮られ、滝のせいかその近辺は特に足元の泥は水分を多く含んでいた。そして、その先の川には上流のためか大きな岩が乱立していて衝突すれば軽傷で済みそうにもない。空を飛ぶ魔法を使えぬ春也にはもう自身ではどうにもできない。

 しかし、次の瞬間、宇宙の叫び声が耳を素早く貫いた。


「春也ァ!」


 声の主の方へと必死に手を伸ばしてみると、小さくも力強い手が握り返していた。春也の体は空中で止まった。そして、ゆっくりと地に足をつけた。


「よかった……間に合って……」


 今にも崩れそうに肩を震わせて春也にその身を預けた。そこには、普段は見せないような弱々しさが見て取れた。


「こんなに震えるなんて、らしくないぞ」

「不安、だったの……。今までは魔壁があったから大丈夫だと思ってたから。ちゃんとわたしに春也を守ることができるかなって……」

「そっか、ありがとうな」


 春也は、細かく揺れ動く頭にそっと優しく手を被せた。すると、安心したのか体の震えは治まっていった。


 パチパチパチパチ……


 突然、手を打ち鳴らす音がひびき渡るとともにその人物は突如として現れた。


「お見事だったわ。流石、私の魔法を見破っただけの事はあるわ」


 二人が振り返るとそこには謎多き女性、マリー・グラディウスが朗らかに笑みを浮かべていた。その後ろでは、人ひとり台の楕円状の穴が空中に浮かんでいた。美しい風景には似合わない、赤黒く淀んだ異物が、その空間に鎮座していた。

 春也は、宇宙を背に回すようにして素早く臨戦体勢に移った。


「誰だ? 俺たちに何の用だ?」

「そんなに構えなくてもいいのよ? そちらのお嬢さんには敵対心はないみたいね」

「春也、大丈夫。この人が例の学校の先生。今日の目的の人」


 それを聞いた春也は少し、肩の荷を下ろす。かと言って、信頼に至るまではいかない。


「不躾な態度をとった事は謝る。けど、信頼する保証はない」


 春也は一貫して警戒していた。果たしてそれは本能なのか、未知の魔法を目にした事への恐怖なのか。


「ええ、信頼して。と言うのはあまりにも一方的だものね。でも、安心してとしか言えないわね」

「わたしたちに話があるんでしょ? どうしてわざわざここまで来させたの?」


 平生を取り戻した宇宙が強く出た。


「そう焦らないで。まずは学校へ行きましょうか。これ、転移魔法なのよ。私について来て」


 そう言ってマリーは赤黒い異空間に吸い込まれていった。

 その光景を見て二人は息を呑んだ。近づくための一歩が出ない。春也は宇宙の手を握りしめた。


「……春也」

「ああ、わかってる」

「じゃあ、せーので行こう?」

「オッケー、行くぞ……せーのッ!」


 意を決して二人はその転移魔法と呼ばれる空間に飛び込んだ。直後、その入り口は消え去り、渓流にはいつもと同じ水が流れる。ぬかるんだ土を夏の日差しが照らした。


「どうなっているんだここは……」


 春也は辺りを見回して不思議な浮遊感を覚える。上下左右、どこを見ても赤黒く歪んだ空間が広がり、まるで絵具を混ぜ合わせているかのような景色がどこまでも続いていた。


「ここ、転移魔法の空間で間違いないよ」

「そうなのか?」

「うん、こっちの世界に来るときに使うけど似たような感じ」


 それを聞いて春也は少し安堵した。しかし、まだ緊張は捨てきれない。


「たぶん、そろそろ抜けるよ」


 宇宙がそう言うと、突如として眩い閃光が二人を包んだ。転移空間を抜ける瞬間、春也の握る手は強く、硬い力が込められていた。






「……ここは、体育館か?」


 俺は目を開けると、高い天井にバスケットコートが二つ、大きなステージと至極一般的な体育館に立っていた。

 ふと、右手の違和感に気づく。先ほどまで隣にいた人物は影もなく、独りになっていた。否、正確には一人ではなかった。


「改めて挨拶をするわ。私はマリー・グラディウス。この学校で先生をしているわ」

「宇宙をどこへやった?」

「さあ? 学校のどこかにはいると思うわ」


 嘘ぶく態度に俺は、眉間にシワを寄せた。二歩、後退して距離を取る。周囲を見た限り全ての扉と窓はは閉められ、全力で走ったところで戸を開けて逃げられそうにない。その上、相手は人間とは言え魔法使いである。どんな魔法を使うかもわからない状況で下手な行動は命取りになりかねない。

 俺は冷静にことの状況について言及した。


「あんたの目的はなんだ? どうして俺たちを分断した?」

「あんまり質問ばかりの男だとモテないわよ。……そうね、一つだけ答えてあげる。目的の一つは、あなたと話すことよ」

「なんのことをだ?」

「それは勿論、貴方たち死神についてよ」

「––––ッ!」


 それは予想外の台詞だった。その言葉に驚き、俺はさらに距離を取る。額には汗が滲み、表情は険しくなる。


「どうしてその事を?」

「古い友人から少し、ね。それについてはまた今度話すわ。今は貴方のことを知りたいの。取って食おうだなんて思ってもないわ」


 どうやらマリーは敵意がない事をどうしても伝えたいようだった。しかし、信用しきるには状況はあまりにも不自然である。ただ会って話をするだけならば一人にするメリットはない。その上、出入り口は締め切られた体育館に二人きり。慎重にならざるを得ない事態なのである。


「確かに、俺には死神の血が流れてる」


 嘘はつかない。俺は慎重に言葉を選んだ。


「あんたは何が知りたいんだ?」

「そうね、そろそろ本題といきましょうか。私が知りたいこと……」


 俺は固唾を呑んで眼前の魔法使いに全集中を傾けた。


「それは––––貴方の実力よッ!」

「ッ⁉︎」


 マリーはいきなり手のひらを向け、反応できるぎりぎりの速度で白く輝く光線を放ったのだ。

 警戒していたのが功を奏したか、マリーから放たれる初撃を避けることができた。


「いきなり何をする!」

「安心して頂戴。もし当たってもそんなに痛くないから」


 確かに、俺の横を通り抜けた光線は床に衝突して傷一つつけずに弾け飛んだ。


「さあ、貴方の魔法を見せて頂戴ッ!」


 マリーはそう言って、今度は手を振りかざした。すると、突然に体重が重くなる。俺は耐えきれず膝をついた。


「くッ!」

「重力魔法よ。そのまま何もしないと潰されるわよ?」


 マリーの言う通りであった。俺は床に伏せてしまう一歩手前で耐えていた。実際このままでは時間の問題であった。

 俺には魔法が使えない。否、使い方がわからない。自分でも言った通り死神の血が半分混ざっているのだ。魔法が使えない通りがない。しかし、宇宙やレンから感じ取った魔力は俺からは欠片もない。俺だって出来ることなら使いたい。空だって飛んでみたい。魔法を覚えて、覚えて……何がしたいんだ?

 俺の思考は混迷としていた。マリーの魔法を必死に耐え抜く中で考えがまとまらない。

 押しかかる魔法の重圧は更に強くなっていく。

 俺の体力は徐々に減り、限界が見え始めた。目に見えぬ負荷の中、俺は今まで如何に守られていたかを痛感した。屋上から転落した時も父さんの魔壁がなければ死んでいただろうし、宇宙がいなければ遊園地や今日だって死んでもおかしくない状況ばかりであった。俺は守られていたのだ。だから、俺がやらなければいけない事はただ一つ、一つだけである。


「おぉおおおおおおおおおお!」


 薄れゆく意識を押し除けるように雄叫びをあげた。

 そうだ、俺はこの状況を打破して宇宙の安否を確認しなければならない。そのためにも内在するはずの魔力を解放する。方法も何もわからなくても出来なければいけない。

 過程なんかいらない、結果だけを求めるのだ。

 胸の奥が熱くなるのを感じる。重力が更に強くなるのとは裏腹に、どこからともなく力が湧いてくる。


「はぁあああああああああ!」


 俺が咆哮したその時、まとわり付く様に覆っていた重力は消し去り、マリーはその余波で数メートル後ろへと飛ばされた。

 マリーは彼の変化に驚いた。押し潰される寸前まで追い込まれていたはずの少年は、息ひとつ乱さずに冷静に見据えていたのだ。そしてその目は先ほどまでの黒い眼差しではなく、引き込まれそうな緋色に変化していた。明らかな雰囲気の変化にマリーは喜んだ。自分の魔法が、ただの魔力に打ち消されるどころか押し飛ばされたのだ。


「もう十分だろう。宇宙のもとへ案内してくれないか」


 俺は落ち着いていた。自分がやったことや、二人の力量差もわかっているつもりだ。だからこそ、宇宙に会うことを一番に考えた。


「えぇ。貴方の力量は痛いほどわかったわ。もう入って来ていいわよ」


 マリーがそう言うと、体育館の一番大きな扉が開き、宇宙が顔を出した。


「春也!」


 宇宙は、その姿を視認すると脇目も振らずに駆け出した。

 俺は走る勢いのまま飛び込んでくる宇宙を抱きとめた。


「宇宙、大丈夫だったか?」

「わたしは大丈夫。春也こそ平気?」

「俺は心配ない。強いて言うなら身体が軽いくらい」


 至近距離で見つめ合うと、宇宙はとある変化に気付いた。


「春也、その目……」

「ん? 目がどうかしたか?」

「緋色の目をしてる。それに、この魔力は春也の?」

「なにっ⁉︎ 充血しているのか?」


 慌てて目の周りを触れてみるが自分では確認のしようがない。すると不意に、聞き覚えのある声が聞こえる。


「これを使うといいよ」


 突然投げられたそれを俺は落としそうになりつつも手を取る。


「あんたは、ロドルフ⁉︎」


 声の主は一度入院した時の担当医であるロドルフ・ジェミニスであった。

 俺は驚きつつも渡されたそれを確認した。それはロドルフのケータイであった。見ると、画面に特殊なフィルムを貼ってあるのか鏡の様になっていて、自分の顔がよく見えた。


「目が赤くなってる⁉︎」


 俺はそれを見て驚愕した。もともと黒目だったはずだが、まるでカラーコンタクトを入れているみたいに緋色に染まっていた。


「それが死神の本来の瞳だよ」と、宇宙が言った。

「本来の? でも父さんや喫茶店のレンは黒かった気がするが」

「それはたぶん、黒いカラコンを入れてたんだと思う。緋色だと目立つから」

「なるほどな。じゃあ、身体の至る所から溢れ出ているような感覚があるんだが、これが魔力なのか?」

「そうだよ、きっと春也の死神としての血が目覚めたんだよ」

「そっか、これが……」


 俺は宇宙を抱きしめているのとは逆の手を見つめる。身体は軽いのにどこか重厚感を覚える不思議な感覚。これが魔力なんだと噛み締める。


「出来れば、私たちも話に混ぜてくれないかしら」


 俺が一息ついたところで少し間を置いてマリーが割って入ってくる。


「大丈夫だよ、春也。この人たちは信頼できる」

「ああ、わかってるさ」


 彼女らが敵意を持っていないことは、宇宙が無事であることを見れば明らかであった。特に何かされた様子もない。


「いいかしら? ここではゆっくり出来ないから移動しましょう」

「いやー! 僕も春也クンとはゆっくりお話したいからね! 楽しみで仕方ないよ! 本当に久しぶりだね、何ヶ月ぶりかな?」と、ロドルフ。

「ああ、行こうか宇宙」

「うん」


 俺は宇宙の手をしっかりと握り、マリーの後を追う。


「あれ? 無視なの? なんで⁉︎」


 空気の読めない医者を置いて三人は体育館を後にした。


「えぇ⁉︎ 僕を置いていかないでよー!」


 変な医者の悲痛な叫び声は静かな体育館にひびき渡った。

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俺の運命と悲劇のリセット リーフ @konarazushi

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