9 蔦莉 

 椅子を引く音。ごーぅと音を出すエアコン。返却します、と言う人の声。世界ここ は音で満ち溢れている。時々聞こえる笑い声に、体が反応してしまう。本の背表紙をなぞりながら歩く。どれにしようか。

 ある1冊の本に目が止まる。

  『壁  作/新井 ゆう

この本が‘読め’と自分に話しかけているようだった。吸い込まれるように手を伸ばす。

 気が付いたら私はその本を借り、家路に着こうと校門に向かって歩いていた。と、空をみる。その空は、いつか見た時とよく似ている。

「茜色だ。」

「茜色や。」

 誰かの声と重なる。あの人だ。私が蔦くんの聲を聴いた日に会った人。早くしないと彼は、あの日のように帰ってしまうだろう。そんなことを考えると、居ても立っても居られなくなった。

「あの。」

私は振り向いて言った。

「連絡先、交換しませんか。」

 そこには、私の予想を絶する程の二枚目がいた。身長は180cm程だろうか。首が痛い。

「いいですよ。」

心地好いmid1C低いドが、心を擽る。

彼のスマートフォンに表示されているQRコードを読み取る。

  ピコン

という機械音と共に友だち追加の画面が表示される。

「追加っと。」

彼はそう呟き追加ボタンを押した。

「突然、すみません。今声をかけなければ、私後悔するって思ってしまって。」

「いえいえ。僕も気になっとったから。声、かけてくれてありがとうございます。」

彼が、バリバリの大阪弁で喋る。

「あの私、倉井 蔦莉っていいます。よろしくお願いします。」

「僕は、一ノ瀬 紘いちのせ こうっていいます。こちらこそよろしくね。ここのOBです。」

「・・・」

「・・・」

 無言が続く。(何か喋らないといけない。)と、焦りだしたとき別の人から声をかけられた。

「蔦莉。今帰り?」

蔦くんだ。

「うん。そうだよ。」

蔦くんが、一瀬さんに気付いた。彼はその瞬間、私の腕を掴んで少し離れたところまで歩いて行った。鼓動が早くなった。

「蔦莉、あの人誰か分かってる?」

蔦が小声で喋りかけてくる。少し怒っている気がした。

「一ノ瀬さんでしょ?」

そんな疑いも次の言葉でかき消された。

「ふじ、だよ。」

「・・・ふじって?」

「僕らが好きな、ふじ。」

「・・・えっ。ふじ?」

意味が分からなかった。

「・・・つまり、あの人は歌い手のふじっていうこと?」

「そう。」

「まじで⁉︎」

「まじで。声でかい。」

蔦くんから指摘されるが、それどころでない。

「ちょっと、戻ろう。蔦くん。」


「ふじさんですか。」

「そうですね。」

一ノ瀬さんが、面白そうに答える。

「私たち、ファンなんです。」

「そうですか。ありがとうございます。ところで、なんでわかったんですか?顔出ししてないんやけどな。」

蔦くんが答える。

「聴こえた声が以前、ふじさんがあげていた動画の声と同じ声だったからです。」

「君たちは、俺の声の高さどのくらいだと思う?」

「mid1Cです。」「mid1Cだと思います。」

蔦くんの声と重なる。

「さすが。君たちは、音楽の素質あるな。」

「ありがとうございます。」「ありがとうございます。」

また、重なる。

「ところで、駅まで一緒に帰りませんか?」

蔦くんが提案する。

「・・・」

不自然な沈黙が流れる。

「これから打ち合わせがあるんや。ごめんなぁ。」

「頑張ってください。」「お疲れ様です。」

また声が重なる。

「仲良しやなぁ。機会があったら会いましょう。インターネットむこうで待ってます。君たちなら来れるよ。じゃ、早いうちに来てや。」

「はい。」「ありがとうございます。」


 帰り道。

「なんか、不思議だね。」

「何が?」

「あのふじだよ。ふじと私たち喋ってたんだよ。なんか、興奮しない?」

「そうかな。」

私は、違和感を覚えた。なんかいつもの蔦くんと、目が違う。

「・・・怒ってる?」

「僕?怒ってないよ。何で?」

「なんか、目が違うから。」

「・・・そっか。」

「なんか、心配事とかあるの?」

「・・・全くないよ。」

「うそでしょ。答えるの、5秒くらい間空いてた。」

「・・・そんなの、蔦莉に関係ないじゃん。」

カンケイナイ。その言葉は私の心に深く傷をつけた。

 駅に着くまで私たちは、一言も喋らなかった。

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