6−2 蔦莉
学力考査の結果が返ってきた日の翌日。私は、放課後図書室に行った。ここには、2万冊を超える本が眠っている。私は、“本と勉強だけが友達”と、いうような生活を送ってきた1人だ。だから、ここに沢山の本があると知った時、『もし、私の居場所がなかったらここに逃げに来よう』と思った。そのくらい、図書館が私にとって退屈しないで、安心できる場所だった。
図書館で、ゆっくり本を選んで本を借りた。
図書館を出た時には、空が真っ赤に染まっていた。
「茜空だ。」「茜空や。」
誰かの声と重なった。柔らかくて、低くて、懐かしい声。大阪弁だ。
振り向いたら、右側に背の高い男性の背中が見えた。その人は、校門に向かって歩いていく。私は、微笑んで教室に続く扉を開け、階段を3階分のぼった。
私達の教室は、一番階段から遠いところにある。私たちの教室の3つ手前に差し掛かると、男性の歌声が聴こえてきた。空気に溶けるような優しい声。でも、よくとおる綺麗な声だ。最初は、コーラス部の歌声かと思った。しかし、教室に近づくたび、そうでないことは確信にかわっていった。
教室のドアは空いていた。ドアから夕方の温かい光が漏れている。歌声がそこから聴こえているのが分かった。その途端、心拍数が上がった気がした。運動部の号令の声が聞こえる。
教室に入る。そこにいたのは、茜色に染まる1人の男子生徒だった。彼が歌っているようだ。
「Amazing grace, how sweet the sound
That saved a wretch like me.
I once was lost but now am found,
Was blind but now I see.––––」
このメロディー。アメイジンググレイスだ。
「––––'Twas grace that taught my heart to fear,
And grace my fears relieved,
How precious did that grace appear,
The hour I first believed.––––」
彼の顔が影になる。顔がはっきりと分かった。・・・蔦くんだ。マスクや眼鏡をとっている。かっこいい。彼のシルエットや声色にうっとりした。
「––––Through many dangers, toils and snares
I have already come.
'Tis grace hath brought me safe thus far,
And grace will lead me home.––––」
鼻の奥がつーんとなった。それと同時に涙が溢れてきた。制御しようとしても、もう手遅れだった。
「––––The Lord has promised good to me,
His Word my hope secures;
He will my shield and portion be
As long as life endures.––––」
彼の声は、私の心に沈んでいきふっとはかなく消えた。
「––––Yes,when this heart and flesh shall fail,
And mortal life shall cease,
I shall possess within the vail,
A life of joy and peace.––––」
彼の声を少しでも耳に残したくて目を瞑った。なんて綺麗な声なのだろうか。
「––––The earth shall soon dissolve like snow,
The sun forbear to shine;
But God, Who called me here below,
Will be forever mine.––––」
彼の声は、私の心を掴んでは離す。ずっと掴んでいてほしくて、のめり込んだ。
「––––When we've been there ten thousand years,
Bright shining as the sun,
We've no less days to sing God's praise
Than when we'd first begun.」
声が空気に波紋を残す。今がいつまで続けば良いのに。不意にも、そう思ってしまった。でも、そんな事はなくて、声の波紋は段々と小さくなっていき、遂にはなくなてしまった。それと同時に、今まで目を瞑っていた蔦くんが、目を開けた。
カタリ
後ろにある机にぶつかってしまった。そう思ったときにはもう蔦くんは目を大きく見開いてこちらを見ていた。自然と息に近い声が出た。
「ずごいね。づだぐん」
涙でびちょびちょになったマスクや眼鏡をはずしながら、私は言った。
彼の顔が赤くなる。明らかに困っている。やっと、涙が収まってきた。そして、一番言いたかった事を言う。
「上手いね。あと–––––」
「かっこいい。そっちの方が、良い。」
彼は、今まで以上に顔を真っ赤にさせて、こう言った。
「––––じゃあ、僕、帰る。」
また、心臓が高鳴った。
「うん。じゃあね。また明日。おやすみ。」
私は、そう言い笑った。蔦くんは、ユデダコのようにした顔を私の方にむけ、
「またね。おやすみ。」
と、呟やいた。
何で、あんなに顔が火照るのだろう。私が、その答えを見つけたのは、彼の前から姿を消してからだった。
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