540×798の終末論
@moi_yukkuri
オワリ。
ガリガリと音を立てて、シャーペンの先が紙を引っ掻く。勢いづいていた手を止めて、舌打ちをしながら芯を出すと、隣からくつくつと笑い声がした。
「ちょっと星花、何が面白いのさ」
「いや、行儀悪いよ、お前」
男じみた口調で、彼女は私を窘めた。お互い様でしょ、なんて悪態をつきながら、私は紙に向き直った。
西日が差し込む美術室の中で、私と星花はひたすら絵を描いていた。私たちの周りには、中途半端な状態で投げ出された紙が散乱している。いつでも使えるように準備してある絵の具は、まだ手をつけるに至っていない。私も星花も、いつも授業で使うのと同じシャープペンシルでただひたすらに線画を描き殴っていた。
「ねえ周、見てよこれ」
星花は1枚の写真をひらひらと揺らした。その写真には、黄色からトワイライトブルーに変わりつつある夕暮れの空がいっぱいに写っていた。真ん中を通る飛行機雲がなんとなく良い雰囲気を醸し出している。
「…綺麗だね」
私は、あまり言葉を選ぶのが上手くない。感想を一言で済ませて写真を見つめていると、星花は少しムッとして、
「もうちょっとなんか無いのかよ、ねえ」
なんて言いながら、また写真をひらりと翻した。
星花は、空が好きだ。彼女が描くのはいつも美しいグラデーションが印象的な空の絵だ。彼女は暇さえあれば空を眺めて、写真を撮ったり絵に描いたりしている。
「星花、空好きだよね。空に改名したら?」
にやりと笑いながら茶化すと、星花も一緒になって、馬鹿言え、と笑った。しかしすぐに笑うのをやめて、写真の飛行機雲を指でなぞった。
「そうだよ、空が好き。当たり前に昔から眺めてたはずなのに、最近不思議と意識するようになっちゃってさ」
星花の言いたいことは、なんとなく分かっている。去年の夏の終わりに初めて聴いた、サイレンの音が頭から離れないのだろう。
それは衝撃的な出来事だった。
私たちの住む田舎は、電車は1時間に1本しか無いので、私と星花は6時に出る電車で学校に来る。星花は駅から自転車に乗って、歩いている私を追い越していった。
そんないつも通りの朝に、けたたましいサイレンが鳴り響いたのだ。聞いたことの無い音にだが、何やら物騒だなと思った。そうしてすぐに、携帯電話が母からのメールを受信した。
『近くのコンビニとか、何か建物の中に入りなさい。』
私は通学路の住宅街にいた。
___あれ、もしかして私、死ぬ?
気づくとサイレンは止んでいて、携帯には『警報解除』と表示されていた。
そのとき、星花は学校の駐輪所に居たらしい。私が学校に到着すると、星花はこちらに駆け寄ってきた。
「なんだったの、あれ。周は分かる?」
「知らないけど…そうだ、ネットに何か書いてないかな」
私と星花は玄関に出て、携帯の画面を2人で覗いた。
結局、それがなんだったのかはわからなかった。ネット上の掲示板には、『宇宙からの攻撃か?』なんて書いてあって、2人で笑った。
でも、その日から私たちは、度々そのサイレンを聴くようになった。
「あの空、いつか見れなくなるのかもしれないからね」
星花は寂しそうに筆を手に取った。どうやら、写真の空を描くらしい。
「やだな、縁起でもない。ほらほら、今だって鳥が飛んでるよ」
夕暮れの空には数羽の烏が舞っていた。それでも星花は、不安そうな顔のままで赤と青の絵の具を混ぜていた。
私だって考えないわけではない。あの鳥達が、いつか何か恐ろしいものに変わってしまうのではないかとか、あのサイレンは、もうすぐこの世界が終わってしまうことのメタファーなんじゃないか、だとか、やはり不安は尽きないのだ。
私たちが描いているのは、現実逃避のために違いない。散らばった紙に描かれているのは、花であったり鳥であったり、優しく微笑む人間であったり___私たちが愛してやまない、この世界の理想的な姿なのだ。きっとそれは、この世界にしがみつきたいという願いの表れなのだろう。
そんな話をしていると、窓の外にまたサイレンが鳴り響いた。
「…またか」
「そうだね。どうせ今日も何も起きないよ」
私たちも随分と慣れたものだ。知らんふりをして、紙に向かったまま、音が止むのを待った。
しばらくして音が止んだ。今日も私たちは、こうして生きていた。
「…帰ろっか」
星花がぱたりと筆を置いた。彼女の前にある空は、写真より随分と赤かった。
「なんか今日は駄目だわ。どうも色が上手く作れない」
彼女の声は、震えていた。
「ねえ星花、明日もここで描く?」
「あ、良いよ。さっきの絵もやり直したいし」
床に置いていたリュックを持ち上げて、私たちは廊下に出た。
そのままさっさと外に出ると、グラウンドではいつも通りに陸上部が活動していた。体育館からはバレー部員の声がして、武道場からは竹刀の音が響く。
「今日はチャリあるの?」
「いーや、歩き」
校門を出て、駅までの道を歩き出した。そして私たちは、明日の話をした。
「明日って、なんか提出物あったっけ?」
「英語のドリル」
「うわ、面倒だな」
「なーに、あまねちゃぁん。終わってないの?」
「うるせ。あーあ!明日なんか来なきゃいいのに!」
私たちの間に、気まずい空気が流れた。私は咄嗟に、失敗したなと思った。
「…明日なんか、来なきゃいいのにね」
星花は、静かにその言葉を繰り返した。私は少し動揺して、彼女の顔を覗いた。それは、なんの感情も感じられないようでいて、どこか悲しそうな顔だった。
「明日ってのが無ければさ、何も不安なんて無いのに」
私は黙って頷くことしか出来なかった。
沈黙が続くのは、あまり嬉しい状況ではない。誰だってそうだろう。
「あ、そうだ」
駅に着くと私は携帯を取り出して、ペイントアプリを立ち上げた540ピクセル×798ピクセルのキャンバスを作って、画面を星花に見せる。
「この世界が終わる時は、もしかしたら想像もつかないくらい綺麗なのかも。ね、描いてみようよ」
星花は、先の私と同じように黙って頷いた。
「その辺の人間が作る平気みたいな、嫌な閃光じゃないよね。きっと、花火みたいな色彩の…」
色を重ねて、加工をする。上にのせた黄緑と桃色が、やたらと光って見えた。
「うわ、極彩色!…綺麗!」
星花はさっきと打って変わって、楽しそうに笑いながら画面に触れた。
「火花だとかそんなのもきっと、私たちの知ってるそれとは違うんじゃない?本物の花びらみたいにさぁ」
彼女の指が作った線が、美しい曲線を描く花びらになった。
こうして出来上がった世界の終わりは、まるで楽園のようだった。空は様々な色に光り、割れている。空の割れ目から落ちる花びらが、私たちの街を侵食している。
これが、私たちの終末論だ。
「あは、これ、やばいね」
「うん、相当やばい」
画面を見ながら、私たちはけらけらと笑った。あぁ、なんて最高の終わりなんだろう!
この世界に未練が無いでもないが、こんな景色に包まれるなら、宇宙人に襲われる終わりだろうが悪くない。なんとなく、心が軽くなった。
私たちは電車に乗り込んで、それから5分くらい、他愛ない話をした。星花は次の駅で降りる。
「…もし、あんなふうに世界が終わるならさ、」
ワンマンカーのドアボタンに指をあてて、星花はポツリと呟いた。
「あたし、周と一緒に見たいなぁ」
電車が停る。私たちは、手を振りあった。
「何言ってんの星花。まだ終わんねーよ、馬鹿!」
ドアが閉まった。最後に顔をくしゃくしゃにして、笑い合った。
あと何日、何週、何ヶ月、何年、一緒に居られるだろう。
2人の終末予想図を携帯のロック画面に設定して、電車に揺られながら眠りに落ちた。
540×798の終末論 @moi_yukkuri
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