老人の思い出 最期の年 春

28 蔦莉

「じゃあね、蔦莉。行ってくるよ。」

病室で、蔦くんが言った。蔦くんは、これから全国にライブツアーに行く。帰ってくるのは1ヶ月後だそうだ。

「うん。頑張ってね。」

「うん。蔦莉もね。」

“死なないでね”そう言っているように聞こえた。

「行ってらっしゃい。」

私は、微笑んだ。

「行ってきます。」

蔦くんも微笑んだ。蔦くんがドアを開け、出て行った。閉める前に彼は私に向かって小さく手を振った。それが愛おしくて、仕方なかった。

 ペチュニア園に行った日から、3年が経った。私は22歳になった。今年が私の死ぬ年。いやでも考えてしまう。でも、この3年、私は入退院を繰り返しながらも、やりたいことをやった。だから、もう十分だ。

 震える手で引き出しを開けた。白い手紙が入っている。数ヶ月前書いたものだ。

 蔦くん。あなたのおかげで、私は生きたいと思ったし、自信を持てたんだよ。私は、もうすぐ死んじゃう。自分の口で伝えたい。でも、無理だろうな。私は、もうすぐ死んでしまうのだから。

 私は、今か今かと彼の帰りを待ち続けていた。

 

 少しずつも日に日に変化していく季節を見るのが好きだった。病室の窓から見える景色を眺めるだけの日がほとんどだった。

 病室で過ごす日々は、驚くほど早く感じ、あっという間に蔦くんが帰ってくる日に近づいた。

「明日、蔦くんが帰ってくる。なんか、ドキドキするな。」

 病室の外で咲いている梅を見ながら、私はと目を瞑った。


 真っ暗な闇に立っている私の周りに、私の記憶が形を作っていく。


*****


「オギャーオギャー」

生まれたての私だ!真っ赤な顔で、必死に泣いている。確か私は、霞私立病院ここで生まれたはずだ。


 その形はすっと消え、また現れた。


「蔦莉〜!こっち見て〜。」

お父さんが、私の写真を撮ろうと必死になっている。その様子をお母さんが笑いながら見ている。私、愛させていたのだな。


映像がまた消えて、今度は右から音が聞こえた。私は音が聞こえた方を向いた。


「蔦莉〜!はい、チーズ!」

3歳の私だろうか。幼稚園の制服を来て幼稚園の前で、お母さんと写真を撮っている。顔がとしていることについては触れないでおこう。


 暗くなったかと思うと、今度は左から音が聞こえたので、そっちを向いた。


「うわ〜ん!うわ〜ん!」

6歳頃の私だろうか。幼稚園で、友達と一緒に泣いている。きっと、これは幼稚園の卒園式だ。


 一瞬、目の前が真っ暗になったが、すぐに映像が現れた。


「蔦莉〜!遅刻するわよ〜!」

お母さんが私を呼んでいる。確かこの日は、小学校入学式なのだが、遅刻寸前に到着した。

 会場に入ると、在校生がと並んでいて、恐怖を覚えた。

「はい、チーズ!」

お母さんが、カメラを構えて、私はお父さんと一緒に写真を撮っている。しかし、お父さんの顔は涙でぐしょ濡れだった。


「ぐすっ・・・。」

誰かの鼻をすする音が右から聞こえた。そちらを見ると、お父さんの棺桶の前で、お母さんが泣いているた。


「ぐすっ・・・。」

そうか・・・この時か、父がなくなったのは。

 九州へ出張に行っていた帰りに起こった、朝方の玉突き事故だった。父の車が、前の車と後ろから猛突進してきた車に挟まれた。前の車と後ろの運転手は軽い怪我だけで済んだが、父は帰らぬ人となった。賠償金は、母が「もう主人は帰って来ませんので」と言って半分程しか貰わなかった。生活保護や、手当はもらっているものの、私立学校に通えないため、10月という中途半端な時期に、地元の小学校に転校した。そこでは私は、虐められ自分の殻に閉じこもり続けた。1年と少しの我慢だと思っていた。ずっと私立中学に行くつもりだったからだ。うちは金銭的に私立は難しいと分かっていた。だから、学費免除される特待生制度のある学校に入ろうと思った。この頃からだったか・・・虐待が始まったのは。

 虐待・・・のことは思い出したくない。


 今度は、懐かしく思い出深い部屋が映し出された。

 ––––塾だ。


「いいか、お前ら。中学受験は、人生の通過点だ。人生の分かれ道でもあるが、落ちたからって、人生が終わることは無いんだ。とにかく気楽に、いつも通りのお前らで、受けるんだ。緊張しても、良いことなんて1つもないぞ。分かったな。」

佐藤先生の言葉が木霊する。

 私は個人塾で入試対策をした。大手の塾に通う子と比べたら、勉強時間は少なかった。しかし、メリハリをしっかりつけたし、睡眠も8時間以上とっていた。だから、精神的に不健康だったとしても、体調を崩すことはなかった。受験日より合格発表の日の方が緊張したことを覚えている。その日、蔦くんとすれ違ったことも。その夜、安堵で泣きじゃくったことも。


 その後、私は、虐待やいじめは受けたものの、無事に小学校を卒業し啓英学園の中等部に特待生として入学することができた。そして、私の人生を変えた人である蔦くんに出逢った。彼に出逢ってから、私が受けてきた、いじめや虐待は、どうでも良いものへと変化していった。彼と過ごす時間が楽しすぎたのだ。

 初めて手が動きにくくなったのは、この頃だった気がする。


 私が初めて検査入院した病室が映し出された。


「パーキンソン病でしょう。」

藤原先生の言葉が木霊する。

 高校1年生の夏。私はパーキンソン病と診断された。 

 病院で告知された時の心情は、とても言葉ではいい表せないほどのものだった。検査入院の時に、病室で聞いたお母さんの本音。病気のことを1ヶ月も蔦君に隠して起こった、喧嘩。––––喧嘩と言っても、数時間で仲直りした小さなものだったが、私にとっては、大事おおごとだった。––––どれもいい思い出だな。


 この3年後、私は、無事留年することなく卒業することができた。私と蔦くんは、大学に行かずに音楽活動をすることにした。学校の先生からは、「本当に行かないのか」と何度も何度も、尋ねられたのもだ。

 

 そうだ!初顔出ししたライブは楽しかったな・・・。結局その後入院しちゃったけど。

 ファンの方々を目の前にして、初めて顔出しをした。蔦くんとした顔出しの練習を思い出す。練習とわかっていても、少し怖かったな。

 ライブ会場の熱気と、ペンライトの光。顔出しは、ファンの方々に自分を曝け出すようで楽しかった。それ以降、4回程ライブを行った。どのライブも、ファンの方々も、大好きだった。


 蔦くんと行ったペチュニア畑と灯台は、特に鮮明に記憶されている。

 鮮やかなペチュニア。ピンク色になった雲。綺麗な夕日。ガクガクと震えだす手足。その全てが、今となってはいい思い出だ。


*****


 私は、蔦くんがいたから生きられた。生きるよろこびを、そして、楽しみを見つけられた。蔦くんがいてくれなかったから、蔦くんに出逢えなかったら、私は、今頃地獄のような人生を送っているだろう。ありがとう、蔦くん。ありがとう。


 お母さん、私を産んでくれて、ありがとう。お母さんが変わってくれて、私は残りの人生をまっとうすることができた。そして、いい人だったなって思えた。本当にありがとう。天国で待っています。また会おうね。


 お父さん、もうちょっとで会えるね。天国に旅立ったときは、正直腹が立ったけど、もう許してあげる。

 成長した私に気づいてくれるかな。


 奈々さん、私に勇気を与えてくれて、ありがとう。かなちゃん娘さんの、ウエディングドレス見たかったなぁ。


 瑠璃くん、奈々さんをよろしくね。奈々さん、しっかりしてるけど、意外と抜けてるところがあるから、フォローしてあげてね。


 かなちゃん、あなたは多分私のことを、忘れてしまうと思うけど、私は忘れないからね。可愛い奈々さんの子供だから、あなたも、可愛くなるんでしょうね。


 ふじさん、歌が上手くて、しっかりしていて、優しいあなたに憧れていました。これからのご活躍を期待しています。早く、彼女作って結婚してね。


 藤原先生、長い間精一杯治療してくれて、ありがとう。あなたが主治医になってくれて、私は幸せです。


 本田さん、6年ほどかな、私を介助してくれてありがとうございました。一人じゃできないことも、あなたがいてくれたから、重度になってからも色々なことをできました。あなたに逢えてよかったです。


 小森先生、短い間でしたが、担任を持ってくれてありがとうございました。小森先生が、啓英学園の先生方の中で一番熱心に私と蔦くんに話しかけてくれました。先生の親父ギャクが面白くなることを願います。


 蔦くんのお父さんとお母さん、居候する私に優しくしてくれて、ありがとう。本当の両親のような感じでした。


 私のことを虐めていた子達、あの頃は、『もう嫌だってな。嫌いだな』ってたけど、今になったら、いい思い出だな・・・。

 あっ、こう思えたのも、蔦くんのおかげだよ。


 その時、鶯のささ鳴きが聴こえた。

 私は、もう死んじゃう。蔦くんあなたに「ありがとう」って直接言えないのは残念だな。


 あぁ、人生短かったけど、楽しかった。朦朧とする意識の中で、私は、そう思った。なんか、あっという間だったな。苦しい時もあったし、辛い時もあった。でも、なんだかんだ言って、全部が楽しかった。辛くても、頑張ろうって思えるようになった。経験が、私を変えていったのだ。

 だんだんと、意識が遠くなる。

「蔦くん、大好き。」

私は、微かに呟いた。

 微かにピーーーという電子音と、誰かが私を呼ぶ聲が聞こえた。

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