何が起きた。

 獅童は隣で照れ臭そうに微笑む——なぜか、牢獄に囚われていた謎のコスプレ美少女。快活そうな印象を与える雰囲気と華奢な身体つきの小柄な少女。珍しい真紅の瞳に、金色の髪。そして、獅童が彼女をコスプレ美少女と断じる所以として、頭部にある猫のような耳。そして腰から生えた金と黒、交互に色の重なった尻尾。その特徴を考えると、猫と言うよりは虎の少女と形容する方が正しい。そんな少女がいましがた発した言葉に戸惑いと困惑を極めていた。


「ぇっと、フィナ……いや、フィナさん?」


「なに? しどー? 今更さん付けなんかしないでよ、フィナでいいよ」


 少女は少し照れ臭そうに、しかし、その表情は穏やかで明るい。満面の笑みで獅童へと向き直る少女。


「その、俺たちって会ったばっかりだよな?」


「そうね、すごぃ衝撃的な出会いだったね?」


 確かに衝撃的ではあった。言いようによっては運命的とも取れる発言に、たじろぐ獅童。


「しどーがこの二人からあたしを助けてくれて、そしてしどーがあたしに力を与えてくれた。その時に思ったの、あたしが待っていた、待ち望んでいた人はこの人なんだって」


 牢獄という異常な環境が、少女の心から冷静な判断力を奪っているのだろうか、獅童の頭はとにかく混乱していた。目が覚めたら、視線の先には囚われているコスプレ美少女。そして、そんな少女を拷問しようと現れた男達を、“鎖を解いたら触っても良い”という条件のもと退け。少女の頭に触れようとした瞬間、その手を噛み付かれ——途端、不可解な光に包まれた少女は力を注がれたなどと良くわからない事を言い出した、と思ったら。


「その、聞き間違いという可能性もあるから、もう一度聞くが……さっきのは」


「ん? 本気だよ? あたし、しどーの“お嫁さん”になる」


 剣崎獅童、人生初の逆プロポーズはどこかもわからない牢獄で、コスプレをした謎の美少女からでした。

 獅童はここにきて、今までのどんな状況よりも混乱していた。


 なぜなのか。この数時間で少女の心にどんな変化が起きたというのか? 獅童はもじもじと、頬を赤らめてしおらしく俯く少女を横目に、頭を抱える。


 獅童としても、少女の突然の告白が嬉しくないわけでは無いのだ。しかし、状況が状況なだけに、獅童は少女の言葉をきっかけに冷静さを取り戻し始める。

 少女は確かに言ったのだ。“お嫁さんになる”と、たかだか会って数時間の男に、いくら助けられたとはいえ何の脈絡もなく、いきなり。

 いくら獅童の恋愛偏差値が桁外れに低いとしても、それはおかしい。という事くらいは理解できた。しかし、何より獅童をこの瞬間苦しませていたのは、どんな経緯でコスプレをしているのか定かでは無いが、獅童にとって“美少女”とは、崇める対象であり。“恋愛”となると、それはそれで違うと言う事。ましてや、恋愛すら飛び越えて結婚となると余計に警戒せざるを得ない。


 なにが目的なのか、結婚詐欺? そんな良くわからない疑いが頭の中を駆け巡り、頭を抱える獅童をフィナは不思議そうに見つめ、その表情を覗き込むように小首を傾げ。


「大丈夫? もしかして具合、悪い?」


「————!?」


 可愛かった。獅童の正面に立ち、屈むような姿勢から覗き込んできた少女の上目遣いと、ちらりと覗く小さな膨らみ。それは、獅童の思考を吹っ飛ばすほどに十分な破壊力であり。


「もぅ、良いや——すげぇ可愛いし」

「か!? かわいい!? いきなり、そんな……うぅ」


 少女は首から上を真っ赤に染め、両手でその顔を覆い隠す。可愛かった、本当に色々な事がどうでも良くなるくらい圧倒的に可愛い。可愛いは尊い、可愛いは正義。獅童の思考は完全に停止した。


「君みたいな可愛い子に、まさかそんな事言ってもらえるなんて——」


 瞬間、獅童の脳裏に鋭い衝撃が走る。目の前の少女は美少女だ。それは間違いない、こんな美少女が現実に存在するのかと思える程。そう、そして獅童の知る“美少女”とは大抵の場合。


「ふ、フィな——君、年齢は」


 獅童はゴクリと喉を鳴らし、少女へと問いかけた。気がつくべきだったのだ、あまりの興奮に我を忘れ失念していた。獅童の知る“美少女”とは大抵の場合未成年——そして、少女へと目を向ける。華奢で小柄な体躯、あどけない表情、発展途上のような小さな膨らみ。パーフェクト。そして、アウトだった。


「あたしは」


 ゆっくりと開かれる少女の口元——まるで生きた心地がしない。獅童は曲がりなりにも『公務員』見方によっては既にアウトとも取れる言動を働いてしまった。

 やってしまった。獅童は懺悔するように両手で顔を覆う、決して犯してはならない禁断の領域に踏み込んでしまったのだと。テレビのニュース速報で晒される自分の情報が目に浮かぶ。


「こ、こう見えても十八だからね! ちゃんと大人なんだから」


 セーフだった。思わず涙ぐむ獅童をフィナは不思議そうに見つめ。


「ありがとう、ありがとう!!」


 涙ながらに握手を求めてきた獅童に、困惑するフィナは恥じらいながら握られた手を思わず振り解く。


「ば、ばか……こう言うのはもっと、ちゃんとしてから」


 異性に手など握られたことのない少女は、振り解いた自身の手を見つめながら、赤面して、ひっそりと悶える。


「とにかく、よかった!! さて、今からどうしたものか」


 すれすれだが犯罪ではない、セーフだ。と、言い聞かせ、心を落ち着かせる。その前にあった色々もすっかり頭から吹っ飛んでしまった獅童は一先ず、現状に思考を切り替えこの場所から脱出するべく、脳内で作戦を組み立て始める。


「ぁ、しどー、ちょっとお願いがあるんだけど」


「ん? どうした? ここから出ることなら心配しなくて良い。ちょっと特殊だから説明しにくいけど、こう見えても俺は一応警察関係者だ。さっきは見苦しいところを見せてしまったが、もう心配は——」


「けいさ? ちょっと、なに言ってるかわからないけど、この奥にまだ捕まってる子達がいて……その、助けてあげられないかな?」


 獅童としては、ここ一番少女を安心させるべく、同時に暴走してやらかしてしまった汚点を帳消しにすべく格好をつけて名乗ってみたのだが、今一つピンときていない様子のフィナにがくりと肩を落とし、しかし、その後の捨て置けない言葉に、獅童は表情を真剣なものへと変え。


「この奥に? まだ部屋があるのか」


 よくよく視界を凝らせば、牢獄の奥に黒く重々しい鉄製の扉があることに気がつく。


「うん、ここは“拷問の部屋”だから……あたしが連れてこられた時は何人かいたんだけど、みんな変な首輪をつけられて奥に」


 少女の言葉に、思わず言葉を詰まらせる。予測はしていた、当然だろう。こんな場所に少女を監禁する理由は大抵の場合、卑猥で歪んだ欲望を満たす為。それは、先ほどの男達の言動からも間違いない。

 しかし、目の前の少女はまだ、辱めを受けた様子はなく。振る舞いにも余裕が感じられた為、先ほどの行き過ぎた言動も獅童としては少女の心を和ませたいと言う意図が、あったり、なかったり。


「なんて連中だ、こんな所に美少女を閉じ込めるなんて」


 ふと呟いた獅童の言葉に、少女は目を丸くしてその顔を見つめる。見つめられた獅童も意外な反応の少女にその瞳を見つめ返し。


「ふふ、人間なのに、しどーって本当おもしろい」


「ぅん? どう言う意味だ? 何もおかしいことは」


「この国であたし達が捕まるのは当然なのに、それを助けようとしてるしどーの方が変だよ? あたし達を庇ったのがバレたらそれだけで重罪。しどーはそれでも、あたしを助けてくれた」


 ますます持って意味がわからない。少女の言葉に獅童はただ混乱する。もしや、酷い洗脳でも受けているのだろうか、しかし、少女の言動に洗脳を受けているような異常さは見当たらない。そもそも、社会常識を歪めるレベルでの洗脳が可能であれば、牢獄に監禁しておく必要はないはずである。


 だが、次の瞬間、獅童はその許容量を遥かに超えた事態を目の当たりにする事となる。


「この、扉の奥か。鍵は——もちろんかかっているよな」


「しどー、そこはあたしがやってみる」


「いや、やってみるって言ってもな。まぁ、何事も経験か? ほら」


 フィナの提案に眉根を寄せる獅童であったが、そんなにやってみたいならばと妹を見守る兄のような心境で袖口に忍ばせていたピッキング用の特殊な道具をフィナへと差し出す。


「ん? なにそれ? いらないけど」


「いらないって、一体なにをするつもり——」

「そんなの、殴るに決まってるじゃん?」


 殴る? 獅童の頭上に疑問符が大量に浮かび上がると同時、フィナはそのか細く華奢な腕を振り上げ、鉄の扉へと小さな拳を突き立てた。


「————!?」


「っちぇ、一撃じゃむりか」


 あいた口が塞がらない。そんな文字通りの状況にまさか遭遇する日が来ようとは。

 フィナの拳を受けた重々しい鉄の扉は、やはり牢獄の扉に相応しく強固なものであり。だが、そんな鉄の扉の中心には、まるで、粘土細工に手形をつけたかのような拳の形がくっきりと残されていた。


「な、な……」


 あり得ない、絶対にあり得ない。と言わんばかりの表情で言葉を無くし、口を鯉のようにパクパクと開閉する獅童は、しかし、冷静に現実を否定すべくフィナを遮って前に立つと、思い切りその拳を鉄の扉に向かって放つ。


 ごつんと、良い音がなった。じんじんと伝わってくる痺れは紛れもなく本物であり、その扉が硬く重い鉄であることを証明してくれた。


「しどー? どうかした?」


「なんでもない、なんでもないさ」


 獅童は、真っ赤に腫れた拳を隠し、痛みを噛み殺しながら、ひっそりと泣いたのであった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る