27 蔦莉 

「わぁ、綺麗だね!」

無限に広がる躑躅つつじ色のペチュニアの畑を前に、私は感嘆の声を漏らした。蔦くんは、私の隣で、ただただピンク色の絨毯に見惚れている。その目線を私に向けてほしい。不意にも、そう思ってしまった。しかし、彼はこっちを見てくれない。でも、私は幸せだ。隣に彼がいること自体が、嬉しくてたまらないのだから。

「ねぇ、蔦莉。」

蔦くんが花を観ながら言った。

「花はさ、何のために生きているのかな。」

・・・花は、子孫を残すために生まれる。なぜ子孫を残す必要があるのだろうか。それは、生まれてくるためであって・・・あれ・・・分からない。なぜだろう・・・。彼は続ける。

「花だけじゃなくてさ、その他の植物とか、もちろん動物や人も。何でこの世に生まれてきたり、死んでいったりするのかな。」

この疑問は、彼の本音なのかもしれない。

「・・・・。」

私はこの疑問に答えられなかった。生き物はなぜ、生まれて死ぬのか。そして、何をするために生まれてくるのか。私は––いや、人は––生きている限り、この謎を完全に解くことは無理だと思う。たとえ、ほどけかけたとしても。

「あ、ごめん。なんか、変な空気になっちゃったね。」

蔦くんは、ふっと微笑んだ。

「うんん。今日は、付き合ってくれて、ありがとう。勉強になりました。」

「えっ、僕あそこに行くつもりなんだけど。」

そう言って彼は、金茶色の光を放つ灯台を指した。

「まじ⁉︎」

「うん。」

「行きたかったんだ!ありがとう。」

灯台は、家から近いが、私は行ったことがなかった。初めていく場所に蔦くんと行けることは、私にとって嬉しいことだ。


  はぁはぁはぁはぁ

「はぁぁぁ。疲れた。」

急な階段を登り、展望台にでる。秋の清々しい風が肌をくすぐる。その風が、火照った私を冷やした。

 遥か遠くにある、水平線を見た。猩々緋しょうじょうひ色の雲がとき色の空に浮かんでいる。美しい。波に、日光が反射する。

 息をするのも忘れるほど眺めた。とても綺麗だったから。その一瞬を、鮮明に記憶に残したかったから。

「––莉。蔦莉。」

蔦くんの声で我に返った。

「何?」

私は、振り返って言った。

「そろそろ帰らないと。」

時計を見た。

「えぇ、もうこんな時間?5時過ぎてんじゃん。」

長針は、5分を指している。

「蔦莉、せっかくだから、展望台1周していこう。」

蔦くんが言った。

「うん。」

私たちは、並んでキラキラと輝く眩しい景色を眺めた。

「綺麗だね。」

蔦くんが消え入るような声で囁いた。

「うん。そうだね。」

私も囁いた。こんな生活を死ぬまで続けたいと思った私は、馬鹿だ。しかし、現実は、そんな甘くなかった。

  コツン カツン コツン カツン

 私と蔦くんの足音が、静寂な階段に響く。

 6階・・・5階・・・4階・・・私は、今いるところを数えながら階段を降りた。ところどころに窓があり、そこから柔らかい光が差し込んでいる。

 2階に差し掛かった頃だった。それまでなんともなかった手足が、かすかに震え始めた。階段を降りるごとに、その震えは大きくなっていく。ガタガタと震える手足が憎かった。蔦くんは、私が落ちてもいいようにと、前にいていて気付かない。歩くスピードが遅くなっていく。怖かった。自分がどこかに消えていくようで。どこかに落ちていくようで。なんで動かないの。ねぇ、なんで・・・。

 何で泣きそうになりながら、手すりに捕まり必死に足を進める。出口が見えてきた。そこから入ってくる光にすがるように、足を進める。もう少し、もう少しで出られるのに、もうダメだった。足が体を支えられなくなった。私は、これ以上歩いたら危ないと思い、階段にゆっくり腰を下ろした。怖い。怖い。怖い。

「蔦くん・・・。」

私は、10段ほど前にいる彼のシルエットに向かって、やっとの思いで囁いた。

「怖い。蔦くん。」

そのとき、彼が立ち止まり、振り返った。

「蔦莉?」

歩けない私に気づいたようだ。

「蔦くん。」

私はもう1度囁いた。蔦くんが階段を引き返してくる。私の5,6段前にきたとき、蔦くんはただ事ではないと思ったのか、スピードを速めた。

「大丈夫・・・じゃあなさそうだね。」

震える私を見て、そう判断し、

「救急車、呼ぶね。」

と言った。彼の声に、安堵を覚えた。

「あっ、もしもし。・・・はい。霞灯台の階段にいます。・・・はい。震えています。・・・はい。彼女、パーキンソン病なんですが・・・はい。霞市立病院です。・・・はい。藤原 樹先生です。・・・はい。お願いします。では、失礼します。」

彼は、携帯電話をポケットに仕舞いながら

「2,3分で来るって。」

と呟いた。

「ありがとう。」

私が囁くと、彼は、そっと抱きしめてくれた。心臓が、うるさい。

  ピーポーピーポーピーポー

 遠くから救急車のサイレンが聞こえる。それを聴きながら、私は意識を失くしてしまった。

「蔦莉。蔦莉?蔦莉!」

蔦くんの声が、遠くから聞こえた気がする。

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