四の十一(最終回)
――終わったんだ。
あぐりは思った。
木々は折れ、山は削られ、景色はむごく無残なものがあったが、
カシンという宿敵を倒し、母の仇を打てたという実感も、アオイとはもう会えないだろうという実感も、まだちっともあぐりの胸にはわいてこなかったけれども、どこか肩の荷がおりたような、胸のつかえがとれたような、ちょっと気持ちが軽くなったような気分だけはあった。
紫も小町も、じっと何かをみつめている。
何をみつめているというわけでもないのだろうが、あぐりと同じように、自分たちの家庭をめちゃくちゃに壊した敵を倒せた実感がまだわかないのかもしれなかった。
空は、星空だった。
南の、
そして、いっぱいの星明りのあいだを縫うように、ふたつ星が流れたのだった。
三人は、同時に変身を解いた。
ふと、子犬のアオイがあぐりの足元に近づいてきて、足首に頬をこすりつける。
あぐりは、アオイを抱き上げた。中のアオイさんはもういないのだ、もう喋ることはないのだ、という気持ちが不意に襲ってきて、悲しさを紛らわせるようにアオイをぎゅっと抱きしめた。
アオイは無邪気にあぐりの頬をぺろぺろとなめる。
「帰ろう」
あぐりがつぶやいた。紫と小町がうなずいた。
「もうすぐ夏休みだしね」小町が日ごろの彼女にも似合わない、ちょっとずれたことをつぶやいた。
「小町ちゃんは、なにか予定をたててるの?」
「ううん、べつに」
「宿題、いっしょにやろうね」
「うん」
「その前に」紫が唐突に話に割って入った。「合宿して修行しなくっちゃな」
「なんで!?」あぐりが頓狂な声をあげる。
「そりゃそうだろう、この先、どんな強敵が現れるかしれたもんじゃない。そのためには、修行だっ」
「あんた、ひとりでしなさいよ。私とあぐちゃんはエアコンのきいた部屋で楽しくおしゃべりしながら宿題をするのよ」小町が否定する。
「そうね、それがいいわね」あぐりがうなずく。
「汗水たらしてこその夏休みだろう」紫が妙な理屈を言う。
「はあ、なにそれ、どんな根拠」小町がつっこむ。「だいたい、変身ヒロインアニメじゃないんだから、敵を倒したらすぐに次の敵組織が現れるとか、ありえないから」
「いやいやいや、ありえるだろう」
「ありえないわ」
ありえる、ありえない、ありえる、ありえない……。
ふたりのやりとりを聞いていて、あぐりななんだかむしょうに、笑いたくなってきた。どうしても抑えられない笑いが、お腹の中からこみあげてきた。
そして、めいっぱい笑った。
その笑いにさそわれるように、紫も小町も、笑った。
三人の笑い声は、静寂の池畔に響きつづけた、いつまでも。
ちゃん。
ぐりちゃん。
あぐりちゃん。
まどろみのなか、誰かが呼んでいる。
あぐりは自分の名前を呼ぶ声に、目を覚ました。
その胸の上には、子犬のアオイが乗っかかって、あぐりを起こそうと呼びかけていた。
「もう」あぐりはアオイをベッドわきへよけつつ、ふとんを頭にひっかぶった。「もうちょっと寝かせてよ。昨日がんばって疲れてんだから」
「疲れてるとか、関係ないでしょ。学校はまだ夏休みじゃないのよ」
「わかってるわよ、そんなこと」
「ぎゃーーーーーっ!」
あぐりは布団をはじきとばすようにして飛び起きた。
「アオイさん!?なんで!?」
「知らないわよ」アオイはあきれたように言った。「私も今朝目を覚ましたら、こうなってたんだから」
「はあ!?」
「そんなことより、早くしないとほんとに遅刻しちゃうわよ」
あぐりは、ちらっと時計を見た。
「ぎゃーーーーーっ!なんでもっとはやく起こしてくれなかったのよ!」
「知らないわよ!」
アオイはあきれたようにため息をひとつ。そうして、ばたばたと身支度をするあぐりを放っておいて、源次郎に朝食をねだりに階下へとおりていったのだった。
あぐりが、玄関のドアを荒々しく開けて、道路へと飛び出す。
と、さすがの紫も疲れから寝過ごしたとみえ、走ってきてあぐりと合流した。
「おはよ」
「おはよ」
と挨拶だけかわして、ふたりは走る。
住宅街を抜けると、家の角にいた小町があっけにとられた顔でこちらをみている。
「遅刻しちゃうよ」
あぐりの声に、小町もつられて走り出す。
三人は、真っ青な空の下を、学校へ走る。
彼女たちの未来を明るく照らすように、太陽がきらきらと輝いていた。
(第一部完)
天煌装忍アルマイヤー 優木悠 @kasugaikomachi
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