老人の回想 中学一年生 夏

8ー1 蔦

「蔦くん凄いね。本当に何もされなくなった。」

ある土曜日の帰り道、蔦莉が言った。

「そりゃあ、そうだよ。・・・もう、1人じゃないからね。1人で抱え込まねいでよ。」

蔦莉の頰が、赤く染まった。そう言わないと、蔦莉が抱え込みすぎて、どこか僕の手の届かないところに行ってしまいそうで、怖かった。

「そうだ。蔦くん、もう1回聴かせてよ。蔦くんの聲。」

「・・・良いよ。それより、今日家に来ない?会わせたい人がいるんだ。」

今日は、奈々先生が来る日だ。僕達は定食屋さんで昼ご飯を食べてから帰ることにした。

 

「ただいま。」「お邪魔しま〜す。」

 僕と蔦莉の声が虚しく玄関に響きわたる。心臓の音も耳に響く。蔦莉に聞こえてないか心配だ。

「お母さん、今日会社なんだ。」

そう言いながら僕は靴を脱ぎ、揃える。そして、スリッパを出した。

「どうぞ、あがって。」

「ありがとう。広いね。」

そう言って、蔦莉も靴を脱いだ。彼女の動作の一つひとつに、心臓が反応する。

「僕の部屋、2階にあるんだ。」

階段をのぼりながら、声をかけた。

「いいな〜。私、マンション住まいだから一戸建てって憧れる。」

「そっか。マンション大変だよね。僕も、1回住んだことあるんだけど、住み心地悪かったな。なんか、自分仕様にできないって言うか、他人のものって言う感じだよね。」

僕は、ぶつぶつ呟きながら歩いた。

「ここ、僕の部屋。どうぞ、入って。」

そう言って、ドアを開け、電気を付けた。

「失礼します。」

蔦莉が強張った声を出した。

「そこらへん座ってて。飲み物取ってくる。あっ、その前に、クーラー付けとくね。」

「この頃6月だってのに、真夏日だよ。やってられない。」

と、呟きながらクーラーのリモコンをとり、冷房と書いてあるボタンを押した。それと同時にと、機械音が鳴った。

「じゃあ、取って来るわ。」

そう声をかけて部屋を出た。

 1階にあるキッチンに入る。自慢ではないが、僕は紅茶を煎れられる。今日は、彼女に合わせ、癖のあまりないセイロンを煎れることにした。

 お湯を沸かす。お湯の温度は、沸騰前の90℃くらい。つまり、大きな泡が出始めた頃だ。お湯が適温になるまでの間、ポットとカップ2つ–––控えめな花柄模様–––3分砂時計、茶葉、スプーン、茶漉し機、コーヒーサーバー、その入り口が塞がるような皿を出した。コーヒーサーバーの下にはかりを置き5g茶葉を入れる。あとは、お湯が沸けば準備完了だ。暇になり、やかんの蓋を開けた。白い湯気が眼鏡を曇らせる。じっとやかんの中を覗き込む

 ちょうどその時、大きい泡が出てきた。「よし。」そう呟き、やかんをコンロの上からあげる。茶葉を入れたコーヒーサーバーに400mlお湯を注いだ。それと同時に、その上に皿を置き、砂時計をひっくり返す。

残ったお湯を、ポットやカップに注ぐ。容器が温かい方が美味しく仕上がる。次の動作を起こすまで、たいてい僕は茶葉の動きを見る。

 沢山の葉っぱ達が上がったり下がったりを繰り返し、最終的には全ての葉っぱが下に沈む。その様子がとても面白くて、ついつい見入ってしまう。いくら抵抗しても思い通りにならない、人間関係のようだ。

 砂時計の砂が6分の5ほど落ちたら、僕はポットやカップに入れたお湯を捨て、そのポットの上に茶漉し機を置く。

 砂が落ち切ったら、コーヒーサーバーから皿を取りスプーンで一混ぜし、ポットに注ぐ。この一混ぜが大切だそうだ。ポットに蓋をし、それとカップをお盆に乗せた。

 溢れないように、重いお盆を、そおぅっと蔦莉のいるところまで運ぶ。カタカタと、皿が音を立てる。お盆を腕で支え、手でハイレバーを下げる。ゆっくりゆっくりドアが開く。腕で持っていたお盆を手に持ち替え部屋の中に入った。

 僕の部屋は、勉強机の前にちょっとしたソファーとテーブルがある。そのテーブルにお盆を置いた。蔦莉はソファーの上ですやすやと眠っている。僕は、彼女の膝にタオルケットを掛けた。

 僕は、カップに紅茶を淹れた。透き通った赤橙色が美しい。じぶんのカップを手に取り口付ける。一息付いていると、車が停車する音が聞こえた。そして、ピーンポーン ピーンポーンと、インターフォンが鳴り響いた。

 僕は、1階に降り、インターフォンの通話ボタンを押した。そこに移る人が、女性である事を確認して、

「はーい。どうぞ。」

と、言った。その直後、ドアが開いた。

「こんにちは、蔦くん。お邪魔します。眼鏡かけてないの、久しぶりだね。」

言葉の波が、勢いよく押し寄せる。

「こんにちは。どうぞ。」

 そう言って奈々先生にスリッパを出す。ありがと、と呟きそれを履いて、2階にあがっていった。僕は彼女の背中を追いかける。


「何で女の子がいるの。」

 先生が、そう呟いたのは、丁度先生が僕の部屋のドアを開け、少し経った頃だった。茫然としている先生を見ながら、蔦莉が近寄ってくる。インターフォンの音で起きたようだ。

「蔦くん、挨拶、した方がいいよね。」

と、耳元で聞いてきた。その無防備さに、胸が高鳴った。心臓が、締め付けられる。

「そうだね。」

 心臓の音が蔦莉に聴こえてないか気をつかいながら喋るのは、それが精一杯だった。そんな僕とは裏腹に、蔦莉は奈々先生に喋りかける。

「はじめまして。私、蔦くんと同じクラスの、倉井 蔦莉です。」

「・・・。」

奈々先生は、固まったままだ。

「・・・あの、お名前伺ってもよろしいでしょうか。」

その声に、奈々先生は我に返ったのか、早口で、

「あっ、私、蔦くんの家庭教師をしています、源 奈々と申します。奈々って呼んでね。蔦くんは、先生付けるけど。」

「よろしくお願いします。奈々・・・さん。」

「よろしく。蔦莉ちゃん。堅苦しいから敬語なしね。えっと、蔦くん今日は、学力テストの結果、見るだけにしようか。彼女と、話したいし。」

「そうですね。ありがとうございます。」

「それと、先週休んじゃって、ごめんね。」

「全然全然。大丈夫です。お身体、大事にして下さい。」

「おお、さすが蔦くん。」

絶え間なく続く、僕と先生の会話を蔦莉は可笑しそうに聞いていた。そして、耐えくれなくなったのか、

「ふふふふ」

と笑い出した。しまいには、

「はははは。はははは。」

と苦しそうに笑うまでに至った。彼女の本当の笑顔が見えた気がした。いつもは、仮面を被っているように見えるから。心臓が絶え間なく鳴り響く。その笑顔に見惚れている僕は、奈々先生に呼ばれて、我に返った。

「蔦くん。早く見せて。お喋りしたい。」

「はっはい。ちょっと待ってくださいね。」

  急いで勉強机の隣にある本棚から、学力テストの結果を引っ張り出してきた。僕の完璧な結果を見て、

「ほぅ。凄い。綺麗。」

と、呟いた。何が綺麗なのか、僕には分からなかったが、彼女は俗に言う『変人』なので、それ以上問わなかった。

「さあ、お喋りしましょう。君のテスト結果に私の出る幕はないので。」

そう言って、奈々先生は僕が飲んでいた紅茶を飲み干した。

「はぁ。」

と、僕は大袈裟に溜息をつき、

「お茶、煎れ直してきます。」

と立ち上がった。

奈々先生は「さすが、教え子」という顔でこちらを見ていた。

「ありがとう。」

 可愛らしい笑顔で礼を伝える蔦莉は、輝いて見えた。

 

 僕がお茶を煎れ、部屋に戻った時には、もう2人は友達の如く、話が弾んでいた。部屋に入ると、

「おぉ、待ってたよ蔦くん。」

「ありがとう。」

と、言葉が飛んできたと思いきや、次の瞬間、2人の会話に戻っていた。

仕方なく、新しいカップに紅茶を注ぎ冷めてしまったお茶を持って1階におりていった。冷めてしまったお茶を捨てるのは勿体無いと思い、空いているペットボトルに移し、冷蔵庫に入れた。明日飲もう。

話が進みそうなお菓子を、買い溜めしていた中から、に選び、2階に戻った。ドアを開けると同時に、目が覚めるような冷たい空気が廊下に流れ出してきた。

2人の会話は、僕との共通点だった。ちょうど良いと思い、声をかけた。

「僕、音楽活動してみたい。」

 その唐突な発言に驚いた2人が、同時にこちらを向いた。数秒の沈黙の後、奈々先生が口を開いた。

「まあ、いいんじゃない。君は、充分歌唱力持っているから。」

「・・・あっあの、私も一緒にやりたいです、活動。」

 おどおどと手を挙げた蔦莉が、自信なさげに言った。

「・・・僕さ、蔦莉の聲聴きたい。」

一緒にするならなおさら。

「私も私も。」

彼女の顔は、みるみるうちに真っ赤になっていく。

「・・・いいですよ。でも発声練習、させて下さい。なので、廊下に出てください。」

「何歌うの?」

僕が聞くと、

「秘密。」

と、悪戯っ子のような顔をした。きっと、僕は今、ユデダコのような顔だ。廊下に出ると、奈々先生が

「似てるねぇ。」

と言ってきた。意味が分からなかったが、蔦莉の歌声が聴けると思うと、そんな事の意味などどうでも良い事だった。

蔦莉がドアから顔を出した。

「あの、もういいよ。」

ついに彼女の聲をきけるかと思うと、気持ちがはやまった。

「えっと、アメイジンググレイスを歌います。」

赤い顔で、囁くように言う。

「この曲を選んだ理由はですね、この前、蔦くんが教室でいたのを見て凄く綺麗だなと思ったからです。」

赤い顔をさらに赤くさせて言った。

「では、聴いてください。」

と空気を吸った。それからの彼女は、どこかの女王様にでもなったかのような気品に満ち溢れていた。


「Amazing grace how sweet the sound

That saved a wretch like me.

I once was lost but now am found,

Was blind but now I see.––––––––」


 少し柔らかくて、でもしっかりしている。高いけど、優しい。そんな聲だ。

 彼女の声が、僕の心を優しく撫でた。その感触が気持ち良くて、どんどんのめり込む。

 彼女の声は、模様を成していった。


 女性が小さな男の子に何かを読み聞かせている。あれは・・・聖書だ。女性のは十字架を身につけている。クリスチャンだろうか。 


 その模様は、暗闇に溶けていった。僕は、急に不安になり振り返った。すると映像が現れた。


 教会で、さっきの女性が横たわっている。少し成長した男の子は男性と一緒に、女性の前で泣いている。亡くなってしまったのか。



「––––'Twas grace that taught my heart to fear,

And grace my fears relieved,

How precious did that grace appear,

The hour I first believed.––––」


 さっきみたいに、また模様が溶けて暗闇になった。次は僕の右に模様が出てきた。


 さっきの男性と10代後半の青年が出てきた。一緒に船に乗っているようだ。男性と一緒に商売をしているようだ。


「––––Through many dangers, toils and snares

I have already come.

'Tis grace hath brought me safe thus far,

And grace will lead me home.––––」


 また模様が消えた。光が見えず僕は辺りを見回した。今度は左に現れた。

 

 着港している船が見えた。その船の中には例の青年がいる。船に乗ろうと待っているのは、たくさんの黒色人種の人々だ。みんな憂鬱そうな顔をしている。きっとこの船は、奴隷貿易船なのだろう。

 青年は、それで得たお金で青年は酒を飲み、賭け事をしている。


「––––The Lord has promised good to me,

His Word my hope secures;

He will my shield and portion be

As long as life endures.––––」


また模様が消えて、新しい模様が現れた。


 例の青年は少し成長して20代前半になっていた。海の上を進む船は––––蜜蜂だろうか––––虫を運んでいる。天候が悪くなったと思いきや、嵐がやってきた。船は、どんどん浸水していく。転覆の危険に陥った青年は波に呑まれそうになりながらも、必死に祈っている。彼の『生きたい』気持ちをくみとった神様は、流出していた貨物を動かし船の穴を塞いだ。そのおかげで、浸水が弱まり無事青年は上陸していった。


 模様が消えて、また現れた。


 例の青年は、船に乗っていく黒色人種の人々を悲しそうな顔で見つめている。

 別の日だろうか。聖書を読んでいる。賭けや飲むことを友人に誘われても、青年は全て断っている。これだけ言動を変えるほど、あの出来事は青年にとって大きかったのだろう。


「––––Yes,when this heart and flesh shall fail,

And mortal life shall cease,

I shall possess within the vail,

A life of joy and peace.––––」


 新しい模様が現れた。


 いつしか青年は男性になっていた。病気になったのだろうか。病院で診察してもらっている。もう、船には乗らないようだ。

 ある日、男性は大金を袋に入れ教会に入っていった。献金しにいったようだ。そう言うことが幾度も続き、男性は勉学に励むようになった。

 男性は牧師になっていた。穏やかな顔で教会に来る人々を迎えている。


 「––––The earth shall soon dissolve like snow,

The sun forbear to shine;

But God, Who called me here below,

Will be forever mine.––––」


 模様が消えた。今度は何も現れなかった。でも、男性の歌声が蔦莉の歌声と重なって聴こえた。


 「––––––––When we've been there ten thousand years,

Bright shining as the sun,

We've no less days to sing God's praise

Than when we'd first begun.」


 が、波紋を描くえが。余韻が気持ち良い。

「蔦くん、どうしたの?」

彼女の声に我に返り、頰に熱い液体が流れていることに気付く。

「ごめん。なんか凄くて。」

僕は涙を拭きながら答える。拭っても拭っても滝のように流れるその液体は、いつか流した思い出のものと似ている。 

僕の涙がすっかり乾いた頃、

「で、どうする?2人のユニット名。」

と、今まで黙っていた奈々先生が喋った。もう、ユニット組むのは、声を出さずとも、決定していた。

「Ivy」

誰かが言った。僕が言ったのかもしれない。いや、蔦莉だったのかもしれない。あるいは、奈々先生なのかもしれない。声の主は分からないが、その言葉は、僕達に一番適している名前なのは確かだと、僕の直感が告げている。

「とりあえず、LINE交換しよう。」

しんみりとした空気をかき消すように奈々先生が言った。

「そうですね。」「そうだね。」蔦莉と僕の声が重なった。目が合う。照れくさくなってさっと目を逸らしてしまう。

「お〜い、2人ともはやく読み取って。」

もたもたしている僕らに、先生が言った。

「すみません。」

ぴこん

電子音が鳴った。

「蔦くん。私のも読み込んで。」

ぴこん

またまた、電子音が鳴った。

友達追加のページに奈々先生の名前と、蔦莉の名前が並んでいた。なんとも言えない嬉しさが、胸の中で渦を巻く。

「よし。追加っと。」

奈々先生の声に我に返り、僕も追加ボタンを押した。



「お母さん。YouTubeに動画、出したいんだけど。良い?」

その日、僕は帰ってきたお母さんに動画活動をしてもいいか許可をとりにいった。もし駄目と言われたなら、お母さんが納得するまで熱弁しようと考えていた。

ドクン。ドクン。心臓が鳴り響く。

「・・・そうね。今のところ成績いいし、勉強と両立できるなら、良いわよ。」

ドクン。ドクン。

今なんて言った?いいって言ったよね。いいのか。いいってどんな意味だっけ。そんなどうでもいい事を無限に考え続けた。

「自分の人生だもん、好きなようにしなさい。お母さんは、いつでも蔦の味方よ。ただし、危ないことはしないでね。」

やっと、その言葉の意味がわかった時には数十秒経っていた。言い訳ばかり考えていた僕を笑ってやりたくなった。

「ありがとう。ありがとう、お母さん。本当にありがとう。」

僕はそう言い続けた。


[許可取れました。]

“ぴこん”という音とともに、まだ「よろしくお願いします」という挨拶しか送られてない蔦莉とのメッセージ欄に、1つメッセージが追加される。

僕は女子とLINE交換した事がなかった–––いや。するつもりもなかった–––。そのためか、少々舞い上がった。

しばらくすると、既読がつき[おぉ。おめでとう‼︎‼︎]と送られてきた。[明日、一緒にこれからの事について考えよう。]と送ると、[ごめん。明日親戚の法事なの。]と返ってきた。[そっか。じゃあ、月曜ね。]僕はそう送り、ため息をついた。

布団に入ったが、何かしないと気が済まないジメジメとした気持ちになった。仕方なく起き、これからどんな風になりたいかをノートに書き出した。

①:大きい目標。・・・ふじみたいになる

②:そのために何をするか。・・・曲作る。・カバー曲いっぱいあげる。

③:②を達成するために何をするか。・・・学校の勉強頑張る。蔦莉ともっと仲良くなる。

僕は、いつも将来が不安になった時、こうしてやるべき事を見つけ、目標にしている。結局、その目標は達成することはないのだが。でも、今回は目標をお蔵入りにするわけにはいかない。

 目標は、目に見えるところに貼るといいらしい。僕はそれを参考にする事にした。画用紙に清書し、壁に貼った。字は汚いが、やる気が出てきた。

 窓を開けると、乙女座のスピカが光っていた。その光はとても眩しかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る