参拾捌
完全に意識を取り戻した獅童は、周囲の状況を見て唖然とした。半壊した建物、無数の爪牙人と戦う見知った少女達、そして、血塗れになった自身の両手と、懐に寄りかかって浅く呼吸を繰り返す黄金色の髪と獣の耳を持つ少女。
「フィナ、しっかりしろフィナ!?」
フィナを抱え直し、傷口を手で押さえて止血しながら意識を手放さないよう懸命に声をかける。
「コホッ、コホッ、起きるのが遅いよ、ばか、しどー」
「すまないっ、後でいくらでも叱られてやるからっ、もう喋るな」
獅童は、腕の中でぐったりと横たわるフィナから視線を外し、薄ら笑いを浮かべている男を睨みつけた。特徴的な白い軍服、王国軍大佐カークマン、無意識に錯綜する記憶が脳内を駆け巡り、全ての情報が一致する。何よりも、その手に握られていた血の滴る剣が男の所行を雄弁に物語っていた。
「てめぇだけは絶対に殺す」
怒気を孕んだ低い声色で唸るようにカークマンへと言葉を発した獅童、しかし、顔色一つ変えずにカークマンは応える。
「シドウ・ケンザキ、そんなに怖い顔を向けないでくれよ? 僕はただ、僕のものを取り戻したいだけ。君もせっかく生きながらえたのだから、その死に損ないを僕に————」
余裕の笑みを浮かべたまま手にした細剣をフィナと獅童へ向け、言葉とは裏腹にその視線はフィナもろとも獅童を刺し貫くつもりなのが明白であった。
そして、言葉を終えるより早く一歩踏み込み、カークマンが狙いを定めた瞬間。
「ァア——————————ッッッ!!」
透き通るような轟音、その音が響くと同時に空気は凍て付き、皮膚を焼くほどの極寒がその場を支配する。
「な、なんだ、この音は!? 寒いじゃないかっ、僕は寒いのが嫌いなんだ」
ここにきてカークマンの余裕が崩れた。動揺をあらわにして異変の正体を探るように周囲を見渡す。同じく獅童も突然の事に驚き、フィナを力強く抱きしめながら視線を巡らせた先。
そこには、真っ白な体毛に両腕を覆われ、白く透き通るような白い髪を荒々しく乱した美しい獣————ルーシーが普段からは想像もつかない形相で、牙を剥き出しに猛獣のような咆哮をあげている姿があった。その周囲は、ルーシーの咆哮によって強制的に戦意を刈り取られた爪牙人達が倒れ伏していた。
「ルーシー、まさかフィナのことでキレたのか」
「あれは、うちでも簡単には止められへんな、しどうはん? いろいろと心の整理もおっつかんと思うけど、まずはフィナはんの治療が先や」
隙を見て獅童とフィナの元へ駆け寄ったレヴィアがフィナの周囲に青白い光の文様を出現させ傷口を癒し始める。獅童は、レヴィアの顔を見てわずかに安堵の表情を浮かべると、ルーシーの姿にただただ目を見開いて立ち竦むカークマンへと視線を戻した。
「ちょっと、勘弁してほしいな? あんな化け物がいるなんて聞いていないよ」
余裕の笑みを取り繕ってはいるが、その額はわずかに汗ばんでいる。ルーシーの圧を直接的に受け、その本能が警鐘を鳴らしているようであった。
「ァ——————ッッ!!」
更に咆哮をあげたルーシーは、カークマンの姿を視界に入れてゆらりと向き直り、無表情のまま掌をかざした。
「やる気満々だね、悪いけどまともに相手なんかしないよ————!?」
細剣を構え、距離など関係ないとばかりに剣を振ろうとしたカークマンは、次の瞬間思わず硬直した。
掌をかざしたルーシーの周囲に無数の巨大な氷柱が出現、それをルーシーはカークマン目掛け、一撃、二撃、次々と拳で殴り、まるで大砲のように撃ち放ってゆく。
「————くっ!?」
攻撃を仕掛けようとしたカークマンであったが、その圧倒的な威力と質量に回避もままならず上空へと剣を振った。
刹那、カークマン目掛け、ルーシーの放った氷柱の大砲が直撃した。
「危ないなっ! いい加減にしなよ!?」
完全に氷柱が直撃したと思われたカークマンだが、いつの間にかその身体は上空へと移動し、ルーシーへと鋭い眼光を向けながら剣を数度振るう。
「————!」
直後、ルーシーの全身に鋭利な斬撃が走り皮膚を裂いた。一瞬ぴくりと鼻を動かして驚いた様子をあらわにしたが、すぐに空中を一瞬のうちに移動しながら不可視の攻撃を放つカークマンを見据え。
「……」
ルーシーは無言のまま拳を振り上げると、地面を力強く殴りつけた。同時に殴りつけた地面から、空中を移動し続けるカークマンへ向かって伸びる氷の柱が出現、ルーシーはその上を疾走し宙にいるカークマンのもとへ向かう。
「バカだな、その首、切り落とさせてもらうよ」
ルーシーを完全に互角の敵と判断したカークマンの表情は真剣そのものであった。そして容赦無くその首に向かい不可視の斬撃を放つ。
「————」
ルーシーは走りながら身の丈ほどの氷柱を数本、自分の前に出現させると、それを盾に突進する。カークマンの斬撃は氷柱の壁に阻まれルーシーには届かなかった。
「甘いよ、僕の斬撃は僕の意思そのもの、なんだって出来る———こんな風にね」
突如、ルーシーの背後に姿を現したカークマンは後ろからその首を目掛けて思い切り細剣を振り抜いた。
「な、僕の攻撃を————」
ルーシーは振り返る事なく、腕に纏った氷の籠手でカークマンの剣を受け止めていた。ぎりっと歯がみしたように見えたカークマンであったが、次には口元に笑みを浮かべて言った。
「なんてね、君一歩でも動けば全身バラバラだよ? 囲まれているって事、言葉の意味わかる? 久しぶりに楽しかったけど、これでお終い、さよならだ」
余裕を取り戻したカークマンは、勝ち誇った表情で最後の攻撃をルーシーへと放つ。瞬間、ルーシーは氷の足場を思い切り踏み砕いた。
「な、にっ!?」
二人は重力に従い、そのまま体制を崩し足場と共に自然落下する。カークマンは再び空中へと斬撃を放とうとしたその時、空中でルーシーに首元を鷲掴みにされ思い切り真下へと叩きつけられた。
「がっ————」
半分床にめり込んだ身体を必死に起こしたカークマンはわずかに青ざめた表情で真横へと飛ぶ、瞬間、先ほどまでカークマンがいた場所へ巨大な氷柱が突き刺さった。
「ぁ、ぁ、あ————」
動揺で言葉の出ないカークマンは、なんとか体制を立て直そうと剣を構えるが、間髪入れずに肉薄したルーシーの強烈な拳が腹部に叩き込まれ、その凄まじい膂力により、全身を凍りつかせながら壁へと打ち付けられた。
「————もう、やべで、ゆるじで」
かじかむ唇を必死に動かし、許しをこうカークマンであったが、そんな願いが怒れる少女の耳に届く事はない。ルーシーは、再び掌をかざすと、四本の細く鋭利な氷柱を出現させ一斉に放った。
「がぁアァ————!!」
放たれた氷柱はその四肢を貫き、壁へと縫い付ける。カークマンは絶叫の末がくりと項垂れた。
その姿を見届けるように立ち尽くしていたルーシーであったが、不意に脱力してその場に倒れ込んだ。
「ルーシーさん!? 無茶をしすぎですわっ! 大丈夫ですの!?」
慌てて駆け寄ったカミラがルーシーを抱き起こして様子を伺う。
「————ぉなか、すいたぁ」
「まったく、後で美味しいものたくさん頂きましょう? 今は、少しお休みになられる事ですわ」
いつもの様相を取り戻したルーシーに安堵し、カミラは優しく微笑みかけてその膝に頭を置く、ほどなくしてスヤスヤとルーシーは寝息を立て始めた。カミラはそのままの体制で獅童の方へと視線を向け、その顔に喜びを表すと同時に、レヴィアの治療を受けているフィナへ憂いを帯びた眼差しを向けた。
カミラと視線を交差させて無事を伝えた獅童も同じくフィナへと視線を戻す。
「レヴィア、フィナは大丈夫そうか?」
獅童の質問にレヴィアは、治癒に専念しながらあまり芳しくはない表情で応えた。
「傷は塞いだ、でも、血ぃを流しすぎてしもうとるんと、魔力の根幹“霊核”が傷ついてしもうとる、魔力は生命力と同義やさかい、魔力が尽きれば生きられへん」
「それは、助からないって事なのか?」
険しい表情のまま治癒に専念していたレヴィアは、獅童の質問に一度手を止めて向き直った。
「このままやと難しい、ただ、一個だけ、あの気持ち悪い男の言う事を信じるならフィナはんの中には精霊の力が眠っとるはずや、秘めた力があるんはうちも感じとったさかい、おそらく間違いない、その力をつこうてフィナはんを助けるんどす」
獅童はレヴィアの言葉の意味をよく理解できてはいない、しかし、自分が理解できずとも彼女が正しいということは考えるまでもなく、疑問を挟む余地すらないほどには、信頼していた。
「何か俺に出来ることはないか」
「うちは今からフィナはんの中に眠っとる精霊を叩き起こしてくるさかい、しどうはんにはその間うちとフィナはんを守ってもらえへんやろか?」
薄く微笑み、獅童を見つめるレヴィアに真剣な表情で頷き返す。
「わかった、何があってもお前たちには指一本触れさせない、だから、フィナを頼む」
獅童は、その眼差しに全ての想いを託し、見つめられたレヴィアは、ほのかに頬を染めながらも肩を竦めて応える。
「守られるんは嬉しいけど、フィナはんへの想いはちょっと妬けてまうなぁ? まぁ、今はよろしおす。ほんなら、頼みましたぇ?」
「あぁ、任せろ」
そしてレヴィアは、フィナの頭を自分の膝へ置き両手を軽く添えると、両手から青白く優しげな光を発し、その身体を覆い包み込んでいった。
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