2 蔦

「ご入学おめでとうございます。我が学園、啓英けいえい学園中等部へようこそ。この学園は、文字の通り啓き英でる学園です。啓英の啓には、未知のものを明らかにするという意味が。また、英には、優れて美しい、人なみ優れた者という意味があります。我が学園は、中高一貫校です。高校を卒業するときには、新しく何かを明らかにしようとする好奇心や、学力はもちろん、人間性の優れた美しい心の持ち主になれるように、6年間を通して育んでいきます。どうぞ、ご協力の程よろしくお願い申し上げます。えぇ、・・・」

話が長い。それが、僕が感じた校長先生の第一印象だ。(以前、合格発表の日お会いしたが、そんな風には見えなかった。)僕は、あがり症で人前で話せない。だから、15分も喋られることは尊敬する。だが、いくら何でも15分は長すぎる。良い話をしていることは分かっているが、途中から集中力が切れかかって、話の内容を理解できなかった。

やっと入学式が終わり教室へ移動した。明日から通う教室だと思うと胸が熱くなった。縦五列、横六列の30人クラスだ。

「えぇ、皆さんご入学おめでとうございます。一年一組の担任をさせていただきます、河井です。担当教科は、数学です。よろしくお願いします。まずは、皆さんに自己紹介してもらいましょうかね。名前を言っていって下さい。えぇ、一番の相沢さん。あっ、立ってね。うん。」

頼りない・・・。

「えっと、相沢 紀美です。」

「はい。次。」

ドックン

「阿部 涼です。」

ドックン

「はい。次。」

ドックンドックン

「石井 美咲です。」

「はい。次。」

わぁ。次僕だ。ドクドクドク。

「えぇっと。伊藤 蔦です。」

声ちっさ。ね、ちっさいね。なんて言ったの。いと・・何だっけ。そんなつぶやき声が聞こえる。

 しかし、そんな声は、先生の一言で、遮られた。

「はい、次。」

「上村 宏です。」

自己紹介は続いて行く。丁度、僕の隣の人が立ち上がった。

「倉井 蔦莉えりです。」

エリか。なんて書くのだろう。僕はそう思い、胸ポケットについている彼女の名札を覗き込んだ。そこには『倉井 蔦莉』と書いてあった。えっ、蔦・・・僕と同じだ。にしても、蔦に莉でエリか。珍しいな。

 その子は、僕と同じ眼鏡をかけていてマスクをして、暗い雰囲気なのに、微かに周りを征するような、凛とした空気を持っていた。そして、何よりも驚いたのが、まるで、ガラス玉のような透き通った綺麗な声をしていたことだ。憧れるなぁ。

 その後、今後の生活や校則についての説明があった後、解散となった。

「生活指導の先生にいろいろ言われないようにね。では、今日は、解散です。起立。礼。解散。」

そう言って、入学式は終わった。



「疲れた。」

そう言って、僕は、僕の部屋のソファに腰を下ろし、マスクを取った。昼間買った、お茶の残りを飲み干す。今日の1日の余韻に浸っていたいところだ。だが、

「つーたー。奈々先生いらっしゃったよー。」

と叫ぶ、母の声が聞こえた。そんな大きい声出さなくても、聞こえるのに。そう思いながら、

「はーい。」

と返事をした。


「蔦くん、先週出した宿題ちゃんとできてるね。それに、予習まで。えらぁあい。奈々先生が頭よしよししてあげるぅ。」

家庭教師である奈々先生が、手を伸ばしてくる。

「あの、先生。早く授業して下さい。」

僕は、先生の手を振り払いながら言った。

「蔦くん、顔、真っ赤だよ。」

僕の反応を面白がって、先生に茶化される。

「先生。は、や、く。」

「もぅ、分かったよ。」

家庭教師が、週一回やってくる。源 奈々という。僕はその人の事を、名前では呼ばずに、先生と呼んでいる。先生は、それを嫌う。先生曰く『他人行儀じゃん』だそうだ。

 初めて来たのは、2年前。塾の成績が悪かった時期に、母が呼んだ。先生の教え方は、凄く分かりやすい。そして、他の誰よりも、話しやすい。僕は、先生にしか言っていないことがある。

「ねぇ、蔦くん。歌い手って、知ってる。」

「知ってますよ。そんなこと。ニコニコ動画とか、YouTubeで、活動している、アマチュア歌手でしょ。」

「ねぇ、なってみない。音楽クリエーターになりたいんでしょ。」

えっ。僕が、歌い手になるの。確かに、音楽クリエーターになりたいけれど。でも、

「そんな、そんな、僕ですよ。僕なんかができるわけないじゃないですか。」

僕は、慌てて首と手を横に振った。そんな僕を横目に、先生は長い長い溜息をついて言った。

「僕なんかって使わないの、蔦くん。じゃあさ、蔦くんは、歌、好き?」

「好きですよ。」

歌というものに出会ってから、ずっと好きだ。

「じゃあ、歌ってみて。聴かせてほしい。」

人に聴いてもらうのは初めてだ。まぁ、奈々先生だからいいか。

「・・・・分かりました。リクエストはなんですか。」

「アメイジング・・・・何とかで。あんたの、得意曲でしょ。」

「分かりました。アメイジンググレイスですね。一旦、部屋、出てて下さい。発声練習しますから。」

僕は、先生を廊下に押し出した。

  ガチャン

 うわぁ、緊張する。腹が痛くなってきた。(なんで、僕、先生ならって思ったんだ。)と、自分を責める。でも、奈々先生1人で、こんなに緊張していたら、僕の、将来はどうなるのだろうか。想像すると、鳥肌がたった。あぁ、妄想している場合ではないのに。早く発声練習をしないと。そう思い、声を出した。

「あー。あ〜〜。あーあ。ドー、レー、ミー、ファー、ソー、ラー、シー、ドー。・・・・」

よし。いい声が出た。そう思いドアを開ける。

「先生。もういいですよ。」

「先生はやめて。まだ、大学生だから。」

「はいはい。そこ、座って下さい。」

そう言ってソファーを勧める。

空気を吸い、眼鏡を取る。視界がぼやけるが、それくらいが、丁度いい。


Amazing grace how sweet the sound

That saved a wretch like me.

I once was lost but now am found,

Was blind but now I see.––––


アメージング・グレース

何と美しい響きであろうか

私のような者までも救ってくださる

道を踏み外しさまよっていた私を

神は救い上げてくださり

今まで見えなかった神の恵みを

今は見出すことができる



––––'Twas grace that taught my heart to fear,

And grace my fears relieved,

How precious did that grace appear,

The hour I first believed.––––


神の恩寵こそが 私の恐れる心を諭し

その恐れから心を解き放ち給う

信じる事を始めたその時の

神の恩寵のなんと尊いことか


––––Through many dangers, toils and snares

I have already come.

'Tis grace hath brought me safe thus far,

And grace will lead me home.––––


これまで数多くの危機や苦しみ、誘惑があったが

私を救い導きたもうたのは

他でもない神の恩寵であった




––––The Lord has promised good to me,

His Word my hope secures;

He will my shield and portion be

As long as life endures.––––


主は私に約束された

主の御言葉は私の望みとなり

主は私の盾となり 私の一部となった

命の続く限り


––––Yes,when this heart and flesh shall fail,

And mortal life shall cease,

I shall possess within the vail,

A life of joy and peace.––––


そうだ この心と体が朽ち果て

そして限りある命が止むとき

私はベールに包まれ

喜びと安らぎの時を手に入れるのだ



––––The earth shall soon dissolve like snow,

The sun forbear to shine;

But God, Who called me here below,

Will be forever mine.––––


やがて大地が雪のように解け

太陽が輝くのをやめても

私を召された主は

永遠に私のものだ


––––When we've been there ten thousand years,

Bright shining as the sun,

We've no less days to sing God's praise

Than when we'd first begun.


何万年経とうとも

太陽のように光り輝き

最初に歌い始めたとき以上に

神の恩寵を歌い讃え続けることだろう



自分の声が、部屋に波紋を残している。ばくばくと五月蝿い心臓。そして、なによりも、この空気が気持ち良い。

「やっぱり、今のうちに音楽活動するべきだよ。絶対有名になる。素質あるんだから。」

ありえない。ありえない。僕なんかが、有名になるなんて。

「今は、駄目です。まだ、入学したばっかだし、親も、許すはずがない。先生もそう思うでしょ。」

「そうとは、思わないなぁ。私は。」

先生は、顔をしかめて言った。

「・・・とりあえず、慣れるまで待って下さい。もうすぐ、学力考査がありますから、その成績見てからです。」

「もう、真面目だなぁ。」

勉強を放ったらかして、趣味に没頭する時間など、僕にはないのだ。

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