鼻につく鉄とカビ臭さが混ざり合った、むせ返るような空間。少し広めの牢獄にはランプに灯る頼りない明かりだけが揺らめいていた。

 牢獄の壁と壁、向き合うように吊るされている獅童、そして獣の耳と尾を持つ少女のもとに現れたのは、卑猥な笑みを浮かべた二人組の兵士。

 兵士達は、いやらしい目つきで少女の華奢な身体を舐めるように見つめた後、獅童の方へと視線を向け。


「こいつが国王に楯突いた召喚者か? 大層な儀式で呼ばれたのに、間抜けな格好だな」

「安心しな、俺達の用事はこっちの虎人ティガルちゃんだからよ? 見るだけならあんたも楽しめるぜ? へへへ」


「……」


 一人の兵士が獅童の前まで近づき、下品な笑いを浮かべながら声をかける。しかし、獅童は静かに目を伏せたまま兵士たちに反応する様子もなく。


「そんな奴はほっとけ、それよりもお楽しみの時間だ」


「———っく」


 小さな顔を強引に掴まれ顎を持ち上げられた少女、兵士の一人は舌舐めずりをしながらゆっくりと顔を近づけ。


「っぷ——気持ち悪い!! 汚い顔近付けないで!!」


 少女は真紅の双眸を鋭く細めながら、悪態と共に兵士へと唾を吐き掛けた。兵士は無言で顔に掛かった唾を拭うと、自分を睨みつけている少女を見下しながら。


「かはっ————?!」



 その華奢な身体へ思い切り拳を叩き込み、少女は強制的に吐き出した息と共に身体をくねらせ悶絶する。


「ちょっとは優しくしてやろうと思ったが、やめだ、テメェは奴らよりもっと惨めたらしく壊してやる」


 兵士の一人が、怪しげな筒状の形状をした容器に謎の液体を注ぎ始め、少女を殴った兵士はその髪を鷲掴み、耳元で囁くように少女へと告げる。


「テメェらみたいな生娘の“希少種”はよ? 精神ぶっ壊して“傀儡の首輪かいらいのくびわ”を嵌めた後国王に献上する。だから普通は殴って、治して、殴って、治して……そうやっていたぶる事しか出来ねぇんだよ」


「——殴りたかったら殴れば?! あたしは絶対あんたらなんかに」

「まぁ、待てよ? 話は最後まで聞けって、俺たちも、ただ殴るだけじゃいい加減つまらなくてな? 考えたんだよ……傷が再生する回復薬なら、破れちまった膜も再生するんじゃないかって」


「————?!」


「どうした? そんなに震えて? 今からされる事を想像して身体が喜んでいるんだろ? 想像通り、その辺で捕まえた爪牙人そうがびとの生娘で実験してみたらよ、破れてすぐなら再生したんだよ、何度も、何度もな」


 少女の全身を、経験した事もないような嫌悪感が支配する、男の視線が、息遣いが、まとわり付くような指先が、少女の肌を粟立たせ、込み上げる不快感と共に、心と身体が目の前の人間を拒絶している。


「や、やめてっ……さわ、るな」


「安心しろ、すぐにぶっ壊してやるからよ?」


「たす、けて」


 掠れるように呟きが溢れる、しかし、この場所に少女を助けてくれる人物などいる筈がない。生暖かい感触が首筋を這い、男達の卑猥な指先が少女の全身を凌辱しようとした、その時。


「その鎖を解いたら、本当に触らせてくれるのか?」


 少女を襲う寸前であった二人はふいに背後から聞こえた男の声に思わず振り返る。すると、そこには獰猛な笑みを浮かべ、鋭い眼光で二人を見据える男の姿があり、否、獅童は兵士など見てはいない。獅童が見つめていたのは唇を噛みしめ、恐怖に押し潰されそうな心を必死に立たせようとしている少女の姿だった。


「なんだ? まざりたくなったか? 残念だがそれは———」


「君の名前は?」


 ヘラヘラとした表情で獅童へと軽口を叩く男の言葉を遮り、獅童は語りかけた。


「ぁあ? なんで俺達がテメェに名乗るんだよ? 意味がわか——」


「フィナ、フィナ・ペルシア」


 男達は困惑したように、獅童へと文句を言いかけ、しかし、またしてもその声を遮って獅童の問いに応えたのはまるで、一縷の望みを見出したかのように、笑みを浮かべた男を見つめる少女。フィナだった。


「そうか、フィナ……ちょっと待っていろ」


 獅童はただ静かに呟き、二人の兵士はそのやり取りを訝しむように見つめ、苛立ちを顕にする。


「なんだテメェら?! バカにしてんのか?」

「気にすんなって、どうせ何も出来やしないんだ。早くおっ始めようぜ?」


 一人が獅童へと喰ってかかり、しかし、もう一人がなだめ、それもそうかと気を取り直した二人は、仕切り直しと、舌舐めずりをしながらフィナへと向き直り。


「おい」


「なんだよ!? うるせ——ぁ?」


 再び背後から声をかけられた男は苛立たしげに振り返り、だが、一瞬、想定を越えた状況に硬直する。

 先程まで吊るされていた獅童が忽然とその姿を消していたのだ。男は動揺し視点を左右に動かしてその姿を必死に探し。


「がぺぇっ」


 次の瞬間、男の顔面には真下から飛び上がるように放たれた獅童の膝が、その顔面にめり込んでいた。

 メキメキと頭蓋のひび割れる音と共に男の意識は消え失せ、その場に崩れ落ちる。


「な!?」


 何が起きたか理解できず、目の前で顔面を粉砕され血塗れになった相方の姿を視界に入れた男は、しかし、兵士としての本能に従い、腰に携えた剣を抜き放ち。


「————!?」


 抜き放った剣は、瞬時にその手首を捻られ肘の関節を砕かれると同時に獅童の手元へと渡り、腕に走る激痛を味わう暇もなく、高速で放たれた回し蹴りによって下顎を砕かれた男は膝から崩れるように座り込んで意識を手放す。


 フィナは一瞬の出来事に刮目する。獅童はその辺に落ちていた鎖を拾い、男達に巻きつけると剣を振りかざし、鎖を地面へと縫い付けるように床へと突き刺した。

 慣れた手つきで男達を片付け終えた獅童は、フィナのもとへと歩より目の前に立つ。


 そしてフィナは焦燥に駆り立てられていた。あの時は、まさか本当に鎖を外し、剰え目の前の二人を退けるなど想像もしていなかったのだ。希望がなかったと言えば嘘になるだろう、とにかく、何かに縋らずにはいられなかった。

 だが、よく考えれば、目の前の男も兵士達と同じ人間の男である事に変わりはない。敵か、味方か。

 しかし、フィナは一瞬でも頭をよぎった淡い期待をすぐさま頭から追いやる。この国で人間が爪牙人そうがびとの味方になる事などあり得る筈がないのだからと。

 そして、男は少女へと手を伸ばし、フィナは思わず目をつむり身体を硬らせる。期待などできる筈がない、先程の二人組が目の前の怪しげな男に変わった。ただそれだけの事だと、落胆仕掛けた時。


 ガチャリと何かが開く音と同時に手首を縛り付けていた感覚が消えるのを感じ。


「ぇ————」


 思わず間の抜けた声を漏らしたフィナは自分を拘束していた鉄の枷を獅童が外した事に気が付く。


「単純な手枷で助かった、この手の錠は案外簡単に解錠できるんだよ」


 先端が変形した細い針金のような器具をチラつかせる獅童をフィナは未だに状況が呑み込めず、ただ呆然と見つめ。


「その、なんだ……フィナって言ったか? 大変だったな、こんな場所で、そ、そんな格好までさせられて」


「鼻血、出てるよ。感動とか格好良さとか色々と台無しだよ。でも、一応ぁりがと」


 フィナの姿を間近で見て、ぼたぼたと流血する獅童に冷ややかな視線を送るも、僅かに紅潮した表情でぽつりと感謝の言葉を呟く少女。

 獅童は、急にしおらしくなったフィナにポリポリと頬を描き、だがここは譲れないと、意を込めて。


「それで、約束の件だが」


「本当台無しだよ。ま、まぁ言い出したのはあたしだし? ム、胸とか意外なら別に」

「ありがとう!!」


 獅童は盛大に礼を述べると、ゴクリと喉を鳴らしそっと手を伸ばす。その両手は包み込むように少女の頬に触れ、真顔で頬に優しく触れてくる獅童を見てフィナの鼓動は高く鳴り響き、その表情は真っ赤に染まって。


「のぅわぁあああああああ!!」

「ぅわぁああああ!?」


 突如、叫び声と共に大量の鮮血を吹き出した獅童、悲鳴を上げながら後退りするフィナは一瞬でも胸の高鳴りを感じてしまった自分に激しく後悔する。


「美少女、コスプレ美少女のほっぺた、やわらけぇえええ」


 ついには、感動で号泣し始めた獅童の姿を目の当たりにして、完全にドン引きしているフィナは二人組の兵士とはまた違う恐怖を感じるのであった。



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