十日目「意識を蝕む雨。彼の頭部。高坂輝、諧謔に笑う事」
高坂
輝と同じ中学に行きたいからと、成績は悪かったのに必死に勉強した。
桜坂中学では卓球部に所属し、いつも英語部の輝と一緒に帰宅した。隣のクラスの輝と一緒にキャシー・ヤマモトに懐き、彼女の秘密を知る事となった。
エスカレーター式で高校に上がって、輝も來も帰宅部となった。主に北川と菖蒲、そして志津とつるんでいた。
來が自らの性癖について確信したのは高校一年生の時だった。女友達の家に遊びに行き、二人きりになった所で、彼女は來に接吻し、服を脱ぎ始めた。來は訳が分からないまま彼女を見ていた。全裸になった彼女が迫ってくる事に猛烈な嫌悪感を感じ、同時に仲の良いクラスメイトの男子を思い出した。そこで今までもやもやしていたものがはっきりと分かった。自分は同性愛者であると。
高校二年生の時、近所の大学生の男と一夜を共にした。以来、家族にひた隠しにしながら、その大学生や同級生と関係を持った。
誰にも、輝にすら言えなかった事に、最初に気付いたのが志津だった。
『もし違ったら凄く申し訳ないんだけど……』
志津が家に遊びに来て、輝が席を外している間、志津は來がゲイではないかと尋ねてきた。來は素直に驚いた。誰にも見破られない自信があったからだ。肯定すると、志津は優しく微笑み、
『輝に秘密が出来ちゃったな』
と笑った。
だからこそ、彼女の死は衝撃だった。目の前で、いつも通り北川や菖蒲、そして輝と笑っていた彼女が、突然自死した事は。初めて自分を受け入れてくれた人、何より輝の愛した女性。その死。
輝の落ち込みようといったら見ていられないものがあった。來は必死で輝を励ました。少しでも輝が笑えばそれでいい、そう思って、輝が不登校になった一ヶ月間、來もずっとそばに居た。輝の痛みを自分が全て引き受けられればいいのにと希求した。
高校三年になった年、來は両親を説き伏せて通信の高校へ編入した。全日制高校という制度が自分には合わないと思ったからだ。勿論輝と過ごす時間が減るのは辛かったが、それでも來は自分の道を模索した。
そして輝と同じ日に卒業を向かえた來は、両親に自分の性癖を告白した。
自分は男しか愛せない、と。
両親、特に父親は激昂し、來をどなりつけ、また殴りもした。母親は呆然と泣くばかりだった。家を出る覚悟は出来ていた。
すると輝も、自分は医者にはなりたくないと言い出し、同時に、ありのままの來を受け入れようとしない父親に猛烈に反発した。
『ゲイだろうが何だろうが、來は來だろ!』
『親父は俺たちに何を求めてるんだよ! 現実を受け入れろよ!』
『來が行くなら、俺も家を出る』
そう言って、二人は町田の家を出た。
二人で安い木造のアパートをシェアし、保証人は母方の祖父に頼み、二人での生活が始まった。
輝は奨学金を取り、また祖父の援助もあって無事大学を卒業した。
來は大学には行かず、車の部品製造の工場に勤めた。その頃思いを寄せていた上司は、來と仲の良かった女性社員と付き合うようになった。女を憎いと思ったのはそれが初めてだった。
だが輝との生活は楽しかった。輝はゲイである自分を受け入れてくれたし、何より來に対して今までと変わらずに接し続けてくれた。來はそれが嬉しかった。
今、輝は頭から血を流した來の死体を力一杯抱きしめていた。
木造のアパートに、執拗な雨音が響く。
「おまえ、だったんだな」
涙は止まらなかった。
『存在自体を消すなんて、無理な話だよ』
物置部屋は元通りになっていた。即ち、來の部屋だ。
輝とは違い、絵が好きだった來の部屋は、キャンバスと絵の具、画材や画集でいっぱいだった。これは趣味だから、と言いながら、それでも來は仕事の合間に絵を描き、時折コンクールに送ったりもしていた。輝は絵を描いている時の來の生き生きとした表情が好きだった。絵画に疎い輝は、來の描く抽象画が何を意味しているのか理解出来なかったが、それでも、描いている時の來は、文字通り、生きていた。
輝は冷蔵庫を開ける。そこには沢山のチョコレート菓子が詰まっていた。
來は甘い物に目がなかった。特にクロエというチョコレートが好きで、よく虫歯になるぞと輝は注意していたものだ。買い出しに行ったかと思いきやクロエを箱買いしてきて、輝は苦笑しながらも微笑ましく思っていた。
生まれた時から二人はずっと一緒だった。一緒に公園でブランコに乗り、夏祭りでは菓子を取り合い、輝は兄貴風を吹かせながらも、來はそれについてきた。
俺が殺したんだ。
きっかけは些細な事だった。
大学を出て以来バイト生活をしていた輝に、來がちゃんと就職すべきだと、やんわりと言ったのが発端だった。家賃は二人で折半していたし、何の問題もなかったが、來は輝にはきちんと社会に出て欲しかったのだ。
それが深夜、大きな言い合いになり、輝はテーブルの上にあった灰皿で、來の頭を殴りつけた。
即死だった。自分が來を殺した。
輝は來を愛していた。自分の双子の弟を。
それが、何故こんな事に?
輝の後悔の念はあまりにも強烈だった。來という存在全てを消し去ってしまった。來自身も、人々の中の高坂來の存在記憶も。
自己防衛か。輝は思う。自分の辛い感情を消したいから、俺は來の事を『消去』してしまったのか。
「來……」
自分と全く同じ顔をした死体を、輝は抱きしめた。身体はひんやりとしていて、心臓は動いていない。
いつも自分を慕ってくれていた弟、いつも自分の味方だった弟、かけがえのない、自分の分身。
その存在を、自分の身勝手で殺し、自分の身勝手で人々の記憶からも消した。
「怒ってるか?」
返事をしない死体に、輝は問いかけた。
全てを思いだした今、輝は泣くのをやめた。
この十日間は來の想いの発露だったんだろうか。自分を、自分という存在を忘れて欲しくないという、來の希望だったのだろうか。
それなら、もう、大丈夫。
「俺はおまえが大好きだったんだぞ。別に言葉にしなかったけど、おまえ分かってただろ? ちょっと殴ったくらいで死ぬなよ。俺を置いて逝くなよ。なんでだよ。そりゃ全部俺が悪いよ。でもおまえ無しで俺は、俺はこれからどうやって生きていけばいい?」
インターホンが鳴る。
諧謔だ。
ふと、輝は思った。
來を殺した自己嫌悪と現実逃避でこの訳の分からない状況に陥った。十日間、輝はもがき苦しんだ。それが來の本望なら、もう充分すぎるほどに味わった。
笑える話じゃないか。自分勝手に殺して自分勝手に消して、それでも來は戻ってきた。そしてもう、二度と目を開けない。
「輝、居るんでしょ?」
桜子の声も、聞こえなかった。雨音は輝の意識を蝕み続ける。
そう、かくも愚かしい諧謔の真相を知るのは俺一人でいい。
【END】
デソレーション・ブルース 八壁ゆかり @8wallsleft
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