エルサール王国。その象徴とも言うべき、白を基調とした美しい外観の王城。その城内で二人の男が向かい合い神妙な面持ちで言葉を交わし合っていた。


「奴が——あの召喚された男が“エルサール”の名を持っていただと?! そんな馬鹿な話があるか!!」


「そう、声を荒げるなアルバルド。私も精霊石を介して名前を読み取った時は、正直信じられなかった。しかし、異界より召喚した男が“エルサール”の名を有しているなど、こんな偶然があるだろうか?」


「あの男が王族の血筋とでも? ならばなぜあの男は“ケンザキ・シドウ”などと名を偽っている?! それにあの者が身に付けていた衣服や武器は我々が目にした事すらないものだった! まさしく奴は異界の人間であろう? それがエルサールの血筋などと——馬鹿げている」


 ダロスは、興奮に声を張るアルバルドに無言で頷きかえす。ダロスとしても、自分の言ってる事がいかに荒唐無稽で、都合の良い解釈なのかは十分理解していた。


「其方の気持ちはよくわかっている、我々はあの忌むべき日に全てを奪われ、エルサールの血筋は根絶やしにされた——突然現れた“あの男”にな、それは私が一番身に染みてわかっている」


「ダロス、すまない。あなたはあの時、最後まで命懸けで立ち向かった。その勇姿を疑う者などこの国には一人もいない——そんな、あなたの言葉を“馬鹿げた”などと軽はずみに口にした、謝罪する」


「気にする事はない、私は守れなかった——こうして生恥を晒しているのも、あの時の無力な自分への戒めと贖罪なのだ」


 ダロスは遠い記憶を辿るように想いを馳せながら、込み上げる怒りの感情を歯がみして押し殺す。


「それは、俺とて同じ事。あなただけが責任を感じることではない」


「私は、彼の名を目にした瞬間、この心に僅かな期待を描いてしまった。この長く苦しい時に終わりを告げてくれるやもしれぬと」


「————そんなもの、俺は信じない。俺が信じられるのは、己の信念とこの剣だけだ」


 アルバルドは腰に携えた剣の柄を強く握りしめ、眼光を鋭く吊り上げる。いつか自らの手で憎むべき者を斬り伏せるべく、今はただじっと己の技と信念を研ぎ澄ませるのだと、言い聞かせながら。


 程なくして、アルバルトは部屋を後にし、その場にはダロスだけが残っていた。


「私に“彼”の世話役を任せるとは、ドリュファスト——どこまで我等を嘲るつもりだ」


 ダロスは固く拳を握りしめ、忌々しそうにその名を口にする。そして杖を手に一人覚悟を決めたように窓際へと立つ。


「ガルム殿下……どうかご無事で。必ず我らが、貴方様の帰るべき場所を取り戻します。例え、どんな手を用いようとも——必ず」






 ◇◆◇






 地下の牢獄。窓一つない全面壁の空間は、異臭が漂い、生温い空気が立ち込めていた。その不快感はその場にいるだけで精神を蝕んでいく。外の世界と遮断され、時間の感覚も分からず絶望しか感じられない。しかし、そんな地下の牢獄は現在、また違った意味で混沌カオスだった。


「ねぇ、ご主人様? ロゼの足にその薄汚い鼻血がついちゃったんだけど? どうしてくれるの?」


「は、はい、すぐに拭かせていただきます——」

「手は使っちゃダメ……ねぇ? ご主人様?」


「ぬぅわっ!? そ、それでは、僭越ながらこの口を使って————」


「なぁにしてんのよっ!? この馬鹿しどー!! だいたいあんたも頭おかしいんじゃないの?! 助けてもらった張本人になんてことさせようとしてんのよ!!」


「ぇ? なにって、ロゼのご主人様だもの? ご褒美に決まっているでしょう?」


「そ、そうだぞフィナ? 美少女にご主人様と呼ばれながら、しかし、完璧な主従逆転——完全なご褒美だ。これで彼女がメイド服でも着ていようものなら……ぶはっ」


 妄想を膨らませすぎた獅童の血管が許容量を超え、鼻から鮮血を撒き散らす。そして、背後に燃え盛る熱気を纏ったフィナは拳を力強く握りしめ、真紅の瞳を縦に裂いた。


「あんたたち——しね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねぇええ!! この変態、馬鹿しどーがぁああ」


 フィナは口より先に手が出てしまうタイプである。獅童と眷属の契約を交わし、その恩恵によって身体能力を飛躍的に昇華させた少女は獅童とロゼに向かい無数の連打を放った。

 しかし、ロゼは、その尽くを表情一つ変えず優雅に躱し。当然獅童は。


「ぶぶぶぶぶっへぶぁぁあ」


 全て顔面で受けるという男気溢れる対応であった。


「はぁ、この程度も避けられないなんて。なんて可哀想なご主人様かしら」


「ぁっ、しどー?! やりすぎちゃった、大丈夫?」


「ばいぼーぶべふ(大丈夫です)」


「ご主人様を滅多打ちにするなんて、あなた酷いのね? ロゼのご主人様になんて事するのかしら」

「ぐふっ」


 冷たく深い色をした紫紺の瞳で獅童を睥睨しながら、涼しそうな表情で仰向けに倒れているその腹に勢いよく腰かけたロゼ。フィナはその額に青筋を浮かべながら再びロゼを睨みつける。


「あんたねぇ、いい加減にして!! しどーはあんたのものじゃないし……意識が戻ったと思えば、いきなりなんなの?!」


「そう、じゃあ、あなたはご主人様のなに??」

「ぁ、あたしは……しどーの、ぉ、お嫁さんに」


「ぷっ——、素敵な夢ね? 一生見続けていたら良いと思うわ」

「———!? なに笑ってんのよっ!! この変態! 紫キャベル」


 フィナの言葉に吹き出したロゼは、すぐにその表情を冷めたものへと変え皮肉を言い。フィナは顔を真っ赤に染めながら、ロゼの髪型をこの世界ではありふれた野菜の名前で揶揄。子供じみた意趣返しだが、ロゼの表情は明らかに苛立っていた。


「言ったわね。決して口にしてはいけない言葉を」


「ふん、何回だって言ってやる!! あんたが紫キャベルの畑に埋まってても、だぁれも気がつかないんじゃない?」


「——殺す」

「やってみなさいよ!」


 ロゼは立ち上がり、フィナと向かい合う。両者は横たわる獅童を挟んで一触即発の様相を呈し。


「えぇ加減にしよし? しどうはんはうちの旦那はんになるんどす。あんたらは水でも被っていっぺん頭冷やしとき」


 涼やかな声色と共に二人へ両手の指先を向けたレヴィア。同時にその指先からは水道の蛇口を思い切り捻ったように勢いよく水が吹き出し、少女たちの全身をずぶ濡れにした。


「な、なにすんのよ!!」


「ご主人様、ロゼが濡れたわ? 全身で拭いて頂戴」

「あんたは言ってる側から!!」


 レヴィアにフィナが声を荒げている隙に、ロゼは獅童へと擦り寄る。それはさせないとばかりにフィナがロゼへと飛びかかり、二人はくんずほぐれつしながら牢獄を駆け回る。


「はぁ、しどうはんが“自由に”やなんて言うてまうから、制しが効かんようになってもうたんよ? どないしはるん?」


 レヴィアは頭を抱え、腫れ上がった獅童の顔面に青い光を注ぎ、傷を癒しながら語りかける。

 顔の傷が癒え、まともに喋れるようになった獅童は身体を起こすと、レヴィアへと向き直る。


「正直なところ、俺はいまだに何がなんだかわかっていない。それに、君が——」

「レヴィアどす。うちの事“君”やなんて他人行儀な呼び方せんといておくれやす」


 獅童は自らの力や魔法の存在。現実を受け入れようとするだけで精一杯の状況で、先の事など考えられるはずもなく、しかし、少女達は解放しなければならないという使命感で行動した獅童は困惑気味に言葉を発し。

 だが、レヴィアの膨れっ面は、それはそれで可愛いと感じてしまう獅童でもあった。


「すまない、レヴィア。俺になにがさせたいのかは知らないが、例え人を支配したり好きに命令できる力があるのだとしても——実は、したいけど。そんな事ができるはずないだろう?」


「本音がだだ漏れどすぇ? あと鼻血……世話のやける旦那はんや、まぁぇえよ? しどうはんの力やさかい好きにしたらえぇ。せやけどな? これだけは覚えとってほしんよ」


 獅童の溢れ出す心の声に、クスリと微笑を浮かべたレヴィアは、諦めたように肩をすくめた。そしてその表情を真剣なものへと変える。


「なんだ?」


「しどうはんの力は、この世界に大穴を開けてまう。常識もなんもかんも覆してまう力なんや。そして、うちらはその武器みたいなもんやさかい“言葉”で縛らずに自由を与えるんやったら、うちも含めて、しっかり気持ち握っといてな?」


 やはり、少女の言葉は獅童にとって現実感のないものだった。確かに状況は奇怪なもので、自分のいた世界とは異なる世界だと認めざるを得ない。だが、どんな巻き込まれ方にせよ、目の前で囚われている少女達を救いたいと言うのも偽らざる本音ではある。

 だからと言って、獅童としてはこの状況を解決した先に考える事は決まっており。


「あ、あぁ。とりあえずは、わかった——しかし、俺は」


 元の世界に帰りたい。自分はこの世界の人間ではない——そう、口から言葉が出かけた瞬間。目の前に佇む少女の深海のように暗く深い瞳に見据えられ、喉元まで出かけた言葉を思わず呑み込んだ。


「しどうはん、今更後戻りはできまへんぇ? しどうはんはもぅ、動かしてもうたんどす。この世界の刻を」


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