—幕間—
『フィナ、人間を恨んではダメよ』
『お母さん、でも、人間は』
『今はね、あまり良くない時代だから。みんな忘れてしまっているだけ……あなたのお父さんは』
少女の母は死んだ。流行病に侵され、適切な治療さえ受ければ決して治らない病気ではなかった。しかし、少女と二人、隠れ潜むように暮らしていた彼女たちには頼る先もなく、治療を受ける余裕もない。
少女がまだこの世に生を受ける以前に起こった
“それ”は突如として起こり、それまで“違い”などを意識する事なく暮らしていた、この国の人々に『人間』と『それ以外』の者達という隔たりを作った。
少女の父は『人間』と『爪牙人』の間に立ち、共存の道を訴え、勇敢に戦い続けた。そして、勇敢に死んで行ったのだ。それを誇らしくも寂しげに語る母の横顔は、少女にとって痛々しく、見るに絶えなかった。
人間から追われ、同族から蔑まれる生活。そして、少女が十四の時に少女の母は、その短く、寂しすぎる人生の幕を下ろす。しかし、少女の母はその最後の瞬間まで、人間と“父”を恨む事は一度としてなかった。
『フィナ……人間を恨んではダメ、今はこんな時代でも、必ず彼らの中からあなたを助け、導いてくれる人がきっと現れる……お母さんがそうだったように』
『お母さん』
『ごめんね、フィナ——けれど、信じて? “爪牙”と“人”の血を持つあなたには、人間を愛して欲しい……お母さんは、あなたのお父さんに出会えて、とても、幸せでした』
少女の母は、その視線の先に誰かを見つめながら、そっと手を伸ばし。安らかに息をひきとった。
母の最後の言葉、その思いを抱き、少女は必死に生きた。きっと、いつか母の言葉通り、自分に居場所を与えてくれるような存在が現れると信じて。
しかし、出会う人間は尽くフィナの心を砕き、すり潰していく。侮蔑し、嘲笑を向けられ、フィナを見るなり執拗に追い回してくる、けだもののような男達。
少女は次第に疲弊していった。いつの間にか、母の言葉は意識の片隅へと消えかけていた。ついには、大量の爪牙人を狩っていた王国兵士に捕まってしまう。
鉄とカビ臭い異臭の立ち込める“拷問部屋” 暗く冷たい石造りの空間には、壁際に
虚な瞳となっている少女達は、一人、また一人と首に怪しい首枷をはめられると、その表情を無機質な人形のように変え、鎖を解かれると、拷問部屋の更に奥、重々しい鉄の扉の中へと消えていった。
最後の一人が、その精神を崩壊させ首枷をつけられると、扉の奥へ消えていき。いよいよその部屋にはフィナ一人となった。次は自分の番だ。少女の心は恐怖に竦み、無意識に頬を伝う涙は絶望を前にした少女の最後の願いだった。
『誰か、助けてよ——お母さん』
その時、拷問部屋の入り口がゆっくりと開いた。フィナは恐怖に震える唇を必死に噛みしめ、覚悟を決める。
例え、どれだけ痛い思いをしても——心だけは、と。
そして開かれた扉、そこから入ってきたのはいつもとは違う兵士達。特に少女の事など気に留める事もなく淡々としており。
少女は息を殺しながらその様子を見つめていると、数人の兵士に担がれて入ってきたのは、人間の男だった。
兵士達は男を少女の正面に吊すと、何をするでもなくその場を去っていった。
僅かに訪れた安堵。思わず引きつりそうな呼吸をゆっくり整え、目の前に連れてこられた男へと恐る恐る視線を向ける。どうやら、男は意識がないようだった。
整った顔立ち、体格の良さそうな身体つきに見慣れない服装の男。なぜ、人間がここに? この人は何をしたのだろうか? 様々な疑問が頭の中を駆け巡り、しかし、同時に自分の中に湧き上がる不思議な感覚があった。
安心していたのだ。何故かはわからない、この絶望的な状況にあって見ず知らずの人間が目の前で拘束されている。助けが来たわけでも、自分の手を縛る鎖が緩んだわけでもない。
なのに、不思議と目の前で意識を失っている男の姿を見つめるだけで、締め付けられていた心が緩んでいくのを感じた。まるで、救われることが約束されているような。
『人間を愛して欲しい』
最後に聞いた母の言葉が、少女の心に広がっていく。そして、その意思に応えるかのように目の前の男がぴくりと、その意識を覚醒させたのだった。
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