参拾
クリーム色の柔らかな髪色にピンと立った獣の耳、腰から九本の尾を生やした少女“リリ・イズナ”は先ほどまでと明らかに別人の様相で獅童達の前に頭を下げた。
「ぁ、えーっと、どちら様?」
あまりの変貌ぶりに獅童は、頭をかきながらとぼけた様に目の前の少女に問いかけた。
「おいたわしや、しどうさま! リリのためにお力を使われて、記憶が困惑していらっしゃるのですね? かくなるうえは、リリが全身全霊を持って介抱を——」
「あかん、これ以上しどうはんの周りに女はいりまへん」
リリは大袈裟なリアクションをとり、その手を獅童へと伸ばそうとしたところで仁王立ちのレヴィアが割って入る。
「レヴィア? いくら何でも子供相手にそこまで」
まだ幼いリリへ過剰な反応を示すレヴィアに獅童は疑問を投げかける。しかし、レヴィアは勢いよく振り向くと指を突き立てて獅童の眼前に迫った。
「子供? なにいうてはりますの? 弱体化してて気付かへんかったけどこの女、軽く数百——」
「あらあら、どちら様かと思えば、リリなんか足元にも及ばない程ご長命なお方が」
獅童に力説するレヴィアの言葉を遮る様に含みのある言い回しでリリは声を発した。
「ええ度胸やないの? いっぺんお仕置きが必要みたいどすな」
「怖い怖い、こんな幼気な子供に暴力を振るわれるなんて」
額に青筋を浮かべるレヴィアに対して、薄らと笑みを浮かべるリリは一歩も引く様子はなく。
「いつまでも子供のふりせんと、ほんまの姿でも
「あら、それはこちらの台詞ではございませんこと?」
二人の間に流れる不穏な空気と飛び交う火花。レヴィアをここまで感情的にする少女リリとは何者なのか、獅童と少女達、ワイオスまでもが完全に言葉を失って二人のやり取りを見守る事しか出来ずにいた。
「リリちゃん、喧嘩はダメだよ! ワイオスちゃまがいつも言ってる! ここにいるみんなは、仲良くしなきゃダメだって、このお家は助け合うためのお家だって!」
「みんなのおうち! みんな傷いっぱいだから優しく!」
張り詰めた空気に思い切り打ち砕いたのは、幼い双子の声だった。
「キキさん、ククさん……そうですね、リリが間違っていました。レヴィアさん、ここはどうか、リリの身一つでお怒りをお静めください、リリはどうなっても構いませんからっ」
劇場感たっぷりの口調で独白するリリにレヴィアは最早怒りを超えて呆れていた。よくわからないままダシに使われたキキとククもポケっとした表情でリリを見つめる。
「ぁ、えっと——この子は一体何者? おじさん知っていて拾ったの?」
同じく呆れた様子のフィナも頬をかきながら苦笑い気味にワイオスへと視線を向けた。
「いや、確かにここへ来た時は、無口で大人しいただの子供だったはず、とても演技には見えなかった」
ワイオスも首を傾げてリリを見つめている、見た目はただの可愛らしい爪牙人の幼い少女である。だが明らかに先ほどとは性格も雰囲気も異なっていた。
「いやです、皆々さまでリリを見つめないでくださいましっ——リリは、遠く最果ての東の地より命からがら逃げ出した後、本来の力と記憶を失って彷徨い囚われの身に、そこをワイオスさまが救ってくださり、しどうさまによってこの身を染められ、古き記憶と力を取り戻したのです」
「染めてない、染めてない——まぁ、ともかくレヴィアと同じカテゴリーということだな、みんな無事でめでたしめでたし! それよりもこいつらをどうにかしないと俺たちの目的である、恩を売って宿を確保しよう作戦が成立しない」
独白するリリに苦笑いを浮かべた獅童は、縄で縛られた男達へと視線を向け、強引に話題を現状を解決する方向へと向けた。
「しどうはん? こないな女狐とうちが一緒ってどういう事どすか? 後でしどうはんにもお仕置きどす、この人らにはうちの魔法で————」
「しどうさま! ここはリリにお任せください!!」
「————っちょ、ええ加減にしよし」
半目でじっとりと獅童を睨みつけるレヴィアは、それでもため息まじりに縛り上げられている男達を睥睨して魔法を行使しようとした瞬間、幼い身体でレヴィアを押し除けたリリが力を行使する。
「夢や夢——うたかたの、狭間に見えるはありし日のうつつ、触れど敵わず、開ば戻れず……《
まるで優雅な舞を踊るような仕草で、しかし、どこか怪しげに揺らめく薄紅色の光を両手に宿し、意味深な言葉を紡いでいく。その姿は儚げで美しく、強引に見せ場を奪われたレヴィアでさえも思わず見入ってしまう。
やがて、リリの両手から発せられた薄紅の光は、男達を覆いゆっくりと身体の中へ溶け込むように消えてなくなった。
気絶していた男達は皆目を覚まし、しかし、白昼夢でもみているかのように虚な瞳は光を映していない。
「罪過の闇に沈み、光を求めて彷徨いなさいな——」
深く、恐ろしいほどに静かな声色で囁くように言葉をこぼしたリリは、床に転がっていた剣を拾い上げると男達を拘束している縄を切り始めた。
「なにをなさるのですか?! そんな事をしたら————」
リリの不可解な行動に思わずカミラが声をあげ、刀の柄に手を当てて男達へと身構える。
「大丈夫です、この方達の意識は夢と現実の狭間、決して覚めることのない泥沼の幻想で自らの罪と向き合い、救いの光を見出すその時まで、永劫彷徨い続けるのです——おゆきなさい、あなた方の行くべき場所へ」
唖然とするカミラを余所に、リリの言葉を聞いた男達は朦朧とした足取りで虚空を見つめながら、ぞろぞろと自らその場を立ち去っていった。
「恐ろしい力です……ああなるくらいなら、いっそひと思いに——死ねたら、楽でしょうね」
静まりかえった室内でこぼすように呟いたのは、レティシアであった。そして、どこか後味の悪い空気が立ち込める室内に場違いな声を張り上げて空気を打ち破ったのは。
「お腹すいたぁあ!! あーし、もう限界ぃ! お肉! お肉食べたいよぉお」
ルーシーの心の叫びによって張り詰めていた空気が和み、続くように怯えていた子供達も空腹を訴え始めた。
「という感じで訳ありなんだが、部屋を貸してもらえないか? もちろん金は払う」
「一度にいろんなことが起きすぎて全くついていけねぇが、好きにしてくれ、ここまでされて金なんか受け取れるかよ。ただし食料には限りがあるからな、いつまでいても構わんがその辺りは自分達で何とかしてくれ」
「ああ、十分助かる、彼女達のことを理解してもらえる相手がこの国にいたと思うだけで心強い」
「おたくも相当な変わりもんってことだろ? 深くは詮索しねぇよ、これ以上の厄介はごめん被る」
ワイオスは肩を竦めて獅童の言葉を片手で受け流すと、あどけない表情は変わらず掴みどころのない少女へと視線を向け言った。
「リリ、俺はおまえさんの力だとか、詳しいことはよくわからんが、もう人間に怯えて生きる必要もないんだろ? わざわざこんな場所で狭っ苦しい人生を送らなくても、こいつや嬢ちゃん達と一緒に行動しても————」
「ワイオスさまはリリを、辛く苦しい鉄の檻から解放してくださいました。この御恩は一生かけても返しきれませんの、この身はしどうさまに染められてしまったリリですが、よければここに身を寄せたいのです」
不器用にリリを気遣うワイオスであったが、翡翠色の瞳を閉じた少女はふるふると首を振り笑顔で応えた。聞こえ方によっては大いに誤解を受けそうな言い回しをされた獅童は、苦笑いを浮かべて、しかしリリの後押しをする。
「語弊のある言い方はよそうか? まあ、俺としても賛成だな、この先のことを考えても子供たちの側にいる方がいいだろう。この子は控えめに言っても相当強い」
「うふふ、しどうさま? 女の子にそんな褒め言葉は必要ありませんわ? でも、ワイオスさまのお役には立ちとうございます」
リリは笑っていない笑顔でさらりと獅童の言葉を一蹴、そしてワイオスへと柔らかく微笑みかけた。
「子供に守られるほど落ちちゃいねぇよ、子供は子供らしく楽しむことだけ考えろっての——好きにしな、おまえさんは自由だ」
獅童の後押しは、軽く失敗に終わったがリリの気持ちを汲み取ったワイオスは、不器用に頷いた。
「あちしも悪いやつをリリちゃんみたいにやつけたいですぅ! あちしも強くなりたい」
「ククも!! なりたい」
そこへじっと様子を観察していた双子の少女キキとククがやってきて、デリカシーがないと見た目幼い少女から言外に告げられたことで肩を落としていた獅童にねだり始めた。
「ぇっと——でも、この子達も自衛の術ぐらいは持っていた方がいいのか?」
困惑する獅童、しかし、先程のように誰かが襲ってきた場合のことを考えると悪いことのようにも思えなかった。
「あきまへん、何考えとるんどすか? しどうはんはただでさえ変態やのに、その線を超えたらもう戻ってこられへんようになりますえ?」
割って入ったレヴィアは、哀れむような視線で痛々しく獅童を見つめる。
「なんの話だよ! でもこんな治世、もしもの時、身を守る術は必要じゃないか?」
「それはそれ、これはこれどす。それに、その子らにとって、しどうはんの力は刺激が強すぎるよってに、下手したら死んでしまうかもわからへんよ?」
「なに?! 俺の血はそんな危険な代物なのか?!」
ため息を吐きながら語られたレヴィアの言葉に獅童は顔を青ざめさせ、手に残った血の跡を見つめる。
「当たり前どす、これだけの力、そんなホイホイ与えられるわけあらしまへんやろ? うちらみたいなんが続いたんは、奇跡いうても間違いやおまへんえ?」
「そうなのか……うかつな事はできないな」
奇跡というには続きすぎていると感じないこともない獅童ではあったが、レヴィアの言葉は最もなので、真剣に受け止めた。
「あちし強くなれないの? ねぇ、美人なおねぇさん? あちしもワイオスちゃまの役に立ちたいの」
「美人おねぇさんっ、ククもお願い」
話の流れを聞いていた双子のキキとククは、可愛らしく瞳をうるませレヴィアへとターゲットを切り替えた。
「んっふ、なかなか見所のある子らやなぁ? ええよ、美人なおねぇさんにまかしときなはれ」
「「やったー!! ありがとうっ、美人なおねぇさん」」
「んふっ、ええ子らやなぁ」
いとも簡単に籠絡(ろうらく)されたレヴィアは、集まった子供達数人に何やら始めた様子で、フィナとカミラは別の子供達の遊びに付き合わされ、ルーシーはむしろ遊んでもらっていたり、皆それぞれ気を緩めて穏やかな時間を過ごし始めていた。
「————」
ただ一人、紫紺の瞳に普段とは違う雰囲気を宿す少女だけが、じっとその光景を見つめていたのだった。
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