4 蔦

「ねぇ、学力考査、どうだった?」

一人の女子が、男子に聞いた。

「えぇ、聞くなよ。」

「あっ、もしかして、全くできなかったんだ?」

いたずらっ子のような顔を浮かべ、女子が言った。

「あーーーーーー。言うなよ。」

その声を掻き消すように、男子が言った。

「まぁ、私もなんだけどね。」

「お前もなんかい!」

そんな、会話で周りが盛り上がっている中、僕と蔦莉も、盛り上がっていた。

「僕ね、歌い手さん、好きなんですよ。」

「私も、好きなんだ。蔦くん、言葉カタイよ。」

本当だ。

「あっごめんなさい。頑張ります。じゃない、頑張る。」

「うん。頑張って。でさ、蔦くんは、誰が、好きなの?」

「ふじ。」

「わーーーーーー。私も。カッコいいよね、ふじ。顔もいいし、イケボだし、あっイケてるメンズボイスね、憧れるよね。」

蔦莉の声が、だんだん大きくなる。

「僕も、あんなひとになりたいんだ。僕、音楽クリエーターになるのが夢なんだけど、ふじに出会ったのが、きっかけなんだ。」

随分と、蔦莉と話すことには、慣れてきた。蔦莉と話している時は、何も考えずに話すことができる。楽だ。その代わり、言葉には気を付けないといけないが。

「音楽クリエーターになりたいの?」

勢い良く蔦莉が立ち上がったため、視線が一斉に、彼女に集まる。視線に気付いた彼女は、顔を赤らめ、座ると、いく倍も小さい声でこう続けた。

「実は、私もなんだ。」

えっ、本当に?この言葉に僕は、運命を感じた。

「同じだね。」

そう言って、僕らは笑いあった。周りのクラスメイトがどんな目で、僕らを見ているのかも知らずに。

幸せの空気が2人の周りを満たしているその時、6限の始まりを告げるチャイムが鳴った。

「えぇ、6限は、ホームルームということで、えぇぇ、クラス委員を決めていきたいと思います。」

そう言い、先生は、黒板に役割を書いていった。

1、学級代表・・・2人

2、風紀・・・2人

3、安全・・・3人

4、保健・・・2人

「えぇっと、役割を説明していきたいと思います。えぇぇ学級代表は、授業始めと終わりの挨拶・クラスをまとめ、他の委員が仕事をしていなかったら、えぇぇ、注意する役割です。えぇぇ–––––」

長々とした説明が続く。この先生、本当に頼りない。

「–––––以上が、4つのクラス委員です。それぞれ、人数は前に書いてある通りです。では、まず、一番の学級代表から、決めていきます。えぇぇ、立候補者はいますか。」

言い終わるが、はやいか、目につかない勢いで誰かの手が空を切った。相沢さんだ。

「えっと、相沢さんと、後もう1人・・・あっ、清水さんの、2人でいいですか。・・・はい。えぇぇ、いないようなので、2人に任せましょうか。はい。拍手。」

パチパチと、小さな拍手が起こった。

「えぇぇ、じゃあ2人名前書きに来て。」

2人は前に行き、チョークを持った。そして、それぞれの自分の名前ー相沢 紀美・清水悠太ーと書いた。カツカツと、規則的に刻まれる音が響く。黒板の上を、すぅと、雪のようなチョークの粉が滑る。緑と、白の対比が美しい。

雪といえば––––

 3年程前、大雪が降って学校が休校になった。もう、その頃から、虐めが始まっていた。だから、僕は大いに喜んだ。その日は、1日中雪で遊んだ。今思い返せば、あの頃の僕は、まだ、可愛かった。これから起こる地獄のようなことも知らずに、ただただ必死に、「いま」を生きていた。

本格的に、虐めが始まったのは、2年程前。それは、ちょっとした発言で始まった。


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「そんなことしたら、駄目だと思う。」

虐めている集団にそう声を掛けたのだ。その頃の自分は、まだ集団の中にいた。だから、そんな空気を読まない発言ができたのだと思う。今更悔やんでもしょうがない事だが、あの言葉さえ言わなければ、虐められなかったのかもしれない。

次の日、いつもは挨拶すれば返してくれた友達に、無視されたのだ。そして、気付いた。自分は、虐められているのだと。

日が、経つにつれて虐めが酷くなった。1日の始まりは、びしょ濡れの上靴を履くことから始まる。そして教室に入り、机に書かれた落書きを1人で虚しく消す。トイレに行けば、決まって水をかけられる。

 もう、学校に行きたくない。そういう気持ちで一杯だった。朝になれば、吐き気がすることが、いつしか、日常になった。それでも、親に心配をかけたくないから、言えなかった。あの時、親に僕の気持ちをを伝えておけば、どんなに楽だっただろうか。

それからの日々は、息を殺して、時が経つのを、ただただ待っている無意味な時間だった。1時期、もう死んでしまおうかと、思った程だった。そんな僕を助けてくれたのは1本の動画だった。

その曲は、「死ぬな」と訴えかける。そして、ついつい定期的に聴きにいってしまう程、依存性がある。「あなたへのおすすめ」に出てきた、この曲。初めはほんの興味程度で聴いた。でも、僕はこの曲に、命を助けられた。僕は、この曲に出会っていなかったら、今どうなっていたのだろうか。考えるだけで、ぞぅっとする。

この曲の出会いが、“ふじ”との出会いでもある。透明感があり、よく通る依存性のある声。つまり、1度出会ってしまったら、“ふじ”という沼にはまるまで、とことん離してくれない。そんな、声だ。ふじは、僕の憧れの人になった。

ふじには世界中に熱狂的なファンがいる。僕も、その片割れである。ファンになるのは、時間の問題だけである。1曲聴けば、知らずしらずのうちに、熱狂的なファンになっている。本当に、不思議だ。


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週に1回、僕は塾に通っている。この1週間、5月だというのに熱帯夜が続いていた。でも、この日は、珍しく冷え込んでいた。

帰り道、僕はそのまま家に帰る気がせず、塾の近くの公園に寄った。公園といっても、ブランコとベンチしかない、ちんまりとした公園だ。ブランコに座り、塾で買ったココアを、ゴクリと飲んだ。渇いていた喉が、潤わされる。頭がリセットするようで、気持ちいい。耳を澄ませると遠くから、波の音が聞こえてくる。ぼぅとしていると、丁度、僕の座っている真正面のマンションのドアが「帰ってくんな」という女性の怒鳴り声とともに開いた。何事かと思い、目を向けると、柵の向こうに、1人の少女が座り込んでいた。遠くから見ても分かる程、その子は美人だった。彼女は、泣きもせず、ただただ無表情な顔で、宙を見つめていた。時々灯台の明かりが、彼女を照らす。よくよく見れば、冷え切っているのに、彼女は半袖と短パン、裸足といった服装だった。大丈夫かな。そう思い、近づく。僕が、1歩1歩歩むとともに、彼女の体中に広がる、紫檀色したんいろの痣や紫紺色しこんいろの痣がはっきりと見えるようになった。痛々しい姿の少女と目が合った。少女が、口を開く。

「蔦くん。」

ん?立ち止まる。耳を疑った。

「えっ。」

彼女が立ち上がった。

「蔦くんだ。蔦くんでしょ。」

知り合いにこんな美人な子いたかなと、考え込む。その子は痺れを切らしたのか、10秒も経たないうちに口を開いた。

「蔦莉だよ。」

「えっ、蔦莉?倉井?」

「そう。倉井 蔦莉。見えない?」

「見えない。見えない。」

首と手を横に振りながら言う。君は、マスク外したら、こんなに美人だったのか。しかし、

「変わりすぎだろ。」

と、思わず囁いてしまった。

「変わりすぎで、悪かったわね。」

彼女は、苦笑いを浮かべた。地獄耳だ。彼女の、新しい1面がまた見えた。彼女と関わり合ってから、お互いを隠しているが、日に日にめくれていくようで楽しい。もっと、彼女と親密な関係を築きたい。いつしか、そう思うようになっていた。

改めて、彼女の腕や脚を見る。歩くだけで痛そうな痣が沢山ある。

 ・・・これどうしたの?痛くないの?何かあるのなら、言って。僕には全部言っていいから。僕にできることなら協力するよ。・・・言いたいことは山のようにあるのに、なかなか口が開かない。あがり症の悪い癖だ。喉につっかえた言葉たちが、胸の中で渦を描く。苦しい。言いたい。

「じゃあ、もう遅いし、帰ろうか。」

僕よりも先に蔦莉が口を開いた。

「帰るって、さっき“帰ってくんな”って言われてたでしょ。」

「いいの。私は、大丈夫。蔦くん疲れてるでしょ?明日学校だし、ね。」

確かにそうだ。2時間ほど勉強してきたから、お腹も空いている。分かった、帰る。としか言わせない。そんな、意図が感じられる発言だ。

「分かった。帰るよ。蔦莉も、はやく家に帰りなよ。」

「うん。じゃあね。おやすみ、また明日。」

と言って、彼女は手を振りながら、家の中に入っていった。そのあと、

「帰ってくんなって言っただろうが!」

という女性の怒鳴り声と、ドスドスと人を蹴る鈍い音が聞こえてきた。僕は怖くて、一刻も早くこの場所から離れたくて、

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