参拾漆

 

 ひどい気分であった。粗悪な酒を飲まされグラグラと頭を揺さぶられたような気持ち悪さ。

 平行感覚は狂い、視界が激しく揺れる。そんな状態で何日も光のない世界を彷徨い、歩き続ける。


 剣崎獅童は、魔石により身体の自由と意思を奪われ、しかし、無意識の中でその自我を保ち、抗っていた。


「ここは、どこだ、俺は、何だ————うっ、オェっ、ひどい、気分だ、誰か、誰か、助けてくれ、誰か」


 こみ上げてくる吐き気、だが、その存在はあやふやであり、何かを吐き出すことはない。


「誰か、誰もいないのか?! 気持ちが悪いんだ、誰か、医者を、頼む、頼むから」


 心からの叫びだった。しかし、その言葉を発する口は持ち合わせていない、だがその声はどこからか響いていた。

 剣崎獅童は、おおよそ人の姿とは言い難い姿であった、存在を掻き回され、あやふやに溶け合ったような歪な存在としてそこにいた。


「俺は一体なんだ、ここはどこだ……俺は、なんだ」


 絶望なのか、恐怖なのか、判断のつかない感情に呑み込まれ、あやふやな存在が揺らぎ始めた、その時。


『みにくい、みにくいよな? レグルスよ』


 重く、深い、空間を揺らすような野太い声がその場に響きわたった。剣崎獅童は、その声に意識を引き戻されるように応える。


「みにくい、俺は、みにくいのか」


『まこと、みにくき姿よ、我との盟約も何もかも忘れおって、この愚か者が。そなたの眷族が戦っておるのにいつまでふぬけているのだ、レグルス——今は剣崎獅童か』


 ずっしりと全身に重みを感じる声の主は、憤りにも似た声色で語り、最後に剣崎獅童の名を呼んだ。


「剣崎、獅童————俺は、剣崎獅童、そうだ、俺はっ」


 名前を呼ばれた瞬間、あやふやであった存在は、その姿を本来の剣崎獅童という形として取り戻した。


『あの程度の小物に遅れをとりおって、そんなことでは我との盟約を果たすなど夢のまた夢……今は、力を貸しておいてやる。己が力を磨き、蓄え、眷族を増やせ剣崎獅童。満ちたる時は、近いぞ』


「盟約、盟約か……ああ、約束は守るとも、魔王」


 どこか遠い記憶を探るように虚空を見つめた剣崎獅童は、どこか懐かしい思いを手繰り寄せるようにその雰囲気を一変させて応えた。


『ふん、わからぬ男だ。まぁよい、早々に目覚めよ、そなたの眷族が死ぬぞ』


 暗闇に光が差す、意思を絡めとっていた禍々しい力がほどけていくのを剣崎獅童は感じた。水底から勢いよく浮上するように意識が覚醒していく感覚を味わいながら、剣崎獅童は覚醒する。


「————!? フィナ? フィナ!?」


 胸に埋め込まれていた魔石が砕けちる。その瞳に光が宿り、最初に視界へと飛び込んできたのは、獅童を庇うように四つん這いに覆いかぶさった華奢な身体、その胸から突き出た鋭い刃と口元から血を滴らせる少女の優しげな微笑みだった。


「ば、か……起きるの遅いよ、しどー」






 ◇◆◇






 剣崎獅童が意識を取り戻す少し前。


 半壊した儀式の間、壁には大穴があき、床は崩れ落ち下階は瓦礫の山に埋もれている。変わり果てた空間に突如、景色の揺らぎと共に虚空からレヴィアは姿を現した。


「ほんまにあかん、あれは、あかん」


 両腕を抱き抱え、げんなりとした表情でレヴィアは、記憶に新しい戦いの光景を思い出し顔を青ざめさせる。


「なんやのアレ、うちには無理や、生理的にうけつけへん————キモすぎるわ、あないな生き物にかかずろうてる時間、うちにはおまへん」


 レヴィアは、白骨の仮面を纏った“魔族“と対峙した、しかし、そのキャラクターに嫌悪感を覚え、魔法で作り出した自分の“分身体”に相手をさせ、さっさとその場から離脱してきたのだ。


「はやいこと、しどうはんを元に戻してこんな場所出て行きまひょ、みんなちゃんとやってはるやろか?」


 気を取り直したレヴィアは、周囲の状況を確認する。獅童は、未だ虚な瞳で呆然と立ち尽くしており、最も近い場所でフィナが白い軍服を纏った男と対峙。ルーシーとカミラは、全力を出せないまま獅童の血によって強化された爪牙人達に苦戦を強いられていた。


「カミラはんとレティシアはんはまだ下どすか、あんまり良い状況とは言えまへんな……助けてあげてもええけど、必死に戦うとるあの子ぉらの志に水差すんも悪いなぁ、ここは大きい心で見守るんも師としての役目どす」


 レヴィアはとりあえず静観することを決めると、白い靄を纏い、その場から視認されないよう姿を消した。そして最も厄介そうな相手と対峙していたフィナへと視線を向けた。


「いい加減、君と見つめあっているのも飽きてきましたね? そろそろ始めませんか?」


 余裕の笑みを浮かべて、手にした細剣をもて遊びながらフィナへと語りかける白い軍服の男。フィナはじっと男の様子を伺ったままその場を動かない。


「はぁ、退屈ですねぇ、退屈だ、僕は君の敵だよ? いつまでも睨み合っていたら勝負にならない」


「————なら、あんたの方が仕掛けてくればいいじゃない? なんか胡散うさん臭いのよ、あんた」


 実際のところ、フィナは攻めきれずにいた。白軍服の男の纏う不気味な雰囲気と、違和感を本能で感じ取り、慎重になっている様子であった。


「そうですか、仕方ないね? フィナ・ペルシアちゃん?」


「なんであたしのっ、ほんとに、すごぃ気持ち悪いんだけど? あんた何?」


 薄らと笑みを深めた白軍服の男は、張り付いた笑顔でフィナを見つめて言った。


「知っているさ、君よりもずっと君を知っている————“フィナ・フィアンマ”これが君の本来名乗るべき名前だよ? ペルシアは君の母親、ではフィアンマは誰かな?」


「————ぇ、どういう」


 笑みを崩さないままフィナを見つめて口を開いた白軍服の男、フィナはその言葉に一瞬思考が停止する。その様子を眺めながら男はさらに笑みを深めて高笑いをあげた。


「はぁぁっ、ウズウズしてきたよ? 僕って焦らすの苦手なんだよね?! つまりさ、君の父親だよ? ああっ、もう我慢できない!! 君の父親を僕は知っているということ、知っているというか、兄なのだよっ、義理だけれど、君の父親は僕の兄、元王国近衛兵団の総司令にして、炎の精霊魔導師ルーベルト・フィアンマっ! かっこいいよね、偉そうな名前だよね? まぁ、近衛兵団なんてもうないのだけど」


 男は、突然壊れたように表情を引きつらせて、困惑するフィナへと言葉を浴びせた。全く状況が理解できない様子のフィナは、眉根を寄せ若干引き気味に応える。


「ちょっと何言いてるか意味がわからない、あたしのお父さんがあんたみたいなクズの兄? ていうかバカなの?あたしは爪牙人で」

「君は人間と爪牙のハーフだよ、普通は生まれない異端児? だったかな。それよりさ、ここからなのだけれど、君の父親はなぜ死んだと思う?」


 フィナの言葉を遮って、最も語って欲しくないであろう人物から、聞きたくもない言葉が次々と告げられる。


「あたしが、人間と爪牙の子供……そんな、こと、急に言われても、信用できるわけ」


 胸元を汚い手でまさぐられたような不快感をあらわに、両肘を抱えるフィナ、最後には敵を目の前に俯いてしまった。

 そんな様子を眺めていた白軍服の男は、苛立ち額に手を当てて落胆して見せると、今度は低く落ち着いたトーンで到底許容できない言葉をフィナへと投げつけた。



「違うよ、反応が全然違う、もっと食いついてくれないと盛り上がらないじゃないか? はぁ、せっかく我慢していたのに、もういいや、君の父親を殺したのは僕だよ、ぁ、ついでにいうと母親もね、当時は僕も力がなかったから毒を使ったけれど? 僕が奪ってあげたんだよ、君の全てを」 


「————お母さんを、あんたが? お母さんを、殺した」


 ぴくりと耳を動かし、少女の全身が拒絶する男の言葉がゆっくりとフィナの思考に溶け込んでいく、同時に普段は垂れている尾が太く逆立った。


「そう、僕が殺した、養子だった僕はいつも兄に憧れ、尊敬していた。優しい両親、恵まれた才能、それが薄汚い獣なんかとくっつくからさ? 台無しだよ、だから殺した、ついでに僕を哀れな人間としか見なかった両親も、そして全て台無しにした獣の女、ある意味で僕にきっかけを与えてくれた君の母親を、殺した」


 フィナの感情がたかぶっていくのを確認した男は、さらに無情な言葉でフィナを追い込み、感情を揺さぶった。


「兄を殺したのが僕だとも知らずに、薬だと言って渡した毒を、君の母親は疑いもせずに飲んでいたよ? あれは楽しかったなぁ、ただ、残念だった、君のことを“その時”知っていれば一緒に殺してあげたのに?」


 男がいやらしく笑みを深め、フィナへと最後の言葉を放った瞬間、フィナは大きく目を見開き、縦にさけた瞳孔を全開にして、地を蹴った。


「————ッッぁぁあああああああ!!」


 言葉にならない感情の濁流を叫び声に乗せ、力強く固めた握り拳を振り上げると凄まじい速度で白軍服の男へ疾走し、顔面に拳を叩き込む。


「はい、残念」


 余裕の笑みを浮かべた男は、焦る事なく真正面からフィナを見つめて呟いた。


「————っ!?」


 フィナの拳が男の顔面へと届く寸前でその身体はピタリと止まり、刹那、フィナの全身に無数の斬撃が走りその皮膚を裂いた。


「弱いね、君、本当に残念だよ。僕は、兄の全てが欲しかった、ただ一つだけ、僕はうっかりやでね? 忘れてたんだ、血の繋がりが無かったって事」


 全身の至るところから鮮血を滴らせるフィナ、しかし、その目は死んでいなかった。


「よくも、よくもっお母さんをッ!」


 男の視界から一瞬でその姿を消したフィナは、瞬時に背後へと回り込み指先に生えそろった鋭利な爪を振りかざす。


「兄は、とても高位な精霊をその身に宿していた、悔しいけれど僕が兄を殺せたのは、彼が僕を信じていたからだ。精霊の契約は、代々その血筋に継承されていく、兄が死ねば当然、次は自分の元へ精霊は受け継がれる。そう思っていたのに」


 背後を振り返ることもなく独白を続ける白軍服の男、フィナは躊躇なくその背中へと襲い掛かった。


「————っかは」


 攻撃を繰り出したフィナであったが、またしてもその爪が男へ届くことはなく、代わりにその胸元が大きく十字に切り裂かれ、男の白い軍服を真っ赤に染める。


「あぁ、また着替えなきゃ……兄の契約していた精霊は、当然僕の元へは来なかった。そして、薄汚い獣の血が混ざった君の元へと降った、だから、返して欲しいんだ? 兄の精霊を、君が死ねば行き場をなくした精霊は世界の一部へと戻る、その前に僕が捕まえて従わせるんだ」


 ゆらりと振り返った白軍服の男は、がくりと床へ膝をついたフィナへと冷たい視線を向け、手にした細剣をその首筋へと向けた。


「さようなら、君は兄の最後の汚点だ」


 最後ニコリと微笑んだ男は、躊躇うことなくその刃に力を込めて振り抜いた。


「ここは気持ちの悪い人しかおらへんのやね? さっきのもひどかったけど、あんたも大概どすな?」


 フィナの首をその刃が刈り取る寸前、はんなりとした声色の響きとともに、二人の間へと割って入ったレヴィアの手が刃先を食い止めた。


「無粋な方ですね? そこをどいてもらえないかな? まあ、どかなくても構わないけど」


 余裕を崩すことなく歪な笑顔を貼り付けたままレヴィアを見据える白軍服の男。そして不可視の攻撃がレヴィアへと襲い掛かる。


「斬撃の操作、そんなとこやろか? 蓋さえ開けてまえばたいしたことない能力や、全部無力化してしもうたらええんやさかい」


 フィナと自分自身を包むようにレヴィアは、薄い水の膜を展開した。瞬間、水の膜を裂くような衝撃が走る、しかし、その刃が内側に届くことは無かった。


「フィナはん? 辛ろうても今は立ちよし、あんたが今からどう生きて、どういう選択をしたかて死にはった人らは戻ってきまへん、ならせめて、顔向けできる生き方をしなはれ」


 レヴィアは、背後ですくんでいるであろうフィナへと、厳しくも、しかし、力強く声をかけた。


「————レヴィア、あたし、あたしは」


 ゆっくりと立ち上がったフィナは震える瞳を強く見開いて、レヴィアの先にいる男を睨みつけた。


「こんな奴らにもう負けたくない、大事なものを、あたしの人生を二度と踏みにじられたくない!」


 奮い立ったフィナの姿に、微笑み頷き返したレヴィアは、ニコニコときみの悪い笑顔を浮かべたままの男へ鋭い眼光を向けた。男は特に表情を変えることもなく、そして、口を開いた。


「もう、いいかな? 君、青い髪の君ね、すごいよ! 僕の攻撃を無力化したのは君が初めてだ。君の言う通り僕の力は“斬撃の記憶”僕は剣で斬った空間にその攻撃を記憶して留めたり、あとは、動かす、飛ばす、結構いろいろ出来るんだけど、ここから僕が“彼の首”を飛ばしたら君たちはどう動くかな?」


 満面の笑みを浮かべた男は、スッと掌を虚な瞳の獅童へと向け、何かを操るように指を折った。


「させるわけないやろっ」


 レヴィアは、男に向かって青白い魔力の光を帯びた掌を向ける。


「もう、遅いよ?」


 笑みを深めた男の表情に、何かを悟ったレヴィアは慌てて振り返ると、全速力で獅童の元へと駆けるフィナの後ろ姿を目の当たりにして。


「あかんっ! フィナはん!? 罠やっ」


 レヴィアの声は届くことなく、獅童を庇うように抱きつき押し倒したフィナは、大粒の涙をためた瞳で獅童を見つめて叫ぶように言った。


「ねぇ、起きて、起きてよしどー、あたしの好きなとこ触っていいからっ、なんでも言うこと聞いてあげるから、お願い……目を覚まして」


 頬をつたってこぼれ落ちた雫が獅童の口元に流れていく、瞬間、虚であった瞳にわずかな光が揺らめき、胸に埋め込まれた魔石がその禍々しい力を失っていく。


「ふ、フィな」


 かすれる声を絞り出し、わずかに意識を取り戻した獅童。フィナは、思わず安堵の表情を浮かべた。


「しどー? よかった、気がついた————っ」


 ずぶりと嫌な音がした。レヴィアの目の前にいたはずの白軍服の男が突然フィナの背後へと移動し、その背中を手にした細剣で貫いた。


「フィナはん!?」


 レヴィア自身、何が起きたのか理解が追いつかず、叫び声をあげた。異変に気がついたカミラとルーシーも思わず手を止め、その光景に絶句する。


「あはは? ごめんね? 言ってなかったけど、僕の斬撃って、僕の“意思”そのものなんだよ! 本当は剣もいらない、斬りたいと思った時、その形に意思が変化するのさ、そして、こんな風に飛ばした“意思”と自分の場所を入れ替えたりも出来る。便利だろ?」


 男はおかしくてたまらないと言った表情を浮かべ、フィナと獅童を見下げ一笑に付した。


 ポタポタと鋭利な刃先をつたい、赤い斑点が獅童の皮膚に、そして魔石へと落ちる。同時、獅童の胸に埋め込まれた魔石が砕け、砂のように消え去っていく。


 剣を引き抜かれたフィナの華奢な身体が、どさりと獅童の胸元へ落ちた。


 その時、空気が揺れた。凍てつくような咆哮、絶叫にもにた憤怒の叫びがその場を支配する。

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