玖
薄暗い室内、外部の光が一切入る事のないその場所は、湿気と異臭が充満する地下の牢獄であり。しかし、その場所にあって通常とは異なる悲鳴がこだましていた。
「人が命がけで、身を挺したって言うのに!? 目覚めて早々なにしてんのよっ!! ていうか、誰よその女!」
「なんや、行儀のなってへん子ぉやなぁ? 命の恩人にお礼の一つも言われへんのん? もっぺん蜂の巣にした方がよろしおすか?」
「命の恩人? なんの事よ!? それに、頼んでないし!! て言うか、しどーから離れなさいよ」
「しどうはんは、うちの旦那はんになりはるんどすっ、ほんまに蜂の巣になりよし」
「はぁ!? しどーのお嫁さんになるのはあたしなんだけど!!」
獅童を中心にその両腕をとり、バチバチと火花を散らせ始めた二人の少女。獅童はその両腕を包み込むスベスベと柔らかな美少女の感触に、なぜ、この子達は会って間もない自分のことをこんなにも——などと言う些細な疑問は、どうでも良くなり。
「ぶっ————」
「しどうはん!?」
「しどー!!」
張り詰めていた緊張の糸がわずかに解れると同時、抑圧されていた感情がその鼻から赤いしぶきとなって解き放たれた。
◇◆◇
「王の血?? なんだそれは」
「まぁ、一言で言うとやなぁ? しどうはんはその身体に流れる“王の血”の力で、うちやその子ぉみたいな獣の血を持つ子ぉらをしどうはんの虜にできるんどす」
落ち着きを取り戻した獅童は、どくどくと脈打つ鼻に情けなくもちぎった布を詰め込み、出血を抑えながらレヴィアの話に耳を傾けていた。
「あ、あたしは、別に——自分でしどーを選んだだけだもん、そんな血なんて関係ないし」
「何言うてはるん? あんたも飲んだやろ? しどうはんの血。そんで、無条件的に力の解放とその理があんたの頭に流れ込んできたはずどす」
「そ、それは……そうだけど」
レヴィアの話に、どこか納得のいかない様子で反論するフィナ。しかし、その言葉を遮るようにレヴィアは続け、確信を突かれたフィナはたじろぎながら自信なさげに俯く。
「せやから、それが血の虜になった言う——」
「あたしは、あたしはそんなんじゃない!! 血なんかに縛られてしどーを選んだわけじゃ」
「ま、まぁ、フィナも落ち着け。レヴィアも、勘違いじゃないのか? 俺にそんな素晴らし——いや、そんな“王の血”なんて流れているわけが」
やはり、納得がいかないと食い下がるフィナを落ち着かせるように声をかけた獅童は、レヴィアへと向き直り、言い張るレヴィアへやんわりと問いかけ。
「ほんなら、試してみたらえぇ。どうせ他の子ぉらもこのまま放ってはおけへんしな? 一人ずつ、しどうはんの血を飲ましてあげたらよろし」
レヴィアは自分の意見を受け入れない獅童に、その小ぶりな唇を尖らせ、拗ねたように言ってのけた。
「試すって言ってもな、無防備な美少女の口に血を垂らすなんてコアなプレイ————」
「鼻血、出てるから。全然説得力ないから。ばーか、変態しどー」
ツンと顔を逸らし、だが獅童の横から離れることはしないフィナは、わかりやすく拗ねてみせた。そして、横目でちらりとその表情を覗く——紫の髪色をした自分と背丈の変わらない少女を目の前に獅童の表情は緩み切っていた。
「ごふっ」
「ばか」
右肘で軽く獅童の腹を打つ。獅童は苦悶の表情を浮かべ身をくねらせた。
「うちの前で、いちゃいちゃせんといておくれやすっ、しどうはんも、誰にでも鼻の下伸ばしとったら、いつか痛い目見るぇ?」
「てて、もう痛い目にあってるよ……だいたい、なぜ俺がこんな——やはり美少女は見て楽しむに限るな」
二人の少女の板挟みに合い、口を尖らせぶつぶつと心の声を漏らす獅童は、レヴィアの言った“血の力”その審議を確かめるべく、無抵抗の少女の口元へ自分の血を垂らすと言う、どこか背徳的な行為に良心を咎めながらも。
「なんか——エロぃ、ぐふッ」
両サイドから躊躇なく獅童の腹へと肘が打ち込まれた。
その反動で少女の口元へと、血を滲ませていた指先から獅童の手を離れた赤い滴が少女の舌先に付着する。瞬間、目を見開いた紫髪の美少女は、カタカタとその身を震わせ始め両腕を抱くようにうずくまった。
「——あぁ、ぁぁ、あ」
「なんか様子がおかしいぞ?!」
「苦しそうだよ? ねぇ、本当に大丈夫なの??」
「……首輪の支配、その影響どすな。うちは例外として、フィナ言うたな? あんたは首輪の支配を受ける前やったんどっしゃろ? 力に目覚めた後、しどうはんに何にも命じられへんかったん?」
「命じる? しどーはあたしに命令なんかしてないけど」
「ほぉか。なら、あんたはほんまにしどうはんのこと……」
「なによ」
「面白い子ぉやと思ってな? フィナはん、あんたは——」
「おぉい! そんなことより、この子! このままで大丈夫なのか?! すごい苦しんでいるぞ」
獅童の血を口にしてから苦しそうにうずくまる少女。レヴィアはその様子を冷静に観察し、獅童へと声をかける。
「しどうはん。この子ぉは、元々自分を支配しとった力と、そこに加わったしどうはんの力がぶつかって苦しんどるんや」
「俺の力と? 本当に俺にそんな力があるのか」
「その通りどす、せやからしどうはん。この子ぉを楽にしたっておくれやす」
「ら、楽にって……どおしたらいいんだよ?!」
「王の権威は絶対的なもの。しどうはんが思うままに命じたらえぇんどす、下僕でもなんでもしどうはんの思うまま——ただ一言“その言葉”でこの子ぉを支配したったらぇえんよ」
あくまで冷静に、獅童へしっとりとした声色で語りかけるレヴィア。
だが実際、獅童は焦燥にかられ、彼女の言葉の意味など理解する余裕が無かった。しかし、獅童はふいにその手に触れた小さく暖かな感触に、混乱と困惑で押しつぶされそうだった心が僅かに落ち着きを取り戻す。
「フィナ……」
「しどー、落ち着いて? 大丈夫、怖くないから」
目の前で次々と起こる超常的で、自らの知る常識とかけ離れた世界に、なんとか順応しようと、受け入れてみようと奮い立たせていた心は、やはり限界でもあった。
未知に対する恐怖、自分が本当に別の世界へ来たのかもしれないと言う、未だに受け入れ難い現実は、しかし逃れられない奇怪な現実に砕かれていく。そんな不安定な心を、小さな手は優しく包み込むように、緊張でじっとりと汗ばんだ獅童の手を握っていた。
「自由に——」
「ん? どないするか決まりはったん? うちとしては、戦力にすることも考えて、下僕はちょっと可哀想やから、ある程度意志のある従者にでも————」
「君を自由にしたい!!」
「はぁ?! しどうはん、なに言うてはるん!! せっかく従えるチャンスを——」
レヴィアが目を剥いて叫び声を上げると同時、白銀の光が少女を包み込みその瞳に生気が蘇る。
「ぁあぁ——な、にこれっ——だめっ、なんか来ちゃうっ来ちゃうよっ、んん、んぁあああ!?」
少女の奥底から溢れ出すように、重く暗い力の放流が溢れ出す。獅童はなんとかその場に踏みとどまり、悶えるように熱い吐息を漏らす少女の姿を見つめていた。
まるで人形のような顔立ち、フィナとは正反対で、そのあどけない容姿にどこか妖艶な雰囲気を感じさせる少女は鮮やかな紫色の髪。そして、目の前に立つ獅童を見据える、深い紫紺の瞳。何よりも特徴をあげるならば、少女の背中にある二対の羽だ。それは、黒い筋の間に膜を張った滑らかな、まるで蝙蝠のような羽だった。
「これは、一体」
肩で息をする少女。その表情はまだ混乱している様子で、そんな姿を胸に手を当て心配そうに見つめるフィナと、頭に手をあてため息をつくレヴィア。
そして獅童は、本当にこれが自分の力なのか。なぜ自分にそんな力が宿っているのか。そんな事を考えながらも、立体的な光のプレートを出現させた指輪へと視線を向ける。
《眷属契約完了》
◇◇◇
ロゼ・リリアック《種族:
《クラス:
《アビリティ:獣化》獣に近い姿への体質変換、全能力上昇
《スキル:
◇◇◇
落ち着きを取り戻した少女は、改めて周囲を見渡す。無意識に近い状態の中で、しかし薄らと記憶に残っている少女達の顔、そして見覚えのない人間の男。
少女は自分の身に起きた事、今置かれている状況に大体の察しをつけると、目の前に佇む人間の男へ向け言った。
「———ロゼのご主人様はあなたでいいのかしら?」
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