〜幕間〜

 

 少女は、人間と爪牙人が互いに助け合い豊かに栄える平和な国『エルサール王国』にその生を受けた。

 その中でも爪牙人達が比較的多く暮らし、豊かな自然溢れる『アリオル領』その領主である“イグルス・フォン・アリオル”の娘として少女は生まれ、心優しき両親と多くの友人に囲まれ健やかに暮らしていた。


「母うぇ! 今日もおじさまのところへ“きしくんれん”に行ってまぃります!」


「レティシア!? ちゃんと服を着なさい!! なんですかその格好は」


 幼い少女は裸同然の姿にぶかぶかの胸当てと籠手を装備し、槍に見立てた木の棒を手に颯爽と自宅を駆け出す寸前で母にその肩を止められ。


「母ぅえ! 離してください、わたしは“きし”なのです! きしはかっこよくなければ笑われてしまうのです!」


「あなたは女の子でしょう? そんな格好で外へ出ては行けません。まったく、誰に似たのかしら」


 深くため息をつきながら頭を抱える母を余所に襟首を掴まれジタバタと暴れる少女。そんな平穏な時間がいつまでも続くと、誰もが信じて疑わなかった。


「ただいま、うちの騎士様は良い子にしていたかい?」


 その日、公務の為しばらく家に帰れなかった少女の父が、見知らぬ人間の男を連れて戻って来た。


「父ぅえ!! おかえりなさい! 今日もおじさまと“きしくんれん”したの! それでね、それで……」


 父の声を聞き、その表情を輝かせながら一目散に飛びついた少女は背後に佇んで笑みを浮かべる見知らぬ男性を見て咄嗟に父の膝下に隠れた。


「あなた、おかえりなさいませ————あら、お客様?」


「あぁ、紹介するよ。彼は何でも大陸の外……異国の地より使者として来られたそうで、だからこちらの言葉も上手く話せないんだ。国の案内も兼ねてしばらくの間私が彼の世話役を仰せつかった、名前は––––」


 少女の父はどこか、説明しにくそうに視線を泳がせながら男性を紹介すると、ブロンドの髪をしたその男性はニコリと微笑みながら片言で挨拶をした。


「アンドリュへイスト……デス、ヨロ……シクオネガイシマス」


「どりゅうすと?」


「レティシア、失礼でしょ? あンドリュゥはすとさん? とにかくお上がり下さい、直ぐにお部屋を準備させますね! モリナ、お客様のお部屋とお食事をお願い出来るかしら?」


「畏まりました奥様、直ぐに準備致します」


「……アリガトゴザイマス」


 男は、拙い言葉で礼を述べると独特な雰囲気を漂わせ使用人モリナの案内で客間へと案内されて行き、父の足元から顔を覗かせていた少女は、ちらりと振り返った男の視線に妙な違和感を覚えた。


「父ぅえ……わたし、あの方はにがてです」


「レティシア、人を外見で判断してはいけないよ? 人間であっても爪牙人であっても、この国は互いを認め合い同じ人として暮らしているのだから。それよりも父さんに我が家の騎士様がどれ程勇敢に戦ったか聞かせてくれるかい?」


 少女の父は優しげにその頭を撫でつけると、少女の目線へと腰を落として微笑みかけた。


「はいっ父ぅえ!! ぇっとね、おじさまと一緒に“まじゅう“をやつけたんだよ」

「ま、魔獣?! 兄さんは一体何を考えているんだ————レティシア、あまり危ないことは」


 喜色満面の表情で日々の冒険談を語る娘に顔を青ざめさせる父と、嘆息しながら頭を抱える母。


「わたし、父ぅえとやくそくした通り、りっぱな“きし”になって王さまを守るの!」


「ぁあ、オリビア……私はどうしたらいいのだ」

「知りません、あなたがこの子を焚きつけたのでしょう? ちゃんと責任持ってください」


 勇敢で優しく、領主としての信用も厚い父イグルス、厳しさと深い愛情を持つ母オリビア。少女は暖かく尊敬できる両親に愛されとても幸せであった。


 その後、数日間滞在した人間の男性は、流暢りゅうちょうになった言葉で少女と両親に礼を言いアリオルの屋敷を後にした。

 滞在の期間中レティシアの両親は家族の様に男性をもてなし、熱心に大陸の言葉や国の成り立ちなどを教え。

 少女は結局の所、最後まで男の事を信用できずあまり会話をする事はなかった。しかし、その去り際。


「また、来るからね。次に会う時は君を“王様を守る騎士”にしてやろう、私がね」


 ひっそりと耳打ちされた言葉の意味を少女は理解できなかった、そして困惑する表情を浮かべたまま男性の背を見送った。


 それから数ヶ月が過ぎたある日、レティシアはイグルスの兄であり、元王国騎士であったオルクスの元へといつも通り“騎士訓練”と言う名目で遊びに向かう途中。しかし、その日は街の雰囲気がいつもと違っていた。

 母の目を盗み、家を抜け出して来たレティシアはオルクスの元へ向かう道中、忙しく走り回る大人達ばかりを目にし、いつも同じ訓練を受けている“騎士仲間”達は約束の集合場所に姿を現すことはなかった。


「やくそくを破るなんて、みんな“きし”失格ですね! こんど、わたしの“やり”でおしおきです」


 頬を膨らませ、約束の場所に誰も来なかった事に腹を立てながら一人でオルクスの待つ屋敷へと向かう事にした少女の耳に騒ぎ立てる大人たちの声が聞こえた。


「王が、国王が暗殺されたって本当か?!」


「バカ、それだけじゃねぇ!! 王を暗殺した本人が王座を乗っ取りやがったんだ!! そんで、とんでもない法を掲げたんだよ」


「何だよ、その法って」

「“人間絶対主義法“この国における人間以外の種族に対する全ての殺傷行為を合法とする。つまり俺たち爪牙人をどうしようと人間は許されるとんでもない法だよ!? お前も早いとこ逃げろ、この国は、もう終わりだ」


 顔面を蒼白状態にしながら語る街の爪牙人達は、嘆き途方にくれる者、家財を纏め逃げ出す者、戦う意思を持ち徒党を組む者、その反応は様々であったが、アリオル領は未曾有みぞうの混乱に陥っていた。


「王さまが、危ない? たいへん、おじさまに知らせないと」


 幼心に普通ではない街の様子を感じ取った少女は、オルクスの待つ屋敷へとその足を急がせた。

 しかし、少女を待ち受けていたのは、強く逞しい伯父の姿ではなかった。


 少女の視界に映り込んだのは、その幼い心に到底許容できる筈もない悪夢の様な光景であった。偉そうな男が無数の兵士を付き従え、少女の叔父の家を取り囲み、そしてどこか見覚えのあるその男は親しげに少女へと声をかけてきた。


「レティシア、久しぶりだな。おまえを迎えに来たよ。王さまの騎士になるのが夢だったろう? 今は私が王だ、おまえ達には世話になったから、私が直接迎えに来てやったぞ」


 声をかけてきたのは数ヶ月前に少しの間少女の家に滞在していた男性で、しかし、その様相は大きく変わり、少女が感じていた嫌な感覚を、さらに大胆に何倍も増したような雰囲気を纏っていた。

 しかし、少女の意識はそんな男のことよりも目の前で血を流しぐったりと項垂れている大切な人へと向けられていた。


「お、おじさま!? 怪我してる……おじさまが死んじゃう!! 助けてあげて!」


 少女の瞳が捉えた伯父の姿は全身が真っ赤に染まり、少女の声に反応することもない。

 自らが王だと名乗った男は不遜な表情を浮かべ、後方に控えている兵へと視線を向けていった。


「“それ”を柱に吊るして街を歩きまわれ。逆らう者はこうなると見せしめにな? 領主の首も忘れるなよ」

「……はっ」


 指示を受けた兵は、どこか苦いものを噛み砕いたような表情で頭を下げると、少女の伯父を木の柱にくくりつけ数人でそれを担ぎ町の方へと向かっていった。


「おじさまをどこへ連れていくのっ!? やめろっ! おじさまを離せ!」


 必死に叫び、オルクスへと手を伸ばす少女を遮る様に立ちはだかった王を名乗る男は、ドロリとした瞳をレティシアへと向け。


「あれはもう死んだ、王様に逆らった悪い奴だからな、あとおまえの両親も死んだ、世話になった礼にせっかくオリビアをよこせば生かしてやると温情をかけてやったのに、愚かにも私に逆らった」


「ぅそ————うそ、うそだ!! そんなの絶対に信じない、父ぅえは強いもの、あなたなんかに負けるわけがないもの!!」


 男の言葉に放心し涙を浮かべる少女は必死に頭を振るい、手に持った“木の槍”を目の前の男へと向け、震える足に鞭を打ちながら叫び声と共に男へと飛びかかった。


「おまえは私の騎士になるのだろう? レティシア、私がその夢をかなえてやる、約束しただろう」


 男は果敢に向かってくる少女の槍をその手から奪い取るとその場でへし折って投げ捨てた。思わず腰を抜かして、へたり込んだ少女の元へじりじりと歩み寄ると、その顔を掴んで少女を吊り上げる。


「ぃ、やだ、離して……助けて、父うぇ、母うぇ」

「だから死んだと言っているだろう!? 何度も同じ事を言わせるな、お前は私と来い、ゆっくりと調教しながら育ててやる」


 少女の小さな身体は恐怖に震え、こぼれ落ちる大粒の涙が視界を遮る。何の抵抗も許されないまま少女の人生はその日を境に地獄と化した。


 突如訪れた爪牙人にとって最悪の日。その日を境に爪牙人達は虐げられ、辱められ、容赦無く殺され、蹂躙の限りを尽くされた。

 元々は理不尽な法に対し反発していた一般の人間達も“人間以外であれば何をしても許される”という無意識に秘めた欲望を刺激する呪いの言葉によって次第に犯されていった。


 そうして多くの種族にとって平和であった過去のエルサール王国は見事に崩壊した。


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