参拾参
天井にあいた大穴、血塗れで倒れている騎士服の男、剣崎獅童は周囲の状況を観察するように視線を流し、冷や汗を浮かべながらも、自分の置かれている状況を把握しようとしていた。
そして、全ての元凶たる男、玉座からいやらしい笑みを浮かべ睥睨する国王ドリュファストを拘束されている剣崎獅童は、膝立ちになって睨みつける。
「貴様も頭の固い奴よ、せっかくの異世界、力が全てのこの世界にあって、それだけの力に恵まれながら野心を持たないとは。もう一度チャンスをやろう? 余の元でその力、有用に使う気はないか?」
「俺はおまえみたいな精神病質者と違って、健全な変態なんだよ! 法ってのは人の倫理を肯定するものであって、てめぇの私利私欲のためにあるもんじゃねぇ! 答えは断固ノーだ。おまえの言いなりになるくらいなら、俺は美少女の飼い犬になる」
「……獅童どの、それは願望では」
「うるせぇ、おまえもこいつ等の言いなりになってないで早いとこ目ぇ覚ませ!」
「————」
剣崎獅童は苛立ちを隠すこともなく感情のまま曝け出した。しかし、ドリュファストはそのペースに呑まれることなく余裕の表情で見下げていた。
思わずツッコミを入れてしまったレティシアに対しても噛み付く剣崎獅童であったが、特に今の状況にたいしてレティシアへの怒りや不満などを抱いていなかった獅童の反応に驚き、一瞬目を丸くして押し黙った。
「自分の欲望を成し得る力を手にしても使いこなせんとは、所詮は政府の犬どまりか」
ドリュファストは、重い腰を上げて、自ら剣崎獅童のもとへ歩み寄っていく。
「支配とはいいぞ? 全てが許され、全てが意のまま——こんな風にな?」
「————」
近寄ったドリュファストは、そばで控えていたレティシアの身体へ手を伸ばし、卑猥な指先で褐色の肌を舐める。
瞬間心を手放すように無心になったレティシアは、苦痛の表情を浮かべることもなく命のない人形のようになって、されるがまま身を委ねる。
「————俺の仲間に手、出してんじゃねぇよ!」
剣崎獅童は、拘束された身体のままレティシアを庇うように、ドリュファストへと思い切り頭から突っ込んだ。
押し倒されたドリュファストは盛大に尻餅をつき、顔を怒りの形相へと変えながら獅童を睨みつける。庇われたレティシアは、状況をよく理解できないまま呆然と立ち尽くしていた。
「この愚か者め、せっかく余がチャンスを与えてやろうとしていたのにっ! エンヴィル! なにをボサッとしている?! “アレ”をこやつに、そして余を起こせ!!」
背後でどこか眠そうな雰囲気を仮面越しでもわかるほどに漂わせていたエンヴィルを呼び寄せたドリュファストは、その手を借りて身を起こし、何かを受け取ると笑みを深めた。
剣崎獅童は、その様子をじっと眺めながらドリュファストの顔を見て言った。
「おまえのチャンスなんかお断りだな、というかおまえどこかで見た顔だと思ったら、国際指名手配中の猟奇殺人鬼だろ? 確か、アンドリューだったか? ただの犯罪者が王様ごっこしてんじゃねぇよ」
「ふん、流石は警察関係者か、昔の名前を知っているとは、だがアンドリュー・ヘイストはもう死んだのだ! いや、生まれ変わった! 世界を支配し、頂点に立つ存在としてこの力と共に————」
大仰に両手を広げ声を張り上げたドリュファストから視線を逸らした剣崎獅童は、未だに唖然とその姿を見つめていただけのレティシアへとドリュファストを背にして向き直った。
「レティシア、おまえの過去は死んでなんかいない。今も生きている、だからいいかげん弱い自分に甘えるな、おまえにはもう力がある、どうせいつかは死ぬんだ、それなら最後までやり切ってから格好よく生きて死ね————おまえに助けられるのを、俺は待っているからな」
「————」
レティシアは、最後に力強く微笑んだ剣崎獅童の笑顔が理解できなかった。その言葉の意味もよくわからなかった。だが、心のどこかで消えかけていた感情がわずかに湧き上がり、その頬を一筋の雫が伝った。
「どこまでも余をバカにしおって!! レティシア! そいつを抑えろ!! おい、聞こえんのか!? この役立たずが!」
「————」
ドリュファストの叫び声も、言葉の意味も今のレティシアには遠く聞こえない。その頬をドリュファストは殴り飛ばし、レティシアは抵抗することもなくそのまま床に倒れ込んだ。
「エンヴィル! そいつを抑えろ! その生意気な口で二度と逆らえぬようにしてやる」
「そうですね、そうですか——私、ちょっとだけ、気がすすみませんが、はい。致し方ないですね、はい」
剣崎獅童は身動きが取れないように背後から拘束され、同時に、エンヴィルがその身体に触れた瞬間、ハッとしたように目を見開いて、ぐっとその顔をエンヴィルへと向ける。
「てめぇ——!? そうか、てめぇがあの時の悪魔野郎かっ!! 姫咲をどうした———んぐ、んんー!!」
「ですから、気が進まなかったのです、はい。あなたにはまだ忘れていていただきたかったのですが、まあ仕方がないですね? 少し黙っていてください? はい」
エンヴィルは煩わしそうに袖でその口を塞いだ。そして、ニヤリと笑みを深めたドリュファストは、手にした赤黒い魔石を獅童の胸へと思い切りねじ込んだ。
「——————!!」
赤黒い魔石は禍々しい光を放つと脈を打つように鼓動を始め、剣崎獅童の身体を侵食してゆく。
「ははは、これで貴様の力は余のもの同然!! 貴様に埋め込んだ魔石は爪牙人共の首輪やレティシアのそれとは比べものにならんぞ!? さあ、立て剣崎獅童よ、共に爪牙の軍を作り、この世界を支配しようではないか!!」
「————はい、ドリュファスト様」
その瞳から色を失った剣崎獅童は、エンヴィルによって拘束を解かれた後も暴れる事なく、従順な配下のようにドリュファストの元へ跪いた。
「エンヴィル! 全王国軍を動かして、町にいる爪牙人共を片っ端から集めさせろ! 地下にいるものも全てだ!」
「はい、かしこまりました我が君。しかし良いのですか? 恐らく彼の仲間である力を受けた爪牙の娘達が彼を助けに来るのでは?」
「わかっておる、どうせ雑兵では役に立たぬ! こいつの力を試す良い機会だ、最後の一滴まで無駄にする事なく血の力とやらを使い尽くしてくれる」
人形と化した剣崎獅童の頬をはたきながらドリュファストは笑みを浮かべる。
「————そう、ですか、はい。ならば、私は一先ず
エンヴィルは少し引っ掛かりを覚えたように、目を細めて剣崎獅童を見つめる。その後誰かを思い返すよう高揚した雰囲気を醸し出すと、ドリュファストと共に、剣崎獅童を引き連れてその場から姿を消してしまった。
「————しどう、どの、私は、一体」
その場に一人、忘れ去られたように取り残されたレティシアは、ただ、崩れ落ちた天井の残骸にあったガラスの破片に映り込む自分の姿を虚な瞳で見つめていた。
◇◆◇
朝焼けの光が再びこの世界を照らし始めた頃、少女達は皆決意に満ちた表情で立っていた。
「しどー、必ず助けにいくから————待っていて」
フィナは、真新しい赤いリボンで後ろ髪を束ね、首にかけたネックレスを握りしめて言った。
「————ふん、情けないご主人様ね? ロゼの手を煩わせたのだから、生きてご奉仕してもらわないと割りに合わないわ」
並び立つロゼは、ツンとした表情で腕を組みながら、しかし、その瞳はどこか憂を帯びていた。
「獅童様、お約束通り——わたくしが、獅童様を縛るもの全て断ち切って差し上げますわ」
腰に差した刀を握るカミラ、その表情に憤りはなく、ただ静かに冷静に倒すべき相手を思い描き怒りを研ぎ澄ましてゆく。
「うん、うん! 早くシド君とレティ君助けてぇ、またみんなでごはん食べよぉ」
緊張感のないトーンでいつも通り元気よく声を発したルーシー、しかし、彼女の中になんの迷いもなくレティシアを救う対象として捉えている言葉に少女達は思わず微笑みを浮かべる。
「意気込みはよろしおすな、ほんで、特訓の感覚忘れてへんやろぉな?」
「「「「————はい!」」」」
ニッコリと微笑んだレヴィアに全員が整列して規則正しい返事を返した。
「よろしおす、特にフィナはん、あんたには、今回の戦いで“眠っとる力“が目覚める可能性も十分あるよってに、そん時は力に自我を呑まれへんよう、気ぃつけてな?」
「大丈夫!! どんな力でも屈服させてやるわよっ」
どことなく心配そうな視線を向けたレヴィアに、フィナは気丈に応えた。
「ほんならえぇけど、みんなも、うちが教えた事しっかり守ってな? はっきり言って敵は強い、うちらが相手した王国軍を基準にしたらあきまへんえ?」
肩を竦めたレヴィアは、表情を引き締めて少女達に語った。皆レヴィアの言葉を軽んじる事なく、真剣に受け止める。
「あたし達は油断しない、この力はしどーがくれたもの……だから、あたし達は絶対、力に溺れたりしない」
決意を瞳に宿し、フィナは力強く拳を握りしめるとエルサール城のある方角へと拳を突き出した。
「待っててね、しどー」
フィナに続くように少女達は獅童の身を案じ思いを馳せる。
「あらあら、たった一晩で見違えるような成長ぶりですのね?」
少女達の姿を一歩離れた場所から見つめていたレヴィアに後ろから声をかけたのは、半分ほどの身長しかないクリーム色の毛色をした九つの尾を持つ少女。
「体感にしたら十と七日間、みっちり訓練したさかい、当然やなぁ」
「“固有世界”ですのね? さすがは“三界の王”が一角、ですの」
リリは、その幼い外見に似合わない大人びた声色でレヴィアへと意味深に語りかける。
「あんたも、普通の
「この時代の歪み、通常ではあり得ませんの。おそらくは“魔の者”が動いております、どうかお気をつけて」
レヴィアの言葉を遮ったリリは、その表情を厳しいものへと変え、目を細めた。
「ほんまに何者やのん……まあ、うちもそれがなかったらここまで準備してへんけどな? あの子らなら大丈夫どす、あんたも大事な人、しっかりまもりなはれ」
言い終えたレヴィアは、少女達の元へ歩み寄ると、獅童奪還のためエルサール城へと向かう。そして、少女達が視界の遥か遠くに消えていく光景を目の当たりに、リリの隣で声を失っていたワイオスは、リリへと視線を移して困惑気味に問いかけた。
「————おい、リリ、おまえも、あの子達も一体何者なんだ? 本当に爪牙人なのか」
「一言でお伝えするのなら、一人の殿方に身を焦された、乙女ですわ?」
片目を瞑って当然のように応えたリリの言葉にワイオスは、余計混乱した。
「ワイオス様? キキさんとククさんを起こしてくださいまし、間も無くこの辺りは爪牙人狙いの王国軍で溢れますわ」
「全くわからん——わからんが、奴らの好き勝手に振り回される人生もそろそろ勘弁だ、それをぶち壊せるなら、なんだってのっかてやる」
観念したように肩を竦めたワイオスは、それ以上詮索する事をやめ、リリの言葉を従順に信じた。そして、来るべき状況に備えるため行動を開始する。
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