肆拾

 

 半壊した儀式の間は、床が崩れ落ち、屋根には大穴が開き、壁面は氷付となった異様な空間。

 周囲には意識を失った無数の爪牙人達が倒れ、壁には氷柱で四肢を縫い付けられたまま気を失っている男。


「なんというか、守るとは言ったもののこれ以上何が起きるんだっ? て感じだな、拳銃一丁で戦おうとした自分の無謀さを改めて思い知らされた……しかし、丸腰ってのも心許ない」


 獅童は、腰に常に携帯している愛用の銃がなくなっていることを確認し、ドリュファストの顔を思い浮かべながら舌打ちをした。


「ご心配なく! 獅童様のことはわたくしがお守りいたしますわっ、そしてお約束通りこの忌々しい城を叩き切って差し上げましたの!」


 瞳をキラキラさせて鼻息を荒くするカミラを見て、苦笑いを浮かべながらもあからさまに突き出された栗色の頭に手を置いて軽く撫でた。


「へぇ、そ、そうか、斬った……ね? うん、とりあえず、ありがとうな? カミラ」


 現在、カークマンとの戦闘で力を使い切った様子のルーシーを、フィナと繋がるように意識を集中させたまま微動だにしないレヴィア達の横に寝かせ、丸腰よりましと拾った両刃の剣を片手にカミラと二人で周囲を警戒していた。


「獅童様、本当に、本当にご無事でよかったですわっ、獅童様がさらわれたと聞いたときは、この世の終わりかと思いましたの」


「それは、ちょっと言いすぎているような気もするが、とにかく心配かけて悪かった————ところで、ロゼと……レティシアの姿が見えないな」


 面目ないと言った表情で頭に手をやり応えた獅童は、周囲に視線を送り、本来なら真っ先に飛んで来る辛辣なツッコミと、しかし、必死に獅童を守ろうと戦ってくれた少女。そして、どんな事情を抱えてか、重く悲しい瞳を宿した鷲のような翼を持つ、二人の少女の姿が見えないことに引っかかりを覚えていた。


「そうですわね……お二人は、今頃」


 その時であった、微かに氷がひび割れる音が静かな空間に響いた。瞬時に警戒を高めた二人は、剣と刀を手に壁へ貼り付けられた男、カークマンへと視線を向ける。


「————カミラ、動くなっ、動いたら多分、首が飛ぶ」


 獅童はゴクリと息を呑みカミラに警告を発し、その意味を察知したカミラは静かに視線で頷いた。それは、なんの根拠も確証もない発言であったが、獅童には感じ取れたのだ、首元に命を刈り取る刃を突き立てられている強烈な感覚、一歩でも動けば命がないとわかる。戦場という死線をくぐってきた獅童であるからこそ感知できたとも言える。


「ぷ、ぷはぁはははっ!? 動くな、いや動いてもいいけど、どうせなら一斉に首が落ちた方が綺麗だろっぅ? よくも、よくも僕をコケにしてくれたな白髪女!? 僕の“意思”は絶対なんだよ! 武器なんかいらない、僕の意思が今からお前達全員の命を刈り取るんだ」


 獅童達の視線の先、瞳に狂気を宿して意識を取り戻したカークマンが叫び声をあげた。獅童は、瞬時に思考をフル回転させ、現状を回避する方法を考える。首筋に感じる鋭利な感覚は間違いなくカークマンの力、ルーシーとの戦いでも見せた不可視の刃。そして恐らく、カミラ、フィナとレヴィア、ルーシーの首元にも同じく不可視の刃が当てられていると見て間違いない、と獅童は判断。どの位置に刃があるのか、自分の首が飛ぶのを覚悟して手にした剣を少女達の首元へ割り込ませれば攻撃を防ぐことができるであろうか、しかし、誰の首に。獅童は逡巡する、視界に映り込む少女達、死を覚悟して誰かを守っても必ず誰か死ぬ。

 この瞬間、獅童は硬直することしか出来なかった。守ると誓った、しかし、とどかない。


「————っくそ、銃さえあれば今すぐにあいつの脳天ぶち抜いてやるってのに!! カミラ、お前は自分の命を守れ!!」


 カミラへと叫んだ獅童は、意識のない少女達へ飛び込む体制を取った。首筋に薄らと鋭利な刃の跡が走り、血が滴る。


「し、獅童様?! いけませんっ犠牲になるのは、わたくしが!!」


 獅童の行動を察したカミラは、必死に声をあげ、しかし、二人の意思は虚しくも一人の男の凶悪な意思によって引き裂かれる直前であった。


「全員まとめてしねぇええええええ————」


 死を覚悟した。それでも守りたいと獅童は一歩を踏み出した、瞬間。


 獅童とカミラの間を突風が駆け抜けた。


「————ぁ、なん、だ、これは、し、死にたくな、ぼくは、にいさん」


 視線を向ければそこには、幻想的な美しさを放つ一本の槍、獅童にも見覚えがある槍がカークマンの心臓を穿っていた。


 同時に消え去る首元の違和感、不可視の刃はカークマンの死を持って完全に消失した。


「相変わらず不愉快な人でした、ですがこれで終わりです」


 背後から響いた凛とした声色、そこには大きな翼を広げた少女が一人立っていた。


「レティシア、お前、俺たちを助けて————」

「ロゼさんを、どういたしましたの?!」


 状況が未だに飲み込めず唖然と問いかけた獅童の言葉を遮り、両手に刀を構えたカミラが叫ぶと同時に険しい表情でレティシアへと飛びかかった。


「落ち着きなさい? あなた、そういうところ“痛い”わよ? せっかく治したのにあなたに殺されたらロゼの苦労が台無しじゃない」


 レティシアへと斬りかかったカミラの前にふわりと割り込んだメイド服の少女。ロゼは、血のように赤い剣でカミラの一撃を受け流した。


「ロゼ!! よかった、無事だったんだな」


 その姿を確認して安堵した獅童は、大声で呼びかけた。気がついたロゼは獅童を視界に収めると羽を広げて急接近した。


「————ロゼ?」


 いつものロゼから想像するに、何かしらの攻撃を加えられると予測した獅童は思わず身構えたが、訪れたのはそっと触れる少女の柔らかくて暖かい感覚であった。


「元に戻ったなら、真っ先にロゼに教えなさいよ……」


 首元に抱きついたロゼは、獅童の肩に顔を埋めながらボソボソと小さくつぶやいた。


「あ、ああ、心配かけて悪かったな? だが、意識が戻って今が初めての再会では————いでででっ痛い!?」


 獅童はもっともらしいことを言いかけて首元に思い切り牙を突き立てられ、訳もわからず痛みに悶える。


「ふん、そんなの気合いでなんとかするのがご主人様としての務めでしょう? とにかく、無事だったなら挨拶代わりにロゼの足を舐めなさい」


 ツンとした態度で獅童から離れたロゼは、いつもの調子に戻るが、そこへお馴染みのようにツッコミを入れてくる少女がいないことに気がつき辺りを見回すと、レヴィアと共に眠りにつくフィナの姿を目にとめた。


「何があったの? 説明しなさいご主人様」


「ああ、これはさっきレティシアがトドメを刺したカークマンって野郎が———」

「説明を聞きたいのはこちらの方ですわ? レティシアさん?! 納得のゆく説明をしてくださるのでしょう?!」


 周囲の異様な光景に顔をしかめるロゼへ説明しようとした獅童を遮ってカミラがレティシアへと詰め寄る。その手にはまだ刀が握られたまま、警戒を解いていないのが見て取れた。


「私は————」


 困惑したように顔を俯かせ、言葉を詰まらせるレティシア。しかし、そこへロゼが代弁するように言葉を発する。


のよ、足元に転がっている人達と一緒、あの悪趣味な王様の言いなりになっていたのをロゼが魔石を壊して、助けてあげたってわけ、だから、その子に何聞いても無駄よ? 覚えてないもの」


「ロゼどの」


 ひらひらと手を振りながら軽く応えたロゼに、レティシアは目を丸くして視線を向けた。その話を聞きカミラは驚いた様子で口に手を当てると、刀を鞘に収め、申し訳なさそうにレティシアへと頭を下げる。


「そんな……ごめんなさい、レティシアさん、わたくし事情も聞かずに、決めつけて」


「カミラどのっ、やめてくれ、私は……みんなを巻き込んで迷惑をかけたのは私の責任だ、謝るのは私の方だ」


「ふん、そうね? とっても迷惑だけど、操られていたのだからあなたを責めても仕方がないじゃない? あなたが謝るとロゼが嘘つきみたいだからやめてもらえない?」


 申し訳なさそうに表情を曇らせるレティシアへ一見辛辣な言葉を投げかけるロゼ、しかし、レティシアはそんなロゼへと親愛の眼差しを向け、なんとも不器用なロゼの思いやりを察した獅童は微笑ましく二人を見つめた。


「何見ているの? 気持ち悪いわ?」


 不意に目があったロゼは、いつも通り冷めた表情で容赦無く獅童を切り捨てる。


「っぐ、相変わらずだが、それでこそロゼだ————とにかく、二人とも無事で何より、レティシアもあまり気にするな?」


「獅童どの、この御恩とあなたに頂いた命、これから先も獅童どのに使ってもらえないでしょうか」


 改めて獅童へと向き合い膝をついて忠義を表すレティシア。


「ああ、信頼している、これからもよろしく頼む」


「————はい!」


 そんなレティシアへ獅童は手を差し伸べ、応じたレティシアと力強く手を握り合った。様子を見ていたカミラとロゼもこの場所にあってどこか緩やかな雰囲気へと心を落ち着かせていた。


 ひとまず落ち着きを取り戻した獅童は、ロゼとレティシアへ経緯を説明し、納得した二人を含め意識のない三人を守るように囲んでいた。


「ところで、あいつらも魔石を壊せば元に戻るのか?」


 ルーシーの咆哮で意識を失った爪牙人達をさしながら獅童は問いかける。そこに応えたのはロゼであった。


「死ぬわね? あれは宿主に寄生して身体の奥深くまで浸食しているの、ご主人様がどうやって解放されたかは知らないけれど、レティシアはロゼの力でなんとかなっているだけ」


 そう言いながらロゼは無造作に、疑問符を浮かべながらその行動を見つめていたレティシアの胸元へと手をやると、ガバッと大きく胸の間を開いて見せた。


「ちょっ———ロゼどの!?」


「なに? みせた方が早いじゃない」


「そうゆう問題では、あ、あの、私にも心の準備が」


 ぷるんとあらわになる、たわわな果実。レティシアはその顔を真っ赤に染めながらロゼへと抗議する、しかし、何が悪いのかと言わんばかりに怪訝な顔をするロゼであった。


「ロゼ、グッドだ————ぶっ」


 獅童は、しっかりとその光景を目に焼き付け、鼻から見事な鮮血のアーチを描き後方にドサリと倒れた。そして獅童の視界に映ったのは、悩ましく揺れる柔らかな谷間の間、以前は魔石が埋め込まれていた場所に残る痛ましい傷跡とそこを塞ぐように固められた血の跡だった。


「なるほどな、今もロゼは必死にレティシアを救おうと頑張っているわけか」


「なに? ロゼは迷惑を押し付けられただけで別に」


 満足そうに獅童は、冷ややかな視線で平静を保とうとしているロゼへと近づき、ぽんと頭に手をおいた。


「偉い、おまえ今、すごくいいよ、うまく言えないけどな、良い、良い美少女だ」


「わ、わけがわからないわね、そんな鼻血だらだらの腑抜けた顔で言われても、ほんと、意味、わからない」


 どこかしおらしく俯いたロゼを満面の笑みを浮かべて撫で回した獅童は、鼻の下の血を拭うと、気を取り直してフィナとレヴィアが目覚めるのを願い、待つことにした。


「ちゃんと戻ってこいよ? フィナ」


 あどけなさの残る少女の無垢な寝顔に微笑みかけ、祈りを込めるようにその頭へと手をおいた、瞬間。


「——————!!」


 城全体が大きく揺れ動いた、そして、獅童達のいる儀式の間に唯一残された出入り口、そこから異様な気配が漂い始め、獅童達が武器を手に警戒を最大限高めたその時。


「なんだ、なにが起きた————」


「獅童様、何か来ますわ」


「ふん、気持ち悪いのはご主人様だけで間に合っているわよ」


 額に汗をにじませる獅童。二対の刀を抜き身構えるカミラと目尻を吊り上げて苛立ちをあらわにするロゼ。


「……これは、ドリュファストの」


 そして、拳をワナワナと震わせながら扉へと鋭い視線を投げつけるレティシアは、忌々しそうにこぼした。


 ドンっという扉がはじけ飛ぶ音とともに、その場所へ異形の形をした禍々しい黒い影が大量に流れ込んで来た。

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