21−1 蔦莉

「たまにね、手足が動かなくなるの。」

 次の日、奈々さんにそのことを話すと、

「病院行こう。」

と言われた。

 結婚した奈々さんは、美しくなった。

「お腹、大きくなってきたね。」

「そうでしょ。」

「何ヶ月?」

「7ヶ月ぐらい。」

「じゃあ、もうちょっとじゃん‼︎」

「そうなの。この子ね、たまに蹴るの。」

そう言って奈々さんは、ふふふと微笑んだ。

「奈々さんさ、おとなしくなったね。」

「ショックー。どうせ、昔の私はうるさかったです。」

拗ねた。拗ねても、奈々さんは可愛い。

「そうじゃなくて、なんか、ふんわりした。雰囲気が。」

「そう?」

「うん。色で表すと、前は、黄色よりのオレンジって感じだったんだけど、今は、ピンクとか淡い系になったよ。」

「・・・。」

「・・・奈々さん?」

「いや、なんか・・・ほんと。そっち系美術系は、そういう表現大好きだよね。似てるっていうか・・・。ほんと・・・。前にも、一ノ瀬に言われた。」

「まぁ、同じ職に就いてるからね。」

「似た者同士だね・・・。」

そう言って、奈々さんは笑った。人を包むような優しい笑い方だった。その笑い方、好きだな。


「パーキンソン病ですね。もって16年、短くて6年でしょう。」

「えっ。」

 検査入院をしている病室で、医者が放った言葉に、目の前が真っ白になった。

「どういうことですか?パーキンソン病は、年配の方がかかる病気なんじゃないんですか?」

奈々さんが声を荒げる。そういうところは、変わっていない。

「落ち着いてください。」

先生が、冷静に言葉を放つ。

「パーキンソン病はおっしゃる通り、40代以上の方、主に60代から70代の方がかかる病気です。しかしですね・・・・時々、40代以下の方もかかってしまいます。」

「・・・・。」

「・・・・そのあと、どうなるんですか?」

「薬は症状を抑えることしかできないので、残念ながら、発症から10年から25年で・・・・亡くなっています。」

「シヌ・・・。」

その言葉は、思った以上に深く深く心を傷つけた。

「蔦莉さん、これから、この病気についての治療法を説明します。よく聞いてください。先ほども言いましたが、年配の方がかかる病気です。症状は、ですね・・・。」

そう言って、先生がプリントを広げる。

「手足が震えたり、力が入らなかったりします。他にも、姿勢が悪くなり表情が乏しくなったり、認知機能障害になってしまいます。最終的には、一人で生活できなくなるまでに至ります。」

「・・・・。」「・・・・。」

私と奈々さんは、黙ったままだ。

「治療におきましては、ホーン・ヤールの重症度分類という分け方では5段階あるうちの、3段階目ですので、とりあえずドーバミンアゴニスト製剤という薬を使用します。その後、効果や症状の進行具合を見て治療を続けます。何か、不明な点などありましたらいつでも聞いてください。何かあれば、ナースコールを押してくださいね。では。」

わざとらしい笑顔で先生が笑いかけてくる。先生が去ったのを見て奈々さんが口を開く。

「・・・今日は、ゆっくりしな。」

「ありがとうございます、奈々さん。お腹大丈夫ですか?」

「なに私のこと心配してんの‼︎」

半ば怒っている。

「・・・あの、蔦くんには、言わないで下さい。」

「・・・うん。わかった。でも、はやめに言うんだよ。」

「はい。」


「蔦莉、久しぶり。」

午後4時ごろだろうか。ぼーぅとしていた時に、ノック音が聞こえ、声をかけられた。

「お母さん・・・。」

今更、何しに来たの?まさか、また殴りに来たの?手には、見ているだけで元気が出そうなオレンジ色のドライフラワーがたくさん入っている花束を持っていた。

「大丈夫?」

母は、花束をテーブルに置き、ベッドの横にある椅子に座った。

「うん。まだ、検査入院だからね。なんでここにいるって分かったの?」

私は、分かるはずのない情報を持っている母を不審に思い、そう言った。

「上川さん・・・奈々さんに聞いたの。・・・・今更だけど、蔦莉、今まで、本当にごめんね。」

「えっ。」

「バカな親だった。素直になれなかった。・・・ごめんね。本当は蔦莉のことが・・・大好きだったのに。」

母の頰に涙が伝う。

「・・・・なんで・・・なんでさ。もう少し前に言ってくれなかったの?」

私はなぜか泣きたくなった。

「ごめんね。」

お母さんの心のこもった言葉が、私の心を震わせ、私の頬に涙が伝った。

「・・・ぐすん。もうちょっと、前に言ってくれたら・・・そしたら、お母さんと・・・もっと・・・一緒にいられたかもしれないのに・・・。」

もっと、もっと、あの頃の優しい『お母さん』と一緒にいたかった。一緒に、買い物に行ったり、二人でお菓子を作ったり、たくさん思い出を作りたかった。

「うぅぅ。ごめんね。ごめんね・・・蔦莉。」

 もう、どのくらい時間がすぎたのかわからない。母が、泣き疲れた私を撫でてくれている。なんかいいな、こういう感じ。安心する。

「・・・私、16年くらいしか、生きられないんだって。」

「うん。」

「その間、何しようかな・・・。でも、歌だけは歌い続けたいな。」

「うん。」

「お母さん。」

「うん?」

「私を産んでくれて、ありがとう。親孝行できなくて、ごめんね。」

スラスラ出てきたその言葉に、自分でも驚いた。

「ううん。生まれてきてくれて、ありがとうね。生まれてきてくれただけで、お母さんは幸せだよ。」

お母さんが、私の優しく背中を撫でている。

「・・・彼には言った?」

何で蔦くんのことを知っているのだろうと思いつつも、

「うんん。」

と、私は首を振りながら言った。

「じゃあ、自分の口でいいな。目を見て。その方がスッキリするよ。後悔もしないし、相手が誤解してたとしても、すぐ解けるから。」

「うん。・・・ありがとう、お母さん。」

後悔は、したくないな。誤解も、させたくない。

「いつ退院?」

「明日。」

「じゃあ、また迎えにくるね。」

えっ。

「仕事は?」

「休むに来まてるじゃない。」

やった〜!嬉しい。

「ふふふ。ありがとう。」

やっぱり、前のお母さんだ。


 心地よい蔦くんの家。手は相変わらず、震えている。あの日から、1ヶ月が経った。

「蔦くん。」

「なに?」

「お母さんと、仲直りできたの。今日家に帰るね。」

「おぉ、よかったね。」

「うん。ありがとう。––––––」

違う。今日は、こんなことを言いにきたのではない。言わなきゃ。心臓が、どくどく鳴っている。

「––––––それで・・・ね、私・・・。」

「何?」

ほら、早く言わないと。頑張れ、私。後悔、したくないんでしょ。

「・・・長くて16年、短くて6年くらいしか・・・生きられないんだ。」

どんどん声が小さくなっていく。

「えっ。」

蔦くんが、唖然としている。やっぱりそうなるよね。

「・・・パーキンソン病になっちゃったんだ。」

「・・・・。」

「・・・・お前、それいつ分かった?」

「1ヶ月前。」

私の言葉に、蔦くんは怒りを爆発させた。

「何で‼︎・・・何で・・・もっと早く言ってくれなかったんだよ‼︎ずっと、隣にいたじゃないか!」

「何でって、私だって心の準備とか、どう言お」

「もう、良いよ・・・。今日は帰ってくれ。」

蔦くんは私の言葉に被せてそう言った。彼は、背を向け階段を登り始める。目の前が真っ暗になった。

「蔦くん。・・・待ってよ。」

囁くように言ったその聲は、蔦くんに届くはずがなかった。


「ただいま・・・。」

消え入るような声を出した。

「おかえり、蔦莉。」

キッチンから、お母さんが顔を出した。お母さんは私の病気が分かった日から、有給をとっている。真面目な母は、数年分の有給が溜まっているそうだ。

「ただいま、お母さん。」

「顔色悪いよ。大丈夫?」

「うん・・・。実はね、蔦くんと喧嘩しちゃったの。」

「キッチンで、話聞こうか?」

「うん。ありがとう。前さ、お母さんが、直接言いなって行ってたじゃん。––––––」

私は、事の一部始終を話した。

「––––––でね、キレられたの。あんなに怒った蔦くん、初めて見た。」

「そっか・・・。じゃあ、それほど蔦くんはショックだったんじゃない?いつもそんなに声を荒げないんでしょ。」

 お母さんと、こんな会話するの久しぶりだ。やはり、家族との会話は楽しい。私が、憧れていたものだ。なんか、くすぐったい。

「うん・・・そっか、そうだよね。・・・私、ちょっと、蔦くんところ行ってくる。」

「行ってらっしゃい。動きにくくなったらすぐ連絡するのよ。」

「はーい。」

そう言って、私は玄関を飛び出した。

  ミーンミーンミーンミーンジジジジッジッジッジッジ・・・・・

 セミが五月蝿い。1ヶ月程しかこの世に出てこれないなんて、なんて儚いのだろう。そう思えば、20年以上生きていられる私の人生は終わったものじゃないのかもしれない。

 蔦くんと、もっと、一緒にいたい。この時間を失いたくない。その気持ちが足を速める。汗が頰を伝う。もっと速く、もっと速く。蔦くんに会いたい。蔦くん、蔦くん。

 その時、誰かとぶつかった。その男性ひとからは、深い森の匂いがした。

「蔦くん‼︎」

気づけば、私は叫んでいた。

「蔦莉。よかった。いま会いに行こうと思ってたんだ。・・・僕、この状況で離れ離れになりたくない‼︎この時間が勿体無い!蔦莉ともっと一緒にいたい。」

心臓が高鳴る。プロポーズみたいだ。・・・って、そんなわけなくて。

「・・・・すごいね。」

「えっ?」

「私たちのユニット愛。私もね、勿体無いなって思って、走ってきたんだ。」

「手足、大丈夫?」

蔦くんが心配そうに言った。

「うん。」

「あれから、調べたんだ。寝たきりになったら、死んじゃうんでしょ。」

「うん。」

「ごめんね。声、荒げちゃって。蔦莉の方がショックだったのに。・・・ごめんね。」

「うんん。・・・私ね、死ぬまで歌いたいんだ。」

「うん。・・・約束だもんね。」

「だから、ライブ、いっぱいしたいの。車椅子になるまで・・・いや、車椅子になっても、寝たきりになるまで。で、寝たきりになったら、作詞するの。」

「うん。・・・うん。ぐすっ。」

「えっ?」

「なんで、なんで・・・蔦莉なんだよ。うぅ・・・ぐずっ。」

蔦くんは、そう言って泣いた。背を丸めて泣く彼を、優しく撫でた。ごめんね、こんな弱い体で。そして、私のために泣いてくれて、ありがとう。

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