8−2 蔦莉

 蔦くんの家から帰ってきた私は、YouTubeでふじの曲を聴いていた。きっと彼は今まで数知れぬ壁を登ってきたのだろうと、私は思った。

  ピコン

蔦くんからLINEがきた。

[許可取れました。]

もう許可取れたのか。私は彼の行動の速さに感心するとともに、少し焦った。もし母に私の意志を否定されたら、どう未来に進めばいいか分からないからだ。やっと『やりたい』と思ったことなのに。

 祝福の言葉を述べるのが最適だと思い、[おぉ。おめでとう‼︎‼︎]と送った。しばらくすると[明日、一緒にこれからの事について考えよう。]と送られてきた。明日か・・・明日は、父の三回忌だ。重い指で[ごめん。明日親戚の法事なの。]と打ち、彼からの返信を確認してから、携帯の電源を切った。

 そうか。もうあれから2年経ったのか・・・。なぜか分からないがモヤモヤした気持ちになった。父のことを考えると、いつもこうだ。気分が悪くなり、私はベッドに飛び込んだ。


 何時間寝ただろうか。時計は午後10時を指している。

  ガチャリ

「ただいま〜」

母が帰ってきた。今日、私は音楽活動をしたいことを母に言わなければいけない。このチャンスを逃したら、きっと言えないだろう。私は部屋から出て、

「今日も疲れた・・・」

と、さっそく冷蔵庫にビールを取りに行っている母に言った。

「あのね、お母さん。」

母が渋々と振り向いた。今だ!

「私、音楽活動したいの。」

彼女は、さらに眉間を寄せて言った。

「は?ふざけんじゃねぇよ」

反射的に、びくっと体が反応する。

「お前、本気で言ってんのか?お前なんかがな、そんなことできるわけがないんだよ!」

母の手が振り上げられた。逃げなければいけないのに、体が動かない。

「いや!やめて!」

と言うが声がかすれる。

  バチン

顔に衝撃が走る。痛い。熱い。怖い。あの優しかったお母さんは、どこに行ったの?お願い、元のお母さんに戻ってよ!


 その日、夢を見た。まだお父さんがいた頃の夢だ。

「おとうさん!」

小さな私が父の足に抱きつく。

「蔦莉。」

彼はしゃがんで、優しく私の名前をささやいた。そのトーンが、どんなに私に安堵を与えたか。

「蔦莉、お父さんと仲良しだね〜」

母だ。今とは違って優しい顔で話しかけてくる。

「そうなの!えりちゃんね〜、ショウライはおとうさんのおヨメさんになるの!」

無邪気に言う私を見て母は、

「あっ、だめよ!お父さんのお嫁さんは、お母さんだもん!」

と言った。

「おいおい、張り合うなよ・・・」

くだらないことで張り合っている私たちを見て、父は呆れたような照れているような顔で言った。

「お父さんは、蔦莉のこともお母さんのことも––––」

そう言って父は、私とお母さんを同時に抱きしめた。

「––––好きだよ!」

私は、母の柔らかい肌の感触と父の頼もしい身体に挟まれてはにかんだ。

 そのとき、眩い光に包まれた。その光の中で、私は座り込んでいる。

「––––り、蔦莉」

この声・・・父の声だ。姿は・・・見えない。なんで声が聞こえるの?死んだんじゃなかったの?数々の疑問が湧き上がる。

「お父さん?どこにいるの?」

私は叫んだ。

「蔦莉、大きくなったね。」

「お父さん!姿を見せて!」

しかし、父は私の要望に答えてくれない。

「蔦莉、苦労かけているね。大丈夫?」

彼の声が、そっと私の心を撫でる。蔦くんのときとは違うその感覚が懐かしくて、そしてその声に安堵させられて、鼻の奥がツーンとなった。それを否定するように私は叫んだ。

「大丈夫じゃない!急にいなくなって、ろくに挨拶できなかった。残された私たちの気持ちも考えて!お母さん人格変わっちゃったじゃん!」

言葉を発しながら、泣きたい気持ちが昂ぶる。

「本当にごめんな・・・」

父のその申し訳なさそうな声が、また私の心を揺るがした。次の瞬間、私は悲しさと、父の声を聞けた嬉しさが混ざった複雑な感情になりむせび泣いた。

「どうしてくれんのよ!」

叫ぶ私に、父は私を包み込むように優しく「ごめん、ごめん。」と何度も何度も言った。

 やがて光が桃色に変わり、少し暖かくなった。私はもう少しで父と本当にお別れしなければならないのだと悟った。

「蔦莉。」

父が言った。

「母さんの言うことは聞いた方がいい。でも未来を選択するのは蔦莉だ。蔦莉は何をやりたいの?」

私のやりたいこと・・・。

「私は––––」

蔦くんの顔が脳裏をよぎる。

「––––私は、蔦くんと音楽活動したい!」

シュワシュワシュワと何かが溶ける音と共に、

「それをするために何をすればいいか考えてごらん。きっと丸く収まるはずだよ。」

と、だんだん小さくなっていく父の声が聞こえた。

「お父さん!」

私は腹の奥底から叫んだ。しかし私の聲は父に届くことなく、情けなく響いては切なく消えていった。


 目覚めた私は、真っ先に蔦くんにメールを送った。

[私、蔦くんと音楽活動します!]

 そして母に手紙を書いて、リビングに置いた。

 父には感謝している。さあ、父の三回忌に行くか。



お母さんへ

 昨日も言いましたが、私はやはり音楽活動をしたいです。

 あなたがどう言おうと、私の意志は変わりません。

 産んでくれたことは感謝しています。

 でも、もう私の人生を邪魔しないで下さい。

     蔦莉より

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