参拾弐

 まだ夜の闇も深く、リリを除く爪牙人の子供達が深い眠りの中にいる頃。騒ぎを聞きつけた少女達が獅童のいた書斎へと集まっていた。


「なによ、これ————」


 真っ先に扉を開いたフィナは、争いの後がまざまざと刻まれた書斎と、ボロボロで床に倒れているロゼの姿を目にして声を失った。


 ひとまず手当てを受けたロゼからことのあらましを聞いた少女達。床にへたり込んだフィナは、思わずロゼに向かって声を上げる。


「ロゼ、なんであたし達に一言っ、一言相談してくれていればこんな————」


 怒りとも、悲しみともしれない複雑な感情がない混ぜになった表情でロゼへと言い募るフィナ、そこへレヴィアが割ってはいる。


「ロゼはんを責めんのは筋違いとちゃう? ロゼはんかて、最後の最後、自分の目で見て、言葉で聞いて、ほんまに確証が持てるまで、うちらにうかつなことは言われへんかった、そうでっしゃろ?」


「————知らない」


「ロゼ……」


 あくまで冷静に、ロゼの心境を分析して代弁するレヴィア。その言葉でハッとしたフィナはロゼへと視線を向けるが、ロゼは、視線を下げたまま素っ気なく応えた。


 少女達の間に重く苦しい空気が漂い、中でもカミラは、歯を食いしばり怒りを滲ませていた。


「レティシアさんがまさか裏切るなんて……早く獅童様を助けに向かいましょう!」


 強く声を発したカミラへと視線が集まる、そこへ、一歩離れた場所から様子を伺っていた大柄の男、ワイオスと並び立っていた外見はまだ幼い少女リリが大人っぽく腕を組んで口を開いた。


「あら、あなた方は旧知の間柄という訳でもないのでしょう? そのような方がお一人いたからと言って不思議はないように思います。裏切りと呼ぶには些か信頼が浅いですの、それに、感情のまま追いかけるのは得策ではなくてよ?」


「————っ、ですが! このままじっとしていても始まりませんわ!!」


 どこか冷たくも聞こえる少女の言葉に、カミラは感情を剥き出しにして叫んだ。


「はいはーい、喧嘩意味ないよぉ? しど君は大丈夫、それよりあーし達がそのまま行って捕まる方が問題」

「ルーシーさんまで、そんな悠長な!!」


 二人の間に割った入ったルーシーであったが、言葉とは裏腹に表情にはいつもの余裕が感じられない。どこかぎこちない空気がその場を支配し、カミラは意を決したように手にした刀を握り締めた。


「わかりました、なら、わたくし一人でも獅童様を助けに向かいますわ」


 一人決意を決めたようにその場から立ち去ろうとするカミラ、咄嗟に動いたフィナは両手を広げて行く手を阻んだ。


「カミラ、落ち着いて? あたしも、興奮しちゃったけど今は冷静になる時だと思う、しどーが心配なのも、悔しいのも皆一緒だから、それに、一番辛かったのは……」


 フィナは申し訳なさそうに、床に座り込んで俯いたままの少女へと視線を送る。それに気がついたカミラも、思う所があったのか、一度呼吸を整えた。


「————そう、ですわね、取り乱して申し訳ありません、ですわ」


 カミラの様子にホッと胸を撫で下ろしたフィナ、しかし、今すぐに飛び出していきたい衝動に駆られているのはフィナ自身も同様で、それ以上にこの場にいる全員が同じ感情を必死に堪えているのだと、胸の前で拳を握り締めて必死に押さえ込んだ。

 なにより、目の前で獅童を連れ去られたロゼはどれほど悔しい思いをしたのだろうと、憂いを帯びた瞳を向ける。その視線に気がついたロゼは、ふん、と鼻を鳴らすと、立ち上がって腕を組んだ。


「ロゼに気遣いなら余計なお世話よ? ご主人様はロゼの物、手を出した事を必ず後悔させるだけ——それと、あなた、これ」


 立ち上がったロゼは、気を持ち直して誰かを思い浮かべるように眼光を鋭くした。そして、フィナに視線を向け直すと、手にしていた包みを投げ渡す。


「ぇ? なにこれ」


 包みを開いたフィナは目を丸くして問いかけた。中には見慣れない無骨な鉄の塊——獅童の使用している武器に使う弾に鎖を通した、荒々しいデザインのネックレスと、真新しい赤のリボン。


「その中にあなたの燃えたリボンが入っているそうよ? それと替えのリボン——センスのないご主人様で残念ね」


 つんとした表情のまま、だが、どこか優しげなトーンで語るロゼの言葉に、フィナはギュッと包みを抱き寄せすぐにネックレスを首へとかけた。


「————しどー、必ず助けにいくから、あんな奴らにやられたら許さないんだから」


 肩を震わせながら、強い意思を胸に、フィナはネックレスを握りしめて覚悟を刻みつけた。


 様子を眺めていたレヴィアが、肩を竦めて薄らと微笑みを浮かべる、そして再び表情を真剣なものへ入れ替えると、強く、芯のこもった声色で語り始める。


「みんな、落ち着いたみたいやね? ほな、準備しまひょか? 女の怒りが国の一つや二つ、軽く踏みつぶせるいうんをみせたろ」


 レヴィアの掛け声に、少女達全員が無言で力強く頷いた。その様子を見つめていたリリは、隣に立つワイオスへと声をかける。


「ワイオスさま? リリ達も備えますわよ? これから始まるのは、五人対一国の、哀れなほど絶望的な戦争です」


「————本気なのか? たったこれだけの人数で一体なにが」


「あら、ワイオスさま? 哀れなのは彼女達ではなくてよ?」


「ぇ?」


「彼女達の逆鱗に触れてしまった、この国の方ですわ? ささ、リリ達も火の粉をかぶる前にできる限り備えますよ」


「ぇ? リリ? 待ってくれ、一体どういう……なんで俺達に火の粉が、おい、待てって」


 闇の深まる真夜中に、少女達の決意と怒りの炎が一つの国へ放たれようとしていた。






 ◇◆◇






 エルサール城玉座の間、中央の豪奢な椅子には、傲岸不遜を絵に描いたような男が一人不敵な笑みを浮かべて踏ん反り返っていた。その両脇に白い骨の仮面をつけた人物と、全身を白い軍服で覆った、どこか違和感のある笑顔を浮かべた男。

 その一段下に王国魔導師団、団長のダロス。そして王国騎士団、団長アルバルドが続いていた。


「レティシア、ただいま帰還いたしました」


 全員の視線が集まる中、気を失ったまま両手を拘束されている剣崎獅童を担いで、レティシアは国王ドリュファストのもとへと歩み寄り、剣崎獅童を床に転がした後で跪いた。


「待ちわびたぞ? レティシア、見事な働きぶりだったな、どこぞの無知蒙昧な世話役とは大違いではないか? なぁダロスよ」


「————おっしゃる通りにございます」


 いやらしく笑みを深めたドリュファストへ深々と頭を下げたダロス。その両肩は小刻みに震えていた。


「バカの策略などこの程度よの、まあ良い、レティシアを忍ばせておいてやはり正解だったな、どんな力があるかと泳がせて見れば、とんだ拾い物であった! どうやら勇者ではないようだが、爪牙人をあそこまで強化できるとはっ、おまえもその男によって力を手に入れたのだろう?」


「はい、主人様」


 上機嫌で語りかけるドリュファスト。レティシアは、ただ静かに応える。


「そうか、素晴らしいではないか! エンヴィルに鍛えられたおまえが更に新たな力を得たとは、これで望み通り“王様の騎士”になれたのではないか? ふふ、ふはっフハハハ」


「————」


 下卑た笑い声を響かせるドリュファスト。その声を浴びながら、レティシアはじっと俯いたまま色のない瞳で床を見つめていた。


「ちょうど良い、裏切り者の不始末におまえの力を見せてもらおう—————レティシアよ、ダロスを殺せ」


「————!? 国王陛下、どうかそのようなお戯れは」


 笑みを深めたドリュファストは、ダロスの顔を見ることもなくレティシアへと命じた。


「別に良いではないか、余はここにおるのだ、レティシアを破り余の首を取れば貴様の目的も果たせよう?」


「————っく」


「今まで好きなだけ遊ばせてやったと言うのに、貴様の愚行はつまらん、飽きた、ここらが潮時だ」


 ダロスは歯がみして拳を震わせ、杖を手にレティシアと向き合う。


「レティシア殿、まさかあなたのような方が剣崎殿の元にいようとは、迂闊でした」


 レティシアは、特に感情を宿すことのない瞳で静かにダロスを見つめ返すと静かに言った。


「————せめて、痛みを感じないよう一瞬で終わらせます」


「お優しいことだ、しかし、このダロス……もはやこうなっては後も先もありません、秘中の秘、使わせていただきますぞ」


 ダロスは覚悟を決めたように構えると、懐へと手を差込んだ。その様子を伺いながらレティシアも魔力を高めていく、二人の間に緊迫した雰囲気が漂い始めた瞬間。


「確かにこの辺りが潮時だな、ダロス殿だけに良い格好はさせられない、王国騎士団が一の騎士アルバルド————この時の為磨き続けてきた剣の冴、味ってもらうぞ!! ドリュファストぉおお!」


 ダロスの隣に並んでいたアルバルドは、腰から剣を抜き放ち、ドリュファストの元へ裂帛の掛け声と共に地を蹴って駆け出した。


「不敬、時代遅れの王国騎士は、素行も考えも品がなくて困るなぁ? それに、君じゃ僕は満足できないんだよ」


 甲高い音が鳴り響く、勢いよくドリュファストへと斬りかかったアルバルドの剣をあっさりと片手に持った細剣で受け止めたのは、女性のような長いブロンドの髪と容姿で、全身に白以外存在しない純白の軍服を着込んだ男。


「カークマン!! 貴様、何故その男に味方する!?」

「なぜって、バカだな? 国王だからに決まっているだろう?」


 鮮やかにアルバルドの剣を受け流したカークマンは、笑顔のまま斬りかかる、しかし後方へと飛んだアルバルドにその刃は届かず、剣は二、三度空を斬った。


「その男が国王なものか!! 私利私欲の限りを尽くし、国は荒れ果て、民草は混乱の果てに人としての矜恃を弄ばれ……これのどこが国か、なにが王か!!」


「あついねぇ、君は考えすぎなのだよ、もっと気楽に行こう? 僕みたいにさ」


「貴様等と分かり合うつもりなど毛頭ない!! その雑な剣技で二度私の剣を受けきれると思うなっ」


 ぎりっと歯を食いしばり、下段に剣を下ろしたアルバルドは体制を低く、腰を落として素早く駆け出した。カークマンは、特に焦る様子もなくだらりと剣を下ろして動かない。


「貴様等を全員倒し、この国をとりもど————っが」


「おやおや、威勢がいいだけじゃ僕には勝てないよ?」


 カークマンへ斬りかかろうとした瞬間、突如アルバルドの胸と腹にかけて大きく十字の切り傷が刻まれた。


「な、んだ、と————」

「アルバルドっ」


 裂かれた傷口から血飛沫を吹きながら、アルバルドはそのまま床に崩れ落ちた。ダロスが声をかけるも、反応する様子はない。


「あぁ、血で汚れちゃった、君みたいなさっ、弱い奴の血が服に着くのが、僕は一番嫌いなんだよね!? 死んだ? 片付ける人のこともちゃんと考えて死のうよ?」


 その表情は笑顔のまま、しかし、狂気に満ちていた。反応のないアルバルドの頭部を踏みつけながら何度か蹴飛ばしたカークマンは、何食わぬ顔でドリュファストへと向き直り、平然とした口調で言った。


「国王陛下、服を着替えに戻る時間をいただけないでしょうか?」


「お主と言う奴は……今日はもうよい、下がれ」


「かしこまりました、では失礼いたします」


 呆れた表情でカークマンを下がらせたドリュファストは再びダロスとレティシアへ視線を戻そうとした、その時。


「——————!?」


 けたたましく鳴り響いた轟音。レティシアは、天井を突き破るように“風の柱”を出現させた。その中心にいたダロスは跡形もなく消え去っていた。


「申し訳ありません、やりすぎました」


 ダロス相手に過剰すぎるとも言える魔法を行使したレティシアは、天井に開いた穴を見つめた後で頭を下げた。

 さすがのドリュファストも唖然として状況が呑み込めていない様子であったが、次第に口元を緩めると大声で笑い始める。


「ふふふ、はははははははは!! 存在すら疑わしい勇者などよりも余程優れた力を持っているようだな剣崎獅童よ!! モルドの部下を蹴散らしたとの報告もこれならば納得だ」


 ドリュファストは、歪んだ双眸を向けた先にいる獅童へと高笑いをあげ言い放った、そしてむくりと縛られた上体だけを起こした獅童は、獰猛な笑みと額に青すじを浮かべながら応える。


「————うるせぇよ、目覚めてすぐにてめぇの笑い声なんて、幸せな夢が台無しだろうが」

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