参拾壱
町で偶然知り合った自警団隊長のワイオス。そして彼が保護していた爪牙人の子供達。予期せぬアクシデントや、その流れで獅童の血を受け覚醒した、一見可愛らしく幼いが、謎多き少女リリ。
彼らと出会ったことで、当面の宿の心配もなくなった獅童と少女達は、ワイオスの配慮により小さな書斎を獅童に、少女達には少し狭いが空いていた部屋を一室、準備してもらった。
「————」
夜も深まり、騒がしかった家も今は静寂に包まれている。
獅童と共に城を抜け出してきた少女達も、怒涛のような一日を過ごし、また、ようやく訪れた心から安らげる時間に、寝息を深くしていた。
「っよし、できた——年頃の女の子には無骨すぎるか?」
獅童は一人、机となんとか足を伸ばせそうな長椅子が置かれた小さな書斎で黙々と作業をしていた。その手には、昼間ワイオスに紹介された食堂で知り合った、風変わりの一言で表現するにはあまりにも強烈すぎる“錬金術士”に作ってもらった、愛用の銃に装填する弾と細く繊細な鎖。そしてゴソゴソと取り出したのは、赤色をした真新しいリボンと、破いた袖で包んだ“リボンの燃えかす”であった。
「銃弾のネックレスとか、修学旅行のお土産みたいだ……でも、まあ、これはこれで」
獅童は、弾の中の火薬を抜き、そこへリボンの燃えかすを詰め込んだものに小さな穴を開け、細い鎖を通すことでネックレスを作成していた。
「勢いで準備したはいいが、どう渡すべきか……キモく、ないよな? 大丈夫、きっと大丈夫」
「キモいわね、ロゼなら間違いなく燃やすレベルだわ」
女性にプレゼントなど渡したことない獅童、ましてや美少女など未だに触れるだけで感情が爆発してしまう男が、自問自答を繰り返していた耳元へ突然、吐息とともに辛辣な言葉が響いた。
「ぅおっ!? ロゼか! いつの間にっ、心臓が止まるかと思ったぞ」
「ロゼはちゃんとドアから入ったわよ、ご主人様が集中していたからそっと近づいただけ」
紫紺の瞳を細めながら、獅童の手元に用意されているフィナへの贈り物を一瞥したロゼは、軽く鼻を慣らした。
「いいんじゃない? ご主人様が気持ち悪いのは今更なのだし————ずるいわよ」
肩を竦めて応えたロゼは、どこか物悲しそうに呟きをこぼした。
「ん? 最後なんか言ったか?」
「なんでもないわ、乙女の心の声を聞こうなんて、ご主人様には百万年早いわね」
首を傾げる獅童をツンとした態度であしらったロゼはそっと長椅子に腰掛けて膝を組んだ。
「ところで、こんな遅くにどうしたんだ? 眠れないのか?」
「あら? 寂しくて眠れないと言えば添い寝でもしてくれるのかしら?」
「そ、それは、まあ、出来る限りのことは」
少女は膝を抱き抱えながら小首を傾げ、どこか挑発的な表情で、しかし、色っぽさを漂わせながら獅童を見つめた。
ロゼの
「ふふ、あの時はロゼの下着をあんなに大胆にのぞいたくせに、よくわからないわね?」
「あれは、緊急時の勢いというか……すまなかった、嫌だったよな」
獅童は、数時間前の一幕を思い返し、蘇った光景に恥ずかしさを湧き上がらせつつも、同時に申し訳なさを感じ、素直に頭を下げた。
ロゼは、少し驚いたように目を丸くしてから、ニヤリと微笑みを浮かべると執拗に膝を組み変えながら目を細めた。
「いいわよ? 見たいなら何度でも見せてあげるわ? ロゼだけのものになってくれるならだけど」
少女は
「————」
獅童の喉がゴクリと鳴る。理性は激しく警鐘を鳴らしているが、本能は目の前の少女に釘付けのまま動くことができない。
「——っち」
その時、警戒をあらわにしながら獅童の背後にある扉へと鋭い眼光を飛ばしたロゼは、華奢な背中で獅童を庇うように立ち上がる。
「どうしたんだ急に? 誰か来たのか? そんなに警戒しなくても」
「……黙って、大人しくしていられたらご褒美あげるわ」
「ご、ご褒美って、おまえ」
軽い言葉を発してはいるが、その瞳は警戒を解くことなくじっと扉を見据えている。状況がいまだに掴めない獅童は、ただ事ではないロゼの様相に困惑する事しかできずにいた。
「悪いけれど、夜這いならロゼが先約かしら? それとも複数があなたのお好み? ねぇ……裏切り者さん?」
「裏切りもの?」
ロゼの言葉に獅童の顔がこわばる、だが少女の表情に冗談を言っているような雰囲気はない。そして、言葉に応じるようにゆっくりと扉が開かれた。
「————なんの事でしょうか? 私は獅童どのにお話があっただけです」
そこに立っていたのは、スラリとした脚線美と褐色の肌、整った顔立ちの少女。背中には鷲のような翼が折り畳まれていた。
「レティシア? ロゼ、裏切りってなんだよ? 彼女は俺たちと一緒に————」
「そうね、ご主人様達が牢屋へ来た時には一緒にいた、けれどロゼは覚えているわよ? あなただけがご主人様が私達の前に現れる直前にやってきた、別の入り口からね」
「————」
ロゼは、厳しい表情でレティシアを睨みつける。金色の瞳の少女は否定も肯定もせず、ただ静かに獅童達を見据えていた。
「おい、ロゼ? それだけで彼女が裏切りものだというのか?」
獅童は釈然としない感情をそのまま口に出してロゼに視線を向ける。その表情は信じたくないという気持ちと、ロゼの確信に満ちた言葉の板挟みで、苦々しい面持ちとなっていた。
「城から抜け出す時、なぜロゼ達は追いかけられなかったのかしら? それは追いかける必要がなかったから、あなたがロゼ達の行動を監視していたからよね? それだけじゃない……ロゼが確信を持ったのは、さっきのゴミが暗器を使用した時かしら? あなた、わざと見逃したでしょう?」
「————」
獅童は、その言葉に思い当たる節があった。暗器を使用した副団長ギメル、をの変化に気がついたルーシーは男を止めようと必死に動いたが一歩間に合わなかった。しかし、事実ルーシーよりもギメルに近い場所に立っていたのはレティシアであり、彼女ほどの力があれば容易にギメルの行動など防げたはずなのでは、という疑問が獅童の中にもわだかまりとして残っていたのだ。
「レティシア、なんとか言ってくれないか? おまえの言葉が聞きたい」
「————これ以上、誤魔化すのは難しそうですね」
その問いにレティシアは、獅童が最も聞きたくなかった返事を返した。
「
油断なく身構えていたロゼは、レティシアの言葉をきくなり、自分の手首を口元へと運び牙を突き立てた。勢いよく吹き出した赤い滴はその形状を鋭い針のように変え宙に浮いたままレティシアへと狙いを定める。
「なぜだ、あんな奴らの味方をする理由はなんだ? 脅されているのか?」
「————脅し、ですか。そうですね、ですが、これは私の意思です」
特に焦りを見せる様子もなく、レティシアはおもむろに着ていたシャツのボタンを外し始めた。その行動にロゼは警戒を強め、攻撃の体制をとる。そして、顕になる胸元——しかし、獅童とロゼの視線はその中心に埋め込まれた赤黒い石のようなものへと向けられた。
「これは、私の行動を奪い、意思を奪い、心を縛る“支配の魔石”————私の行動と意思は、ドリュファスト様に忠誠を誓っている」
「そんなものを身体に埋め込まれてっ、それを取ればなんとかなるんじゃないのか? レヴィアに相談すればなんとか」
「無駄です、この石はもう私の一部——獅童どのから力を受けた時、その力とこの石の力は拮抗していた、あれが最後のチャンスでした、しかし、私の意思は、この魔石を超えるに至らなかった……つまり私自身が屈服しているという事、話はここまでです。獅童どのには、私と城へ戻っていただく、もちろん拒否権はない」
「させると思う? ロゼの所有物に手を出さないでもらえるかしら?」
「————まっ、ロゼ!」
ロゼは、一切躊躇する事なく鮮血の針をレティシアへと一斉に放った。獅童が声を上げて止めようとするも、一歩届かず鋭利な先端が微動だにしない少女へと襲いかかる。
「《
ロゼの放った攻撃は、少女に触れる直前で蒸発するかのように消失した。レティシアは暗く静かなトーンで語ると、掌に魔力を収束、同時に部屋中をかき回すような風の渦が発生し、レティシアの手元に吸い寄せられていく。
「私の目的は、獅童どのを連れ帰ること。騒がなければ危害は加えません《次元障壁、空間固定:風魔法、精霊の加護:合技:エアリアルの槍》」
レティシアの手元に収束した風はその形を一本の槍のように止め、少女の手元におさまった。それは視認できるほどに凝縮された緑の光を纏う風の槍。
「上等ね、あなたが死んでも謝らないわよ? 《
ロゼは血の滴る手首を前に突き出した。すると流れ出たロゼの血は、一瞬の内に蒸発し周囲に赤い靄が立ち込め始める。
「なるほど、攻撃がダメなら、呼吸を奪いますか————いい手ですが、甘い」
先ほどまでの無表情から、その瞳に戦意を宿したレティシアは手にした風の槍をロゼに向かい突き出した。
矛先は一歩届かない距離で止まる、しかし、槍の先端から発せられた魔力の暴風は、周囲の赤い靄を吹き飛ばし、ロゼの全身に鋭利な傷を刻みながらその身体を突き抜けた。
「————っ」
ロゼは勢いよく壁に叩きつけられ、少女の身体を形どるように風で吹き飛ばされたロゼの血が周囲の壁に広がった。
「ロゼっ!? もう、やめろ——レティシア、まだ諦めるな! きっとどうにかする方法はある!」
ぐったりと床に項垂れたロゼのもとへ駆け寄った獅童は、レティシアへと向き直って声を上げた。しかし、少女の表情に以前のような軽い雰囲気はなく、凍りつくような鋭い双眸で獅童を見つめていた。
「獅童どの、あなたとの時間は私にとって安らぎであると共に、苦痛でもあった。私の心はとっくに絶望している、未来など夢見る気も起きないほどに、これは悲観ではない、抗う目的すら失った私の事実——もう私は死んだの、夢を見ることも、明日に向かい歩くこともない」
レティシアは、感情の消えた瞳で淡々と語り、獅童の元へと歩み寄る。その手に持った槍の先は常にロゼへと向けられており、獅童は抵抗することを断念した。
「まだ、希望はある、おまえは生きて————ぐっ」
「いえ、私は死にました。あなたの言葉は、暖かいが、私には刃物のようだ」
レティシアは獅童の首筋に鋭い手刀を放った。同時に獅童の視界は黒く染まっていき、意識は遠くなっていく。
「……ロゼどの、次に会うときには、どうか私を————」
レティシアは、意識のないロゼへと何かを語りかける。そして獅童の身体を担ぎ、翼を広げて窓から飛び立つと、夜の闇にその姿を消した。
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