弐拾壱

 


 こんな筈ではなかった。最初は、異なる世界から来たばかりでクラスレベルも低い剣崎獅童と言う男を揺さぶり、精神的に追い詰めるだけの簡単な話だった。


 そして、普段は手の届かない上質な爪牙の女共を自分のコレクションに加えるチャンス。ただそれだけのはずであった。


 しかし、目の前には到底理解の及ばない惨状が繰り広げられている。そして、地面に転がる自分の右腕に視線を落としたモルドの頭は、無理解に押し潰されていた。




 ふとモルドは思い返す。剣崎獅童と言う男から殴られた時に気がつくべきであった、と。


 モルドのクラスレベルは六、数多の死戦を潜り抜け昇華されたその精神と肉体の器は、クラスを開花させたばかりの低レベルな人間に遅れを取るようなものではない。クラスのレベルとは、その者の精神力、魔力、肉体の強さを数値化したものであり、レベルが一つ違えばその力量は、武器を手にした兵士と丸腰の一般人程の開きがある。




 ましてモルドは王国でも数える程しか存在しないレベル五を超えた猛者。本来ならば、低レベル者の攻撃など痛くもない————はずだった。




 しかし、今モルドの眼前では、理解を遥かに超えた異常な光景が繰り広げられていた。




「なぜ、爪牙の女共が……こんな情報、エンヴィル様からはなにも聞いていない、聞いていないぞ」




 ただ人間の道具に過ぎない。半端であり、異端。爪と牙を持ち合わせた醜みにくい人間のなり損ない。


 それが、なぜ——王国きっての精鋭達を蹂躙しているのか。




 白い髪を靡かせる女が地に拳を打ち付ける度に大きく地面は陥没し凍て付き、周囲の様相を様変わりさせる。


 頭部に湾曲した小ぶりな角を持つ女は、宙を駆け抜け舞い踊るようにモルドの部下達をなぎ倒していく。




「なんだ、これは……」




 モルドの部下達は、中途半端な統率しか取れず、瓦解寸前の王国兵などではない。国王への反骨心を抱きその意に沿わず、好き勝手に動いている騎士団でもない。


 過酷な訓練のもと、完璧に統率され、その一人一人が最低でもクラスレベル三以上。どのように理不尽な局面でも必ず君主たる国王のため武功を上げてきたエルサール王国軍。




 それが今、一人の男とたった数人の爪牙人に壊滅させられようとしているのだ。




「——かくなる上は、刺し違えてでもその命で、この屈辱は貴様の死をもってしかぬぐいきれん」




 モルドは、亡くした右腕に回復薬をかけ傷口を塞ぐ。しかし、一度欠損した腕はもう二度と元には戻らない。


 ぎりっと歯がみし、鋭い眼光を剣崎獅童へと向けるモルドは。左手に剣を取り、少女達へと指示を飛ばす男の背中を目掛けその力を解放しようとした、瞬間。




「モルド君、僕は君に感謝するべき事と、がっかりした事があるんだけど……どちらから聞きたい?」




 突如モルドは背後からかけられた声にぞくりと身を竦め、その場で硬直する。




「カークマン大佐————」




 振り向かずとも、その異様に甘ったるい声色と、身動き出来なくなる程の重圧。


 男性にしては長いブロンドの髪、全身を白で覆い尽くした特注の軍服。整った容姿と優しげな顔立ちは、王国中の女性を虜にして止まない。だが、しかし、モルドにとってその微笑みは恐怖以外の何者でもなかった。




「も、申し訳ありません大佐。この不祥事の責任は私が命に変えても——」




「違うなぁー、全然違うよモルド君? 僕は感謝しているのさ、見てみなよ彼女達を——あんなにいきいきとして、なんて美しい。ただの“ゴミ”にこんな輝きを与えられるなんて、あぁ、シドウ・ケンザキ。彼の才能は素晴らしい」




「それはどう言う——」




  疑問点を浮かべ、ゆっくりと背後を振り返ろうとした瞬間、自分の胸から突き出した血濡れの刃に絶句する。




「馬鹿だなー、君は本当に馬鹿だ。彼が彼女達に力を与えたのだよ、正直ここまでとは予想できなかった。君は本当によくやってくれたモルド君」




  背中から心臓を穿ち胸元から飛び出した細身の剣に目を白黒させた後モルドは、ぐったりと前のめりに倒れ込んだ。




「だからね? 僕はとっても残念なんだよ、そんな彼を君の独断で手にかけようなんて」




  ずるりとモルドから剣を抜いたカークマンは、こと切れた男の衣服でその血を拭うと優しげな微笑みを浮かべながら目を細めて善戦する少女達、なかでも躍動的に戦場を駆け回る黄金色の髪に黒い縞模様の尾を持つ紅い瞳の少女に目をとめた。




「兄さんとそっくりの目、母親譲りの髪色……やっと見つけたよ、フィナちゃん」




  口元に微笑を浮かべた男は、優雅に踵を返して獅童達に背を向けると、その場から姿を消した。












 ◇◆◇












 地面の至る所が陥没し、天に向かって氷柱が立ち上る。軍服の男達はなす術もなく宙に投げ出され、理解が追いつくより前に少女達によって蹂躙されていく。




 その光景に獅童は、ただ唖然とするしかなかった。ライムンドという獅童が地面に沈めた吊り目の男。その言葉を信じるならば、クラスレベルという概念は、イコール強さというのがこの世界の常識なのだろう、と獅童は考えた。


 低レベルであるはずの自分がなぜ勝てたのかは、獅童としてもよくわからないが、ライムンドの口走ったクラスレベルの上限が十という情報。




 獅童の知る限り、少女達のクラスレベルは最低でもカミラの十三、フィナとロゼが同じく十五、レティシアが十七、ルーシーは二十、レヴィアに至っては三十と、もし本当に十という数値が基準値の上限であれば規格外もいいところである。




 獅童が自分よりも高レベルな人間と渡り合えたことから、数値だけが全てというわけではない。だが、数値の高さが駆け引きなしの純粋な強さに比例するのだとしたら少女達の力は、ここにいる人間達を遥かに凌駕しているのではないか。




 獅童にとっては賭けであった。少女達の力に頼ることは本意ではないが、この状況を打開できるのではないかと。


 結果は言うまでもなく、獅童の想像を遥かに超えた現実が目の前に広がっている。そして獅童は、今更になって理解する。自分の中にある“王の血”とは、とんでもない力なのではないかと。




 それは、この世界の常識を覆してしまう程に。




「しどー? なにボーッとしてんのよ? 走るんでしょ」




 呆けていた獅童を真紅の瞳が覗き込む。我に返った獅童は、頷きと同時に蒼穹の長い髪を揺らしながら優雅に戦場で佇んでいるレヴィアへと声をかけた。




「お、おう……レヴィアも走れるか?」




「問題あらしまへん、なんならここにおる無作法な人間、まとめて消してもかまへんよ?」




「そこまでしなくてもいい! 無益な殺生はやめような?」




 涼しい顔でとんでもないことを言ってのける少女。しかし、獅童はそれが冗談ではないことも実際にその力があることも理解した上で必死に説得する。




「とにかく俺たちの目標は、ひとまずこの城を脱出することだ——レティシアのいる方向に出口がある、走るぞ」




 獅童を先頭にフィナとレヴィアが続き、ほとんどの王国兵を倒したルーシーとカミラも獅童達を追いかける。




 だが、未だに戦意を喪失していない軍服の人間も多く残っており、正面から獅童の前に立ちはだかった。




「くそ、忠誠心はご立派だが、今は邪魔だ! 道あけろ!!」




 獅童は、叫びながら銃を構え迎え撃とうとした瞬間。上空より細く血のように赤い鋭利な針状のものが降り注ぎ、軍人達を襲った。




「ロゼの血は変幻自在、形も強度も変えられる——《血液操作:穿つ鮮血ブラッドピアス》」




「ロゼ! すまない助かった」




「あら? ご主人様にも当てるつもりだったのだけれど、残念ね——こんな風に遊んであげたのに」




 ロゼの攻撃を受けた軍人達は所々に傷は負ったものの、直ぐに立ち上がるとクロスボウのような武器を上空へと向け、優雅に佇んでいるフリフリのメイド服を着た少女へと狙いを定めた。




「ロゼの血に触れた血は、ロゼのものよ? だからあなた達は《血液操作:血の傀儡ロゼのおもちゃ》ってことよ? わかったら、膝をついてロゼを崇めなさい?」




 少女の攻撃を受けた軍人達は、苦悶の表情を浮かべながら耳や鼻から流血し、天を仰ぐように膝をついた。




「あなた達の血液はロゼの支配下、つまり心臓を止めるのも身体中の血液を操ってロゼの好きに動かすのも思いのまま——そう、ロゼはデンジャラスな女!」




 妖艶な雰囲気を纏いながら王国軍を蹂躙する姿は悪役さながらであったが、何故か最後よくわからないフレーズと共にドヤ顔で胸をはる姿を見てどこか獅童はホッとする。




「おまえは魔王か? なんて、恐ろしい能力だよ……当たらなくてよかった」




 ロゼを拝むように跪く軍人達を切り抜けた獅童は、一直線に走り抜け空中で誘導するレティシアの後を追う。




「全部隊展開!! 魔法攻撃連射用意! 放て!」




 突如響いた掛け声と共に、潜んでいた黒いマントの人間が無数に現れ、即座に展開した魔法を四方から獅童達目掛けて放った。




「うっとおしい——ええ加減にしよし」




 雷、炎、水——無差別に放たれた魔法による攻撃は、凛と澄んだ声がはんなりと響くと共に獅童の目の前で動きを止め、何事もなかったかのように消失した。




「————!?」




 魔法を放った者達も何が起きたのか理解することも出来ず許容できない現実に動きを止める。




「ていうか、卑怯なのよあんた達! あたしこういうやり方って、すごぃムカつく」




 一瞬の虚をついて飛び出したのは、黄金色の閃光。フィナは黒いマントの男達へと瞬く間に距離をつめ、拳を、蹴りを叩き込んでいく。そして、わずか一分と経たずに取り囲んでいた無数の敵を気絶させていた。




「美少女達の情け容赦ない猛攻に剣崎獅童は、哀れな敵へ同情の念を抱かずにはいられなかった」




「一人で何言ってるの? しどー?」




「いや、なんでもない」




 思わず本音を独白する獅童の顔を下から覗き込むフィナ。慌てた獅童は、気を取り直して全員に声をかける。




「全員いるな?! 俺は基本的に信用したが最後、とことん丸投げタイプだ!! ということで、ルーシーさん? 城門を思い切りぶち壊しちゃってください」




「はぁーい!! いっくよぉお——《氷魔法:纏い:氷拳カチコチどっかぁん》」




 にっこりと笑顔でうなずいたルーシーは元気よく飛び出すと、ずっしりと聳え立つ巨大な城門へ向けて魔力を纏まとった右の拳を思い切り叩きつける。




 ズドンと、身体の芯に響く音がこだます。巨大な城門は周囲の城壁ごと凍りついた。そして抉り取ったように城門と周囲の城壁ごと粉々に砕け散った。




 異様な光景を目の当たりにした軍人達は、獅童達を追いかける足を止め、顎をぶら下げたまま立ち尽くすことしかできず、僅かに残った戦意を根こそぎ刈り取られた彼等は力なく地面に膝をついた。




 城から一歩足を踏み出した獅童達は、唖然とする軍人達へと向き直り中指を突き立てて告げる。




「おまえらの親玉に伝えろ、次はおまえが豚箱行きだ——首洗ってまってろってな」




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