第4話 花びらが散る頃
平日の夕方。病院のロビーは会計待ちの患者さんで賑わっていた。ユズは、入院患者の面会に来た者に渡されるバッジを受付に返すと真っ直ぐ病院を後にした。
「ユズ!待って!」
掛けられた声に振り返る。白い白衣を着て追いかけてくる女医さんの姿に気付き、足を止めた。
「もう帰るの?」
「うん。…… ユメコが帰れって言うから。ハヅキさんは相変わらず忙しそうだね」
「まあねぇ」
この病院はユズの父親のお兄さん…… つまり、叔父さんが経営する病院で、叔父さんの娘のハヅキさんは小児科に努めていた。ユズにこの後特に予定がないことを知ると、ハヅキさんは「なら、付き合って」とユズの手を取った。
連れていかれた先は、芝生が綺麗な中庭だった。自販機で暖かな飲み物を買って貰い、傍のベンチに腰掛けると一口飲んでからハヅキさんが言った。
「ユメコちゃんを殴った子…… カウンセリングを受けることになったって」
「…… そうなんだ」
暖かいココアにホッとしながら返事を返す。
あの時、ユメコは顔を何度も強打されたせいで鼻と顎の骨を骨折していた。右腕にもヒビが入り、顔や体には沢山の痣が出来ていた。
体の怪我よりも精神的なショックが大きく、自信を持っていた顔を傷つけられ、立ち直れないでいた。暴れることもあるらしく、怪我の状態が落ち着き次第、ユメコも精神科でカウンセリングを受ける予定になっている。
「ユメコちゃんを無断で撮影した写真や動画が、自宅のパソコンから沢山見つかったんだってね」
加害者の生徒は、ユメコに異常な執着を持っていた。のめり込み過ぎたのが原因だと捜査を担当した婦警さんから聞いた。
ハヅキさんの話を聞きながら、ココアを飲んだ甘い香りにユメコの笑顔を思い出す。
ユメコは、幼いころから可愛い女の子だった。フリルやレースが良く似合い、眼が大きくて髪もさらさらで、人形のようなその姿は何処に行っても大人たちから絶賛された。それは成長に伴い輝きを増し、同性から羨望の眼差しを受けるようになった。
逆にユズは、ユメコと正反対に身長が伸び、キリッとした顔立ちのせいでいつの頃からか王子様扱いされるようになっていた。
「…… ハヅキさん。誰にも内緒にしてくれる?」
ハヅキさんは、ユズの真面目な顔を見て瞬間驚いた表情をしたが、すぐに優しく笑んで頷いた。
「私ね。――― ユメコが怪我を負って良かったって思った」
自分の言葉に頭を殴られる感覚を覚えた。眩暈に似た景色に体が震えると、ハヅキさんは「それで?」と手を握ってくれた。
ユメコとは物心つくころから一緒に居た。
――― ユメコね、大きくなったらユンちゃんと結婚する。
ユメコは小学四年生ぐらいまで、何かにつけてそう言った。ユズもユズで、ユメコを守るのは自分だと思っていたし、格好良い自分のことを気に入っていた。
けれど、そんな気持ちも小学校までで、中学に上がる頃には趣味や趣向も変わり、次第に女の子らしさに目覚めていった。花柄のワンピースやロングヘアに憧れを抱き、ボーイッシュな外見とは裏腹に興味は可愛い物ばかりに向いた。
あれは確か、中学二年の春休みのことだ。肩より少し伸ばした髪の毛を軽くコテで巻いてみた。元々器用だったのもあるが、綺麗に巻けたことが嬉しくて、その髪型でユメコと約束していた買い物へ出かけた。
メイクもそれなりに覚え始め、髪型もうまく行き、ご機嫌だったユズとは逆にユメコは一日機嫌が悪かった。食べたいと言っていたパンケーキを前にしても、狙っていたスカートが買えても、ユメコの機嫌は直らず、結局予定よりも早く帰宅することとなった。
ユメコの機嫌の悪さの原因がわかったのは、自宅で夕食を食べている最中のことだった。電話越しに母が謝る声は聞こえたが、まさかその理由が自分だなんて思いもしなかった。
「ユズ!ユメコちゃんを傷つけちゃ駄目じゃない!」
電話を切った母は、真っ直ぐユズの元へやって来るとため息をつきながらそう言った。
意味が解らず目を白黒させていると、母は電話の内容を教えてくれた。
ユメコは、ユズに格好良くあって欲しいと言うのだ。高い身長も細い身体も、無駄のない綺麗な顔も、全てがユメコにとって理想だから女の子らしくされるとどうして良いのか困るし遠くへ行ってしまったように思えて寂しい。今後も格好いユズで居て欲しいとのことだった。
ユズの母親とユメコの母親は、大学時代の友人で、結婚と出産を終えた今でもとても仲が良かった。特にユズの母親は、可愛いユメコのことが大のお気に入りで、幼少時はユズにスーツを着せ、ヒメコにドレスを着せて、写真を撮ったりするほどだった。
そのせいもありユメコの母親から受けた電話に対して、疑問すら持たなかった。それどころか、勉強が本業の学生が色気づくんじゃない、と説教までされてしまった。
それ以来、ユズは髪の毛を伸ばすのを止め、服装もボーイッシュなものを選んで着た。
「ユンちゃん、格好良い」
一緒に出掛けた翌週の日曜日、母親たちも一緒に四人で会食をしたときのことだ。細いパンツにジャケット姿でまとめたユズの姿を見て、華やかな顔で笑うユメコにユズの母も満足の顔を浮かべたりしていた。
高校に上がり、周りが「王子と姫」と持て囃すようになってからはますますヒートアップし、口調や仕草にまで注文を付けるようになっていた。
「中学三年と高校一年になって、ユメコと離れることが出来た一年間は本当に楽しかった」
友人と好きな物の話、帰りの寄り道、可愛い小物も持つことが出来た。
でも、ユメコが高校に入学してからは前の生活に逆戻り。一年間自由な時間があったせいで余計に息苦しさを感じた。
「正直、こんな生活がいつまで続くのだろうって不安で堪らなかった。だから、進路は遠い大学を選択して、ユメコと離れる生活を送ろうと思った」
あと一年の我慢だ。高校を卒業するまでだ。そう自分に言い聞かせていた矢先に、例の事件が起きた。
騒ぎは二年の教室まで届き、ユメコが殴られていると聞いて慌てて駆けつけた。強打されてグッタリしたユメコの顔は血で汚れ、綺麗な髪はぐしゃぐしゃに絡んでいた。加害者の生徒は人間の声とは思えない酷い悲鳴を上げたかと思うといきなり倒れ込み、抑えにかかった男性教員二人の手によって運び出されていった。
救急車の音が聞こえ、生徒たちを掻き分けて救急隊員が教室に入って来て、持ってきた担架にユメコを乗せると事情も聴かずに救急車へ戻って行った。正直、呆気に散られていたユズは、教頭先生にユメコの付き添いを頼まれるまで、その場から動けないでいた。
ユメコのクラスメイトが彼女のバッグを手渡してくれた。そのまま自分の教室に戻り、バッグを掴むと急いで靴に履き替えて外に出た。
救急車に乗り込み、横たわるユメコを見つめながら、自分の手にユメコの血が付いていることに気付いた。その手をグッと握って拳を作り、湧き上がる感情を表に出さないように必死に堪えた。
ユメコの意識が戻ったのを見届けてから、ユズは家に戻った。騒ぎを聞いて駆け付けたユメコの両親に挨拶をして、迎えに来てくれた父の車で家に帰る途中、流れる景色を見つめながら救急車で押さえた感情をそっと思い出した。
ユメコが学園に戻るまで、きっとかなりの時間がかかることだろう。顔や体の怪我も酷いし、容姿に自信を持っているユメコが顔に傷を残したまま学園に戻るとも思えなかった。
「ユメコちゃん、大丈夫かなあ。せっかく綺麗な顔だったのに。傷残らないと良いけどなあ」
「そうだね」
娘が何を考えているかなど想像すらせず、父は呑気にそんなことを言った。
周りが騒いだり、気の毒がったりするのとは逆に、ユズの心は晴れやかだった。だって、少なくともユメコの体が治るまでの間は、自由の身で居られるのだ。
被害者がユメコで良かった…… 事件の夜は、近年で稀に見る程心地よく眠りにつくことが出来た。
「最低だよね。今だって、私を拒絶するユメコに安堵すら覚えてる」
幼馴染として、さすがに気になるから見舞いに来ているが、怪我を負った自分の顔を見せるのが嫌なユメコは、すぐに「帰って!」と怒鳴った。ユメコから帰れと言われて帰ったなら、誰にも文句は言われない。安心して家に帰ることが出来た。
今までの放課後は殆どの時間をユメコに使っていた。カフェでお茶、買い物…… 帰宅する頃には夕食で、自分の時間と言えば寝るまでの間だけ。テスト勉強でさえ一緒にやりたがるから困っていたが、事件以来、それからも解放された。おかげで見逃した映画をDVDで観たり、本を読んだりと一人の時間を満喫することができた。
「…… 加害者の子の気持ち、何となくわかる気がするんだ」
ユズ自身、可愛くて綺麗で、女の子の欲しがる全てを持っているユメコと何度変わりたいと思ったことか。
「だから、今回の事件は私の黒い感情が現実になって…… 呪いみたいになって、引き起こしたんじゃないかって思ったんだ」
ユズは至極真面目に言ったつもりだったが、ハヅキさんは少し笑って「考え過ぎだ」と否定した。
「加害者の子はさ、多分「特別」になりたかったんじゃない?ユメコみたいに可愛くなりたかったと言うよりは憧れの的になりたかったって言うか」
ハヅキさんは何処か遠いところを見つめて、そう呟いた。
「認められたい。注目されたい。憧れの眼差しを向けられたい…… 周りの同級生とはどこか違い、それでいて、絶賛される存在になりたい。十代の頃って、学園での生活が全てだから、どうしても視野が狭くなってしまうのよね」
「…… そう、なのかな」
「三十歳、四十歳になれば、当時全てだったことがどれ程小さな価値観だったか、嫌でも理解できる時が来るわ」
ハヅキさんはあははっと楽し気に笑った。そして、「それにね」と付け加えて言った。
「多かれ少なかれ、女の子は毒を持って生まれて来るものだから」
「毒?」
「そう、毒。加害者の子がユメコを消したいと思ったことも、ユズが怪我を負ったユメコにざまあみろと思ったことも、全ては女が持つ毒のせい」
「ざまあみろなんてっ…… !」
慌てて否定したが、ハヅキさんは何かを悟った表情でにやりと笑った。ハヅキさんの表情を見ていると、誤魔化していることが馬鹿馬鹿しく思えた。
「…… わ、私だって! 私だって、髪の毛伸ばしたい!」
口にした途端、大粒の涙が零れた。
「うん」
「可愛いワンピース、グッズ、ぬいぐるみだって欲しい」
涙をぼろぼろ零しながらユズは言った。ハヅキさんは否定することも咎めることもせず、ただ「うん、うん」と頷いてくれた。
「好きでこんな顔に生まれたんじゃない。身長だってもっと低くなりたい! 可愛いリボンが似合うメイクがしたいっ…… なのに、ユメコがそれ許してくれなかった!」
涙が止まらない。感情も止まらなかった。
最終的にはハヅキさんにしがみ付き、大泣きしてしまう始末。背中を撫でる手が心地良い。
「ユメコが…… ユメコが怪我を負ってざまあみろって思った!」
言ってしまった。
その後はもう言葉が出て来ず、ただ泣くだけで。鼻水も大量で、大変なことになってしまった。
「自分の中の毒を知って、女の子は大人になるの。知っていれば毒出しの方法もわかるわ。
だから安心して吐き出しなさい」
ずっと撫でていて欲しい程、ハヅキさんの手は暖かく心地良い。一頻り泣いて、冷たくなった残りのココアを飲み干し、冷静さを取り戻してからハヅキさんにお礼を言った。
「ハヅキさんも毒…… 持ってるの?」
質問するユズに対し、自販機で栄養ドリンクを買って、一気に飲み干した後ハヅキさんはまたにやりと笑って見せた。
「そりゃね、あるさ。でも、私はもう大人だから。生かすも殺すも自由に出来る」
「泣いたりしてごめん」
「何言ってるの。むしろ羨ましいぐらいよ。私はどれだけ頑張ったって、自分の毒にもう泣いたりは出来ないのだから」
笑いながらビンをゴミに捨てた。ンーッと伸びをして体を伸ばし「何かあったら連絡して」とユズの頭を撫でた。
「ユズの年代の子たちはさ、蛇苺みたいなものだね」
「蛇苺?」
「知らない? こんなちっちゃい野イチゴ」
ユズは顔を横に振った。
「きっと乙女の園には蛇イチゴが沢山咲いているんだろうな」
意味が解らないユズを置き去りにハヅキさんは目を細めた。そして、気を付けて帰りなさいと言い残し、病院へ戻って行った。ユズは、そんな後姿を見つめ、首を傾げてから歩き出し、帰り道、病院から駅へと向かうバスの中で、何となく気になって携帯電話で蛇苺のことを調べた。
「蛇が食べにくる、または、蛇が出そうな場所に生えていることから蛇苺と呼ばれる」
やはり調べてもハヅキさんの言葉を理解出来なかった。名前の由来には、苺を食べに来たネズミを蛇が狙うからとか色んなものがあった。
「毒があると思われていたことから、別名、毒苺とも呼ばれている」
毒や蛇などと嫌なイメージばかり付いているが、実をつけた姿は可愛らしいものだった。
病院を出て、駅に向かうバスに乗り、二つ目の信号を右折したときハッとする。
(毒があると見せかけて、実は食べられる。でも、迂闊に手を出せば、暗闇に隠れている蛇に食べられてしまう)
そんな蛇苺のような私たち。
「…… ?」
瞬間わかった気がしたが、やはり理解は出来なかった。
私にもいつかちゃんと理解できる日が来るだろうか。
ユズは、それならばそれで良いと思いながらバスの揺れに目を閉じる。
バスに響くアナウンス。瞳を開けて景色を見れば、駅はもう、すぐ目の前だった。
終
False strawberry of babys シルバーキャット @ginneko1024
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます